表紙 「手塚治虫氏に関する八つの誤解」
 長谷川つとむ 著
 カバー画 「バンパイヤ」より(c)手塚プロダクション
 カバーレイアウト 丸山邦彦
 中公文庫
 ISBN4-12-203483-3 \590(税別)

 著者の長谷川さんはドイツ史、とりわけファウスト研究で著名なれっきとした歴史学者。当然わたしゃよく知りません(爆)。それはともかく長谷川さんが挙げた手塚さんに関する「八つの誤解」とは、
 誕生年にかかわる誤解
 三島由紀夫とは対照的であるという誤解
 科学礼賛であるという誤解
 文部省のもしくは日教組の提灯持ちであるという誤解
 『火の鳥』こそ代表作であるという誤解
 いわゆる関西商法であるという誤解
 女性は描けないという誤解
 『ファウスト』は現代社会に無用であるという誤解
 なのだそうですが、あのぉ………いったい誰がそんなすっとんきょうな「誤解」をしてるんでしょうか?

 誕生年を二年前に偽って(つまり歳よりも老けていると偽っていた)というのは初めて知りましたが、それ以外の「誤解」と称するモノは、すべて基本的にマンガを知らない人の勝手な思いこみであったり偏見であって、それをいっしょくたに「誤解」と言い切ってそれを矯正しようとする必要が果たして必要なことなのか。

 どうも長谷川さんはご自分が長年研究していらっしゃるファウストと手塚さんの「ファウスト」、「ネオ・ファウスト」を対比させたときに、その作品のもつ思想性、ゲーテと手塚治虫というふたりの作家の知の巨人ぶりに深く感銘を受け、自分なりに手塚さんを、戦後日本の最大級の文化人として位置づけたいとお思いのようですが、んでその事自体は別に批判するようなことじゃなく、大いに手塚さんの功績は称えられ、尊敬さるべき物であることに異存はないのですが、だからといって「マンガ」という全く新しい表現方法をもって日本のカルチャー・シーンに登場した手塚治虫の功績を、それまでの芸術と同様の評価方法で止揚するような手法が果たしてふさわしいんでありましょうか?

 「ネオ・ファウスト」が手塚さんの晩年を代表する傑作であるということを否定する気はないですが、だからといって「鉄腕アトム」や「火の鳥」を代表作とする考えが否定されなければいけない理由がどこにあるのでしょう?初期の傑作、「0マン」や「ノーマン」は?「リボンの騎士」はどうよ?それを読み、つかの間現実を忘れて想像力の強力な羽ばたきに身を任せる快感を味わった当時の我々にとって、手塚さんの思惑はどうあれ、それを手塚さんの代表作と位置づけるコトが控えられなければいけない理由はどこにもないでしょう。

 そうした意味で『火の鳥』は偉大なる挑戦作といえるが、日本の歴史をしばしば下敷きとすることによって、自ら究極の作品とすることを回避したのである。そしてついに彼は、時空を超えた普遍的テーマでしかも大人たちに語りかけるものとして『ファウスト』を選ぶことになるのである。

 何言ってンだい。オトナに向かって語りかけなければ代表作になりえない理由なんてどこにもないじゃないのさ。

 どうも長谷川氏は、みずからが触れた手塚治虫という巨人の作品群のすばらしさに入れ込むあまり、(少なくとも彼の文章を読むかぎり)愛情を超え信仰の段階にまでその気持ちを進めてしまったようにみえます。また、手塚作品のみを絶対視しながら、その実マンガは好きじゃない人にもみえてしまいます。手塚氏の作品群を特色づける物として、手塚さんの"SFマインド"みたいな物に目が行かないあたりも不満。アメリカもソ連も宇宙船を打ち上げていないころ、すでにリアルな宇宙船を描いたからといって感心してはりますけど、戦前からアメリカにはパルプ・マガジンという壮大な想像力の暴走(笑)の場がありますし、その事を手塚さんが知らないと考えるほうがおかしいですって。

 あまりにも手塚氏を神格化するような記述が端々に見受けられ、僕としては読んでて却って不快感ばかりがつのる一冊でした。同じく手塚氏を扱っていながら、自分が目をかけた若い作家たちが、自分にできないさまざまな新しい表現を生み出していくことに時にいらだち、時にあせる手塚氏の"揺らぎ"みたいな物までも見つめた、夏目房之介さんの「手塚治虫の冒険」の方が数段上だと思います。すくなくとも、数段手塚治虫という人が好きになれるはず。自分が大好きな人を誉めているのにどんどん不快になってしまう不思議な本。

 手塚さんの膨大な作品を研究するのは大事なことですが、それ以上に手塚さんが切り開いたマンガという広大な地平にももう少し目を向けてはいかがでしょうか。ご自身の専門分野であるファウストに関する下りはなかなか読み応えがあるのですが、総じて読む価値ないような気が。すごく残酷な言い方ですが、長谷川氏が最初に挙げたような「誤解」は、その正体は自然にマンガを読み、これまた自然にその文脈(ああいやな言葉だ)を踏まえることのできない人々のみにあてはまることで、そういう人達は自然に消えて行くものです。もう0.5世代ぐらい世代が入れ代われば、長谷川さんの心配(ちうか杞憂)は本当に笑い話でしかなくなると思いますよ(^^;)

99/8/31


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