飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1999年>

7月6日(火)

 いよいよ修羅場だ。毎週の更新を断念して、更新にかかる時間も本作りに投入しなければならなくなった。友菱SS100は、日曜日の編集のために段取りを整えなければならない。それと並行して自分の本の漫画も描かねばならない。何とか翌週には更新したいところだが…。

 6月30日、「犬夜叉」だが、鉄砕牙の真の力を引き出す正しき軌道として「風の傷」という概念が出てきた。目に見えるものでもなく、教えられるものでもない。殺生丸にはそれが造作もなくよみとれるが犬夜叉にはよみとれない…。

 ごく初期の段階では、鉄砕牙の力を引き出すのは人間を守ろうとする心だというふうに考えられた。しかし、それではいかに人間の手を使ったとはいえ、殺生丸がその力を引き出せた理由が説明できなかった。ここへきて、ようやくその理由を説明しうる概念が登場したというわけだ。

 しかし、この正しき軌道をよみとるというという表現は、妙に意味深に思える。またかと思われてしまうかもしれないが、つい「刀の真の力を引き出す正しき軌道」というのを「作品の真の魅力を引き出す正しき解釈」と置き換えたくなってしまうのだ。いや実際、これはかなり臭う…。あえて「よみとる」という表現をとっているあたりが、わざとひらがなにしているところも含めて臭いのだ。

 ストーリー上の展開として今回のシリーズは、提示された極意を犬夜叉が会得して終わるか、あるいは会得できないまま何とか殺生丸の攻撃を切り抜け、どうしたら会得できるのかと悩む展開に入るかのいずれかだろう。個人的には、後者の方がストーリーに厚みが出るような感じがして好きなのだが、果たしてどうなるだろう?

 さて、この日は友菱SS100のための表紙取り込みの続きと並行して、会報の本誌に載せる原稿の作成にも取りかかった。いろいろと時間が苦しい中で大変なのだが、こっちの方が先だからしかたがない。100号目に自分の原稿が1枚も載らないというのもいやだし…。(笑)

 7月1日、翌日夏休みの1日目を早々ととったので、帰宅後は半徹夜で作業ができる。とにかくひたすら表紙の取り込みを続けながら、会報本誌100号目の原稿と友菱なんでもランキングのデータ収集を気分転換に切り替えながら進めていく。が、ながら作業というのは実は効率が悪い…。とりあえず、会報本誌向けの方は進んだが、他の作業は進まない。結局、半徹夜のつもりが完全な徹夜になってしまった。(汗)

 2日、朝までに表紙の取り込みは72号まで進んだ。が、友菱なんでもランキングのためのデータ収集は13号までしか進まなかった。100号までは遠い道のりである。これはもう並行作業などでなく本腰を入れないとダメだ。しかし、データを拾ったあとに集計し、結果を出してからでなければ原稿が作れない。これにかかっていると、次回編集の段取りができないのだ。

 最後に地獄を見ることは覚悟の上で、とにかく今は次回編集でやる作業の準備を優先しなければならない。せっかく人が集まるのに、遊ばせてしまってはもったいない。ということで、この日はちょっと危険だが、一旦データ拾いを中断して、日曜日のための準備作業に終始した。

 そして目次の原案を作り、ページ割りをほぼ確定させた。まだ、100号目から採る原稿など未知数のものもあるのだが、ここに至っては枠だけ用意しておくしかない。ページを確定させておくことで、進められる作業が増えるので、あえてこの段階で確定に踏み切ったのだ。その結果、全224ページとなることが確定した。

 3日、結局前夜からの作業も徹夜になってしまった。うーむ、これで1日の午前6時からこの日の朝の6時まで、まる2日間寝ていない。しかし、もうここは正念場だ。どうしても眠くなってしまったらしかたないとして、できるところまで突っ走ることにした。

 この日は、自分の漫画がメインだ。ノルマは午前0時までに最低4ページのペン入れ。並行して採り込んだ表紙を出力用にレイアウトしてプリントアウトする作業を行った。

 連日徹夜の疲れもあったが、漫画の執筆は予定どおり午前0時までに4ページ、ベタの方も3ページまでこなせた。この先、10日、17日の土曜日と19日(夏休み)でペン入れを終え、20日、24日、25日でトーンと仕上げ、26日、27日でネーム貼りをこなせば、28日の陰の締め切りに間に合うという計算だ。

 朝までの深夜作業は、友菱SS100の方に専念したが、これが思ったほど進まなかった。結局、午前5時から10時まで5時間の睡眠を確保する予定がまたしても吹き飛んでしまった。(汗)

 4日、編集会へ出発する時間を1時間遅らせてギリギリまで作業をしたが、表紙ギャラリーの出力は48号まで、友菱なんでもランキングのデータ収集は13号までに止まってしまった。

 もっとも、この日は本誌100号の編集もあるから、こちらで使える人数は少ない。そういう状況の中でいかに作業を効率よく進めるかだが、飛鳥杏華にそこまで能力があるわけではない。やっぱり、そううまくはいかないのだ。(汗)

 それでも、後半は本誌の方で手のあいた連中が加わってくれて、一応、できる範囲のことはこなしてもらえた。しかしまだ、各コーナーの扉絵の選定とコーナータイトルの作成、カット等の執筆者名、ペンネーム新旧対応表、巻末のあとがきとスタッフ一覧、編集後記と奥付…などなど、まだやることが山ほど残っている。

 最終編集は18日の予定だが、本当にそこで収められるだろうか? かなりきつい状況だが、1つ1つこなしていくしかない。この本だけは、何としても自分で納得できるものに仕上げたい。その理由はいずれ語ることにするが…。

 5日、とりあえず、99号までの表紙の取り込みを完了した。レイアウトを行いながら、友菱なんでもランキングのデータ収集を進めていく。このほか、一刻会活動年表というのも作成したいと考えている。一刻会の活動と高橋留美子作品の発表状況、世間一般の出来事をまとめた結構まともなものを作りたいのだ。

 そのためのデータ収集もこれに加わってきた。ちょっと手を広げすぎではないかと自分でも思うのだが、自分の目指す本はそれがすべて入ってはじめて実現されるのだ。もう、ページ割りも決めてしまったし、後戻りはできない。自分にムチ打って突っ走るしかないのだ。

 6日、4日の編集会で受け取った元会員らからの特別メッセージの原稿をどう料理するかを検討した。こちらがしっかりサイズ等の指定をしなかったから、1回り大きいサイズで描かれてしまった。それはこっちのミスだからしかたがない。幸い、あまりトーンワークに凝ったものはなかったので、単純に縮小コピーで済みそうだった。

 しかし、みんなブランクがあるし、もともとそうだった人もいるが、原稿が全体的に白い。このまま縮小して掲載したのでは、他の原稿との関係で浮いてしまう危険性がある。そこで、どうせ縮小するならと思い、パソコンに取り込んで周囲にちょっと凝った装飾を施してから出力することにした。

 そうなってくるともう、ここの更新はしている余裕がなかった。1週間ぐらい遅れることはこれまでもあったし、前回のラストで予告もしていたから何とか許してもらえるだろう。13日には何とか2週分更新したいところだが、何かさらに修羅場と化しているような気がする。

 もしかすると、28日にすべてが終了するまで更新は無理かもしれない。それまで見捨てないでもらえるとありがたいのだが…。(汗)

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