飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1999年>

6月29日(火)

 だんだんと事態は洒落にならない方向に…。思ってた以上に時間のかかる作業に思惑が大はずれ。友菱SS100は、一転して大ピンチの様相を呈してきた。一方、自分の本の漫画もペースは上がらない。かろうじて、逸見五美さんのところの原稿は仕上がったが…。

 23日、「犬夜叉」だが、ついに殺生丸が刀を欲しがる理由が明らかにされた。期待したような大きな目的はなくて、その点にちょっと「う〜ん」という感じが残ってしまうのだが、なるほどと思える内容でもあった。殺生丸の持つ刀もやはり父の形見で、父の牙から刀々斎が鍛えた刀、天生牙…。しかし、この刀は殺すことのできない刀だったのだ。

 天生牙は、癒しの刀…。その気になれば、一振りで100人の命を救うことができるという。使いこなせば、生き返らせることも可能とさえ刀々斎はほのめかす。そのような刀を与えられたのでは、性格的に我慢できないだろう。特に鉄砕牙の力を使って何かを成し遂げようとかいう野望があるわけではないようだが、その名が物語るように、思いのままに殺生を繰り返したいのだろう。それなのに殺せない刀を与えられて、ストレスがたまっているのだ。

 もっとも、それだからこそ、犬夜叉たちの父は殺生丸に天生牙を与え、鉄砕牙を殺生丸の手の届かないところに封印したのであろう。犬夜叉たちの父は、西国を中心に暴れまわった化け犬だという。若い頃は殺生丸のように、力に任せて多くの人間を殺してきたかもしれない。しかし、人間である犬夜叉の母を愛したことで変わったのではないだろうか…? 犬夜叉がかごめによって変わっていったように…。

 殺生丸に鉄砕牙を与えれば、人間、妖怪を問わず、犠牲者は激増するだろう。それを懸念したのではないだろうか? 自分が変わったように、殺生丸にも変わって欲しい…。自分の周囲の者を殺すことよりも、愛し、慈しむ心を身につけて欲しい。天生牙を使いこなせるようになるくらいに…。それが晩年の犬夜叉たちの父の願いだったのではないだろうか?

 逆に、半妖しとて生まれた犬夜叉には、強さを与えたかった。母親を、周囲の者たちを守るために多くの敵を一気になぎ倒すほどの力を…。決して、刀々斎に依頼し間違えたわけでも、刀々斎が渡し間違えたわけでもあるまい。その意志がわかっているからこそ、刀々斎は命を狙われても殺生丸に新たな刀を与えようとしないのではないだろうか?

 それとともに、天生牙という「転生」を暗に示唆するような響きと、使いこなせば生き返らせることができるという力も気になるところだ。それが出てきたところで、この刀で桔梗を生き返らせたらと思った人もいるだろう。しかし、本当に生き返ってしまったら、それこそ三角関係が泥沼化する。四魂の玉と刺し違えようという気持ちを固めた桔梗の気持ちが揺らぐことになるだろう。そうなればなったで、またストーリーはおもしろくなってくるのだが…。

 さて、この日は帰宅後、逸見五美さんの弥勒本の原稿の続きを描いた。さすがにのっぺらぼうのままというわけにもいかないし…。(笑) しかし、一旦輪郭を描いてしまってから顔のパーツを再構成するのは難しい。どうしてもバランスが崩れてしまって、私はこれが苦手なのだ。こういう場合は全部描き直してしまうことの方が多い。しかし、今回はそこそこうまく修復できた。

 そのままペン入れに入り、ベタの途中まで進めた。並行して友菱SS100のための原稿取り込みをしながらだったので、残念ながらベタを終えるところまではいかなかったが、まずまずだろう。これで、月末の締め切りには間に合いそうだ。

 24日、帰宅後、前夜と同様に原稿取り込み作業と並行して、弥勒本の原稿を仕上げた。あとは、執筆者コメントを残すのみだったが、それまではちょっと気力が持たなかった。(汗) かなり疲労もたまってきているし…。

 25日、帰宅後、素早く弥勒本の執筆者コメントを描き、あとの時間は友菱SS100の原稿取り込み作業に費やした。何を取り込んでいるのかというと、歴代の表紙絵だ。友菱SS100には、創刊号から100号までの表紙ギャラリーというコーナーを設けるつもりなので、そのためにせっせと取り込んでいるのだ。

 ただ取り込むだけではない。汚れや紙の色を出さないように調整し、取り込んだあとには修正を加える必要がある。かつて、1から5まで出した友菱スペシャル・セレクションではただの縮小コピーを1ページに4つ並べただけだったが、スーパー・セレクションと銘打つからには、そんな安易に済ませたくはい。この時期にここまでするのは無謀かもしれないが、そこはこだわりを捨てたくないのだ。

 26日、午前0時を過ぎても作業は続く。しかし、汚れ修正に思いのほか時間がかかり、作業が進まない…。創刊号から24号までのコピー誌時代は取り込んでいる原稿自体がすでに孫だ。それだけに、あまりソフト上でで明るさ等を調整してしまうと、薄い部分が飛んでしまう。その一方で、孫だけに汚れも多い。結局徹夜となり、朝食までの間にようやくコピー誌時代分の24号までが完了した。

 朝食後からは自分の本の漫画だ。これも最低限、この日のうちに下描きを上げなければならない。前日、いつも利用している印刷所からダイレクトメールが届いて、通常締め切りが7月26日であることがわかった。あとちょうど1ヶ月だ…。ペース的には、いいところかもしれない。ここで遅れないようにしなければ…。

 残り4ページ。配分としては、1ページ2時間ほどで行けばと思ったのだが、そんなに甘いもんではない。特にクライマックス(といえるほど、感動的でもないのだが…。笑)の部分だから、力を入れなければならない。どうしても時間がかかる。結局、下描きが完了したのは20時過ぎだった。

 しかしまあ、何とかノルマはこなせた。あとは、翌日の編集に備えて友菱SS100の原稿を準備しなければならないのだが、もうすでに表紙の取り込みが間に合わないのは目に見えていた。取り込んでから表紙イラストの執筆者名を付け加え、1ページに4面割り付けをしてプリントアウトもしなければならないのだ。これは徹夜しても間に合うわけがない。

 それ以外にもやることは山ほどあるから、そっちの段取りも整えなければならない。というわけで、表紙の取り込みは40号までで一旦ストップし、そこまでの執筆者名の付加作業や選考が遅れていた各コーナーの扉絵候補の選定などを朝食の時間まで進めた。結局これで2晩連続の徹夜になってしまった。(汗)

 27日、朝食後、4面割り付けをしながら表紙ギャラリーのプリントアウトにかかるが、もう出発まで時間がない。10ページ全部のプリントアウトは無理もいいところだった。それでも、少しでも多くと思い、1時間の遅刻覚悟で4ページまで出力して家を出た。

 日野での編集作業は、用意したものが次々と終わっていき、非常に順調に見えた。しかし、用意されているものの絶対数が不足しているのだから、決して喜ばしいことではないのだ。むしろ、やばい状態と言っていいだろう。本来なら、この日までに既刊からの原稿はすべて揃えたいところだったのだが…。(汗)

 編集作業を20時頃切上げ、食事をして帰宅したのが23時半…。そこから、とりあえず朝に出力しきれなかった表紙ギャラリーのページをプリントアウトした。が、F1グランプリの放送が終わってもまだ終わらず、結局床についたのは午前2時頃だった…。(う〜む、想像以上に時間がかかる。汗)

 28日、朝方、出がけに2号分ほど表紙を取り込み、帰宅してから6号分、通算で48号分まで取り込んだ。並行して逸見五美さんのところへ送る原稿と通販の荷造りをする。本当なら土曜日に遅れたはずなのに、逸見さんには悪いことをしてしまった。(汗)

 しかし、こっちも洒落にならない状態だ。あと2週間でできることなら編集を終えたいところなのに、未整理のもの、未着手のものがかなりある。特に、友菱なんでもランキングのカウントなどは膨大な時間と労力を要する。当の100号目の会報に載せる原稿もあるし、もう目が回りそうだ。(くらくらくらっ…。汗)

 29日、人事異動の季節が来た。というわけで、この日は送別会だ。帰宅後はここの更新作業だが、さすがに余裕がないので「気まぐれモノローグ」と既刊同人誌の在庫数変更くらいしかできない。来週はもしかしたら更新はパスすることになるかもしれない。特に友菱SS100は、ここが正念場だ。

 そのあとは、自分の本の正念場が来る。五代くんじゃないが、毎度毎度いろいろな正念場が来る飛鳥杏華だ…。このつぎは、どんな正念場が来るのだろう?(なんか、楽しんでるみたいやんけ! 笑)

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