ホッピーレーシングチーム

チームを作って耐久レースに参加してみる(ビール監督編)

超長い、画像多し、注意。

仲間を集めてみんなでレースに参加したい!って車好きで走る事が好きならば一度くらいは考えたことがあるだろう、中には毎回思うけど中々仲間が集まらないとか資金的に厳しいとか泣く泣く参加を諦めている車好きも少なくないはずである。

ここSTAGEには幸い日本海間瀬サーキットが近くにあり、走り大好きなロードスター乗りが集うのだ、数年前にはサーキットなんか殆ど走った事のない連中ばかりだったがいつの間にかホームコースとして間瀬サーキットを主に走るロードスター乗りも増えてきた。

しかし、流石に大切な愛車は手塩に掛けて今後も大事に乗っていこうと決めている。本格的なレースとなると金銭面だけではなく、クラッシュなどでボディや足回りが痛むのは敬遠してしまう。という中々レースの世界に踏み切れないのが現実だ。

そんなある日、間瀬サーキットで開催されるクーマック耐久レースというイベントが発表された。

1500ccまでの排気量でJAFなどのライセンスを持ってなくても誰でも参加出来るというレース、耐久と言っても車の負担を減らすために1時間x3セットという内容。1500cc?となるが、ロードスターは主催者判断で「遅いから2戦目から特別に許可する!」という事でNA6、タイアサイズを185幅に限定、6Pロールケージを装備、エキマニ、デファレンシャル機構はノーマルのビスカスというハンディが条件となる。2戦目以降というのは1戦目にロードスター1台がテスト走行で遅かった事を確認できたのでと言う事らしい。

実はこの主催者の判断が波乱のレースの幕開けとなるのだが、誰もそんな事は知らない(笑)

折角の主催者がロードスターを名指しで許可してくれるなら参加しようぜ!って盛り上がる、ドライバーは走る事が大好きなロードスター乗り、K猫、T内、ファイア○山、そして私は監督としてチームをまとめる事に専念する事にした。チーム名は「ホッピーレーシング」ビールにまで成りきらないが親しみのある飲み物として君臨するホッピー的なネーミング?3名のドライバーはレース未経験というところからも丁度良い?車体はなるべく走行していた後々コストの掛からなそうな車両を用意、各パーツは手持ちの物を持ち寄ったり、お客さんから提供してもらったりして車を作り始めた。

ベース車両はほぼノーマル、当店にくる部品屋が通勤に使用していた車両を買い取った。ボディも内装も綺麗でエアコンやパワステまで付いたVスペシャルは一寸勿体無かったけれどレースカーとして走る事に不要なパーツは全て外された、暫定ドライバーはもちろん見ているお客さん達も物珍しさにアンダーコートを剥いだりと手伝ってくれてノーマルのVスペシャルはレースカーとして生まれ変わったのだ。

不要な配線まで間引かれた室内、張りめぐるロールケージはドライバーのテンションさえ上げてしまう。

Vスペシャルなのでアンダーコートを剥いでからタン色にペイントしてみた。運転席後ろのトランク内にあるバッテリーは左右の重量バランスを考えて助手席側に移動する。

まだ綺麗なボディの耐久号、ホイールなどはレギュレーションNGの15インチだがシェイクダウンの様子見なのでOK。

いや、本当に綺麗な写真、貴重だ(笑)

そしてようやく漕ぎ着けたシェイクダウン走行。

私以外のドライバー3人はNA6の激軽量車はほぼ初体験、ロードスターの真髄を思い知る・・・たかが100馬力のエンジンに振り回される事になる。

サーキット走行を始めて走るような感覚に改めてロードスターがコーナリングマシンだと再確認、NA6の性能は侮れない、スーパードライビングマシンなのだ。

赤い三連星に追われるの図。

中々思いのドライビングが出来ないがらもタイムはボチボチ出ているようだ、ホッピーレーシングが本格始動した事を聞き付けてレース主催者が様子を見に来て速いタイムに驚いた。「ロードスターって速いんですね・・・アセアセ・・・」実はこの主催者(当時)ロードスターオーナーなのだが完全なドレコン車両なのでロードスターの性能を甘く見すぎていたようだ(笑)

主催者が「これではイカん」とレース直前でハンディを加算する。

純正助手席シート追加になりました・・・

ま、特別許可車両なので致し方ない処置ではあるが、まだレース走って無いんですけど。

ドライバー3名は共に同じようなタイムをマーク、効きの弱いビスカスLSDや軽量過ぎるボディ、私の愛用していたKONI車高調の13k10kというハイレートに最初は苦戦していたが流石ロードスター乗りなだけありシェイクダウン後半は安定したタイムをマークしていた。ドライバーの差が少ないという事はチームとしては非常に力強い武器になる。

クーマック耐久レース2戦目(チーム初レース)

我々ホッピーレーシングとしては初レース、車もドライバーも監督である私も気合が入る。前日までの準備も完璧にしたつもりであるが何が起こるか判らない、心配半分、自信半分という所か。少々心配の方が強かったのでスペアカー(パーツ取り車)として店に放置してあったNA6も持ち込んだくらいだ。

このスペアカーも後に・・・

初レース時、フロントバンパーを新調し、レースカーらしくドレスアップされた。シェイクダウン時の地味さからは大きく個性的に・・・

2戦目、ブレーキダクトを作ったので純正サイドウインカーが正面に(笑)このイーストベアー製のフロントバンパーが悪そうで黄色くて無駄に強そうだ(笑)イメージはロータスだったのだがバンパーデザイン的に違い過ぎて全く気づかれない・・・のであえて私も言わない(爆)

レース運びは順調でトラブルも無く成績も残す、初戦にしてライバルチームを引き離しドライバーのチームワークも素晴らしい、総合2位をゲット。

ホッピーレーシングとしては恐ろしく順調な滑り出し・・・ホッピーっぽくないじゃないか!

その後も順調にレースをこなして初シーズンで年間3位となる、実はシーズン最終戦からホッピーレーシングチームにもう一台の耐久車が投入された。耐久2号車・・・それはレース毎にスペアカーとして持ち込んでいた車両を耐久レギュレーションにあわせてエンジン載せ換えたり同じKONIの車高調を用意したりと即席ではあるが製作された車両である。ホッピー1号車の活躍を見て「俺にも走らせろ」と言ってきたドライバー3名が仲間として新たに加わった、茶太郎、上様、1テラ崎である。

とりあえず走りたいというチャレンジ車両として突貫で製作した2号車ではあるが元々ポンコツなので走るまでの手間は1号車以上に掛かっている。当然3人共にロードスター乗りではあるが上様、1テラ崎はNB8乗りであり、軽量なNA6を何処まで乗りこなせるかがポイントとなる。特にスポーツドライビング経験の浅い1テラ崎が足を引っ張らないように若さで走りきる事がレースを楽しく左右する。

ガレージハンドレッドワンのバンパーはドライバーの気合に応えるべく装着してみた。殆ど仕様は1号車と同等の2号車、同じくらいのラップを刻めるハズとドライバーにプレッシャーを掛ける。

2シーズン目に突入した時には1号車のK猫が仕事の都合で脱退、2号車の茶太郎が1号車に乗り、私が監督兼ドライバーとして2号車に乗る事になった。

2シーズン目最終戦で1号車のT内が走行不能のクラッシュをしてしまう、3シーズン目の初戦に走行するが精神的にプレッシャーとなりタイム的にも伸び悩みドライバーとして初戦で降りる覚悟をする。2号車に乗っていた私は1号車のドライバーとなり、2号車にはロードスター乗りのM川が参戦する事になる。

耐久レースとは。

当然ながら一人では走れない、ドライバーが揃わなければ参加する事すら出来ない。ドライバーだけではなく、サポートしてくれる人達が居て、仕切る監督も必要だ。一人の勝手な行動がチームワークを乱すのだ。ピットから出せる限られたサインもレースをこなす事で少しずつ理解が出来るようになる。

当初用意したこんなパネルも意思疎通のお陰で不要になった・・・ドライバー側からレース中に出せる訳ねぇだろ!という無言でもチームワークの良さで意思の疎通も計れた(笑)

ドライバーチェンジは少しでも順位を上げる為に迅速にかつ安全に。シートベルトなどはドライバー同士がサポートしあってこそ早くピットアウト出来るのだ。その間にフロントウインドウを拭いたりクラッシュ箇所の点検や簡単な補修を行う。

2号車も1号車を見習いどんどんとタイムアップしていく、体格の違うメンバーなだけにシート位置などのサポートも必要だ、少しでもチームワークで持ち返すのだ。

ドライバーチェンジ緊張の一瞬。

同じチーム同士でもピットインが重なってしまう時もある。

無事にドライバーチェンジしても全開走行後のドライバーが無事とは限らない(笑)

 

トラブルなど。

1時間走ると僅かなメンテナンス時間を与えられるのだ、安全の為と車の負担とドライバーの負担を少しでも減らす配慮なのだが実際にはメンテナンスが忙しい!給油もこの休憩?時間で行うのだ。1レース大体100L(1台)使用するので2台でドラム缶1本にもなる。あっという間に消費しちゃうのだから恐ろしい。

フロントをクラッシュにて損傷したタイロッドを交換の図。ドライバー全てが突然の修理に対応出来る訳ではない、が、出来る限りの事を一人一人が努力するのだ。人任せな人材は参加できない。

2号車も大変!ホッピーレーシングは2台体制でフル稼働。

2号車は私が走行している時にフロントブレーキが効かなくなった・・・無事回避したが画像の通り芸術品が出来た。ピットインしたときに発熱したキャリパーが燃えてしまったので急所キャリパー交換。準備、点検をしていてもレースでは何が起こるか判らないのだ。何とか交換して走行に間に合わせる。

おい!ヤベーじゃんよ・・・の図。デフギアがブローしたかと思ったが新たにペイントしたホイールのナット部分の塗膜が厚く熱で塗装が柔らかくなりナットが緩みはじめていたというトラブル。ギリギリセーフだったが慌てて4本のホイールペイント(ナット部)を剥がす。

ホッピーレーシングは何時も誰かが車の下に居る(笑)

 

ライバル=仲間。

レースであるからには同じ用意された土俵で戦うライバルチームが存在する、居なければレースなんて面白くもないし手強い程に参加する気合が高まる。画像以外にもロードスターやシビック、その他車種が多数参加する。同じレースに出ている以上ライバルな訳だが、それ以上に仲間でもある。

富山のTORFオレンジ号、1号車初参加した時からのよきライバルであり、チーム力もあるので毎戦お互い刺激される。オールペンされた車体はレースするには勿体無いくらいだったが毎回クラッシュしていたり・・・しかしちゃんと修理してくる根性は凄い。

 

 

 

チームファルスロードスター、こちらも富山のチームである、突然に驚くタイムを出す。引き離されると追いつけない。

2シーズン目最終戦からの参加のマッサGOGO。車両オーナーのマッサが個人的にレースに合わせて作り上げた車両、レースに賭ける情熱は人一倍あり、練習量もハンパではない。走行当初はホッピー号に追いつかなかったが3シーズン目からは車とドライバーの仕上げが進み、ホッピー1号を食いに掛かる。

3年目には2号車もライバルチームに追いつく事が出来るようになる。車の仕様は殆ど変更無しなのでチームワークとドライバーのスキルが上がってきた証。

 

 

 

 

 

耐久レースならではの見所満載、バトルはコースのあちこちで行われる、僅かな判断ミスが順位を下げるのだ。接戦が続くとドライバーの負担も増える。

ライバルのシビック勢にも苦戦させられる、排気量はロードスターに分があるが加算されたハンディが重く圧し掛かる瞬間だ。その後ろからはTORFスターレット、1300ccながら軽自動車並みの車重は大きくアドバンテージを持つ。コーナーリングラインが全く違うので気を抜くとロードスターはあっさりと抜かれてしまう(驚)

間瀬のストレート立ち上がりは最終コーナーの速さでライバルを引き離すチャンス!または抜かれるピンチ!とも言う・・・

ホッピーレーシングとしての3年目の最終戦、遠くから三重県からオリーブボールがロードスターで参戦!気合十分のチャレンジに当然我々も熱くなる。手抜きはしない、新しいレース仲間は当然全開走行で迎え撃つのだ。

 

レース活動を終えて。

クーマック耐久レースをホッピーレーシングチームとして3年間戦った訳であるが、そこには文章や言葉では表せないくらいの様々なプレッシャーや思い、そしてレースに賭けるパワーを得る事が出来た。金銭的な部分を含め、準備など掛かる時間もかなりのものであり、当然周りの複数の協力者があってこそ。車両作りに始まり、練習走行が出来るまでには非常にパワーと時間を費やしてしまった。いざレースとなれば車両整備から荷物の準備には時間も掛かり神経も使う。合計で何時間費やしたかは知らないけど全ての部分で必ずと言って良いほどに誰かが協力してくれた。簡単な所だとお客さんの娘に作ってもらった手作りなサインボードだって無くては困るし、結局3年間使った。1号車のロールケージ、フロント部分はお客さんから頂いた物。ナンバー無しの車両を移動するには積載車が必要で、2台も積める積載車をレース毎に何も言わずに貸してもらったり。バンパーの修理も格安で直してくれたり、経費削減で私が塗装するときだって塗料や材料など気前よく準備してもらったり。

とてもじゃないけど一人では出来ない事だらけである。

他のチームだって同じだと思う、ホッピーレーシングだから出来た事も多いかもしれないが、関わってくれた全ての人が居てこそ成立したのだと思う。いや、レースに関わる全ての人とその周りの関わる全ての人が居てこそ成立したのだ。

思い返せば嬉しい事、楽しい事はもちろん、悲しい事やイラ立つ事も多かった、レースとして他チーム含む参加ドライバー全員が分かり合えないと危険であり、ゴールする為の攻め方やパッシングポイントなどは監督として言わなければならなく、うるさいほど言った。ほんの少しの判断ミスが危険であり、ゴール出来なくなる事など。自分だけ良いカッコしようとした結果の失敗は取り返す事の出来ない結果を招く、それは参加、応援してくれる全ての人の期待を裏切る事になり、時には金銭的にも大損害になるのだ。耐久レースは一人で走っているんじゃないんだからね。前日の準備から朝早くからの積載車の運転、レース後のカタズケなど辛い事も結構あったが今となっては良い思いでである。

3年間で素晴らしい仲間達に出会え、素晴らしい時間を過ごせた事に感謝。こんなにも思いっきりレースが出来た事にも感謝。ホッピーレーシングの2台は間違いなく当店の通販含む全てのお客さん達のお陰で走り切れた事を報告します、ありがとうございました。ホッピーレーシングを応援してくれた皆さんが最高のスポンサーです。

ホッピーレーシングとしての活動は当初の予定通りに3年を終えて休止するが、これもチームとしては必要な事だ。これはまた次回あるかも知れないレース活動を目指すチームとしてのクーリング期間なのだ。いままでのレースを振り返る時間であり、個々に沸々と闘志を燃やし続ける期間でもあり。次回レース活動を再開する事になれば当然同じメンバーにて再開したいと思う。ホッピーレーシングチームはこれで終わった訳ではない、一つのレースが終わったばかりでむしろこれからがスタートになる・・・

 

間瀬最終コーナーの図、超軽量ボディでF13kR10kのレートでもココまで沈み込む。

ホッピー1号車の最終スタイル。少しずつボディの凹みも増えた分、ステッカーも増える・・・バンパーとかは一応修理してますよ。ロードスターのハンディが増えてハードトップの強制装着・・・間瀬のタイムで0,5秒落ちだったがリセッティングの末、ハードトップ無しと同タイムをマークできるようになった。

ホッピー2号車は外見こそ大きな変更は無いけど初参加から毎戦モディファイが加えられた、マフラーなんて一体何本製作したんだろう?毎戦違うマフラーだったような・・・

最終戦ではGTウイングを装着、更なるタイムアップ。蛍光ピンクのヘッドカバーはご愛嬌。

2号とドライバーとレースクイーンの図、レース前に満足顔。

ホッピーレーシング初戦レース後の一コマ。

こんなにトロフィーを頂いた、が、2位とか3位とかしかねーじゃん!とか言わない!それがホッピーらしさなのだよ・・・笑。

他にも賞状とかもあり、レースの思ひでの品なのだ。

 

更に詳しく出ているHPへは以下リンクです、余りの熱さで火傷注意!

クーマック耐久レースのHP

主催者筆記、おわらレースマガジンのレース詳細HPHP

クーマック耐久に参加した時から1号のドライバーでフル参戦ファイア○山氏のHP

富山のプライベート参戦(TORF協力の元)ガレージ雅のHP