飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1999年>

8月17日(火)

 父の葬儀を終え、夏コミにも参加…。しかし、コピー本の制作が間に合わず、思いもよらぬハードなコミケとなってしまった。随分と人に助けてもらった。これからどうやって恩返ししようか…?

 11日、少年サンデーが夏休み進行で助かった。いつもなら待ち遠しい思いでいっぱいだが、今年ばかりはそれどころではない。まさか、わざわざこの週を選んで逝ったわけではないだろうが…。

 それはともかく、日程的に少し余裕ができたのは助かった。9日の夕方死亡なら、10日に通夜、11日に告別式ということもありえたわけで、そうなっていたら本当に大変だったろうと思う。まさか、それを見越して9日に逝ったわけではないだろうが…。

 挨拶の文面はほぼできあがった。が、この段階になって母があれも入れてくれ、これも入れてくれと注文してきて参った。文章に加えるのは大した苦労ではないが、暗記する者の身にもなって欲しい。まあ、たしかに気持ちはわかるが…。(汗)

 挨拶の文面を考えるついでに、コピー本用の「犬夜叉」の雑感も少し進めた。何だかんだと建前を言っていたわりには、しっかり親不孝している。コミケに行かせてもらえるようになったのだから、それに応えなければと勝手な理屈で自分を納得させつつではあるが…。

 12日、通夜の日を迎えた。が、どうしたわけか茶の間のエアコンが朝から故障してしまって全然効かなくなってしまった。それにはじまって、この日は変なことばかり起こった。2日前から花瓶の代わりに使っていたプラスチック製のごみ箱が、この日になって急に水漏れを起こしたり、線香が倒れて畳をこがしたり、昨日まではきれいに燃えていたロウソクがなぜか横にたれて片側が盛り上がってしまったり…。

 冗談半分に、父がこの家を出て行くのを嫌がってるのかなと言ったりもしたが、後になってみるとどうも違っていたらしい。それについては、あとで触れることにするが…。

 さて、16時にお棺が葬儀会場に運ばれ、家族、親族は17時に会場に集合した。受付の手伝いにきてくれた人や駅からの案内に立ってくれる人との打ち合わせをしながらあわただしく時間が過ぎていく。

 18時からはもう流れに任せるだけだった。覚悟の上だったから、父を失った悲しみで直接涙が出ることはなかったが、お盆休みの時期で充分に連絡できなかったにもかかわらず、わざわざ来てくれた方々への感謝の気持ちで目頭が熱くなった。

 通夜はほぼ予定どおり終わり、21時までには帰宅した。あとは告別式をしっかり終わらせることが我々の責務だ。出棺前の挨拶の暗記だけが不安要素だが、何とかなるだろう。こういうときは、かえって言葉に詰まった方がいいかもしれないし…。(笑)

 13日、11時に葬儀会場に向かった。同じ1時間前の到着だったが、なぜか前日より余裕がなかった。あっという間に時間になってしまったという感じだった。12時からはじまった告別式は滞りなく進んでいく。お盆の時期でお坊さんも忙しいので、初七日のお経も一緒に済ましてしまった。最近は、そういうことが多いらしい。

 そして12時45分頃、出棺を迎える。挨拶はまずまずの出来だったと思う。自分の前に葬儀委員長である町会長が長々と話してくれたので、気が楽になったというのもあった。とりあえず大役を1つ果たして火葬場へと向かった。

 火葬場が混んでいるという話は聞いていたが、本当にすごい状況だ。次から次へとやってくる。ちょっと話し込みながら歩いていると、別の団体の列に間違ってついていってしまいかねないほどだった。

 控室で軽食をとりながら待つこと40分余り、火葬は完了した。長年、一緒に過ごしてきた人が骨になってしまうというのは、さすがに淋しさを感じる。母は、「痩せていたから、骨がほとんどなかったらどうしよう?」などと言っていたが、意外と父の骨は多かった。骨壺に収まりきるか心配になるほどに…。

 火葬場からの帰りの車の中で、お骨は私が持った。まだ火葬の熱が残っていて熱さが手に伝わってきた。その熱は、食事を終えて帰宅するまで消えることはなかった…。

 14日、朝からコピー誌の制作に入る予定だったが、その前に香典の整理をしておかなければならなかった。17日に忌引明けで出勤するから、その前日の16日には挨拶回りをしなければならない。15日にコミケに行くなら、この日のうちに誰からいただいたのかを確認して、挨拶回りをする先を決めておかねばならないわけだ。

 軽く考えていたのだが、これが結構思ったより時間がかかってしまい、コピー誌制作は15時からとなってしまった…。このロスは思ったよりも響いた。夜には一旦、既刊の同人誌を一刻会の宿泊所まで運び込まねばならない。個々の本を何冊ずつ持っていくかも決める必要があるし、「YESTERDAY and TODAY」は本に直接修正を入れたりする箇所もある。公式ガイドブックの製本作業もあるし、大変なことになってしまった。(汗)

 結局、時間的に間に合わず、「YESTERDAY and TODAY 公式ガイドブック」の製本はコピー本と一緒に行うことにして、22時頃、一刻会の宿泊会場に向けて出発。荷物を預けて最低限の説明をし、代わりにコミケの次回申し込みセットを受け取って即行で帰宅した。うーむ、こんなあわただしいコミケは初めてだ。(汗)

 ここからはもう徹夜作業だ。が、ページ繰りの関係で「犬夜叉」の雑感に書き足しをしなければならなかったり、引用カットの選択に悩んだりして予想外に時間を食ってしまった。できればイラストを4点くらい描きたかったが、とてもじゃないが表紙用の1点で精一杯だった。新刊断念理由と「犬夜叉」雑感の間のページも、結局絵を入れられず、ただの白ページになってしまった。

 そこまで妥協しても、原稿が上がったのは翌朝7時30分頃。もう、サークル入場が始まろうという時刻だった…。(汗)

 15日、自分が行けない前提で飛鳥鳳凰堂のブースを頼んであった売り子にサークル入場時間に間に合わないと電話を入れて、近所のコンビニにコピーに向かう。コピー機の具合が悪く、変な横スジが出てしまうが、もう他のコンビニを探している余裕もない。濃さをいちばん薄くしてなるべく横スジを抑えるようにしてコピーした。コピーは8時過ぎには終了…。それを「YESTERDAY and TODAY 公式ガイドブック」のコピーと一緒にバッグに詰め込み、いざコミケに出発! 時計はすでに8時半になろうとしていた。

 サークル入場は9時までだ。が、残念ながら東京ビッグサイトに到着したのは9時半だった。炎天下の一般行列最後尾へ直行だ…。と、ここで失敗したと気づいた。この並び位置からでは入場までに2時間は待たされることになる。つまり入場は11時半頃だ。が、ここ何回かの入場規制解除は12時過ぎ…。ということは、12時過ぎに着くように来ても入場時間は30分ほどしか変わらないことになる。炎天下で2時間待つだけ、損というものだ…。(汗)

 まあ、着いてしまったものはしかたない。1992年以来の真夏の一般行列に耐えるしかなかった。が、風が強かったため、陽ざしが強いわりには暑さを感じずに済んだ。日焼けの方はどうにもしかたがなかったが…。(日焼け止めとか考えてる余裕もなかったし…。汗)

 さて、予想どおり11時半頃、会場に入場…。早速、飛鳥鳳凰堂のブースに行き、コピー本の制作にかかる。が、館内中央付近は無茶苦茶暑かった。風があった分、外の方がずっと楽だ。もう、汗ダラダラ…。コピー本は、まさに汗と汗と汗の結晶となった。実際、何冊か汗がたれちゃったし…。(笑)

 コピー本の製本が終わったのは12時半近くだったろうか? もう、正確な時間は覚えていない。とにかく、ブースに座らせてもらって、汗をふきながら水分を補給する。こんなコミケになろうとは…。落ち着いてくると日焼けした両腕がヒリヒリしてくるし、最悪のコンディションだった。

 それでも何とか、一通りるーみっく本だけは買って回った。今回は、その方が大事だった…。自分のところの売り上げは期待していなかったが、思ったよりは売れてくれた。「REAL LOVE」Vol.2はついに完売! 来ただけの甲斐はあった。

 15時半頃、早めにブースを撤収し、コミケ終了後は自宅に直行した。いつもなら、一刻会の宿泊所での打ち上げに参加するところだが、この日が父の初七日だし、少しでも早く自宅に帰ることにしたのだ、

 自宅に着くと、この日の昼間、ブレーカー(漏電遮断器)が何度も落ちて電気屋さんに来てもらったと知らされた。電気屋は特に異常がないと言い、漏電遮断器だけを交換して帰ったという。

 しかし、その後も何度か漏電遮断器が落ち、初七日ということで来てくれいた叔父が個々のブレーカーを入れたり切ったりしながら調べてくれたところ、茶の間のエアコン専用のブレーカーを入れると漏電遮断器が落ちることがわかったのだ。

 そう、茶の間のエアコンが通夜の日からまったく効かなくなったのは、漏電を起こしはじめていたからだったのである。そういえばあの日、いろいろと変なことが起こったが、すべて「効かなくなっても、風が出てるだけマシ。」とつけたままにしていたときだった。妹に「電気代がもったいないから、消しなよ。」と言われて消してからは、それがおさまった…。

 そんなバカなと言われるかもしれないが、これはもしかして死んだ父が危険を我々に知らせてくれたのではないか…? そんなふうに思えてしまった。叔父が来てくれていたのも初七日であればこそだ。電気のことなどチンプンカンプンの母のことだから、叔父がいなければ漏電遮断器が落ちれば何度でも入れ直して使い続けていただろう。エアコンの故障のことがなければ、私もすぐにピンとはこなかった。う〜む、こういうことってあるものなんだな…。

 16日、午前中はゆっくり休み、午後から母を連れて職場に挨拶回りに出かけた。前日のコミケ焼けで両腕がヒリヒリする。そんな中、礼服に身を包んでの挨拶回りはかなりきつかったが、こういうことはしっかりしておかなければいけない。浮世の義理を欠けば、必ずいつか自分にはね返ってくるものだ。誰にも助けてもらわなくとも、1人で生きていけると言う強者なら、必要ないかもしれないが…。

 17日、1週間ぶりの出勤だ。休みすぎると、やはり調子が狂う。帰宅すると、新しいエアコンが茶の間に入っていた。故障した当初は、先でもいいかなんて思っていたのだが、前のエアコンが漏電を起こしていたことがわかったので、すぐに買い替えたのだ。

 ようやく落ち着いたので、ここの更新でもしようと思ったのだが、あまりにも「気まぐれモノローグ」がたまりすぎてしまって、原文書きが間に合わなかった。とりあえず、24日に7月27日〜8月17日の4週分を公開し、31日に8月24日と8月31日の2週分を公開して追いつこうかと思っている。これからも見捨てずにお付き合い願えれば幸いだ。

メニューに戻る