飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1999年>

9月28日(火)

 新刊本「FREE AS A BIRD」は、無事入稿完了! またすぐ冬コミ合わせの原稿が待っているものの、修羅場状態からは一時解放された。父の49日の法要も済み、すべてが一段落…。途端にドッと疲れが…。(汗)

 22日、「犬夜叉」だが、やっぱり痴話げんかモードに入ってしまった。こういうときは、あとに新たな重い展開が控えている可能性がある。必ずしもパターンが決まっているわけではないが、新たな重い展開に持っていく前に休息的な軽いエピソードを挟んで前のシリーズの余韻を鎮めるというのは常套手段のひとつだ。今回は寿司にたとえるならば、ガリにあたるエピソードと言えるだろう。(何も寿司にたとえる必要はなかったか…。笑)

 それに、急展開の中ではじっくりと人の心理を描くのが難しい。どうしても読者はその場のできごとがどう動くのかに注目し、期待してしまう。ここで長々と心理面を描いていると、読んでいてかったるくなってしまうのだ。だから、心理面を中心に描きたいときにこういう休息的なエピソードを置くというのは、効果的な手法のひとつだと思う。長期連載ならではの工夫と言えるだろう。

 しかし、しっかりラブコメしてしまってるなと思わず頭をかきたくなる…。私は好きだからいいが、こういう傾向になるのを嫌がる人もいるから、ちょっと気にかかるのだ。もっとも、私が心配したところでどうなるわけでもないし、高橋先生はこう持っていきたくて持っていったんだろうから、それでいいのだろう。

 我々はあくまで受け手だ。作り手が作ったもの、出した結果に対して「好き」、「嫌い」、「良い」、「悪い」を自分なりに判断して取捨選択する立場でしかない。作る前からああしろ、こうしろと言うのはお門違いというものだう。

 それはともかく、「実家に帰る」という表現には思わず「おいおい…。(汗)」と感じてしまった。うーむ、いつの間にかごめは犬夜叉のもとに嫁いだのだろう? それだけずっと戦国時代にいるってことなんだろうか…。まあ、気持ち的にはそのくらいの気持ちでいるのかもしれないけど…。(笑)

 さて、いよいよ自分の漫画はネーム貼りだ。帰宅後から早速取りかかるが、さすがに16ページ作品だと平日1日で貼り終えるのは難しい。この日は7ページ目の途中までが限界だった。土日が父の49日の法要絡みでつぶれる予定になっているので、何とか24日までに入稿できる態勢を整えたいところだが…。

 23日、秋分の日なので朝から作業にかかれると思ったのだが、つい寝坊してしまった。とりあえず、できるところまでネーム貼りを進め、14時過ぎからは墓参りに出かけた。すぐに49日の法要だが、それは父の話であって、祖父母のお参りはまた別の話だ。とはいえ、ここのところいろいろあって長いこと墓参りもしていなかった。ご先祖様を大事にしないから、罰が当たったのだろうか…?(汗)

 帰宅後、続きのネーム貼りをし、何とか夜までには終えることができた。が、できればこの日のうちに表紙、裏表紙、中表紙のイラストについて下描きを終えておきたいと思い、ちょっと遅くまでがんばってみることにした。

 しかし、絵柄には結構悩んだ。メインになる16ページ漫画がかすみおねーさんネタだから、表紙はかすみおねーさんを中心とした「らんま」キャラでまとめようと思っていたし、ある程度構図も考えていたからよかったのだが、裏と中はまったく考えていなかったのだ。

 ゲストの作品が「犬夜叉」ネタ中心であることを考えると「犬夜叉」キャラを抜くわけにはいかないなと思ったので、何とか「犬夜叉」キャラを使った絵柄をひねり出したが、午前4時過ぎまでかかってしまった。(ちょっとどころじゃなかったな…。汗)

 24日、ここで仕上げておきたかったので、休みをとった。とりあえず、下描きした3枚のイラストにペンを入れる前にゲストの原稿枚数をチェックした。本の印刷代は印刷所の面つけ数(1度に印刷するページ数)ごとに変わる。私がいつも利用している印刷所は4ページ単位だから、全体のページ数は4の倍数にならなければならない。数が合わなければページ調整をする必要があるのだ。

 その結果、2ページ追加する必要があることがわかった。それを何で埋めるかだが、今回はいくつかあるショートギャグのネタの中からなるべく最近の「犬夜叉」に関するものを選んで漫画にした。入稿直前に漫画の追加というのはちょっと無謀に近いのだが、夏に描きかけていた作品だけでは何か淋しい気がしたので、最新ネタを追加したのだ。

 そこからはこれまでのスローペースが信じられないほどの速さだった。絵コンテと下描きを午前中に済ませ、続いて3枚のイラストと並行してペン入れとベタ塗りをする。それも17時過ぎには終わり、すぐにトーン貼りへと突入した。さすがにネーム貼りまでは無理だったが、この日のうちに5ページ分の絵を完成させた。(やればできるじゃん! 何でこれまでできなかったの…? 汗)

 25日、父の49日の法要は正午からだ。11時には出発する。が、それまでは当然原稿にかかれる。(笑) というわけで、漫画のネーム貼りと表紙、中表紙のタイトル貼りを行った。あとは、執筆者からのメッセージの貼り込みと目次の作成、編集後記と奥付の作成を残すのみだ。これも翌日帰宅してからで終われるだろう。いよいよ入稿が見えてきた。

 さて、法要は予定どおり終わり、納骨も無事済ました。お寺の近所の中国料理店で親族一同と少し遅めの昼食をとり、ひと休みしてから鎌倉へと向かった。遠くからわざわざ出てきてくれた親族を労うために、1泊でちょっとした観光を計画したのだ。勤め先の保養所が鎌倉にあって非常に安く利用できるし、法要のあとという意味でもお寺の多い鎌倉がいいだろうと思ったのだ。

 宿には18時頃に着き、ひと風呂浴びて食事とカラオケだ。みんな好きだから、歌い出すとなかなか止まらない。父も音楽好きだったので、供養にもなるというわけだ。(笑) しかし、何とも複雑な気持ちが胸に去来する。1月には職場のバンドの新年会で父とともにこの保養所に来ていたのだ。その父がもういないというのは…。

 26日、9時半過ぎにチェックアウトして、鎌倉観光のはじまりだ。といっても、半日でそんなには回れないし、妹の子供たちも来ているから寺ばっかり回るのでは飽きてしまうだろう。ということで、大仏と江ノ島の水族館というメニューとなった。

 時間的に余裕があれば、長谷観音と鶴岡八幡宮も回る予定だったが、親族の平均年齢は60代半ばだ。妹の子供もいるし、歩みが遅い。加えて、女性陣は面白そうなお店を見つけるとすぐに引っかかってしまう。予定はどんどん遅れていくばかり…。帰りの新幹線の時間が決まってるのに、困ったものだ…。(汗)

 それでも何とか予定をこなし、21時前には帰宅できた。かなり疲れていたが、どうしてもこの日のうちに原稿を上げてしまいたかったので、最後の力を振りしぼった。こうして、23時半過ぎにようやく入稿できる状態にこぎつけた。あとは入稿する日を決めるだけだが、それが問題だったりして…。(汗)

 27日、前日の疲れが残る体で出勤した。49日の法要が過ぎると、香典のお返しの品がデパートから発送される。職場の人に配る分は職場に自分宛てで送ってもらうようにしてあるので、これが来るまでは休むに休めないのだ。入稿をいつにするか問題だというのはこのためで、だからこそもっと早めに仕上げたかったのだが…。(汗)

 しかし、来ない…。落ち着かないから仕事にも集中できない。この日に届いてくれれば、翌日半日休暇をとって入稿に行く予定だったのだが、とうとう届かなかった。うーむ、届くのが遅れれば遅れるほど入稿も遅れ、ピンチになってくる。何とか、翌日の午前中に届いてくれるとありがたいのだが…。

 28日、荷物は私が食事に行っているほんの15分ほどの間に届いた。早速、午後一番で配り終え、残りの時間を休暇にして帰宅した。これで入稿に行ける…。「友引」だし、日も悪くない。印刷所へは16時半前に着いた。入稿は何度もこなしているから30分足らずで終わる。閑散期だから、自分の他に入稿に来る人はいないだろうと思っていたのだが、そうでもないみたいだ。私の直前にも入稿した人がいたようだし、私が帰る前に次の人が来た。そうでないとつぶれてしまうか…。(汗)

 帰宅したのは17時過ぎだった。早速、HPの更新作業に入ろうと思ったのだが、こなさなければならないことがすべて終わって緊張の糸が切れたのだろう。強烈な睡魔に襲われて、18時半まで寝てしまった。そんなわけで、できれば「気まぐれモノローグ」も一気に入稿報告まで行きたかったのだが、結局21日までしか書けなかった。

 残りは翌週だが、緊張の糸が切れて精神レベルが一気に落ちていく中で、果たして2週間分書けるだろうか? 何かあぶない気がする。それに、一刻会会報の原稿もあるし、呪泉郷端展示即売会3のための色紙描きもある。うーむ、結局やっぱり忙しいんだな…。(汗)

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