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2001/01/04)2000年回顧と新年に向けて

20世紀という区切りという意味で、JRAも20世紀の名馬100と題してファン投票を実施した。個人的には、我が国の競馬が始まってから100年も経っていないというのに、20世紀の名馬を選ぶという発想には賛同し兼ねた。何でも20世紀のナンバー1を決めれば良いというものではない。この種の投票は、どうしても参加する年代は若い世代になりがちだし、オールドファンにしても参加する術を知らなかった人達も多いことであろう。実際に私もインターネットでの投票であった。結果は当然のように、ここ10年の馬達に票が集中した。当然であろう。見たこともない馬に投票する人は少ないし、それ自体おかしいことだから。トキノミノルやクリフジが上位に来るのも何だか変である。この企画自体に問題があったとは言わないが、我々競馬ファンとしては世代を超えた馬達の強弱論こそが自らの競馬の歴史ではないだろうか。

ナリタブライアンが圧倒的な支持を受けてトップになったが、私にも異論はない。少なくとも、私が見てきたダービーで最も強いレースをしたのが彼だったから。3頭を選べということだったので、私はトウショウボーイ・エアグルーヴ・サイレンススズカに投票した。トウショウボーイは言うまでもなく私をここまで連れてきてくれた馬。現在の馬達もすべて彼との比較で見るようになっている。信じられない存在である。エアグルーヴは、類まれなる素質を持ち人一倍の努力を惜しまないジョッキー武豊との、最も人馬一体が似合った馬だった。牝馬で好きだった馬は数多くいたが、武豊とのコンビではこの馬が最高だろう。サイレンススズカは、武豊に乗り替わったということで好きになったのであるが、本当に好きになったのは正直言って秋の天皇賞だった。たった1レースで、しかも非業の死を遂げたにもかかわらず。それ程あの時の彼の一挙手一投足が忘れられない。30年も競馬を見てきて、ベスト3がこのメンバーで良かったのかと今でも思う。初めてテレビで見た有馬記念のスピードシンボリの強さは別格だった。初恋の馬はトクザクラ。デビューから追いかけてしたタケホープの存在を忘れさせる程にインパクトの強かったハイセイコー。今でも最強だと信じているシンボリルドルフ。やはり自分の中での序列だけは決めてみたい。そういう訳で個人的な総括を込めて、私なりにいろいろなカテゴリーの中でのベストを選定してみたい。20世紀を締めくくるというよりは、私自身の競馬史を振り返る意味で。当然のように距離体系別にランクは作りたいが、レース体系が現在のようになる以前ではそうはいかない。作成にはこれから半年くらいはかかるだろうが、実はこれ程楽しい作業もないと思っている。

さて昨年の出来事としては、何と言ってもジャパンカップダートの創設が最も大きなものだろう。参加したアメリカの馬のレベルは決して高くはなかったが、まずは第一歩を踏み入れた感じであり、大成功だった。しかも、芝のジャパンカップの時とき異なり、堂々と日本の馬が勝ってみせた。これ一つをとってみても、我が国の競馬のレベルが確実に上がっていることの証明だろう。エルコンドルパサーの偉業が、全体的なレベルの底上げの結果であるとも取れるであろう。テイエムオペラオーには何としても海外に出てもらいたい。エルコンドルパサーの陣営のように、個人的に資金力がある馬主のグループだけが海外に出ていけるのは寂しい。世界的に見ても、これは致し方ないことなのであるが、一ファンとして見た場合、最強馬がもっと上のレベルを求めることこそが夢だから。テイエムオペラオーが香港カップでファンタスティックライトを返り討ちにして、キングジョージに乗り込むなんて考えただけでもぞくぞくする。JRAとしても、なんらかの支援はできないものだろうか。国の宝は外に出てこそ輝きが増すのである。

新年を迎え、馬齢表記が欧米のようになる。いわゆる数え年から満年齢に変わるのである。我々としては、かなりの戸惑いはあるが、日本だけ異なるというのではよろしくない。遠征した時には欧米の年齢表記をしていたのだから。蛇足ではあるが、これもJRAの問題なのであろうが、海外の馬のカナ名を統一してもらいたい。マスコミ各社の判断で馬名が異なるなんてナンセンスであろう。ジャパンカップで来日した時には必ず行うことなのだから。そして、いよいよ日本ダービーに外国産馬の参加が限定で認められる。生産界のことを考えると非常に難しい問題ではあるが、諸外国に我が国の競馬を認知させる意味でも必要なことであろう。少なくとも日本調教馬である以上、ナショナルダービーへの参加はさせてあげたい。我々もこういう時代の流れに敏感についていかなければなるまい。

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