コンサドーレ札幌のあらまし
  第1版:1999/ 2/13
  第2版:1999/ 3/ 8
  第3版:2000/ 1/23 1999年の結果を追加
  第4版:2000/ 3/29 「Jリーグ公式記録集2000」を参考に一部修正
  第5版:2001/ 4/15 主に2000年分について追加



 北海道初のプロスポーツチームとして誕生した「コンサドーレ札幌」の前身は「東芝サッカー部」
でした。1995年のシーズン終了後、札幌の一部の経済人らの要請により札幌への移転が決定しま
した。移転2年目の1997年にJFLで優勝し、Jリーグ昇格を果たしました。


《年表》

 1935年 東芝堀川町サッカー部として創部(本拠地は神奈川県川崎市)。
 1978年 古河電工千葉との入替戦に勝利し、日本サッカーリーグ2部昇格。
 1980年 日本サッカーリーグ2部優勝。日産自動車との入替戦に敗れ1部昇格ならず。
       1980-81シーズンから「東芝サッカー部」へ改称。
 1981年 7月19日、第6回JSL杯決勝で強豪・三菱重工業と対戦。3−3のあと延長戦でも
       1−1(合計4−4)となり引分け、両チーム優勝となる。
       東芝にとって初めての公式戦タイトル獲得)
 1983年 日本サッカーリーグ2部準優勝。本田技研工業との入替戦に敗れ1部昇格ならず。
 1989年 日本サッカーリーグ2部優勝。1部昇格。
       (※1985-86シーズンより入替戦が廃止され自動昇格となった)
 1992年 Jリーグ発足。プロ化を見送ったため、日本フットボールリーグ(JFL)1部へ参加。
 1994年 この頃、札幌市で「札幌にJリーグを」という署名運動が行われる。
 1995年 シーズンオフに北海道移転の話が浮上する。
 1996年 運営会社を「株式会社北海道フットボールクラブ」として札幌移転。
       東芝は運営から撤退。
       チーム名を公募により「コンサドーレ札幌」へ改称しJリーグ準会員となる。
       JFLは5位に終わりJリーグ昇格ならず。
 1997年 ウーゴ・フェルナンデス監督招聘。
       3月のヤマザキナビスコ杯予選リーグを準会員として初めて突破、ベスト8進出。
       JFLを圧倒的な勝利数で優勝を果たし念願のJリーグ昇格。
       FWバルデスは41得点のJFL新記録達成。
 1998年 Jリーグ第1ステージは16位、第2ステージは10位。
       10月:金銭トラブルによりフェルナンデス監督解任。後任は石井ヘッドコーチ。
       12月:J1参入決定戦で4連敗しJリーグ2部降格。
 1999年 前日本代表監督・岡田武史氏を監督に招聘。
       6月:FW吉原宏太がシドニー五輪アジア地区1次予選に出場。
       7月:日本が招待されていた南米選手権にFW吉原宏太が出場(札幌から初の日本代表)
       8月:GK藤ヶ谷陽介がU-18の国際大会・SBS杯に2試合に出場。
       11月:J2リーグで5位に終わる。
 2000年 1月:GK藤ヶ谷陽介がU-19の国際大会・ジャパンユースカップ2000に1試合出場。
       6月:アジアユース1次予選にGK藤ヶ谷陽介とMF山瀬功治が出場。
       8月:U-19の国際大会・SBS杯にDF中尾康二とGK藤ヶ谷陽介が招集され、ともに2試合に出場。
       9月:U-19代表の中国遠征にGK藤ヶ谷陽介が参加。
       10月:第39節の湘南戦にてJ1昇格決定。第40節の大宮戦にてJ2優勝。
       11月:アジアユース選手権(U-19)にGK藤ヶ谷陽介とMF山瀬功治が出場。
       12月:天皇杯で初のベスト16進出
 2001年 2月:U-20の香港国際大会代表にGK藤ヶ谷陽介・MF山瀬功治に加え、新人のMF今野泰幸が選出。
       3月:U-20の国際大会・ジャパンユースカップにGK藤ヶ谷陽介・FW山瀬功治・MF今野泰幸が出場。
       4月:U-20代表のアルゼンチン遠征にGK藤ヶ谷陽介・FW山瀬功治・MF今野泰幸が参加。



 コンサドーレ札幌・資料室 目次へ