飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1997年>

7月15日(火)

いよいよ、残すは1週間…。表紙入稿は完了したものの、まだペン入れが終わらない。予定していた他者の原稿もやばいものがいくつか出てきた。表紙入稿時のページ申告を、もうすこし少なめにすべきだったかと後悔が走る。果たして、全80ページを入稿できるのか!?

9日、7ページ目の残りから9ページ目の途中までペン入れをする。締め切りから逆算をすると、遅くとも14日(月)の夕方までにペン入れを終え、トーン貼りに入れないと苦しい。となると、予定30ページ中、残り21ページ半はきつすぎる。

他の参加者の原稿到着状態も思わしくない。当初は7日に表紙の入稿を予定していたので、6日までに各自確定ページ数の申告をお願いしていたのだが、ほとんど連絡がこなかった。そういう状況下で、当初予定どおりのページ数を表紙入稿時に申告してしまうのは、無謀というものだ。いよいよ、何ページか切る決断をしなければならないときが来たようだ。(汗)

10日、10ページまでペン入れは進む。とりあえず、原稿の到着状態をギリギリまで見極めた上でページ数を確定しようと思い、表紙の入稿はギリギリの12日(土)まで待つことにした。その間に原稿が届くことを期待したのだが…。(汗)

11日、この日は転入者の歓迎会でまた一杯だ。この時期恒例の行事とはいえ、原稿の進捗状態を考えるとつらい。1ページ分は確実にロスだ。しかし、職場の人間関係も大切なのだ。それを犠牲にしてまでやってはいけないと、そけだけは守ってきている。

帰宅後、酔いが醒めかかって頭痛のする中、明け方までにペン入れは12ページまでだ。どう考えても予定どおりの30ページは無理だ。翌日の入稿時のページ申告を考えると、少なくとも5ページ(ショートギャグ2作)を切る必要があると判断した。

それでも、他者の原稿が落ちたときには危険がつきまとう。一旦申告したら、その穴を埋めるのは自分だ。それを考えたら、もう1作分くらいは切っておくべきかなとも考えたのだが、これ以上切ったら自分の本と言えなくなってくるので、そこは思い切ってしまった。このあと、「後悔先に立たず」を痛感することになるのだが…。(汗)

12日、14時半頃に表紙の入稿に行く。MOによるディスク入稿だ。前回は、いろいろあって苦労したのだが、そこは2回目だしぬかりはない。ちゃんとMacフォーマットのディスクを作って持っていった。

と、もうすぐにその場でMacに読み込んで、表と裏を背表紙の厚さを考慮しながら、画面上でつなぎ合わせてしまう。前回は、ディスクを預けるかたちだったので、これを見るのは初めてだった。それでも、背表紙の関係で手間取り、1時間ほどかかってしまった。ここでページ数は表紙を含めて全80ページという申告をした。これでもう、あとには引けなくなった。

さて、ペン入れの方は、明け方までで16ページ。思っていたより進みが悪かった。あと9ページを14日の夕方までというのは、かなりきつい。14日いっぱいかかってできるかどうかだ。できなかったら、いよいよ非常事態だ。1週間貫徹という最後の手段も、頭をかすめるまでになった。

13日、ペン入れは20ページまでにとどまった。思わしくない…。14日のトーン突入はもう無理だと覚悟した。こうなってくると、やはり入稿時にもうすこし少なめに申告すべきだったと思えてきてしまう。いっそ、もう1作(2ページ)切って、他の作品の解説を兼ねたフリートークに差し替えようかとも思った。

しかし、すでに下描きができている原稿のペン入れとサラからのフリートーク執筆は大して違わない手間だと思い直した。「ここまできたら、やってしまえ!」と思った。不思議とダメだとは思わなかった。苦しいとは思ったが…。(笑)

14日、この非常時に寝坊してしまった。9時に起きる予定で目覚ましをかけていたのだが、鳴らなかったのだ。8時頃、暑さで寝苦しくなって、エアコンを入れた。あと1時間だなと思いつつ再び寝たのだが、このとき、どうやら無意識に目覚ましを止めてしまっていたらしい。次に起きたときには11時。2時間もロスしてしまった。(汗)

結局、ペン入れは23ページまで。2ページ残ってしまった。もうなるようにしかならないと割り切った。こういう不運もあれば、必ず幸運もあるだろう。いままで、一刻会の編集などでも、飛鳥杏華は「なんとかしてしまう男」だった。とてもダメだと思ったときでも、なんとかしてきた。

それは必ずしも自分だけの力ではないけれど、あきらめなければなんとかなってしまうものだという、根拠はないが、不思議と説得力を感じさせる過去の経験が、飛鳥の中にはあったのだ。

下手をすれば、6ページほどの原稿が届かずに穴があくことになる。それでも、文章でなんとか埋められると思った。入稿後に改めて振り返ってみると、その6ページという数字は、背筋が凍りつくような数字だったのだが…。(笑)

15日、ペン入れは終わり、ベタがあと3ページというところまで進んだ。最後に描いた作品はベタが少ない作品なので、そのベタもすぐに上がるだろう。16日からはトーンに入れる。しかし、何分にも苦しい…。17日は休暇をとることにした。

普段、あまり有給をとらないのだから、こんなときくらいは、仕事に支障がなければもらっても罰は当たらないだろうと勝手に解釈して、自らを正当化してみる。それはまあ、少しはうしろめたさを感じている証拠なのだろう。(汗)

さて、ここのところBGMは岡村孝子の「Andantino a tempo」に変わっている。ちょっと古めのかつてのベストアルバムで、買ったのもその当時だった。それほどハマったわけではなくて、当時、友人に勧められてとりあえずベストアルバムを買い、結構気に入って愛聴していたのだ。が、最近はほとんど聴いていなかった。

ところが、巨人の石井選手の関係で、石井選手の奥さんである岡村孝子の「夢をあきらめないで」という曲が日テレあたりで取り上げられて、ふとなつかしくなったものだから、引っぱり出してきて再び聴き始めたのだ。

「夢をあきらめないで」は、当時から好きな曲だったが、まさか、この曲に自分が励まされる立場になるとは思わなかった。1993年の苦しかったときには、「セーラームーンR」のED「乙女のホリシー」を愛聴していたが…。(笑)とにかく、「あきらめない」という曲でがんばる飛鳥であった。(笑)

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