表紙 「大西洋漂流76日間」
 スティーヴン・キャラハン 著/長辻象平 訳
 カバー写真 フォレスタ/大野晴一郎
 カバーデザイン ハヤカワ・デザイン
 ハヤカワNF文庫
 ISBN4-15-050230-7 \720(税別)

 海難事故で漂流を余儀なくされた人間が生き延びることのできる平均日数は、3日間なのだそうです。たとえ水や食料があったとしても、体力的な問題よりも先に精神的な問題から、ヒトは簡単に死んでしまうのだそうで。

 ヨットレース中のアクシデントで愛艇を失い、ただ独り救命ボートで76日間にわたる漂流のすえ、奇跡的に生還を果たした著者の手記。我々が想像する事しかできない、孤独な漂流というもののこまごましたところが描かれていて(不謹慎な話ですが)興味をそそられる一冊です。

 たとえばゴムボート。当然その底はゴムの地な訳です。それは想像できますよね。でも、その底は当然柔らかくて、そこに大型の魚がぶつかってくるとボートの乗員に強烈な衝撃がつたわってくる、なんてことは実際にその船に乗って、魚にぶつかられなければわかりようがないですよね。なんかそういうディティールが新鮮で、なんというか、一種のサバイバル本であるのに関らず、たとえば"コン・ティキ号漂流記"を読むような、海洋の神秘と驚異も存分に味わうことができるのが面白いところ。"3日間でたいていの人間は死んでしまう"過酷な環境のもと、自分の正気を失わないように、との目的もあって綴られた文章が元になっているせいか、ことさら冷静を努めた文体によるところも大きいのでしょうね。

 とはいえそこは死ととなりあわせの極限状況。通常の安穏とした日常で暮らすものの想像を超えた世界、心の動きなどもやはりしばしば現れます。感慨深く読んだのは、自分が餓死寸前の状況であるにもかかわらず、捉えた魚を殺すときに押さえようもない罪悪感を感じてしまう著者の心の動きを綴った下り。自分が生きるか死ぬかの瀬戸際でありながら、目の前の小さな生き物の命を奪うことに言いようのない罪悪感を抱いてしまう人間って生き物。不思議で、おそらく救いがたいおバカさんで、でもとても愛らしい生き物なんでしょうね(^^;)。


99/6/9

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