飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1997年>

8月5日(火)

気まぐれと言いつつ、なんとなく週刊を守ってしまうところが、何というか…。(笑)あまり、るーみっくな話題はないのだが、とにかく行ってみよう。(おいおい。汗)

7月30日、「犬夜叉」を読む。また、現代が舞台になりそうだ。この回で、ちょっと気になったのが、タタリモッケという妖怪の解説だ。新たに死んだ子供の魂が成仏するまで遊んでやる無害な妖怪ということなのだが、はて、子供って成仏できったっけかということだ。

私が、中学生の頃、国語の教師から教わったところでは、この世とあの世を隔てる三途の川のこの世側の岸を私岸、あの世側の岸を彼岸と言い、大人は渡し賃6文を払って、彼岸に渡れるのだが、子供は渡れないという話であった。

その話によれば、子供は、私岸の河原で石を積んでいるのだそうだ。しかし、時々、意地悪な鬼がやってきて、せっかく積んだ石を崩してしまうので、また1から積み直す。これを延々と繰り返すのだと言う。

つまり、子供は成仏できないということになる。それは、早死にしたのが親不孝だとか、そういうことがあるからなのだろう。もっとも、これも1つの言い伝えに過ぎないから、「犬夜叉」の設定が必ずしも正しくないというわけではないのだろうが…。

31日、ここしばらくは、夜も23時には寝るようにして体力の回復をはかってきて、ようやく調子も戻ってきたのだが、そうなるともう原稿が描きたくなってしまった。あれだけ苦しんで、やっとの思いで解放されたのに、困ったものだ…。(汗)

一刻会の会報の原稿なのだが、忙しくて前号の編集にはほとんどノータッチだったし、その間にいろいろと応対しなければならないようなネタも出てきていたので、最近、会報で流行っているフリートーク形式の感想を書いてみようと思った。

フリートーク形式というのは、イラストを半ページくらい描いて、その空いたスペースに(大抵は)手書きで言いたいことをズラズラと書きつづる形式のことを言う。同人誌などでは、よくあるパターンなのだ。

しかし、この日は思っただけで、何も書かなかった。書く文章はだいたい決まっていたのだが、イラストの方がいい絵柄が思いつかなくて、結局、何も描けなかったのだ。ちょっと、緊張感が途切れて集中力がダウンしてたかな…。(汗)

8月1日、今日こそはと原稿に向かったが、どうもダメ…。書きたいくせに、ペンが進まない。いろいろ絵柄を変えて試してみるけど、どうも気に入らない。メールでページ確保をもう頼んでしまったので、書かないわけにいかなくなってしまった。いやー、困ったもんだ。(困ったもんだで済む話なのか?笑)

2日、結局、たった1枚の原稿にまる1日かけてしまった。しかも、絵は描けず、7月26日に落書き的に描いたイラストをしかたなく切り貼りして、やっとこ完成したというなさけない状況だった。

体力回復を名目に、かなり怠惰な日々をしばらく送っていたので、そーとー緩んでしまったようだ。この日は「めぞん」の初出掲載時データをやろうと思っていたのだが、全然できなかった。まずは、10話分できたら第1弾の公開をしようと思っていたのだが、どうやら次週以降になりそうだ。(汗)

3日、一刻会の編集会に出向く。しかし、編集総括が来ない…。文章原稿の版下を抱えている彼が来ないと仕事にならないのだが、どうやら使い慣れない一太郎8に悪戦苦闘していたらしい。仕事が無いので、いきなり編集後記から作成し始める。どこが「後記」なんだ?(笑)

一太郎は、俗にバージョンを先につけて、7太郎とか8太郎とか呼ばれることがあるが、バージョン9が出たら、やっぱり9太郎と呼ばれるんだろーか?(そのときは、オバQをCMに起用して欲しいもんだ。笑)

まあ、編集中、そんなしょーもないことを言ったりしているのだが、この夏話題のアニメ映画の話なども出た。飛鳥はこの夏、見たいアニメ映画が3本ある。だいたい想像つくと思うが、「もののけ姫」と「新世紀エヴァンゲリオン」と「ジャングル大帝」だ。が、まだ1本も見ていない…。(汗)

宮崎作品は、ファンの方には申し訳ないが、私はどうも消化不良起こしてしまって、あまりうまくつきあえた試しがない…。私は、どちからというと作品を深読みしたい奴なので、それをあまりさせてくれない宮崎作品は、どうも私には食い足りないのだ。しかし、「もののけ姫」だけは以前から見たいと思っていた。

「ジャングル大帝」は、手塚ファンしてた人間だ。興味を持つのは当然だろう。手塚先生亡きあと、あの作品をどう料理してくれたのか、心配でもあり、楽しみでもある。さすがに大河ドラマである原作のすべてをカバーすることはできないだろうが、どこの部分をどうまとめてくれたのか、気になるところだ。

3作の中で、いちばん期待薄だったのが「エヴァ」なのだが、その理由は大半のアニメファンとは正反対だ。TVシリーズのラスト2話であれだけなんだかんだ言われただけに、劇場版では、ある程度アニメファンの多くが期待するものを作ってしまうんじゃないかと危惧していたので、あまり期待していなかったのだ。(なんじゃ、そりゃー?笑)

私はTVシリーズのラスト2話が好きだ。むしろ、私にとって1〜24話は、あれの伏線に過ぎないのだ。いちばん最後の「おめでとう」は、ちょっと全体を安っぽくしてしまったが、それまでの部分は「やってくれた!」と内心、拍手していた。TVでこーゆー類のことをやってしまったのは、押井守氏以来じゃないだろーかと思った。(押井氏に比べると、チープになってしまったが…。汗)

その後、林原めぐみさんのラジオ番組で監督の庵野氏はアニメファンに対するアンチテーゼとして、ああいうものを作ったというようなことを語った。好きなことに固執せず、好きな世界に埋没せず、現実社会への帰還を示唆したというような意味あいだ。それって、「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」で押井氏が示唆したことと同じじゃないか…。それで、ピーンときた。なるほどと…。

以来、「エヴァ」には「うる星」(中でも「ビューティフル・ドリーマー」)の影が見えるようになってきた。もちろん、「うる星」だけでなく、「ヤマト」や「ガンダム」、「イデオン」の影もチラつくのだが、私としては好きなるーみっくとの関わりということで、いずれ「エヴァ」と「ビューティフル・ドリーマー」の関連性について、考察を書いてみたいと思っている。

さて、話を戻すが、すでに「エヴァ」を見てきた連中の話を聞くかぎり、どうも私の好みに合ったタイプのものになってるようで、非常に興味が湧いてきたのだ。終わったあと、観客がし〜んとなる作品らしい。それを楽しみにしている私は、かなり変かもしれない。(笑)

4日、「めぞん」の初出掲載時資料の第7話分を仕上げた。単なる感想ではないから、初出時の資料として特筆すべきことがない回は、非常に困る。ないのだから、「ない」と開き直ってしまえばいいのかもしれないが、なんか申し訳ないような気がしてしまう。そんなことで悩んでるよりも、早く仕上げて公開した方がいいのかもしれないが…。(笑)

5日、「めぞん」初出掲載時資料、第8話分を仕上げる。この回は巻頭カラーだが、本が古いので、端の方が若干黄ばんでしまっている。第6話はもっとひどかった。これをどこまで修正するかが難しい。

黄ばみをきれいにすると、他の色が飛んでしまって、元の色調が失われてしまうのだ。ここは、黄ばみを我慢してもらって、なるべく元の色調で見てもらうべきだと割り切るしかないと思う。努力して、もっとモノがいいスピリッツを手に入れろって?(そいつはごもっとも!笑)

ということで、高橋留美子*ぷち資料館の新コーナーも進行中だ。何とか、次の更新までには第1弾を公開いたい。多分、できると思う。できるんじゃないかな…。(おいおい。笑)

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