飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1999年>

5月18日(火)

 キネ旬ムック「マンガ夜話」VOL.4がようやく発売された。読んでみると、結構誤字脱字が多い…。校正の際、自分の書いたところだけチェックしたのだが、他のところも一応チェックしておくべきだったか…。いまさら悔やんでもしかたのないことだが…。(汗)

 12日、「犬夜叉」だが、この展開には参ったとしか言いようがない。読者側の予測を遙かに超える展開をしてきた。いったい桔梗の怨念はどこまで深いのだろうか? いや、怨念というよりは女の情念と言うべきだろうか?

 前回、桔梗か矢を放ったことで呪術の封印が解かれ、奈落のもくろみは打ち砕かれたものとばかり思っていた。ところが、封印が解かれたことによって、蠱毒となった妖怪は穴から外に飛び出し、奈落の体となった。

 これが、偶然のなせる皮肉な結果だったのなら大したことはない。だが、奈落自身が桔梗の行為に疑問を感じている。かごめの言うとおり、見た目は犬夜叉と蠱毒との合体を避けるため、苦肉の策として封印を解いたとも受け取れる。しかし、それならば他にもっと確実な方法があったはずと分析する奈落…。その奈落にさらわれながら薄目を開けている桔梗…。桔梗の方が奈落を利用しようとしているのだろうか?

 桔梗は、穴の中で行われていたのが蠱毒であることを察知した。何物かが蠱毒を作っているのだとすれば、それを利用して何かをしようとしている者が穴の上にいることも恐らくは察知できたはずだ。

 その段階でそれが自分を殺し、自分と犬夜叉を憎しみ合わせた奈落であると気づいてはいないだろう。しかし、倒れている間も意識があったとすれば、犬夜叉らの言葉から、さらわれていくときにはすでにそれが奈落であるとを認識できていたとしてもおかしくない。

 普通なら、自分を殺し、愛しい相手と憎しみ合わせるように仕組んだ者と手を組むなど考えられない。むしろ、その場で恨みを晴らす行動に出るのが普通だろう。だが、今の桔梗にとって大事なのは、過去の恨みよりも現在の犬夜叉が自分以外の女を愛しているという事実に違いない。

 奈落を殺したところで、死んでしまった自分が本当の意味で生き返るわけではない。犬夜叉の心がかごめから自分に移るわけではないのだ。ならば、その奈落を利用してでも、自らの想いを遂げたい、犬夜叉を他の誰にも渡したくないという方向に動いてもおかしくはない…。どう動くのだろう? 先が楽しみだ…。

 さて、この日は帰宅してからほとんど何もしないまま終わってしまった。本当なら、夏に向けての執筆を少しでも進めなければならないのだが、執筆初期には必ずこういうときがある。始めてしまえば、それなりに波に乗っていくものなのだが…。

 それはそうと、週刊少年サンデーに連載されている「SALAD DAYS(サラダデイズ)」(猪熊しのぶ)という作品には参った…。今回のシリーズは早い時期からもしかして…とは思っていたのだが、ここまでくると無意識とは思いがたくなってきた。(汗)

 家庭的でほんわかした性格のおねーさんと気の強い高1の妹がいて、同級生に優柔不断そうな男がいて、こいつと妹と風呂場でばったりなんてことがあったり、その妹には好きな男がいて、それがメガネかけてちょっとボケが入った先生だったり、その先生には別に好きな女性がいて、妹はそれを承知で先生のことが好きだったり…。

 これって、「らんま」の初期路線そのまんまではないか!(笑) あの先生はまさに東風先生だ。主人公の少年にとって、同じ道における先輩であり、達人でもあるし…。さすがに、先生の彼女がおねーさんとかいうオチはこれまでの展開を見る限りではないみたいだが…。(笑)

 13日、帰宅すると通販の申し込みが届いていた。ここのところ、久しぶりに何件かオンライン注文があったのだが、そのうちに1件だった。早速、発送準備に取りかかる。その際に、各同人誌の在庫をチェックしてみた。

 「REAL LOVE」Vol.2は、いよいよ在庫が1桁台に入った。Vol.1がまる2年後の夏コミで完売だったのに比べて早い。夏コミまでは持つかもしれないが、ほとんど完売に等しい状態になっているだろう。うれしくもあり、なぜか淋しくもある。(笑)

 就寝前にメールをチェックすると、キネマ旬報社から連絡が入っていた。全然連絡がないので、本の執筆者贈呈はないものとあきらめていたのだが、どうやら送ってくれるらしい。ただし、一刻も早く現物を拝みたいから、結局買うことになってしまうだろう。贈呈本は保存用にすることにした。(笑)

 14日、帰宅途中に神保町に寄り、キネ旬ムック「マンガ夜話」VOL.4を購入した。帰宅途中の電車の中から読み始め、この日のうちに「めぞん一刻」の部分は一通り読破した。まず、印象として残ったのは、番組の出演者が結構曖昧な記憶のままで出演しているなということだった。ゲストはともかくとして、レギュラーはそこそこ予習していてもよいのではないだろうか? せめて、連載開始時期ぐらいは正確に覚えておいて欲しかった。

 確かに、何から何まできっちりと作ってしまうと、ライブ感覚が損なわれて番組が堅苦しいものになってしまいかねない。しかし、ゲストの西村智美が好きなシーンの巻数やページ数をしっかり覚えていたり、TARAKOが響子と朱美についていい視点を披露していたのと比べると、レギュラー陣はちょっと情けないように思えてしまう。(汗)

 また、いしかわじゅん氏の高橋留美子に対する評価が低く、発言が好意的でなかったということで、憤慨していた人が多かったということは放送当時、番組を観た人の感想を読んで知っていた。その発言について、どのように好意的でなかったのか興味があったし、ずっと知りたいと思っていたので、今回この本で読めたのは収穫だった。

 読んだ感想としては、それほどいしかわ氏を責めるべき点はないと思う。氏は、あくまで自分の評価ではこうなんだとちゃんと前置きしているし、それが絶対的評価でないことも示唆している。それを自ら理解し、示したうえで語っているだけずっとマシだ。世の中には、自分の評価が絶対かつ普遍的なものであるかのように語る人や実際そう思い込んでしまっている人もいて、そういう人こそ困りものなのだ。

 いしかわ氏の場合は、単に何を評価の対象とするかという部分の違いに過ぎないと思う。何をもってどのように優劣をつけるかというのは、人それぞれ違ってしかるべきで、いしかわ氏の評価基準をもって見るかぎり、高橋留美子の評価は関脇クラスということにすぎないのだろう。単にそれだけのことだと思う。別の評価基準を持つ人が見れば、その評価は違ってしかるべきなのだ。

 たまたま比較対象として大島弓子という名前が出てきたので思い出したのだが、1980年頃、東京の九段会館で開かれた第2回手塚治虫ファン大会で手塚治虫氏がこんなことを言ったことがあった。「売れる漫画が描ける人がメジャーなんです。そういう意味では、萩尾望頓や大島弓子なんてのはマイナーですね…。」

 これはもちろん、1980年当時の手塚氏の評価にすぎない。それをちゃんと理解したうえで読んで欲しいのだが、要は萩尾望頓や大島弓子の作品の質のよさを評価しながらも、あれは「(爆発的に)売れる漫画」ではない。手塚氏自身がめざしているのは、売れる漫画を描き続けることであり、すなわちメジャーな漫画家でいつづけることなんだということを言わんとしたわけである。

 このときの手塚氏の評価基準で測れば、大島弓子と高橋留美子、どっちが上にくるか言うまでもないだろう。よく、人魚シリーズが不老不死を扱っている点や現代と過去を描いたりしている点をとらえて、安直に高橋留美子を手塚治虫の後継者などと言う人がいる。そういう評価に対しては否定的な考えを持っているのだが、めざす路線がメジャーな漫画家(売れる漫画を描く漫画家)でありつづけることであるという点においては、同系統の漫画家であると言っていいと思う。

 私は何も、手塚氏の方がいしかわ氏よりも名が通っている大先生だから、そちらの評価の方が正しいと言いたいわけではない。要は、漫画家自身が何を目指して漫画を描き、受け取る読者が何を好むかということに尽きるということだ。いしかわ氏の求める最高峰の最上級というのは高橋留美子作品よりも大島弓子作品タイプなんだなと理解すればいいことであって、私はいしかわ氏を特に責める理由はないと思っている。

 これは文学における芥川賞と直木賞に置き換えてもいいかもしれない。先日触れた雑誌「ダ・ヴィンチ」5月号に芥川賞をあげたい漫画というのが様々な著名人から挙げられていたが、そこに高橋留美子作品は1作もない。確かに人魚シリーズあたりは、誰か挙げてもよさそうなものとは思ったが、概ね納得できた。私は高橋留美子作品は文学で言えば通俗文学であって、直木賞候補の方だと思うからだ。一方、大島弓子は芥川賞候補だろう…。

 芥川賞の方が格上であり、至上のものだと考える人にとって、直木賞受賞者は一応頂点を極めてはいるけれど、芥川賞に比べたら敢闘賞みたいなもので、「よくできました」のレベルだという感覚があるかもしれない。いしかわ氏が番組の中で言っていた「最高峰の普通」というのは、そんな感覚ではないかと私などは思うのだが…。

 15日、一刻会の友菱SS100の編集開始に備えて、作業手順の指示を出すべく、採用原稿の分類作業をした。どの原稿から手をつけるか? 何の作業から手をつけるか? そのために準備するものは何かを考えて、指示を出さなければならない。これまでの本と違って、原稿量が膨大だ。分類作業にも時間がかかる…。

 結局、翌日できそうなのは既刊の会報「友菱」のうち25号以降のオフセット印刷のものを解体して、採用原稿とその他のページに分ける作業程度だろうということに落ち着いた。集まる人数も少ないことが予想されるので、それも全部は無理だろうなと…。編集会場も夕方までしか押さえてないし…。夕方までにその辺の指示と準備するものについてまとめたメールを出した。

 夕方、ようやく「マンガ夜話」の贈呈本が届いた。実は、昼に配達に来たのだが、どうも友菱SS100の編集準備に夢中になっていて、一旦持ち帰られてしまったらしい…。(汗) まあ、自分が読む本自体は前日に買ってあるから、いつ受け取ってもいいのだが…。(笑)

 16日、友菱SS100の編集のため、日野へ出向く。集まったのは自分を含めて4人だ。予想したとおり少ない…。とりあえず、「友菱」の解体作業を時間いっぱいまで進めた。なぜ、そんな面倒くさいことをするかというと、イラストなど執筆者の希望ですでに返却してしまった原稿が結構あるからだ。それに、古い号の版下は再印刷に耐えられるかどうかわからないものもあるし、何しろ探し出してくるのが大変だ…。ならば、本誌をそのまま版下にしてしまった方がいいというわけだ。

 ページを破らないように、慎重に解体するのは時間がかかる。糊のつきがいいと、結構力もいる…。かといって、力任せらひきちぎると破れてしまうし、なかなか難しい。(苦笑) その作業も17時までに9割方終えることができた。まずまずと言っていいかもしれない。

 編集後、帰りの電車の中で「マンガ夜話」を読みながらこの本についていろいろと評価をした。結構、ミスが多い。私はゲラが来た時点で、当然、自分のところだけ校正すればいいだろうと思ったから、ひろゆきさんの項目までは目を通さなかった。実際、火曜日の夜に受け取って、木曜日の夕方までに校正結果を送らねばならなかったので、ほとんどそれしか余裕がなかったのだ。しかし、今になってみると、全部目を通しておくべきだったと悔やまれてしかたがない…。(汗)

 もっとも、ミスは我々の書いたページだけではない。高橋留美子単行本リストと作品年表のうしろに載っている私のHPアドレスは何と尻切れトンボだ。(汗) このページは、ゲラ段階では見せてもらってないから、私には防ぎようがなかった。(汗) その他の作品のページにもいろいろとミスが見られる。うーむ、自分が書いたものが載った号だけに、ちょっとこの辺は残念だ。私のせいではないけれど…。(笑)

 17日、帰宅後、友人から電話がかかってきて、また「マンガ夜話」について話をした。前夜の編集の帰りにも思ったのだが、採録された番組の内容がどうも消化不良に感じられて、これなら我々でやった方が作品をもっと掘り下げられるのではないか、いっそのこと次の「そると」でやってはどうだろうかという話になってきた。以前にも、「らんま」完結後に対談収録はやっているし、ある程度人数を集めて、あとで使えるところだけまとめればそれなりのものができるはずだ…。どの作品を題材にするかは問題だが…。(笑)

 就寝前にはチャットをした。「マンガ夜話」買ったよと声をかけてくれる人も多い…。中には、私のサイン入りが欲しいなどという人もいたが、高橋先生のサインならともかく、私のサインでは本の汚れになるだけだ…。(笑) 前日の編集のときにも、そんなことを言った奴がいたけど、まあ私のサインでいいなら…。(こらこら、その気になるんじゃないっ!! 笑)

 18日、ここの更新作業だ。執筆の季節に入って2週間…。例年のスケジュールからすると、6月からは表紙CGにかからねばならない。それまでにペン入れに入っていないと苦しいというのに、いまだに絵コンテすら1ページも描いていない。やばいのは充分わかっているが、どうも今の私は漫画よりも文章や企画ものがやりたくてしかたがないらしい。友菱SS100や一刻会版マンガ夜話の方には意欲を燃やせるのだが…。(汗) 

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