飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1997年>

8月26日(火)

精神的緊張感が緩んで、下降線の1週間…。るーみっくに関しては、あまりパッとしたことはなかったけれど、飛鳥にとって感動の再会が…?(笑)

20日、とりあえず片づけなければならないコミケの残務整理を行った。ついでに執筆者への贈呈本や通信販売分の発送準備もしておこうと思ったのだが、封筒の残りが2枚しかなく、断念した。(汗)結局、何だかんだとやることが残ってて、まだ、コミケで買った本すら読んでいない…。困ったもんだ…。(笑)

21日、封筒とポリ袋を購入して発送準備を行い、22日には本を発送した。とりあえず、ひと通りこれでコミケの残務整理が終わり、ようやく買ってきた本を読む余裕ができた。ふと、数えてみると、買った同人誌がるーみっく系だけで240冊に達していた。1992年の夏から今回で11回目の参加…。1回平均20冊以上買ってる計算になる。我ながら、よく買ったものだと思う。(笑)

23日、いつもコミケでよく使うトーンを大量買いしていたのだが、今回は売り子かけもちの影響もあって断念してしまった。購入を頼まれていたものもあって、この日にまとめて買ってしまおうと西武池袋のLoftに行ってみた。

まずは、頼まれものから探し始める…。ところがそのとき、聴き覚えのある曲が耳に飛び込んできた。私には聴き覚えがある。だが、この曲はこんなところ(デパート)でかかるようなメジャーな曲ではなかったはずだ。

しかも、この曲をよく聴いていたのは、5〜6年も前のこと…。5年前に解散した、まだメジャーでなかった(CDすら出していない)バンド曲なのだ。声も同じだ…。しかも、店内BGMでなく、ライブの音である。聴こえてくるのはすぐ上の階だ…。私は、手にとっていたトーンをあわてて全部棚に戻すと、エスカレーターを駆け上がった!

同人活動を始める前、1991年頃から、「めぞん」を紹介してくれた友人にまたしてもハメられて、あのへんてこバンドの「たま」のファンとなって以来、私はライブハウス通いに明け暮れていた。特に、「たま」と同様のアコスティクなサウンドで、歌詞が意味深い曲を歌うアーチストがお気に入りだった。

そんな中に「リス」というバンドがあった。雑誌「ガロ」に描いていた漫画家の友沢ミミヨ先生が大正琴を弾いていたバンドで、他にキーボード、オカリナ、太鼓、ギターという編成…。ちょっと南米民謡風のメロディーを取り入れた感じでもあり、それでいて和風のようでもある独特の雰囲気を持ったバンドであった。

その「リス」で、曲作りとともにギターとヴォーカルをつとめていたのが、福間未紗(当時:福間ミサ)さんという女性だった。1991年の10月から、私はこの「リス」にハマって、ほとんど毎回、彼らのライブに足を運んだ。解散までの約1年間、録音したテープも含めて何度も何度も福間さんの声を聴いてきたのだ。その声を、曲を、5年が過ぎたとはいえ、忘れるはずがない!

エスカレーターを上がり、レコード店内のキャンペーン用ミニステージに目を向けると、そこには紛れもなく福間未紗さんの姿があった。「リス」時代の「ねじ」という曲を歌っている福間未紗さんの姿が…。以前より痩せただろうか…。しばし、じっと見つめていたけれども、思わず天を仰ぐ…。私は涙もろいのだ…。

そこまできてしまうのには、理由がある。忘れもしない、約5年前の1992年11月22日…。その日は「リス」のライブのある日だった。私は、その年の秋口からいよいよ同人活動を始め、冬のコミケ合わせの同人誌に参加しており、その入稿締め切りが翌日の23日に迫っているという状況だった。

予定どおりに行けば、入稿は22日の昼間に済み、夜にはライブに行けるはずだった。しかし朝方、ある参加者の原稿に多数の修正を要する記述があることが判明して、必死になって伏せ字編集をするハメとなり、とうとう夜までかかって入稿は翌日となってしまったのである。

当然、ライブには行けなかったが、「まあ、1回ぐらいしょうがないか。」と軽い気持ちでいた。ところが、その日ライブに行った人から連絡を受けて愕然とする…。なんと、「リス」はその日のライブを最後に解散してしまったのだ。直前まで、そんな素振りは全然見せなかったのに、本当に突然のできごとだった…。

その後、私自身がライブの終わる時間になっても仕事が終わらないという忙しい職場に転勤になってしまったこともあって、すっかりライブ鑑賞からは遠ざかってしまった。風の噂に福間さんがソロで演ってるという話も聞いたけれども、そのうち情報も途絶えて、それっきり5年近い歳月が流れていたのだ…。

あのとき、せめて最後のライブを見られたら…。その思いが、その悔しさが、ずっと胸の奥底にあったから、福間さんの声が胸に染み込んでくると、とてもじゃないけど涙腺が緩まずにはいられなかったのだ。

ステージのあと、そこでCDを買った人へのサイン会となった。福間さんが2枚目のCDをリリースした直後だということも、このとき初めて知った。しかし、本当にこの日、この時間、この店に来たことは、全くの偶然…。るーみっくに直接関係のあることではない(実は、すごく間接的には関係ある)のだが、私にとっては、この週最大のイベントとなった。(このままだと、いつまでも止まりそうにないので、ここでやめておこう。汗)

24日、もう福間未紗さんのCDと5年前の「リス」のテープ聴きまくりの1日となった。中でも、「たま」の知久寿焼氏がゲストで加わった1992年4月22日の稲生座のテープはプレミアものかもしれない。「たま」のファンには完全にノーマークだった。当時の「たま」の人気はすごかったから、常連の女の子たちが知ったら、さぞ悔しがったことだろう。

知久寿焼氏が「リス」のライブに客として姿を見せるようになったのは、3月あたりからだった。私と私のライブ仲間たちは、すでに「リス」の面々とは何度か直接会話をしたりしていたことから、「リス」を通して知久寿焼氏とも面識ができ、会えば挨拶してもらえるくらいにはなっていた。(今はもう、忘れられてるだろうが…。汗)

その後、ライブ仲間で同人誌(コピー誌)を作ることになり、私はその創刊号に「たま」の曲とるーみっく作品の共通性に関する考察を書いた。その同人誌が知久寿焼氏の手にも渡り、6月下旬には感想を直接もらうに至ったのだが、そこで高橋先生の話が出た。

このとき、知久寿焼氏はすでに2回ほど高橋先生と会っていて、その印象を語ってくれたのだが、何よりもまず「おっぱいが大きかった。」という印象が強かったようだ。(期待していたのとは、大分違う話だが…。汗)

「服の上からでもわかるくらい大きくて、アシスタントもきれいな人ばかりで、女王様のように君臨していました…。」ということだった。この女王様というのがどーゆー意味なのか気になるところだが、それが知久寿焼氏の素直な印象だったようだ。(笑)まあ、そんなわけで「リス」の話は、非常に間接的ながら、るーみっくと関係があったりするのだ。(ほとんど、こじつけだな。笑)

25日、26日と余韻を引きずっていた。頭の中を福間未紗さんの曲がぐるぐる回っている。そんな中、25日にはついに5000アクセスを突破した。月に1000アクセス行ってる計算になるから、自分でも驚きだ。でも、驚いてばかりもいられない。それだけの期待に応えられるのか…?それに、自分自身、だんだんいい気になって調子の乗り過ぎてないかという不安も走る。

かっこつけてみても、結局は、できることしかできない。やれることからやるしかないのだ。とりあえずは、地道に「めぞん一刻・原作初出掲載時資料室」の拡張に努めるとしよう。「飛鳥の同人物語」の第2章も少しずつ執筆中だ。なかなか進まないけど…。(笑)

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