飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<2000年>

12月5日(火)

 もう体調が悪いの何のと言ってられない時期に来てしまった。ダメだろうが何だろうが、何とかしなくてはならない。そんな中で、一刻会の「そると」に久々にイラスト原稿を描くことに…。これが何かのきっかけになればいいのだが…。

 11月29日、原作「犬夜叉」だが、桔梗の乱入によってかごめは一時的に椿の呪いから解放され、犬夜叉は難を逃れた。そして、四魂の玉の気配を感じたかごめは犬夜叉とともに椿のもとへ向かう。展開としては、その程度の進展でしかないのだが、この回で注目すべき部分は桔梗と椿のやりとりだろう。

 かつて桔梗に敗れた椿は、妖怪に魂を売って永遠の若さと妖力を得た。一方、桔梗は死人でありながら、まがいものの体でかつてと同じ姿のままこの世に留まっている。どちらも正しいありかたとは言えないのだろう。椿の場合は自らの意志で魂を売り、桔梗の場合は裏陶によって自らの意志に反して甦らされたという違いはあるが、この世にあり続けているという点では同じかもしれない。

 ここでふと考えさせられるのが、現在、桔梗がこの世にあり続けることの意味だ。復活した当初は、犬夜叉に裏切られたという思い込みから犬夜叉を殺さねば魂が休まらないという気持ちがあった。やがてそれは、もはや死人である自分はこの世で犬夜叉と結ばれることはないから、犬夜叉を地獄へ引きずり込み、道連れにしようという気持ちに変わった。

 だが、今はどうだろう? これらとは大分状況が変わってきているように思う。今の桔梗はむしろ犬夜叉の命を守ろうとしている。かごめが持っていた四魂のかけらをあえて奈落に与え、その奈落を自らの手で地獄へ送ると心に決めた頃からだろうか? 奈落に対しても、犬夜叉に手出しすることは許さんという姿勢を示している。多分、椿に対してもそれは同じだろう。

 また、奈落の仕掛けによって死魂虫を食われ、危ういところを犬夜叉に救われたときのことを思い返すと、このままこの世に留まっていたいという気持ちがあるように思われる。結ばれることはなくとも、犬夜叉のいるこの世に留まり、犬夜叉と同じ時間を過ごせることに意義を感じているのだろうか?

 その辺のところまで現段階で読み取るのは難しいが、現状では犬夜叉が桔梗を守り、桔梗が犬夜叉を守るという図式が成立するかたちになる。これは、奈落に対してかなりいい防御体制となるだろう。問題はここにかごめが入ってきたときの桔梗の行動だが、次回どうなるか見物である。

 11月30日〜12月1日、人事異動で本職の方が大変だ。2人抜けて補充は1人のみ…。当然、すぐに仕事につけるわけではないので、自分の仕事が一気に増える。さらに異動に伴う事務上の諸手続きとか、歓迎会の準備・調整もしなければならない。人数の少ない職場はこれだからつらい。(汗)

 通常の仕事が遅れて、あとへあとへとたまっていく。土日の出勤ローテーションも人数が減ったことで変わってしまうことになった。計算した結果、るみけっと2当日は休みだが、前日の土曜日が出勤だ。これはかなり厳しいかも…。(汗)

 2日、かつての長期研修メンバーによる同期会が鎌倉で開かれたので出席した。研修からすでに12年…。みんなそれなりに歳はとっているが、あまり変わっていないなと口々に言い合う。中にはすでに退職して専業主婦している女性もいるが、本当に変わっていない。「日帰りの夢」の志摩聖子みたいだ。

 とりあえず話に花を咲かせて、宴会をして、あとは寝るだけという同期会だが、時間のたつのが早かった。宴会では、一応カラオケセットも予約してあったのだが、歌よりも思い出話の方に夢中で、誰も歌わないまま終わってしまった。それはそれでいいことなのだろう…。

 3日、朝食後、鎌倉を出て一旦帰宅する。着替えなどの荷物もあったし…。そして改めて一刻会の会報編集会に出発した。このところ、編集会の日に出勤が重なったりすることが続いたりしていたので、実にひさしぶりの編集会参加だ。今世紀最後だからかどうかわからないが、最近では人数が多い方だということだった。(かつてより少ないくらいだが…。汗)

 会場では会報「友菱」とともに会誌「そると」15号の編集も進んでいた。今年は自律神経失調症になってしまったりして原稿を描ける状態じゃなかったから1枚も描いていなかったのだが、そうなると例年執筆者ということで贈呈されていた「そると」が今年はもらえないことになることに気づいた。(笑)

 冗談半分にそれを口にしたら、待ってましたとばかりに依頼がきた。「めぞん一刻」のコーナーの扉絵がないので描いて欲しいとのことだった。別に本気でタダでもらいたかったわけではないのだが、久々に原稿を描いてみるのも気分転換になっていいかなと思って引き受けることにした。問題は9日必着に間に合うかどうかだが…。(汗)

 4日、早速扉絵の執筆にかかる。が、なかなか絵柄が決まらない。漠然としたイメージはあるのだが、かたちにするのが難しい。扉絵に続くページは前日に見てきたわけだが、あえてそれらとはギャップの激しい絵にしたかった。何か勘違いしてるようなノリを出したかったのだ。結局、最近よく聴くBGMのイメージを絵にすることにした。どんなものかは、「そると」を見てね。(笑)

 ただ、結局この日のうちに仕上げることはできなかった。下描きとペン入れまでがやっとだ。アニメ「犬夜叉」も観ないといけないし、いろいろとそのほかにも時間をとられた。まあ、ここまで描ければあとは力業だから、締め切りには間に合うと思うが…。

 で、アニメ「犬夜叉」だが、「九十九の蝦蟇」シリーズを1話にまとめた回だ。最初に観たときは非常にあわただしく、詰め込み過ぎのような印象を持った。が、これは食事中に観たせいもあったからなのだろう。もう1度観直してみたら、よくまとまっていた。ただ、「犬夜叉」は結構展開が早いから、じっくりと集中して観ないといけないなと実感した。

 今回、信長もよかったが、いちばんいい味を出してくれてたのが日吉丸。こういうところで遊んでくれるのは大いに歓迎だ。また、原作では数話に渡っていたからあまり色濃く感じなかったのだが、こうして1話にまとまってみると、信長の「人が死ぬのはいやなんじゃ」というセリフが意味を持って光ってくる。

 戦国の世を舞台にし、妖怪らとの闘いが描かれる作品だから、どうしても殺し合いなど凄惨なシーンが出てくる。昨今、若年者による凶悪犯罪が増えていて、それがアニメや漫画の影響だと言う人たちもいるから、そういう作品だと親たちが子供に観せたがらなくなる。そんな中で「人が死ぬのはいやだ」というセリフは、一筋の光明を放つメッセージとなっている。

 「犬夜叉」は、主人公が妖怪や人間を殺しまくることで痛快感を覚える作品ではない。当初は乱暴者だった犬夜叉がかごめたちとのふれあいを通して、より人間的に変わっていく過程もまた大切なのだ。そういう意味で。原作にあった殿様ごと九十九の蝦蟇を斬ろうとして鉄砕牙を振り下ろしたが、結局殺せなかったというシーンがなくなったのは残念だった。

 5日、一刻会「そると」のイラストを仕上げにかかる。全体に黒っぽい原稿なのでベタに時間がかかったが、まあこんなものだろう。ちょっと響子の目が気に入らない。上を向きすぎてる感じがするが、もう描き直す余裕もない。まったくの不可というわけでもないので、そのまま送ることにした。

 そんなわけで、この日に更新というわけには当然いかなかった。(当然と言っちゃいけないか…。笑) そろそろ病気だ何だと言ってられない時期に来てしまったので、無理やりにでも体を動かさねばなるまい。るみけっと2のサークル参加申込書などは代表の方ですでに用意してくれていて、中旬には出来上がってくる。コピーじゃなくて、印刷所に頼んでるのだ。(マジ)

 それはサークルカットが描きやすいように厚手の紙を使用したりとか配慮してのことで、よくコピーして配布していいですかという質問がくるのだが、基本的にはこちらで用意した本物を使って欲しい。他の人に配布したいときは、部数を指定して請求してくれれば発送する。昨年同様、公式HP上でオンライン請求もできるようにする予定だし…。

 そして、るみけっと公式HPもいよいよ今月中旬には独自ドメインに移転する。春先にでかいことをブチ上げておきながら、自律神経失調でなさけないことになってしまい、私自身、管理を続けていくのが難しい状況にもなってきていたし、個人的には渡りに舟という状況での引き渡しとなる。イベント自体は、当日までに何とか楽しいものに仕上げたいと思うが…。

メニューに戻る