飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1999年>

7月13日(火)

 またしても更新はおあずけとなってしまった。この気まぐれモノローグを楽しみにしてくれてる人には申し訳ないが、それほど厳しい状況だったのだと理解してもらいたい。飛鳥杏華にとってこれは大切な大仕事なのだ。

 7日、「犬夜叉」だが、殺生丸にほぼ一方的に攻められる犬夜叉は殺生丸の毒で視力を失った。が、それによって風の傷を察知するに至る。どうやら、このシリーズで極意を会得するという路線になりそうだ。

 しかし、会得したとしたら殺生丸はどうなるのだろう? いかに殺生丸とはいえ、鉄砕牙の真の威力をまともに受けて無事でいられるはずがない。まさかここで死んでしまうのだろうか? それではファンが納得しないと思う。

 それに、せっかく天生牙が出てきたのが生きない。それが殺生丸に与えられたのだから、いずれ殺生丸は天生牙を使いこなすようになるはずだ。となれば、ここで殺生丸が死ぬことはあるまい。

 天生牙を使って自分自身を守るというのもありうるだろう。まだ、天生牙の真の力は引き出せないにしても、死なない程度に身を守ることはできるのではないだろうか? そのあたりは、次回の展開を見守ることにしよう。

 さて、この日も友菱SS100のための作業は続く。朝は1985年の世間一般のできごとをネットを使って調べた。帰宅後は、友菱なんでもランキングのデータ収集と元会員らの原稿の加工作業だ。一応、後者はなんとか終わったが、データ収集は進まない。いよいよ苦しくなってきた…。(汗)

 8日、この日も朝は年表のための情報収集。1986年分を調べた。これってこんな頃だったのかと思うようなものが結構ある。うまく年表ができあがると、楽しみなのだが…。(このペースでは、ものすごくきついけど…。汗)

 帰宅後は、データ収集と各コーナーの扉絵選定を行った。今回、表紙ギャラリーに対して裏表紙ギャラリーというのは残念ながら断念した。さすがにそこまでやると内容的にダレてしまうし、それはしかたがないと納得したのだが、裏表紙のイラストの中にも捨て難いものがいくつかある。それを扉絵として活かすよう考えてみた。

 9日、朝の年表データ収集は、1987年分を調べ終えた。1日1年ではちょっときついのだが、今はちょっとこれ以上無理だ。最後の追い込みに賭けるしかない。帰宅後は、各コーナーの扉絵のうち、加工を要するものの作業を行った。

 主に裏表紙イラストを活用したものだが、元が色上質なので、紙の色が出ないように加工しなければならない。ついでに、枠線の一部が消えかかっているものやトーンの継ぎ目が目立ってしまっているものはパソコン上で修復した。時間がないのにそうせずにはいられない。何とも難儀な性格だ…。(汗)

 並行して、友菱なんでもランキングのデータ収集も進めているのだが、ちょうど25号のオフセット化を境に参加者が爆発的に増えて、これまで1号のデータ収集にかかっていた時間が2倍、3倍とかかるようになってしまったからたまらない。(汗) 70号代に入るとまた落ち着いてくるはずなのだが…。

 10日、この日は自分の漫画がメインの日だ。ノルマは先週と同じく最低4ページのペン入れとベタ。しかし、だんだん疲れがたまってきたのか、進みが悪くなり、とうとう予定の午前0時までにペン入れ3ページ、ベタ2ページまでという結果に止まってしまった。

 まだ朝までは時間があるから、ノルマまで進めることも可能だが、そうなれば当然、友菱SS100の方が遅れる。今回、どっちが大事かといったら、実は友菱SS100の方だ。これはもう4年半前からの念願だったのだ。そしてこれは恐らく、私にとって一刻会での最後の大仕事となるだろう。悔いは残したくないのだ…。

 1ページの遅れはどこかで何とか取り戻すとして、深夜から朝にかけては、各コーナーのタイトルロゴやカット等の執筆者名のデザインとプリントアウトを行った。

 11日、プリントアウトに時間がかかって、またしても出発が遅れたが、とりあえず整えた段取りの分は仕上げた。ただ、間に合わなかったものもいくつかあった。特に、ペンネーム新旧対応表は、会長の記憶が頼りだ。できることなら、掲載者全員のペンネームを抜き出して一覧にしておきたかったのだが間に合わず、その場で掲載者を拾い、その場で判断を仰ぐしかなかった。

 これで残るは、目次、年表、友菱なんでもランキング、表紙ギャラリーの最終ページ、あとがきとスタッフ一覧、編集後記と奥付、表紙と裏表紙のデザイン、ノンブル貼り程度となった。まだまだ山盛りではある。特に年表とランキングのデータ収集は骨だ。あと1週間で果たして完成できるのだろうか?(いや、完成させねば…。汗)

 12日、ここからはもうしばらくデータ収集に専念だ。朝は年表用のデータ収集。この日は1988年と1989年分を調べた。昼休みにはあとがきの原文を書く。帰宅後はランキングのデータ収集だ。この日は何とか40号まで終えた。

 13日、メニューは前日とまったく同じだ。やっぱりここを更新している余裕はなかった。もう、アクセス数が減るとか、そんなことを気にしてはいられなくなった。本当に限界への挑戦だ。年表用データは1990年と1991年分を調べ、あとがきの原文はほぼ書き上がった。

 しかし、ランキングの方は48号止まり…。半分も行かないのではかなり絶望的と思われた。そこで、考え方を切り替えることにした。ここまでくれば、ある程度上位に来そうな会員やキャラは見えてくる。どうせ誌上で発表するのはベスト3なのだから、上位5人(5キャラ)に絞って、あとは数えないようにしようと…。(もっと早く気づけよな…。苦笑)

 果たしてそれが効を奏するか? いよいよ18日の最終編集、20日の入稿に向けて最後の闘いが始まる。

メニューに戻る