飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1999年>

4月27日(火)

 東京国際ブックフェア最終日、高橋留美子先生はついに十数年ぶりに、我々ファンの前に生のお姿を見せてくれた。最後の最後まで迷ったあげく、徹夜を敢行してサインを手に入れた飛鳥…。この前の「マンガ夜話」への執筆依頼といい、自分個人については非常に幸運な年のようだが、あとが怖い気も…。(汗)

 21日、「犬夜叉」だが、まったくと言っていいほど予想がはずれた。予想を超えるものが出てくると、むしろ興奮する。桔梗の活躍がポイントとなると思っていたのが、ああもあっさりと死魂を奪われて動けなくなってしまうとは…。犬夜叉は勝ち残りの妖怪との戦いを続ける。弥勒に制止されても逃げ道がない以上、戦い続けるしかないのだ。

 幾多の妖怪を封じ込めて戦わせていたのは、やはり奈落が失われた体を取り戻すためだった。しかし、犬夜叉ら予想外の邪魔者によってその策略は失敗に終わるかもしれない。弥勒の考えによれば、この場にかけられた奈落の呪術を解くことができれば、犬夜叉は妖怪を倒しても相手と合体しなくても済むことになる。それができるのは、かごめしかいないだろう。

 ここからは単純な予測になってしまうが、ここまでの展開から何となく方向性が見えてきたように感じる。新たな体を得ようとした奈落のもくろみは、かごめによって多分阻止されることになるのではないかと思う。そうでないと、犬夜叉が救われる道が見つからない。しかし、そのどさくさに紛れて、奈落は桔梗をさらっていくのではないかと思うのだ。

 桔梗は犬夜叉やかごめに対しては怨念や嫉妬をぶつけるが、戦で傷ついた人々を手当てしているこのシリーズ冒頭の様子から見ても、決して本質的に邪悪な存在となってしまったわけではない。いかに犬夜叉とかごめを引き離したいという利害面で一致するとはいえ、簡単に奈落に利用されるとは考えがたい部分があった。

 ところがここで死魂を奪われ、動けなくなったことで奈落が利用しやすい状況が生まれたわけだ。そうやって見ていくとこのシリーズ、ここまでの展開は奈落が桔梗を利用できるようにするための伏線ということになる。またそう考えると、桔梗がいきなり死魂を奪われて動けなくなってしまったのもうなずける。問題は、奈落がどのように桔梗を利用するかだが…。(汗)

 さて、この日はコツコツ撮りためておいたタペストリー等の画像を加工して裏・高橋留美子*ぷち資料館用のページを作ってみた。まだまだ揃いきっていないが、表のページで公開できないのが残念だ。もともと販売用でないものも多いし、販売用のものもすでに売っていないものだから、ちゃんとした解説がつけられれば、表でも公開できると思うのだが、その辺の資料や知識が問題なのだ。(汗)

 22日、メールを書くので精一杯で、他まではちょっと手がまわらなかった。だんだんと東京国際ブックフェア最終日が迫ってきて、当日どうするかの決断を下さねばならないときが近づいてきているのだが、なかなか踏ん切りがつかない。リスクと欲求の間で、心が揺れ動く…。世間では、単に優柔不断とも呼ぶが…。(笑)

 23日、帰宅後TVを見ていると電話が鳴った。ちょっと珍しい知り合いからの電話だった。ここ何年かスキーのときに車を出してくれたり、寝具を提供してくれたりして世話になってる長野県在住の知り合いだ。しかし、それ以外は普段特に連絡を取り合ってるわけではない。その彼から何だろうと思ったら、東京国際ブックフェアの件だった。

 彼は人に教えてもらい、少年サンデーを読んで高橋先生のサインプレゼントがあることを知り、あわてて東京在住の私のところに電話してきて、私の行動予定を尋ねたのだ。私自身は、とにかく前日の朝から出かけて時計坂通信社の仲間と合流し、あだち充先生のサインプレゼントがどのようなかたちで行われるのかを偵察したのち、時計坂通信社の仲間の状況次第でどうするかを決めるつもりだった。

 しかし、彼が徹夜するつもりで長野から出てくると言うので、それならばと心を決めた。彼には世話になっているし、1人で徹夜するのはいやだったが、話し相手がいるとわかっていれば、退屈な時間つぶしも何とかなるだろうと思ったのだ。そこで、彼とはあだち先生のサインプレゼント中に小学館ブースで待ち合わせることにした。そこで落ち合えないと大変なのだが…。(汗)

 24日、徹夜装備を整えて朝8時前に自宅を出発した。臨海副都心線・国際展示場駅には9時過ぎには到着し、そこで時計坂通信社の仲間と待ち合わせて10時前には東京ビッグサイト内の会場前に到着した。と、あだち先生の列は館内のガレリアにできていた。しかし、すでに整理券の配布は終了と出ている。何と、整理券は10時から小学館ブースで配布するとなっていた公式HPや招待券の記述とは違っていたのだ!

 やはり、偵察に来て正解だった。最初は東京ビッグサイト自体の開場とともに館内をダッシュで移動し、東展示棟1Fのチケットブースで素早く受け付けを済ませ、東京国際ブックフェアの会場内を再びダッシュして小学館ブースに並ぶものと思っていた。だから、徹夜をしたからといって確実に100名以内に入れるかどうか不安だったし、逆に100名以上すでにいても効率よく受け付けを済ましたりすることで逆転が可能だと思っていた。ところが、そうではなかったのだ。(汗)

 たまたま、あだち先生のサインプレゼントの列で1番乗りしたのが時計坂通信社の仲間だったこともあって、そのほかにも様々な情報が得られた。サイン会の行列が作られるのは、ゆりかもめの国際展示場正門駅から近い会議棟(逆ピラミッド型の目立つ建物)側の入口ではなく、東展示棟2Fのムービング・ウォーク(動く歩道)終点近くの入口であること、6時半頃に係員が看板を出して外に並ばせ、7時半頃に館内のガレリアに移動するということなど、どれも貴重な情報だった。

 さて、せっかく来たのだから偵察だけでなく、館内も見てまわらねば損だ。記念グッズを売っているかもしれないという期待もあり、まずは小学館ブースへと向かった。が、そっちの期待ははずれてしまった…。(汗) 少年サンデー40周年記念の執筆作家陣直筆色紙の展示は壮観だったが、我々のような漫画ファンの期待に応えてくれるものは、それくらいしかなかった。あの色紙をテレカにして販売したら、さぞかし売れたろうと思うのだが…。

 高橋先生の色紙は犬夜叉1人の絵柄だった。なかなか原画を近くに寄って見られる機会は少ないから、これは意味がある。下描きの線がわずかに残っているところにも、妙に喜びを感じたりしてしまう。(笑) この色紙は、いずれ少年サンデー誌上ででもプレゼントされるのだろうか? 以前は、会場で抽選というのもあったらしいが、それらしいことはどこにも書かれていなかった。まあ、くじ運の悪い自分には無縁の話だろうが…。(苦笑)

 午前中、一通りめぼしいところを見て回り、昼食をとった。あとは、あだち先生のサイン会を見て、実際にあだち先生が来られるのかどうかを確認するのみだ。あだち先生が来れば、まず間違いなく高橋先生も来られるだろう。そして、どんなものにどのようにサインするかも注目だ。時間的に見て、その場で色紙に絵を描くということは考えられないが、白い色紙にサインだけなのか、何か絵が印刷されたものにサインするのか、興味をそそられるところだ…。

 14時近くになると、小学館ブースのサイン会用スペースにはすでにかなりの人垣ができていた。ちゃんとサインを書く机と椅子が用意されている。間違いない、ご本人が来るのだ! そして、若干遅れてあだち先生が到着した。色紙は小学館側で用意した絵の印刷された特製のものだ。これにサインと「○○さんへ」という名前を入れてくれる。やったぜ! まだ、色紙をもらったわけでもないのに、思わず握り拳に力が入った。

 そこまで見届ければ、あとは早めに入口のところに並ぶだけだ。が、長野から来る知り合いと落ち合わねばならないので、まだそこを離れるわけにいかなかった。こういうときにかぎって、なかなか落ち合えないものである…。結局、落ち合えたのはあだち先生のサイン会が完全に終了したあとだった。2人とも外の様子が心配だったので、何よりもまず行列が作られる入口へと向かった。と、すでに数人がガラス扉の外に座り込んでいた。

 同類だな…。匂いでわかる。(笑) こうなってるのがわかったからには、もうそこから離れることはできない。持ってきた敷物や折りたたみ椅子を出して我々もそこに座り込んだ。徹夜敢行組は、それからちょろちょろと増えていった。しかし、前日からずっと降り続いている雨の影響もあるのだろうか、爆発的に増えるということはない。列は形成されておらず、入口前のひさしの下あたりに集まっているだけだった。

 いくらか増えたところで、列を作るときに喧嘩にならないようにとノートに到着順に名前を記入して順番表を自主的に作った。夕方には、列ができたときの最後尾表示も必要かなと思い、手製の最後尾札も作りはじめた。こういうことをするやつらは、やはり圧倒的に男が多かったが、女性も少しはいたし、中学生くらいの女の子と付き添いの母親というコンビもいた。しかし、展示会が終了し、東京ビッグサイトの一般客に対する閉館時間である20時が近づいた頃、徹夜敢行組に大きな試練が訪れたのである。

 20時に入口を閉鎖するにあたって巡回してきたイベント担当の警備員から、23時になったらここを退去するようにと言われたのだ。23時には東京ビッグサイトの警備員が巡回してきて、恐らくそのときには東京ビッグサイトの敷地内から出るように言われるだろう。それまではいてもいいが、退去を命じられたら退去してくれと…。それでも退去しないときは警察に通報されてもしかたなく、そうなるとサイン会が中止となる可能性もあるということだった。

 ここからにわかに徹夜組の動きがあわただしくなる。グループごとに退去を命じられたときの行き先についての話し合いが続いた。親子連れはこの段階で断念したようで、無念の帰宅を選択したが、ほとんどの者が23時まではここにいようということになった。正式に退去を命じられたら、素直に従うということで一致して…。

 しかし、この場を離れるといっても、雨は依然として降り続いている。入口のところは幸運にも風がほとんどなかったが、外は風が強く、場所によっては台風も真っ青の暴風地帯もあった。時計坂通信社の面々の大半は新橋のカラオケボックスに一時避難し、午前4時頃を目途に戻ってくることに決めた。他にも何人かこの場を去る者がいる…。しかし、私は知り合いがどうしてもここを離れたくないと言うので、付き合うことにした。

 そんなところへ、やはり長野在住でスキーのときなどに世話になっている一刻会会員の婚約者の女性(東京在住)が、まだ間に合うと聞いて来ることになった。嫁入り直前の娘が、野宿で徹夜だなんて…と思うが、そそのかしたのは当の婚約者だ。暗に家宝としてサインをもらって来いということなのかもしれない。(笑)

 さて、いよいよ問題の23時がやってきた。しかし、警備員は巡回してくるたびに我々の様子を中からチェックするものの、何も言わなかった。全員がひさしの下で、せいぜい通常の会話をする程度であったこともあってか、黙認してくれたようだった。これが「中に入れろ!」と騒いだり、ひさしの下から人があふれてたりしてたら退去を命じないわけにもいかなかったろう。徹夜組の数が少なかったことは、そういう意味でも幸いしたようだった。

 25日、日付が変わるとさすがに寒さが身にしみてきた。が、幸いにも長野在住の知り合いがテントを持参してきていた。さすがに骨組みを作ってテントを張るわけにはいかないので、3人で布地をかぶり、中で傘をさしてスペースを確保した。これだけでもかなり寒さが防げた。徹夜に備えて買い込んでおいたチョコレートやクッキーをつまみ、翌日のサイン会のことを予想したりしながら時を過ごし、やがて朝を迎えた…。

 6時が過ぎ、いよいよ始発組が到着する時刻になった。ここで前日のノートをもとに列を形成し、到着した始発組をその後ろに並ばせる。すべてファンによる自主的行動だった…。6時半になると、ようやく警備員と主催者側の係員が出てきて正規に列を作らせた。それから30分余りした7時ちょっと過ぎ、ついに行列は100名に達し、整理券獲得者が確定した。

 わずかの差で間に合わなかった者も当然いた。中には、あきらめきれない様子で、こちらをうらめしそうに見つめながらいつまでも立ち去ろうとしない者もいた。彼らを蹴落とした身である自分が言うのも何だが、かわいそうだと思う。先着100名というのは、やはり残酷だ…。もっとも、無制限に受け付けたらサインする高橋先生にとって残酷なことになるが…。(汗)

 7時25分、列は館内に移動させられ、鉄柵に囲まれたスペースに座らされた。端から見ると、まるで檻の中のさらしものだ。「皆様、ご覧ください。これが、オタクでございます。」と思わず冗談を言ってみたりもしたが、本当に後から入場してくる人たちに見物され放題だった。もうすでに確定したのだから、さっさと整理券を配って解放してくれてもよさそうなものだが、あくまで10時配布という建て前にこだわったようだった。

 整理券を手に入れた10時、すでに展示は前日見てしまって用がない。サイン会の14時までどうして時間をつぶすのかが問題だった。徹夜してるだけに睡魔に襲われているし、かといって寝てしまって寝過ごしたら泣いても泣ききれない…。結局、私は一旦、自宅に帰ることにした。髭剃りを持ってくるのを忘れたたため、無精髭がのびてしまっていて、憧れの高橋先生の前に出るにはあまりにもむさくるしいと思ったからだ。

 帰宅すると、選挙投票を済ませ、髭を剃った。そして整理券をスキャナーで取り込んだ。サイン会になれば、渡してしまってなくなってしまう代物だ。これを記録に残せたのは、もしかしたら私だけかもしれない。(笑) ついでに昼食もとっていくことにしたのだが、ここで思わぬ時間を食ってしまった。結局、再び家を出たのが12時半過ぎ…、しかも、ここで大きな失敗をしてしまった。せっかく招待券で手に入れた入場証を置き忘れてしまったのだ。(汗)

 臨海副都心線・国際展示場駅に到着したのは13時45分近かった。入場証を忘れたので、当日券を買わなければならない。そのための時間も必要なのだ。チケットブースに着いたのが10分前…。しかし、前の方の客が販売員に何かと質問していてちっとも進まない。時間が刻々と過ぎる…。飛鳥最大のピ〜ンチ! 何とか入場証を買って会場内に飛び込んだのが5分前だった。

 やっとの思いで小学館ブースにたどり着くと、もうすでに列ができていた。これはまずいと思い、即座にそこに並んでしまった。が、あとで考えるとこれは失敗だった…。時間内なら、いつ並んでもサインはもらえるのだ。最初は並ばずにサイン会を見物し、あとでゆっくり並んでもよかったのである。しかし、遅れてあせっていたためにそこまで頭が回らなかった。並んでしまったところはサイン会用スペースがまったく見えない位置だったのだ…。(汗)

 やがて、コンパニオンが高橋先生のプロフィールを紹介する声が聞こえる。いよいよサイン会のはじまりだ。が、早く高橋先生の見える位置に行きたくて気が気でなかった。それと、もう1つ問題があった。入れてもらう名前を本名にするかペンネームにするかである。周囲の人は「飛鳥杏華」にしろと言う。しかし、「マンガ夜話」VOL.4でいろいろと書いたのを読まれたばかりだし、ちょっと気が引けた。いいチャンスではあるのだが、そういうかたちでの自己主張はしたくなかったのだ。

 それに、これが最初で最後のチャンスかもしれない。一生ものだと思うと、やはり本名でもらっておいた方がいいのではないかという気持ちがあった。一応、整理券の裏には本名(姓のみ)を書いたが、ギリギリまで迷った。結局、そのまま本名を書いてもらうことになったが…。

 さて、いよいよそのときが来た! 色紙の絵柄は週刊少年サンデー1999年1号の吊り広告用ポスターに使用されたものと同じで、犬夜叉、かごめ、弥勒、七宝が描かれている。サインをし、日付を入れ、整理券の裏を見ながら名前を入れていくのを息を呑んで見守る…。サインをもらったら、何て言おうか? 事前に何パターンか考えてはいたのだが、いざその場になったらきれいさっぱり頭から消えてなくなっていた。(汗)

 サインを終え、マジックのキャップを閉じ、顔を上げた高橋先生…。そのとき、かろうじて言えたのは「これからもがんばってください。」という月並みな一言だけだった。しかしその瞬間、高橋先生の表情は一気にほころび、素晴らしい笑顔となった。こんな一言でも喜んでくれたのか? 感激に握手をしながら深々と頭を下げてしまった。が、あとで撮ってもらった写真を見ると、ことのき高橋先生はちゃんと私の顔を、目を見つめて握手してくれていたのだ。何て細やかな心遣いだろう! 何てもったいないことをしたんだ、私は…。(笑)

 だが、そのときの私の心はもう1つの驚きと感動に支配されていて、それに気づく由もなかったのだ。握手した瞬間、思わず「えっ?」という感覚に襲われたのである。高橋先生の手が想像していたより遥かに小さかったのだ。いや、小さく感じたというのが正解だろう。写真を見るかぎりでは、そんなに無茶苦茶小さいわけではない。しかし、とても柔らかだったこともあって、大して大きくもない私の手のひらの中にすっぽりと収まってしまったような錯覚に陥ったのだ。

 それと女性の場合、冷え症で手が冷たい人も少なくないのだが、高橋先生の手はとっても温かかったのだ。これもまた強く印象に残った…。この感触は一生忘れまい…。もう、「この手がうれしい」状態だった。(笑)

 サイン会は終始なごやかな雰囲気のまま終わった。その間、高橋先生は何度もステキな笑顔を見せてくれた。こんなに笑顔がステキな方だったとは…、こうして直接会わなければ決して実感することはできなかったろう。

 また、ちょっとした物腰や仕草が実に女性らしく、かわいらしいというのも大きな発見だった。かつての対談で、小説家の平井和正先生が盛んにステキな方だと言っていたが、その言葉に偽りはなかったのだということをまさに実感した。

 サイン会が終わったあと、渋谷へ出て食事をし、撮った写真を見ながら改めて高橋先生の魅力を語り合った。私も長野の知り合いも、すっかり高橋先生に魅了され、惚れ込んでしまっていた。笑いごとではない…。ほんとに魅力的な方なのだ。これは、実際にあの場にいた人にしかわかるまい…。

 19時半過ぎ、渋谷駅で知り合いと別れたが、ここまで来たついでにと閉店間際のまんだらけに寄ってみた。と、何と「らんま」や「うる星」のタペストリーが7枚も出ているではないか! 何てついているんだろう! 3週連続の散財にはなってしまうが、こうも欲しいお宝に出会えるなんて…。

 どうやら、今年の私はかなりついているようだ。しかし、その一方で不運に見舞われている人もいる。幸運すぎて怖いくらいだから、少しはそういう人にも幸運を分けてあげたいのだが、人の運というのはそういうわけにいかないものだ。この先、反動が来なければいいのだが…。(汗)

 26日、サイン会の余韻も残っていたが、徹夜の睡眠不足感も残ってしまった。(汗) 写真を見ながら、前日を思い出す…。そればっかりで、ほとんど何もできなかった。かろうじて前日仕入れた少年サンデーの表紙を取り込んで、裏・高橋留美子*ぷち資料館の「うる星やつら・週刊少年サンデー表紙展示室」に追加する作業だけ行った。

 27日、ここの更新作業だが、気まぐれモノローグが長くなってしまって、ほとんど他の作業ができなかった。しかたあるまい…。あの感動を伝えるのは、サイン会に参加した自分の義務でもある。今回はこのレポートだけでも許してもらえるのではないだろうか?(笑) そう勝手に解釈しつつ、この辺で終わることにしよう。

 尚、次回更新予定の5月4日がちょうど一刻CONの中日にあたってしまい、不在のため6日に延期せざるをえない。少年サンデーも休みだし、2日だけ待って欲しい。「マンガ夜話」VOL.4執筆記もそれまでには何とかしたいところだが…。(汗)

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