表紙 「町工場 世界を超える技術報告」
 小関智弘 著
 写真撮影 飯田鉄
 地図提供 人文社
 カバーデザイン 大野鶴子+Creative・Sano・Japan
 小学館文庫
 ISBN4-09-403421-8 \476(税別)

 東京大田区。八千を超えるちいさな工場がひしめくこの界隈で、みずからも旋盤工として腕を揮いながら町工場の街を舞台にした小説やルポを発表してこられた小関智弘さんが、約10年にわたって書いてきた、町工場の街とそこで働く人々を取り巻くさまざまな物語。

 大企業がその製造コストを押さえるためにさまざまな仕事を、こういったちいさな町工場に出していること。好景気のときは殺人的な忙しさ、不況になると真っ先に切られてしまうことから、こういった町工場がテレビなどで紹介されるときには、やや暗いトーンで、"社会の底辺でもがく人々"的な描かれ方をする事が多いのですが、実際にそこで働く小関さんやその他数多くの、自分の腕一本で生きている職人さんたちにとっては、ことはそんなに単純なものでもないようで。

 そこで培った、大企業がとうてい太刀打ちできない職人技を武器に生き残りを図る工場。昔ながらに"横"のつながりを大事に、大きくなろうとするのでなく、現状維持を主眼に日々を送る人々………。それは単純な"下請け"なんて言葉で引っくるめて言えるようなモノではないのですね。

 この手の"職人さん"関係のお話っていうのは、ホントにいい言葉の宝庫なんですが、この作品にもとても良い文章がいくつもあります。ワタクシばらが何を言うよりも、職人さんたちの言葉の一つ一つのほうがはるかに重みと味わいをもっておりますな。

 技術は、それだけを追及しようとすれば、究極的には自己否定をするというこわい性質を孕んでいる。産業用ロボットは工場無人化を産んで、"工場"そのものを否定する。農業の高度の機械化が土を破壊し、やがて農業を否定してしまう。目先の利益だけを生むことだけに技術を奉仕させれば、技術は凶器にもなる。
 三十五年の熟練工と人は言うけれど、三十五年前に習った技能を、三十五年間磨き上げたというのではない。少し逆説的に言えば、この三十五年間たえず自分の技能を否定しつづけてきた。否定しなければ更新することができない。

 そして、これは町工場といわず、あらゆる仕事に通用するであろうこんな言葉。

 人に伝えることができないような技能は、それ自体が未熟だからだ。長い旋盤工生活のなかで、わたしはいまそう思っている。技能は、それを獲得してゆく過程で常にそれを人に伝える方法をも孕ませて育てているのでなければほんものにはなれない。これからの熟練はそうあるべきだと思う。

 いい言葉だし、なにかこう、ずしりと来る言葉でもありますねえ

99/8/20


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