表紙 「5日でわかる世界歴史」
 羽仁進 著
 カバーデザイン 大六野 雄二
 カバー写真 ヒエログリフ/PPS通信社
 小学館文庫
 ISBN4-09-403601-6 \752

 映画監督堵して有名な羽仁進さん、娘さんである羽仁未央さんに対する自由な教育方針でも有名な方ですが、そんな羽仁さんがわかりやすくまとめた人類の歴史の本。5つの章に分かれていて、一日一章づつ読んでいけば、5日で人間の歴史のキモがなんとなくつかめ………ません、残念ながら(^^;)。

 非常に噛み砕いた語り口と、人間の歴史を先史時代、古代〜中世、近世〜現代と大きく三つに分け、先史時代以降の文明を"第1ラウンド"、"第2ラウンド"と大きく分け、現代とは文明の第2ラウンドの爛熟期(すなわち終わりに近い時期)と捉える切り口はなかなかのものだと思うのですが、なんといったらいいか、これ一冊で世界の歴史の概要がつかめる、というところまでは残念ながら行っていないようで、これは中学や高校で一通り世界史を学んだ後に読まないと結構しんどい本といえるかも。実は夏休み中の息子に読ませてみようかなと思って読んでみたんですが、ちょっと中一には敷居が高いかもしれん(^^;)

 どちらかというと、ですから、あまり若い人にはお薦めできないかもしれないのですが、いいところもたくさんある本です。人間の歴史をエゴイズムと正義のせめぎあいの歴史と捉える、というのはなかなか新鮮ではないでしょうか。「民族」という意識じたいがエゴイズムに満ちあふれたモノであるとする考え方は、かなり説得力のある考え方だと思います。

 人間の歴史のなかで『民族」と言う意識は、「彼(あいつ)奴ら」に対する、「われわれ」から生れてきた、といわれます。つまり「敵」のほうが最初にあって、それから身を守ったり、やっつけるための仲間が生れた、というのです。

 「民族」なんてのはなかなかどうして、ロマンチックな響きを持った、ある意味ポジティブな感じを受ける言葉なんですけれども、よくよく考えてみれば、その「民族」という言葉の陰で、歴史上でどれほど多くの血が流されてきたかを考えれば、たやすくこの言葉に美しい響きを感じてはいけない、ということでしょうか。「民族」だの「国家」だのという言葉、昨今のこの国でもなにやら声高に叫ばれていますが、羽仁さんはこんなことを書いています。

 二十世紀を通じて、変質しつづけたものの一つが、「国家」です。かつては統一のために反抗者を抑圧する権力の装置といわれた国家。外国と競争し、戦う装置としての国家。二十世紀の後半には福祉の装置としての国家の役割が大きくなりました。福祉は、公平を規範として、あらゆる差を認めない。つまり「彼奴ら」をつくらないことをめざします。しかし、そのような国家の福祉化と平行して、民族主義が台頭し、「彼奴ら」と「われわれ」の差を先鋭にしてきたのは奇妙なことです。

 「国家」にしろ「民族」にしろ、そのときどきでその言葉がもつ意味合いは変わってくるもの。それをことさらに「決まり」にはめ込むことの無意味さも含め、いろいろ考えさせられるところもある本です。でもやっぱ一冊で世界の歴史を把握するのはちょっと無理があるか(苦笑)。特に現代史が手薄に感じるのはちと辛いかもね。


99/8/18


今月分のメニューへ
どくしょ日記メニューへ
メインメニューへ