飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<2002年>

4月30日(火)

 るみけっと3の反省会で、あまり想定していなかった反省点が挙げられ、一気に重苦しい雰囲気になってしまう。イベントというのはどうあるべきなのか? そもそもコンセプトとして考えていなかったものを求められはじめたとき、イベントは変わっていかなくてはいけないものなのか? それが、自分たちの理念に反する方向であったとき、イベントを続ける意味はあるのだろうか?

 24日、この日は主にHPの改装作業の方を進めた。1981年の「めぞん」を仕上げ、「笑え!ヘルプマン」も作り終える。短編作品は、そんなに加筆することもないから、各年とも連載の部分を乗り切ると一気にその年が終わることになる。1年分が終わると、何となくかなり進んだような気になる。実際には数作品分しか進んでいないのだが、気分的に楽になるのは大きい。これ以降は、年間の作品数も少なくなってくるので、進み出すと意外に早いかもしれない。問題は、私自身のムラっ気だが…。(汗)

 25日、「気まぐれモノローグ」の原文を書く。3月19日分が書き上がった。それでもまだ1ヶ月以上遅れてるな…。毎週、4週間分ずつ更新していければ、すぐに追いつくだろうが、結構原文を書くのも大変なのだ。集中力のない日は、日記なのに全然書けないこともある。あったことを単純に並べて書いてるわけではないし、それについて自分の考えを書くようにしているからだが、こう遅れるようだと形式を考え直した方がいいのかもしれない…。

 もっとも、何度もそう思いつつ、ここまで来ている。基本的に面倒くさがりなのがそもそもの原因なのだから、形式は関係ないか…。(笑) それと、やりたいことが多過ぎるのと、それらを並行してこなせない1点集中型の性格にも原因があるな…。人を使うのが下手で、結局自分でやらないと気が済まないところも…。うーん、そう考えると、私ってかなり不器用なんだね。人間としてはさ…。(汗)

 26日、1日交替ということで(って、別にそう決めたわけではないのだが)、HPの改装作業をする。1981年分が終わった…。こんなペースでも続いていけばいいのだが、恐らく続かないだろう。興味の対象が多過ぎる…。自分は一途な性格だと思っていたが、実は浮気者なのかもしれないな…。好きなもの(人)をずっと好きであり続けるという面では一途なのだが、好きなもの(人)がどんどん増えていってしまうというあたりは、結構諸星あたるしてるかもしれない。

 27日、「気まぐれモノローグ」3月26日分の原文が書き上がった。GWの代休などもあり、この日から4連休なので、一気に追いつくチャンスだ。もっとも、そろそろ夏コミ合わせの本の制作にも取りかからねばならない。るみけっと3の反省会もあるが、そんなに時間はかからないだろうと思う。細かいことは言いだせばきりがないが、わかっていることはすぐに修正できる。根幹の部分は大分安定してきたと思うし…。と、この日は思っていたのだが…。

 28日、るみけっと3の反省会のため、豊田へ出向く。基本的には次回に向けての修正点の確認程度で済むと思っていた。ところが、冒頭で思わぬ問題が提起される。それはるみけっと自体の根幹、開催理念に関わる問題であり、一気に重苦しいムードにならざるをえなくなってしまった。簡単に解決できる問題ではないし、スタッフ個々に考え方も違う。特に私には納得できない部分が大きかった…。

 どういうことかというと、一部のサークルからるみけっと3であまり本が売れなかったことに関して、イベントとしての集客能力の低さを問題視する声が出ているというのだ。確かに、前回に比べると参加者の数は減っている。それはカタログの配布数(贈呈+販売)からも読み取ることができる。しかし、決して激減したというわけではない。混雑による渋滞が起きないように配慮して通路を広くとったので、全体的に人が少なく見えたというのはあるかもしれないが、本の販売数に直接大きく響くほどの減少ではない思える。

 別に頼んだわけではないのだが、スタッフの中に1週間前のイベントにサークル参加して、そこでのカタログ配布数をチェックしていた者がいて、義務購入だったそちらよりも自由購入であったるみけっと3のカタログ配布数の方が多かったことが確認できている。通路が狭くて渋滞すると、すごく混んでいたというイメージが残る。逆に通路が広くて余裕があると、人が少なかったというイメージが残ってしまうという罠も多分にあったようなのだ。そこで、次回からは通路を狭くして渋滞させようかという珍案も出たが、あくまで冗談だ。(笑)

 本が売れなかったというのは、むしろ犬夜叉オンリーイベントが直前にあったことの方が大きく影響しているだろう。1週間前のイベントに参加していれば、そこで本を買った人が翌週のイベントでまた買うということはありえない。その間に新刊が出ていないかぎり…。多くの参加者が重複している。イベントごとに参加者がまるっきり入れ替わるわけではないのだから、規模の大小もあるが、基本的には日程的に後のイベントになるほど本の売れ行きが落ちるのは当然のなりゆきである。

 ただ、ここで問題となるのは、どうしてそのような日程を選択したかということだ。これに関しては大いに反省すべき点がある。何しろ、決めた準備会代表がその日にした理由を思い出せないのだから、いい加減と言われてもしかたがない。ただ、るみけっとの方が他のイベントが前の週にあることを知った上でその日にしたわけではない。逆に後から前の週に入られてしまった(向こうもるみけっとの日程は知らなかったかもしれないが)というのが実情で、競争率の高いPioを確実に押さえるには、どうしても1年前の解禁月に申し込んでおかなければという避け難い問題があるのだ。

 それならば、会場を変えてという発想も出てくるが、せっかく慣れた会場で得たノウハウを失うデメリットは大きいし、広さと利用料金のバランスや設備、コスプレの可否などを考えると他に同等の会場を見つけるのは難しい。1年前の予約というのも、準備を進める上では助かる面が多いし、参加する側も毎回同じところの方がわかりやすいだろうと思う。ホール自体も柱がなく、見通しがきくし、配置も制約されない点が大きな魅力だ。ここを捨てるのは、あまりにももったいない。次回は以降日程を早めることにしたが、それでも後から直前に滑り込まれる可能性がないわけではない。会場を変えて日程の確定を遅らせたとしても、恐らくその問題は完全には回避できないだろう。

 集客性ということで言えば、広報の弱さもある。るみけっとのチラシや参加申込書は実に地味だ。華がない…。他のイベントはカラーで見栄えするイラストが入り、デザインも凝っているし、どこのイベントに行っても見かける。この辺の差は大きい。また、他のオンリーイベントの主催母体が主に同人サークルであるのに対して、るみけっとはファンクラブサークルであるという点も差が出る。他のイベントは広報だけでなく、同人サークル同士の横のつながりやコスプレーヤーとの面識を活かして、水面下で人気サークルやコスプレーヤーに参加してもらうよう努力しているところもあると言うのだ。人気サークルや質の高いコスプレが集まれば、一般客も増える…。るみけっとは、確かにそういうことはしていないし、必要性も感じてこなかった。

 そもそも、るみけっとの立ち上げにあたって、参加サークルにとって本がたくさん売れるような即売会を提供するという発想はなかった。あくまで、高橋留美子作品中心の即売会(イベント)という場を定期的に提供するというのが主たる目的だった。「犬夜叉」のアニメ化以降に増えてきた犬夜叉オンリーイベントの多くとるみけっとは、なりたちが大きく違うのである。

 るみけっと開催に向けての決断が下されたのは、1998年の秋である。その2年前、最後まで残っていた高橋留美子作品を中心とする定期イベントのコミックぱいれぇつが幕を閉じた。同時期に産声を上げた呪泉郷端展示即売会が1998年秋に2回目を開催したが、その後の継続的な開催については、その段階では難しいという声明が出されていた。それならば、なくならない定期的な場を需要があるかぎり提供しようということで、るみけっとが動きだしたのである。消極的といえば、消極的ななりたちと言える。だが、当時の状況下では勇気ある決断であったはずだ。

 このとき、1つの模範像としてスタッフの多くが思い浮かべたのが、後期のコミックぱいれぇつだった。前期の状況は私も知らないが、アニメ「らんま」放送終了後の後期コミックぱいれぇつは、お世辞にも本の売れるイベントではなかった。むしろ、同じものを愛好する仲間との再会と交流を楽しみ、即売会後のお茶会でビンゴゲームやイントロクイズに燃える場という趣があり、本をたくさん売るのはコミケ、本を売りながら雰囲気を楽しむのはコミックぱいれぇつという感覚があった。少なくとも立ち上げ当時の状況では、そうした場を定期的に提供するという方向性に誤りはなかったと思う。というより、ジャンルの状況からして、そうしたかたちしか見えなかったのである。

 ところが、アニメ化によって「犬夜叉」が旬のジャンルの1つになってきたことで状況が変わってきた。旬の作品を感知してジャンルを渡り歩く実力のある作家、サークルが流入し、そうしたサークルが主体となってオンリーイベントが開かれるようになってきたのである。常に旬のジャンルに身を置く彼らの目指すところは、まさに自らの実力と名声に見合った評価を得ること…。すなわち、作った本が期待どおりに、あるいは期待以上に売れることであろう。その彼らが主催するイベントが、売れる即売会を目指すこともまた当然と言える。

 昨年からすでにそうした毛色の違うイベントが出て来たことは当然認識していたのだが、特に対抗意識を持つ理由もないし、変に意識して参加者サイドに分裂イメージを作ってしまうのもよくない。それぞれが、それぞれの理想や目的に沿ったイベントを開けばいいし、参加する側も自由に選択すればいいと思っていた。そして、こちらが何かしなくても、自然にある程度棲み分けがなされるだろうと思っていた。その認識が甘かったと言われれば、そうなのかもしれない。売れるイベント作りを心がけているイベントに参加し、それに慣れたサークルには、売れるイベント作りという認識を持たないるみけっとの企画・運営が努力不足と映ったのかもしれない。

 旬のジャンルの1つとなり、売れる状況が定着してきている今日の状況下で売れなかったことが、大きな不満となるのはわかる。作ったものの評価は、通常、売れることによって測られるわけだし、その最低条件として人集めをしてくれと要望するのは当然のことだろう。それを満たすために、前に書いたような日程の設定や広報の地味さなど、改善しなければならないのは当然だ。しかし、それ以上のことまでしなければならないだろうか? つまり、るみけっとの毛色を変える必要まであるのかということだ。実際、そうあるべきではないかという意見が出て来たわけだが、私はるみけっとがそういう方向に動いて欲しくはない。やはり、根本からして違うと思うのだ。

 るみけっとはあくまで漫画家・高橋留美子とその作品(アニメやキャラ等を含む)ファンのイベントだという認識を(少なくとも私は)持ってやってきた。それはるみけっと資料室の展示やプレゼント品を見てもらってもわかると思う。あくまで、高橋留美子先生とその作品に関するものを扱ってきた。作品を限定せず、18禁ややおいも拒まず、広い受け皿となって作家・高橋留美子とその作品を愛する人たちの集いの場となることを考えてきた。そして何よりも、ジャンルの盛衰にかかわりなく、需要があるかぎりなくならない場所というところに最大の力点を置いてきた。実際、コミケ以外ではほとんど出しどころのない「うる星」や「めぞん」の本を出しているサークルなどからは、感謝の言葉をもらうことが多い。

 今でこそ「犬夜叉」は旬のネタで、売れるジャンルとなっている。しかし、アニメや原作が終われば、いずれ勢いも衰えて他の旧作と同じような存在になる日が来るだろう。るみけっと立ち上げ時と同じような状況が再び来るに違いないのだ。そうなったとき、残っているイベントはどこか? 次の高橋留美子作品が人気を博したときに肩身の狭い思いをせずに出せるイベントはどこか? るみけっと、豪華犬乱…、その他はちょっと未知数だ。そこにこそるみけっとの価値が、存在意義があると(少なくとも私は)思ってきた。そして、それこそがるみけっとの特徴であり、いちばん大切にすべきものだと…。だが、今は(今だからこそ)それでは足りないということなのだ。

 確かに、すべてにおいて完璧であるに越したことはない。ただ、肌に合わないことはどうしても負荷になる。同人イベントでは、主催者、スタッフも一種の参加者であると私は思っている。イベントを企画し、準備し、当日はその発表の場だ。同人誌や同人グッズがイベントになっただけの話である。やりたいからやる。作りたいから作る。その基本に変わりはないはずだ。作るのが楽しくないイベントになってしまうのであれば、本末転倒だと思う。楽しくない気持ちでスタッフをしてると、参加者への応対にも気持ちがこもらないのではないかと思う。忙しい、疲れる、大変だ…。それでもやる…、やりたい…というのは、やっていて楽しいからにほかならない。長く続けるなら、これは捨てられない基本だと思う。

 もっとも、売れるイベント作りとかいうこととは関係なく、他のイベントへ出かけて行き、主催者同士が親交を深め、経験やノウハウを交換し、築いたネットワークをお互いが利用できるようにすることは非常に有益なことだ。むしろ、あまり外に顔を出さない代表には積極的にやって欲しいことである。るみけっとの時間中でも、各サークルを回って挨拶をするのは大切なことだ。未だに私が主催者と勘違いされるようでは、本当はいけないのだ。(苦笑)

 私が代表でない以上、るみけっとが今後どういう方向に向かっていくかはわからない。が、私は私の考えた基本を失うつもりはない。たとえるみけっとであっても、やってて楽しくなくなったらスタッフをやめる…。単純にそれだけだ。売れるイベントにして欲しいと望む人がいる一方で、そちらに力点を置くことで、これまでの魅力を失って欲しくないと望む人も(少なくともここに1人)いる。あとは代表の判断次第だ…。

 ここまでの結論が、反省会の場で瞬時に出てきたわけではない。数ヶ月に渡って考えてきた結果、そこに落ち着いたのだ。が、結果的には、その場で口に出したことと大して変わりなかった。(苦笑) しかし、出てきた意見は意見として、頭ごなしにつぶしてしまうのも正しいことではないし、とりあえずできそうな対応について一通り考えるかたちで反省会は進んだ。基本的にイベントの変質までは望まない私にとっては、かなりモヤモヤしたものが積もる反省会となったが…。

 29日、一夜明けても前日のモヤモヤを払うことはできない。非常に重い問題だ。これからのるみけっとの根本的な運営方針にかかわってくる。反省会で一段落して、同人活動モードに入ろうと思っていたのだが、とてもそんな気分になれなかった。自分の気持ちはある程度固まっている。しかし、それが本当にるみけっとの将来のためにいいことなのかはわからない。割り切ってしまえばいいのだろうが、そう簡単に割り切れない典型的なA型人間だけに、中にたまってしまう。

 前日の反省会後半では、とりあえず根本的な変質に積極的に踏み切るというところまではいかなかった。サークル参加申込の早期受付や申込用紙の入手方法拡大、広報の改善などを主に進めることがさしあたっての課題となった。特に後者は、私にとって追い風となる改善点となる。

 これまでは、サークル参加申込が締め切られ、サークル配置が確定しないと、それ以外のスペースの配分が確定しないので、何をどのような規模でやるかが決められず、それについての広報ができなかった。カタログに載せる原稿も配置決定後わずか1週間で作っている状態だ。それでも今年はがんばって、カタログに載せた原稿を流用してwebページを作り、事前に公式HPで公開することにしたのだ。しかし、TOPページに目立つリンクを置いて欲しいと要望したのに、実際にはるみけっと3のページにひっそりと地味にリンクが置いてあった。あれで事前に展示の内容やプレゼント品を見た人が何人くらいるだろう? 反省会の席では、サイドイベントの質は高くても、それが集客に結びついていないという指摘があったが、この状況では結びつけようがない。(泣)

 その点について、次回からはやること、そのためのスペースを確保することを前提として、先に企画し、広報して集客に結びつけようということになった。また、過去のサイドイベントについても、こんなことをしましたということをHPで見せて、次回への期待を煽ろうということに…。これまで慎重で、1度出した情報は変えられない(安易に変えると混乱を招くし、信頼を損なう)から、完全に決定するまで広報できないという姿勢を貫いてきた代表だけに、これは大きな前進と言えるだろう。

 それでもモヤモヤが晴れないのは、自分ではそう変えたくないと思いながらも、売れるイベントを作る努力をしていないるみけっとへのサークルの不満が無視できないし、気になるからだろう。犬夜叉系サークルに一斉にそっぽを向かれてもイベント自体が倒れることはないと思うが、そういうことが起こると他の参加サークルや一般参加者の気持ちも沈む。まるっきり無視して突っぱねられるほど、肝が据わってはいないのだ。自分の方がそっぽを向いて抜けるのは簡単だが、抜けられたあとのことを背負わなければならない立場では、なかなか思い切れるものではない。少なくとも、私の性格的には…。(苦笑)

 30日、代休だ。せっかくの4連休だったのに、今後のるみけっとの方向性のことで悩んでいるうちに終わってしまった。こういう状況では、創作的意欲は湧いてきようがない。意見を出した人が悪いわけではないのだが、知らないでいられた方が幸せだったのかもしれない。不満を持ったサークルが離脱して参加サークルが減っても、「犬夜叉」のアニメと原作が終わり、他のイベントがなくなれば、それなりに戻ってきて、何事もなかったように続いていったのかもしれない。それが本当によいことかどうかは別として…。(現実逃避だな。汗)

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