Weekly Report


Last Week

2001/04/22)フローラS

ダンスインザダークの仔が初のグレードレース勝ちを収めた。オイワケヒカリと、地味な名前であるが、前走のフラワーCやこのレースと、しぶとい面を見せている。ムーンライトタンゴと共に、オークス候補にダンスインザダークがいるということが嬉しい限りである。


This Week

2001/04/29)天皇賞春、青葉賞

今年から待望のGUに昇格した青葉賞。欧米ではあまり例のないことだが、クラシックのトライアルレースが本番と同条件で行われることには意義がある。ケッタッキーダービーの場合は全国から予選のような形で勝ち上がってきた馬達が晴れある舞台に立てるという、ドラマチックな部分もあるが。距離も決して2000mは行わない。すべての馬が初の条件でチャーチルダウンズに参戦するのである。青葉賞の場合は府中の2400mで行う限り、グレードを上げるべきだと何度も書いてきた。ダービーを狙えるような馬が皐月賞をパスするということは考えにくく、青葉賞が全くの別路線ということはないが、外国産馬の参戦も含めてダービーへの最終関門として重要なレースに育って欲しい。

3200mの天皇賞を淀で行うことの是非はともかく、この距離を制することの意義は十分に認めることができるレースである。騎手の技量が最も問われるレースとも言えるだろう。武豊の凄さは、デビュー2年目に菊花賞・桜花賞・天皇賞春という難しいGTを6ヶ月という短い期間に立て続けに勝ったことだろう。今年の場合、2冠馬が2頭いることもあるが、3世代の皐月賞馬と菊花賞馬が勢揃いした。例年であれば、前年のクラシックを沸かせた4歳馬達が主役となるところである。今年の場合は、少なくともアグネスフライトが脱落したこともあり、そういう図式ではない。結果はともかく。テイエムオペラオーの大阪杯での惨敗で、俄然面白くなったとも言えるが、やはり勝っておいて欲しかったという気持ちで一杯である。エアシャカールが圧勝したのならいざ知らず。ナリタトップロードとメイショウドトウにしてみれば、拍子抜けしたというのが本音だろう。強いオペラオーだからこそ、倒しがいがあったのに。いずれにしても、オペラオーの調子も上がっているようであるし、面白いレースが期待できそうである。


天皇賞春ベストレース

春の天皇賞の思い出となると、やはり武豊を置いて語ることはできないが、それはさておき。初めてテレビで見た天皇賞が1971年ドロドロ馬場でのメジロムサシだった。当時は京都にダートコースがなかったこともあり、馬場は荒れ放題で、雨が降った時の京都の極悪馬場は有名だった。実況に入った2着の「オオクラ」を連呼するファン?の声が印象的だった。同じくタイテエムが勝った1973年も道悪で、杉本アナが三角の外から上がっていくタイテエムを双眼鏡で見落としたレースだった。本命馬が淀の坂超えで大パフォーマンスを見せている時に、タイテエムはまだ最後方と喋ったとして、それ以来杉本アナはテレビモニターで実況するようになった。思い出のレースbPと言えば、やはり翌年のタケホープ。4歳になったタケホープとハイセイコーは、2400mのアメリカJCCでタケホープが、1800mの中山記念でハイセイコーがと、互いに自分の持ち場でライバルを圧倒してきた。ハイセイコーが明らかに距離不安の春の天皇賞を使ったのは致し方ないが、タケホープとしては絶対に負けられないレースだった。怪我から復帰してきた嶋田功としても、ダービー以来のタケホープでの勝利は譲れないところだった。そしてレースは案の定タケホープが勝ち、ハイセイコーは6着に敗れた。次走の宝塚記念そして高松宮杯での楽勝振りを見るにつけ、ハイセイコーも現在のレース体系を恨んでいる代表的な一頭かもしれない。それにしても、ゴール前での杉本アナのタケホープの連呼は今だに忘れない。初めて京都の天皇賞を現場で見たのが、モンテプリンスが勝った1982年だった。出張で大阪に行ったのだが、天皇誕生日の前後が仕事ということで、新米サラリーマンとしてはこれとない絶好のチャンスだったのである。もちろん応援していたのが2着に敗れたアンバーシャダイ。ゴール前の手すりを叩きながら、「加藤」を連呼していた。

そして平成の盾男として登場してきたのが武豊だった。とりわけ1989年のイナリワンは強烈だった。前述したように、前年に初クラシックの菊花賞をスーバークリークで勝ち、桜花賞のシヤダイカグラでは信じられない乗り方で勝った。しかし天皇賞ともなれば、弱冠20歳のジョッキーでは荷が重いと思っていたのだが。乗りにくいと言われていたイナリワンであったが、内埒でじっと我慢して、四角ですっと抜け出した。5馬身差の圧勝にも驚いたが、テン乗りでも馬の気性を知り尽くしたかのような騎乗振りには驚いた。天才と騒がれていたが、日頃から各馬のレースを研究し、いつ自分が乗っても良いように心がけていたというから、やはり天才が努力をした時の凄さというのを感じたものである。ベストレースと言えば、やはりトウカイテイオーとの一騎打ちで盛り上がったメジロマックイーンのレースをおいて他にはない。復活した無敗のトウカイテイオーに対し、淀の天皇賞は絶対に譲れないメジロマックイーン。杉本アナが対決の図式を平等に表現するべく、交互に両馬のことを語った。「淀の天皇賞だからこそ勝ちたいトウカイテイオー、淀の天皇賞だからこそ譲れないメジロマックイーン」「負けるなトウカイテイオー、負けるなメジロマックイーン」。私はこのレースに、武豊のジョッキー像として、自分が描いていたものと一致するかどうかに興味を抱いていた。武豊ならこう乗ってくれるはずだと。それまでのメジロマックイーンは、決して先行して押し切るというようなレース振りではなかった。しかし淀でトウカイテイオーを迎え撃つに当たり、ステイヤーとしての資質では間違いなく上であろうメジロマックイーンとして、力の違いを見せつけるようなレースでなければ勝てない。ライバルを警戒するあまり、四角までじっとしていれば絶対に差される。であれば、ステイヤーとして正攻法で勝ちに行くべきであろうと。そうなれば、戦法としてはなるべく早く抜け出して、スタミナ勝負に持ち込むしかない。そう、若き天才福永洋一が始めて勝った菊花賞で、ステイヤーのニホンピロムーテーで2角から先頭に立って逃げ切った、あのレースのように。一番人気を背負って尚且つ、自信満々に先頭に立ったのである。スタミナがあると思ったので躊躇なく行ったと、事も無げに語ったものである。武豊にそういうレースができるのか。別にそういうレースでなくとも、勝てば全く問題ではないのだが、魅力あるジョッキーとして、それくらいのことはやってくれるのではないかという期待である。私としては、ポイントは三角の坂の手前で仕掛けてくれれば、と考えていた。あの地点から仕掛ければ、決してトウカイテイオーは追いかけては来ないであろう。岡部としても「血」に自信がないはずだから。少なくともシンボリルドルフではそういうレースは絶対にしなかった。ペースと展開次第では先行することはたびたびあったが。だからこそ、武豊にはメジロマックイーンでそういうレースをして欲しかった。「血」に自信があるはずだから。そして、固唾を飲んで見守っていた私の前で、マックイーンは三角手前で堂々と仕掛けて行った。その時の感動と言ったら、言葉にできないものであった。勝ち負けはどうでもいい。あそこで仕掛けられるのが武豊であり、そうしないとトウカイテイオーに勝てないと思ったし、勝つならあそこで仕掛けて勝って欲しいと思った。忘れられないレースというのはこういうレースなのだろう。

さて、今年は武豊のいない天皇賞である。ここ数年は、阪神大賞典の勝ち馬が活躍している。当然とも言えるステップなのであるが、見事にその役割を果たしていると言える。阪神大賞典で破った馬には、天皇賞では逆転を許していない。距離もローテーションも、ステップとしてはベストのレースである。トウカイテイオーの復活も大阪杯からであったし、メジロマックイーンの3連覇が途絶えた時も、大賞典に間に合わずに大阪杯になったのが原因なのかもしれない。そういう意味では今年のテイエムオペラオーが全く同じ状況であることが興味を注ぐ。秋のことを考えずに、本気で春の天皇賞を取りに来るのなら、温泉など行かずに阪神大賞典を使ったに違いない。それをしなかったことで、天皇賞は決して100%の状態ではないはずである。そこに他馬の付け入る隙があるはず。相手が弱かったとはいえ、ナリタトップロードの阪神大賞典の勝ちっぷりは歴代の天皇賞馬に劣らないパフォーマンスである。ナリタブライアンは阪神大賞典を2連覇しているが、出走が叶わなかったり、サクラローレルにあっさり差されるというように縁がなかった。そうならないよう期待したいものである。私は蛯名に乗り変わったエアシャカールを買うのだが。

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