飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<2000年>

7月25日(火)

 謎に包まれた空白の2ヶ月…。飛鳥杏華は何をしていたのか? オークションに明け暮れてとことんズボラな生活をしていたのではないかとの疑惑も一部にはあるが、果たしてその真相は? 実際の話、もう詳しく思い出せないのでダイジェストでこの2ヶ月を振り返ってみよう。(おいおい。笑)

 5月24日、この日は劇団☆新感線の芝居「犬夜叉」の千秋楽だ。職場から直行で「ル テアトル銀座」へと向かう。劇場の外で連れたちと待ち合わせて、しばらくそこで立ち話をした。と、そのうちの1人が、確証は持てないけれど、高橋先生らしき人が入っていったのを見たと言う。まあ、確かに千秋楽だし、来ていてもおかしくはない。確証がないのも確かだが…。

 この日の芝居は、序盤、いつもより早めのテンポで進んでいるように思えた。ここまでくると客もほとんどがリピーターだから、ギャグに対してすっかり慣れてしまっていて笑いは少ない。が、言霊の念珠を犬夜叉がぐるぐる回すシーンで念珠が首からすっぽ抜け、舞台向かって左の傾斜している部分と平らな部分のすき間に落ちてしまったときには、大爆笑とともに拍手まで起こった。(何か意地悪な拍手だな。気持ちはわかるけど…。笑)

 千秋楽ということもあって、カーテンコールも回数が多かった。終了のアナウンスが流れたあとに1回、佐藤アツヒロだけが出てきたりした。これで、劇団☆新感線の芝居とのつきあいは一段落だが、多分次の芝居も観にいきたくなるだろうな。(笑)

 5月25日〜6月9日、るみけっとの準備に関して代表と企画実行委員長(仮名)である私との間で意見が合わず、メールのやりとりに明け暮れる。お互いの所掌範囲についてちゃんと明確な線引きをしていなかったのも大きな原因だった。代表は「現場の作業」は任せると言ったのだが、この「現場」のとらえ方が2人の間で大きく違っていたのだ。もちろん、その他にもたくさん意見の相違があったが…。(汗)

 この間、精神的にかなり消耗してしまった。「気まぐれモノローグ」の更新ができなかったのも、実は書けるような内容でなかったからだ。そういう状況を長々と詳しく書いても気が滅入るだけだし、「るみけっと」は大丈夫なのかといたずらに不安を与えてしまう。結局すべては産みの苦しみであって、準備作業についても定型のパターンができあがってくれば避けられる衝突だ。逆に言えば、それだけまだ「るみけっと」は未熟なイベントだということだろう。

 6月10日、一刻会会報の編集のために日野へ出向く。編集後にるみけっと準備会代表と一連の件について話し合った。やはり、ものごとを解決するには面と向かって話し合うにかぎる。メールのやりとりでは、どんどん過激になっていきかねない。単発の行き来だから、すぐに言葉の正確な意味を問いただしたり、フォローしたりすることができない。何より、表情が見えないからニュアンスが伝わらないのがよくない。

 お互い、自分の思い描いていた思惑とは違うかたちを模索しなければならなくなったので、必ずしもすべての暗雲が払われたとは言えないだろう。しかし、これで道は見えた。とりあえず、何に向かって動けばいいかは確認できた。それが大切なのだ…。これで「るみけっと」は1つ危機を乗り越えた。この先、いくつ危機があるかわからないが…。(汗)

 6月11日〜12日、コミケカタログに載せるイベントCMの仕上げをする。すでにイラストは描き上がっていたが、チラシを配布するスペース名はコミケの当落通知が来ないとわからないから入れられない。基本的には一刻会と飛鳥鳳凰堂で配ることにしていたのだが、一刻会はともかく、ジャンル移動した飛鳥鳳凰堂の当落は微妙だった。

 結局、飛鳥鳳凰堂は無念の落選…。チラシ配布場所には一刻会のみを記載し、原稿を速達で代表に送った。やはり、ジャンル移動は厳しかったようだ。実績もここのところ確かにイマイチだったが、ジャンル移動がなければという気はする。これで久々に委託先を探さねばならなくなった。もっとも、これで自分の本をやめて「るみけっと1」の反省本に力を注ぐ口実もできたのだが…。

 6月13日〜22日、2日間の代休でいろいろな面でリフレッシュしたあと、北海道小樽市へと出張する。とあるイベントに説明員として参加するためだ。まさか、仕事でもイベントに関わることになるとは思っていなかったが、イベント自体は好きだから悪い気はしない。立ちっぱなしで疲れるのを除けばの話だが…。(笑)

 初日は到着しただけで何もなし。夜の町に繰り出すと、ちょうど水天宮のお祭りでにぎやかだった。寿司と地ビールなどを味わい、しばし羽をのばす。もっとも、観光地なので決して安くはなかったが…。(汗)

 2日目は、1日がかりの設営だ。業者がやる部分もあるが、基本的に自分たちで展示品を額縁やショーケースに並べなければならない。扱ってる展示品が貴重な品なので、やたらに任せられないのだ。「るみけっと」もこのくらいじっくり設営ができるといいものができるのだが、現在のイベント規模では費用がかかりすぎてお話にならないだろう。(笑)

 3日目からいよいよイベント開始。市のお偉方による開会式のテープカット、ミス小樽もいれば小樽太鼓の演奏もある…。皇太后陛下が亡くなった直後なのにいいのかなぁと思わず思ってしまう。まあ、私自身はそれをけしからんと考える口でもないし、逆にやたらな自粛がけしからんと言う口でもない。これが「るみけっと」だったら…、やっぱり自粛はしないだろうな…。

 結局、21日までの5日間で6000人余りの入場者だった。少ないようだが、展示規模もそんなに大きくないし、会場も観光ルートからちょっと外れた場所にあるので、まあまあの数字らしい。逆に1万人以上も来てしまうと対応が大変になるという話だから、これはこれでよかったのだろう。もっとも、小樽市側は3万人動員すると息巻いていたのだが…。(汗)

 6月23日〜25日、帰宅して一夜明けるとのどが痛い。これはやられたなと思った。案の定、昼過ぎから熱が上がってきて、夕方には38度を超える。うーむ、せっかくの休養日が台無しだ。しかも、25日には「るみけっと2」へ向けての最初のスタッフミーティングがある。イベントとスケジュールの素案資料を作成しなければならない。事態は最悪だった…。

 何とか根性で24日の昼過ぎには熱を下げ、夕方から資料作成して翌日のミーティングに備える。ところが当日、集まったのは私と代表を含めてたったの4人…。まあ、時期が時期だ。同人やってる人は原稿描きの真っ最中だから、来られないのが当たりまえなのかもしれない。しかし、これではいくらなんでもお寒い状況だ…。もう少し、同人活動にかかわっていないスタッフが欲しいところだ。

 6月26日〜7月15日、夏コミ発行を予定している「るみけっと1」の反省本「るみけっとPRESS」(どっかで聞いたような名前だな。笑)の原稿作成に着手する。まずは、2日間でメモリアル・レポートの原文を書いた。28日にはスタッフ2人を自宅に呼んで、反省部分についての座談会を開催。MDに収録して、そのうちの1人にテキスト入力を依頼した。

 翌29日からプレゼント抽選会の投票用紙の各種集計にかかる。前回終了直後から、統計をとって入場者(投票者)の傾向について分析してみようという企画を考えていたので、投票用紙は私が保管していたのだ。別に女性の住所を悪用しようとしたわけではない。(冗談でもこんなこと書くと誤解されるかな? 笑)

 平日はなかなかはかどらないので集計は7月8日までかかり、10日に原文を書き終えた。ここまできて心配になってきたのが反省座談会の原文入力の状況だ。担当者に問い合わせたところ、13日までには何とかということだったので、少し余裕をみて14日中に届けばいいと伝えた。

 ところが、原文は2/5程度しか届かなかった。本人が思っていたよりはるかに分量があったということなのだろう。だが、実際の座談会では話が途中であっちこっちに飛んでいるので、文章を入れ替えたりしてまとめなければならない。それには、全文が揃わないと意味がないのだ。

 できれば、15日中にその辺のまとめ作業をしておきたかったのだが、断念せざるをえなかった。とりあえず、座談会以外でここまで原文入力ができあがっているものに加えて、次回の開催情報や抱負などのページをレイアウトしてプリントアウトし、翌日の編集会に備えた。

 7月16日、「るみけっとPRESS」の第1回目の編集会だが、来てくれたのはたった1人だった。前回のミーティングの集まりが悪かったのは地理的問題もあるのかなと思い、会場を日野市から新宿区に移したのだが、どうやらやはり時期の方が問題なのであって、場所は関係ないようだった。

 もっとも、この日の作業は少ない。座談会が大部分を占めるので、それが上がってこないことには大して仕事がないのだ。おかげで、編集初心者のスタッフにじっくり指導しながら編集ができる。それは収穫と言えるだろう。1人でも戦力になってくれる人が増えるのは助かる。今回はそれでよしとするしかなかろう。(笑)

 7月17日〜21日、すでに下描きまで済んでいた表紙と裏表紙のイラストにペン入れを開始する。ペン入れは19日の日中に完了した。問題は座談会の原文の方だ。担当者に最後通告をしたが、3/5までしか上がっていなかった。もう間に合わないので、録音したMDを返却してもらい、自分で残りを入力することになった。

 やってみてその大変さは確かにわかったが、それでも残り2/5は20日の午前4時までに入力が完了した。ひと眠りして午前11時から原文のまとめ作業に入る。入力も大変だが、こちらも大変だ。座談会はライブだから話があっちこっちに飛ぶし、不要な接続詞も多用している。ほとんど全文書き直しに近い。結局、21日の夜までかかってしまった。

 7月22日〜23日、22日午前0時からレイアウトにかかる。が、思っていたよりもはるかに分量があり、予定していたページ数に収まらない。当初、8ページを予定していたのだが、何とイラスト挿入スペース抜きでも18ページに達してしまったのである。これはもう洒落にならない…。(汗)

 本文は印刷所の面付けの関係で8の倍数でなければならない。8ページを超えるなら16ページだ。だが、イラスト挿入スペースを考えると文章は14ページぐらいに詰めなければならない。これが最も大変な作業だ…。結局、レイアウトが決まってプリントアウトができたのは、夕方になってからだった。

 そこからイラストの執筆がはじまる。表紙と裏表紙もまだトーンが貼ってない状況だ。どう考えても間に合わない…。しかし、もうできるかぎりやるしかない。人手があてにできる翌日の編集会でやっておけることはできるかぎりやって、自分の宿題を極力減らすようにしなければ…。

 夜を徹して19枚の挿入イラストの下描きとペン入れをこなす。それでも半分以上がベタもできていないまま編集会場に向かわざるをえなくなる。編集に集まったのはたった2人だった…。しかし、ページ数を考えるとそれでも充分だ。問題なのは残りのイラストだったが、結局、編集会場で必死に描いたものの、7枚が完成しないまま編集会を終了した。

 24日、前日の編集中に印刷所に入稿締め切りを問い合わせたところ、25日の午後7までとの回答を得た。それまでに原稿を完成させるのは間違いなくできるが、その前に代表に内容を確認してもらわねばならない。となると、もうこの日のうちに見てもらうしかない。

 というわけで、午前4時までに宿題のイラストを描いて貼り込み、ひと眠り…。午前11時から残りの作業をして、何とか待ち合わせの時刻までに間に合わせた。この日が代休の日で助かった…。内容については特に問題もなく、すんなり代表のチェックをパスする。ただ、仕事が休めないので、翌日の入稿締切時刻に間に合うかどうかが問題だった。

 そんなわけで、入稿まで自分で責任を持って、表紙の紙やインクの色も選ぶつもりでいたのだが、そうもいかなくなり、最低限の注文を代表に伝えて入稿を代表に頼んだ。部数についても、私は当初200部と考えていたのだが、100部にすることになった。こうなると、ほとんど夏コミ限定に近くなる。興味のある人は早めに購入するように…。(笑)

 25日、重圧から解放されて一段落…。と同時に、疲れがっと出てきてしまった。そんなわけで、また更新できず…。5月末から6月前半の精神的低迷もあったのだが、それ以降は出張と「るみけっとPRESS」の制作でここの更新がまったくできなかった。オークションには参加していたが、欲しいものの終了時刻近くにピンポイントで接続するだけに絞っていたのだ。その割に勝率はよかったが…。(笑)

 中でも最後の1週間はほんとにやばかった。19日発売の少年サンデーを買い忘れてて23日にようやく気づいたというくらいそれどころでない状況だったのだ。年のせいで、頭がボケてきて買い忘れたのではない…と思う。(笑) まあ、23日に中野駅でようやく売れ残ってる少年サンデーを見つけて、買い逃しという最悪の事態は避けられたが…。

 というわけで、飛鳥杏華は非常に忙しかったのである。決して、単にズボラこいてたわけではない…と思う。まあこれで、しばらくは若干の余裕ができるだろう。その間に少しここの更新もしておかなければ…。更新が止まってる間も見に来てくれてた方のためにも…。

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