飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1999年>

3月30日(火)

 謎の原稿執筆が続く中、貴重な土日に一刻会の名古屋集会に参加した飛鳥…。何ともいい度胸だと言われそうだが、もうほとんど原稿は完成している。あとは推敲を重ねるのみだ。ギリギリまで直しが入るかもしれないが…。

 24日、「犬夜叉」の展開はまさに予想どおり…。別に先週、早売りのサンデーを読んでから書いたわけではない。自分が考えていたストーリーとここまで似たら、ある程度先までは読めて当然と言える。唯一予想外だったのは、地念児の母親が助けを拒んだことだった。ここから、いよいよ私の想像の及ばない展開に入っていくのかもしれない。

 地念児は、やはりかごめを助けるためにいままで出すことのなかった力を発揮した。腕を食いちぎってくれると言う人食い妖怪…。地念児を助けてと犬夜叉に乞うかごめ…。しかし、地念児の母は助けを必要ないと拒んだ。その意図は何だろう?

 かごめを助けるために体を張った地念児の行動に対して、母親は驚きの表情を見せている。そこから、いままでいじめられる一方で意気地なしだった地念児が、このとき初めて勇気を奮い起こしたのではないかと想像できる。1つの大きな成長だ。しかし、それだけで終わったのでは意味がない。地念児自身の力でこの危機を乗り切ってこそ、本当の成長と言える。殻を破れるのだ…。

 また、人食い妖怪を退治することで、村人たちの態度が変わってくるかもしれない。いや、ここでそれができなければ、これからもずっと同じことが続いていくだろう。これは地念児にとって正念場なのだ。また一方で、地念児の自立を期待する母親としての気持ちもあるかもしれない。いつになっても自分が守ってやらなければダメなら、自分の死後、地念児は生きていけなくなる。あえて突き放して息子の自立を促し、見届けたいのかもしれない。

 次回は、地念児が自分の力でどこまで闘えるかというところに興味が注がれる。ある程度までやったところで、犬夜叉が助っ人に入るのか…? あるいは、自分の力でやり遂げることができるのか? 地念児の闘いは、同じ半妖である犬夜叉の今後の生き方にも影響してくる可能性がある。高橋先生は、どう描いてくるのだろう?

 さて、謎の原稿執筆は29項目まで進んだ。ここで、共同執筆者と重複した項目と内容的にあまりよくない項目を除いた25項目を、とりあえず依頼主に送った。すでに本文も併せて書いてあるので、OKが出れば推敲して一旦提出できる。大分余裕ができるわけだが、果たしてそううまくいくかどうか…?

 25日、依頼主からの返信があった。提出した項目については、特に削除すべきものは見つからないとのこと…。とりあえず、OKが出たわけだ。しかし、カバー範囲に物足りないものがあるらしく、追加の依頼があった。当初予定の3人のうち1人が降りたことで、その執筆者が得意としていた範囲の項目が薄くなってしまったわけだ。

 ノルマの目安となる20項目を5項目オーバーして安心しきっていた自分にとって、これはちょっとしたカウンターパンチだった。さらに、そのメールには強烈なプレッシャーとなる1文が…。「うわーっ、ちょっと待ってくれぃ!」と思わず部屋中を歩き回ってしまう。理屈から言えば当然のことなのだが、これは責任が重い。根拠となる参考資料の提示など、事実に基づいていることをしっかりと示さねばなるまい。それでも、クレームが来ないとは言い切れないが…。(汗)

 26日、謎の原稿の追加項目を2つ書き上げた。原稿の正体やプレッシャーとなったものの正体について伏せたまま書き続けるのはこちらもやりにくいし、読む方にもわかりにくく迷惑な話だと思う。しかし、いままで一刻会や自分の同人誌に書いてきたものと違って、責任ある内容を要求される原稿であるから、すべて書き上げてOKが出るまでは安心できないのだ。申し訳ないが、もうしばらくはこのままで話を続けさせてもらいたい。

 さて、この日の帰り、ようやく「めぞん一刻 総集編」第6集を手に入れた。発行日から見て、この日が発売日のようだ。何らかの理由で遅れたのだろう。帰宅して早速ページを開き、今回はどの回のフルカラーページが復活しているかを確かめてみる。ところが、ない…。フルカラーページが収録されていないのだ。(汗)

 それどころか、第1集から第3集まであった2色刷りさえない…。せっかく、評価しはじめたところだったのに、これはひどい…。ファン心理としては、どうしても憤りを感じてしまう。しかし、カラーページ復活にコストをかけられるほど売れていないのかもしれないと考えると、思わず沈黙せざるをえない。つらいところだ…。

 またこの日、一刻会の名古屋集会担当者から連絡があり、10月の高橋留美子バースデー集会名物である単行本カルタを名古屋でやることになった。となれば、早速最新刊までカルタに反映させなければ気が済まなくなる。また悪い虫が動き出した。(笑)

 昨年の10月10日以降、約半年の間に発売された単行本は意外と多く10冊もあった。チャットをしながらせこせことカルタを作り、何とか午前2時過ぎまでかかって完了した。もっと別のことにこの根性と行動力が活かせばいいのに、まったく困った性格だこと…。(汗)

 27日、名古屋への出発は14時半過ぎなので、午前中に謎の原稿の続きを書いた。さらに2項目追加を書き、追加項目は4つとなった。とりあえずそれだけ依頼主に送って名古屋へ出発する。原稿の提出期限直前の土日に泊りがけで遊びに出かけるとは、我ながらいい度胸だと思う。(笑)

 17時半に名古屋に到着…。前夜祭の宴会でひとしきり盛り上がったあと、宿に戻ってまた続きをする。何か、一部の会員とは毎週会ってる気がする。実際、ここのところ即売会などで会う機会が増えているのだ。新鮮さは薄いが、非常に落ち着けて居心地がいい。世間では、これをぬるま湯と言うのかもしれないが…。(汗)

 このとき、謎の原稿の参考資料として応援を求めていたモノを時計坂通信社代表幹事の大田氏から見せてもらった。内容は大方知っていたが、不覚にも現物を入手しそこなっていたので、正確な誌名などがわからなかったのだ。あとで資料として該当ページをコピーさせてもらう約束をしたのだが、すっかり忘れて帰ってきてしまった。(おいおい。汗)

 28日、名古屋集会当日だ。この日は、なんと一刻会史上初の子連れ参加があった。14年も活動を続けているうちには、結婚して子供のできる人もいる。それでも会員として留まり、会報に原稿を寄せてくれたりする。ありがたいことだが、今回の子連れ参加は予想外だったのでさすがに戸惑った。人見知りしない子だったので、結果的には助かったが…。(笑)

 さて、この日のイベントは、午前中まず1998年度の会報「友菱」についてアカデミー賞のように部門賞を設定してみんなで投票するということをした。最優秀表紙賞に私の2月号(95号)の表紙が選ばれたほか、最優秀文章賞にも私が選ばれた。光栄だが、妙に照れくさいものがある。続いて、クイズ形式のゲームを経て、午後からはいよいよ単行本カルタの出番となった。

 ところが、今回は都合で急遽当初予定の倍の2時間持たせてくれという話になってしまったので、出題が足りず苦労した。その場で問題を考えたり、何とか引き延ばしを図ろうとするのだが、こちらの意図に反して短時間で札を取られてしまったりして…。

 最後の方には、「何でもいいから『うる星やつら』の単行本を取れ!」などという荒技も飛び出すに至ったが、これがなかなかウケた。(笑) 最終出題は、当然「全部取れ!」だ。いやー、ものすごい争奪戦だった。こうして、名古屋集会は大いに盛り上がって幕を閉じた。

 29日、名古屋集会の疲労を考慮して、あらかじめ休暇をとっていた。ゆっくり起き出すと、謎の原稿の最終追加分を手がけたが、なかなかもういいものが出てこない。1項目だけ書いたところで中断し、これまで書いた部分の推敲を先に進めた。結構、いろいろと書き直しが出てくる。参考資料の提示形式も考えねば、文章が読みにくくなってしまうので気配りが必要だ。

 中には、1つの項目を書くのに4点もの資料を参考にしているものもあるから大変である。資料名もどこまで詳しく書くべきか悩むところだ。中には長い誌名のものがある…。そうした単調で細かい作業に加え、前日の疲れもあり、午後になると強烈な睡魔に襲われて、またしても夕方2時間ほど寝てしまった。このところ、休暇をとるとこのパターンが多い。疲労回復のためという本来の主旨どおりなのだが、何かもったいないような気がするな…。(笑)

 夜には、この日追加した1項目を依頼主に送り、これで自分の担当分は多分終わりだと思う。更に推敲を重ねて31日に原稿送付となるだろう。そこからが大変なのかもしれないが…。(汗)

 30日、出勤すると私の机の上にささやかな幸運が待っていた。東京国際ブックフェアの招待券申込書だ。この辺は出展企業に勤めている者の役得である。早速申し込み、招待券をGETした。これで、4月25日のサイン獲得へ向けての最低条件はクリアしたが、まだまだ厳しいのは言うまでもない。まともな時間に行って、無理ならあきらめようという気もある。当日まではきっと迷い続けることになるだろう。

 さて、帰宅後はここの更新だが、今回も最低限の更新となってしまった。何度も繰り返して申し訳ないが、謎の原稿が終わるまでは気持ちが落ち着かない。来週には何とかその原稿の正体を明かすことができるかもしれない。何だその程度のことで…と言われるかもしれないが…。(汗)

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