必殺管理人Tの・・・

 

S47、6、10生まれ、血液型はA型に近いO型(物を見る目は細かいが目に移らないようなメンタルな部分には非常に大雑把)

何故か長岡シティに生まれ、なんとなく生きている幼い時から「好きな事しかしない」人生を送っているが何とかなるものだと最近悟ってきた。自分の尊敬していない訳の判らない大人に勉強を教わるのが嫌いで中学生活も後半は遊ぶ為にソコソコに卒業。卒業前の3者面談にて「働きたい」と担任教師に伝えたが「普通は高校くらい行くものだ」と訳の判らない普通論を述べられて受験させられる。受験勉強って何ですか?何もしなくても受かった高校にとりあえず入学してみたものの6月の誕生日に原付免許を貰うと同時に行かなくなった。

5千円原チャリのおかげで突然行動範囲が広くなり、峠の速い奴を探しては負ける日々を送る。毎日地元の峠と少し離れた峠の往復の為のガス代欲しさに始めたアルバイトは「模型屋」であった。「どうせやるなら遊び半分が良い」全くふざけた少年時代はコーナーリング大好きの曲がりっぱなし。何時の間にか峠に昼間から集まる奴らとしか遊ばなくなりアルバイト代はガソリンと改造パーツに全て注ぎ込むようになる。

16歳の時にスクーターのポートを削る喜びを知り、17歳の時にはクランクケースをバラシてクランク交換を心観るようになる。エンジン換装やボアアップ、ピストン交換して圧縮アップなんて事を覚えたのもこの頃。理由は良く判らないがパワーアップするのは体感出来たらしい。何事も実戦であり経験である。

実戦と言えば中学生くらいからラジオコントロールカーという物にどっぷりと漬かう。最終的には自作シャーシまで学校に行かずに製作してオリジナルFFオフロードカーで県戦に参戦、全国大会までのチャンスが訪れるが予算の都合で諦める。この時に全国大会に行っていたら違う人生もあったかもしれない。車のアライメントを僅かに覚え始めたのはこの頃で18歳で実車を買ってアライメント調整にお金が必要だと知りショックを受ける。そもそもAE86だったから調整なんて殆ど出来ないのにもショックを受けたが(笑)

17歳の時には自動車整備工場に入社、運転も出来ないのに車の整備から入る、汚れたツナギ姿で教習所に行っていたのだから教官によく「免許取り消し」に間違われたものである。晴れて合格、免許と同時にAE86を手に入れる、本当に毎日峠通いで住所を移そうと思ったくらいだ、当時はドリフトというテクニックを持っている人が非常に少なく我流で特訓していた、当時同じ峠でドリフト走行をするのは一人だけ、生まれて始めてドリフト走行を目の前にしたのは同じAE86に乗る人であり、今でも同じロードスターで一緒に走れる雄何時の人物である。そんな車は改造が進み翌年には当時改造には厳しい民間車検場とはオサラバしたのである。

今でいう観せるドリフトではなく、コントロールを楽しむ為のドリフトスタイルだったが地元の峠でもギャラリーと言われる丘サーファーのような走らない人達が増えてきて其の中でも走れる奴らが集まり少し遠くの峠まで遠征を始める。週末100人以上(多分もっと居た)のギャラリーを集めてしまうようになる、そんな事に飽きてきた頃にRX−7FC3Sを購入。

ロータリーエンジンの楽しさや厳しさを目の前に車に乗せられるという感覚は消えずに自分のコントロールの支配下に置けなくて飽きてしまう、ターボに頼ったパワーなど感性に合わないのなら無意味なものだ。300馬力に振回されるくらいなら100馬力を使いきってやろう。再度AE86の購入を考えるが程度の悪さに見切りをたてて新車でNA8Cロードスターの購入に踏み切る平成5年10月。

毎日峠通いの生活は続く、新車のNA8も毎日の峠通いで2年で両側のハブベアリングが壊れる。エンジンはパワーこそ無いが十分なトルクとレスポンスを出してくれる、何よりも車の足回りというのをちゃんと仕事している重大さに気つかされる。ロードスターという車の外見は当時嫌いな部類であったが足回りの構造がラジコンカーで馴染のあるWウイッシュボーン構造だから買ったような物であるからにはコーナーリングを楽しまなくては損である。

ロードスターミーティングにも遊びに行くようになり、全国のロードスター乗りの熱い情熱にドンドンと引かれ始める、何時の間にか仲間も皆ロードスター乗りになり始め、思考錯誤で改造を繰り返す日々。当時の仕事は宅配ドライバーとして給料を貰っていた、5年間の宅配ドライバーに終止符を打つのは自分の本当にやりたい事の答えが出始めていた「もう一度自動車業界に浸りたい」元々自分の車を弄る為に給料の良い宅配ドライバーの道を選んだのであるが体力的にもキツく、段々と車に乗る時間が減っていったのであった。自分の好きな事をする為に選んだ仕事だったがこれでは本末転倒である。とりあえず先の事は何も考えずに会社を辞める。ただやりたい事は自動車関係の仕事というだけ。

新車のロードスターの借金も当時の蓄えで払い終わり新たに「自分の出来る事」を探し始める、どうしたら好きな事ができるのだろうか?どうしたら楽しいのだろうか?と自分の考えに近しい人間を探し、その人間を良く見る事で何か答えが出るかも知れないと小さな板金屋でアルバイトを始めるが、もっと私に協力してくれそうな人に出会う、一人でチューニングショップを開業している人物である。規模も大き過ぎずに私的には丁度良い社会勉強の場となった。車の改造の考え方や店の経営方法などはオーナーからなんとなく見よう見真似で教わり非常に参考になり、また、自分に自信が付いた、私一人では何も勉強なんて出来ない、やはり理解ある人達に囲まれなくては自分の考えなど受け入れて貰えないし反対もされない。自分の考えをハッキリさせなくては相手には伝わり難いのだ「私は自分の好きなロードスターに囲まれたい」。

元々の仲間がお客となり、ロードスターが増え始める。従業員だが担当のロードスターが増えすぎて自分の事だけで忙しくなり本来?の仕事が手に付かなくなってくる。オーナーからは「そろそろ・・・」確かにそうだ、給料貰っていて好きな事だけやってる訳にはいかない、少しずつ自分の道を作り始めないとならない時期は意外と早くにやってきた。人の土俵で好き勝手は出来ない、好きな事したいのであれば自分の土俵を作りそこで好きな事をすれば良い。

自分の出来る範囲の目一杯の事。

とりあえず自分の好きなことをする環境を作る、良い仲間に恵まれた分、店舗として作り上げるまでは時間は掛からなかった。好きな事をする為に作った店には好きな事をしたい人間が集まり、好きなように過ごしていく、楽しみを作る為に足を運んで楽しんで帰っていく。其の分当然私も楽しませて頂くのである。そんな場所があれば最高に楽しい。

「STAGE」

舞台、小さい頃に始めて舞台に上がった時、お遊戯会などで緊張して披露した一寸「嬉」恥ずかしい気持ち。主役ともなれば皆の注目を浴びて恥ずかしくもあり気持ち良くもあり。

 

ロードスターと始めてオープンにした時、何とも言えずに「嬉」恥ずかしい気持ちと同じである。なんとなく注目されるのは気持ち良くもあり、恥ずかしくもあり。

 

好きな事しかやらない私の小さな舞台でもある。

 

 

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