阿波の秘境を訪ねる〜夏のツーリング2012(徳島県三好市祖谷)


 ツーリングの相棒がベム子から銀子に替って初めての夏…。この夏は、GWの林道ツーリングのときにリベンジを誓った四万十川流域をオンロードバイクで爽快に走ろうと目論んでいたのが、お天気の関係で二泊の日程が取れない可能性が出てきて、それではと、急きょ一泊で無理なく走ることができる目的地を探しはじめたのが当初の出発予定日の二日前…。最初は室戸岬でも回るかと地図を広げてみるがどうも気分が乗らない。どうして気分が乗らないのかよくわからないままツーリングマップルのページをめくっていると落合峠という文字が目に入り、近くに落合集落の説明を見つけてネットで検索してみた。検索した記事のいくつかを読んでいるうちに、先ほどまであれほど弾まなかったツーリング気分が一気に高揚してくるのを感じて自分のことながら少し驚く。ゴールデンウィークの初めに出かけた智頭の街も何かの本で偶然に見つけた目的地だった。旅の始まりなんてこんなものなのかもしれない。天気予報とにらめっこしながら最後まで二泊の可能性を探ったが、目の前にある土砂降りの雨を見てようやく諦めることにする。後で知ったことだがこの雨で関西方面は大きな被害が出たとのこと。そしていよいよ出発の朝、どんよりと曇っていたがもうこれ以上待つわけにはいかない。2012年の夏のツーリングはこうして幕を開け、8月15日午前7時少し前、お盆休みでまだ半分眠っているような街へ飛び出す。


 いつものように最初は退屈な高速道路の移動区間だ。退屈なのに違いはないが道が広島県境を越える頃には青空が広がってきて、そうするとバイク乗りという生き物は現金なもので、気分はすでにるんるんというわけである。そして300kmほどの移動区間をあまり苦もなく走りきり、瀬戸大橋与島SAで大休止。ここで二度目の朝飯代わりに讃岐うどんをいただく。橋を渡りきって善通寺ICを下りたらそこは僕が少年時代のひとときを暮らした街だ。もう40年近く前の記憶だが、目の当たりにすれば瞬時に甦るその頃の情景が懐かしく、当時とあまり変わってないように見える街の様子を眺めながら走れば徐々にツーリング気分は高まっていくのだった。


 善通寺の街を過ぎるとすぐに琴平の街を走ることになる。7月の連休に30年ぶりくらいの金毘羅参りに来て、例の石段で文字通り絞り取られるほどの苦行を経験した。なのでまだこの辺りの景色は記憶の中に残っている。この街に入って一番最初に見つけたGSで愛車にガソリンを食わす。山口からここまで給油なしで来られる足の長さが嬉しい。しばらく走ってR319からR32に乗り換えて徳島県境を目指す。道は街道の趣を残していて、こういう道筋と風景の中を走っていると「あぁ、ツーリングしてるんだなぁ」と妙に嬉しくなるのだった。云わばありきたりの田舎道ではあるのだけれど、その田舎の風景はどこへ行っても微妙に違っていて、その風景の中に身を溶け込ませ、風景の一部になることができれば、ツアラーとしてこれ以上の喜びはない。香川県と徳島県の県境は猪の鼻峠のトンネルの中だ。小学校6年生の時、僕は善通寺から自転車を漕いできてこのトンネルをくぐり、徳島県側の景色を少し見て帰ったことがある。その当時が今ほどのくるま社会じゃなかったのは間違いない、でも、この狭い峠道を走っている小学生の自転車はさぞ邪魔だったろうと、この日ここを走りながら当時を懐かしんだ。


 峠道を走っていて、銀子の乗り心地が普段よりも柔らかいことに気がついた。ベム子の乗り味に近くなっている。そういえばフルパニアにキャンプ道具満載で走るのはこのツーリングが初めてだ。乗り心地の良さはどうも荷物の重さに関係があるようだ。そういえばサイドスタンドを立てたときの駐車角度が浅くて何度か場所を変えたのもこのことが原因に違いない。荷物を満載した方が乗り心地が良くなるということは、ツアラーの素質があるということだろう。猪の鼻峠を下って池田の街で早めに今夜の買い出しを済ませて、いよいよ阿波の秘境へ向けて舵を切る。


 しばらく吉野川沿いに走って、山へ向かって右へハンドルを切った後、落合峠を目指して南下する県道は走る車もほとんどなく、何回も何回ものた打ちながら標高を稼いでゆく。振り返れば眼下に四国三郎吉野川の滔々たる流れ、目の前には阿讃山脈の山々、そして目指す方向を見れば剣山系の重畳が頭を雲の中に隠し、その山肌にはへばりつくような天界の村々が見えた。


  深渕という集落の跡を通り過ぎ、ひと気の感じられない道を黙々と走る。ここまでもう累積標高差は相当なものになっているはずだが、僕が地図を見てこの道のことをネットで調べたとき、検索にヒットしたのは自転車でこの界隈を巡る人達の書かれた記事だった。この標高差を自転車で…。とても僕には真似できそうにない。
 途中でぽつぽつと降り始めた雨は視界にまとわりつく霧へと姿を変え、ようやくたどり着いた落合峠はまさしく霧の中にあった。標高1520m、我が山口県ではこの高さを経験することはできない。晴れれば絶景の峠であるらしく、ここまで僕を先導してくれるように前を走っていたアメリカンのライダーは峠に佇んで残念そうに虚空を眺めていた。


 霧に覆われ、水滴混じりの強い風が越えてゆく峠で、先客と話をしながらしばらく粘ってみたが霧は晴れそうにもなく、しかたなく僕は峠を下ることにした。下りはじめてヘアピンカーブを五つも曲がる頃には、あれほど強く吹いていた風の気配もなくなり、薄日が射すほどに天気が回復してきた。いや、回復してきたというよりは、僕が峠で風に抵抗していたときにもここの天気はこんなだったに違いない。ということは、この天気に騙されて上り返しても、また霧の峠で途方に暮れるのはわかりきったことだ。振り仰いで見れば山の稜線辺りは未だ雲の中に隠れて見えはしない。残念だがここで峠からの景色は完全に諦めて、後ろ髪引かれつつもこの日は麓まで下りることにした。途中、落合集落への標識に導かれて天界の村へ立ち寄ってみる。


 落合集落は山の斜面一面に家や畑が開かれた集落で、四国、特に徳島、高知の山岳地帯に足を踏み込めばこういう集落を目にすることが多い。標高差が390mあるという落合集落の一番上の家があるところまで上って辺りを見回すと、谷を挟んだ反対側の山の斜面にも同じような集落があるのが見える。聞けばそこには今いる落合集落を見渡すことができる展望所があるそうだ。せっかくなので行ってみることにする。そこは目の前に、肉眼で東屋が見えるほど近くにあるのだが、間には深く切れ込んだ谷があって、その谷底に酷道としてあまりの有名な与作、R439が川の流れとともに蛇行している。


 集落の中には「里道」という通路が上下方向と水平方向に付けられていて、その道を骨格にして集落が形成されている。稲妻状に付けられた車道を下ってゆくと鉄板屋根の家が多いことに気がつく。これは茅葺き屋根のカバー工法とでも言おうか、古い家屋を手入れしながら使い続けている様子がよくわかる。


 先ほど落合集落のてっぺんから眺めた展望所へ行くのには想像した以上の距離を走らなければならなかった。それでも案内板に導かれてどうにか展望所まで来ると、そこには公衆トイレと東屋があって、落合集落の全貌を正面から見ることができる。重要伝統的建造物群保存地区に指定されているという落合集落のところどころに茅葺き屋根の家屋が点在していて、後で調べると茅葺き屋根の古民家が宿泊施設として甦った例もあるという。こんなところに宿を借りて一晩静かに人生を考えるのも良いかもしれない。


 四国の道はやはり手強かった。予定ではもうひとつ峠に駆け上がって景色を見るはずだったが、どうもそんな時間はなさそうだ。地図で目星をつけておいた温泉施設に併設されたキャンプ場を今夜の宿にすることにした。ここのキャンプ場は温泉宿のおまけみたいなもので、キャンパーはどうやら僕一人のようだ。少し寂しいかなとも思ったけれど、近くにめぼしい場所がないのと何よりもすぐそこに温泉があって汗を流せるというロケーションが他に替え難く、受付を済ませてごそごそとテントを設営する。


 時間が少し中途半端になってしまい、今から温泉に入って飯の支度をすれば間違いなく一人ぽっちのの夜を持て余しそうなので、時間つぶしに近くを散策してみることにした。祖谷川沿いに剣山方面へハンドルを向ける。青く澄んだ水が流れる川の向うに廃校になったらしい小学校の建物があって、掲げてある横断幕に「127年の歴史、ここに幕を閉じる」とある。127年前と言えば明治だろうか?時は川の流れのごとく滔々と流れゆき、その流れが築いた歴史の中で形あるものは役目を終えれば朽ちてゆくのみである。が、そこにあった営みは人々の記憶の中にいつまでもとどまり、この地に残る平家伝説のように語り継がれるに違いない。


 さらにしばらく走ると突然に多くの車が駐車してあるところに着いて、そこは奥祖谷の二重かずら橋のある場所だった。元祖祖谷のかずら橋には翌日訪れて、あまりの観光地化ぶりにあきれたのだが、ここはアプローチの悪さもあってか人出もさほどではなかった。実はここにもキャンプ場があるらしく、この日の宿の候補になっていたのだが、サイトにアプローチするのにキャンプ道具を持ってこの橋を渡らないといけないという情報を得て候補から外したのだった。身一つで渡るにもけっこうなスリルがあって、この判断は正しかったと渡ったときに思ったわけだ。


 二重かずら橋を足早に観光して、そろそろ夕暮れが近づいてきたのでキャンプ場へ戻ることにする。帰り道の途中、来るときに見かけたかかしの里へ寄り道をしてみた。バス停でワイワイとバスを待つ人、道路工事のおじさん、縁側に座って話をしているばあちゃん、畑の世話をしているおばちゃん、賑やかな様相を見せるこの集落の住人が、皆、かかしなのだ。この和やかな賑わいは沈黙の賑わいなのである。僕はバイクを停めてしばらくそんな賑わいの中を歩き回る。聞こえてくるのは吹き抜ける風の音だけだ。沈黙の賑わいはそこにあるものすべてが沈黙することによって心安らぐ場所となる。僕が日常の社会生活の中で常に感じている疎外感はここにはなく、奇妙に暖かく、暖かいけれど少し寂しい、寂しいけれど心穏やかに受け入れられる、そんな居心地のいい空間であるように思えたのだった。


 キャンプ場へ帰って半ズボンに着替えて温泉に入りに行く。風呂など2,3日入らなくても何ともなかった若い頃とは違って、キャンプの夜ですらあたりまえのように風呂を求めてしまうのは、やはり、長年築いてきた日常から、そう簡単には抜け出せない年頃になってきたのだろう。思えば若い頃というのは「日常」というもの自体が存在しなかったように思う。風呂に入ってさっぱりしたついでにレストランで夕飯も食べてしまった。どうせ一人きりの夜だ。


 特別にロケーションのいいキャンプ場というわけではなく、おまけに他にキャンパーのいない独りぼっちの夜だったが、山と山の間の狭い夜空には、しばらくご無沙汰だった満天の星空が広がった。空にこんなにたくさんの星があることを知っているだけで何か得をした気分になるものなのだ。満天の星空は、明ければ絶好のツーリング日和になることが約束されたのも同じこと、翌日のシーンを想像しながら気持ちよく寝られたことはいうまでもない。パンとコーヒーとスープというキャンプの朝の定番メニューで朝食を済ませ、さっさと撤収開始である。スタイルがシンプルなだけ撤収も早く、明け方の涼しい風に吹かれながら前日のリベンジのために再び落合峠へハンドルを向ける。


 ダートのほうがまだましなんじゃないかと思えるほどに荒れた路面に手こずりながらゆっくりと上ってゆく。どんな峠を上ってもその道筋にはドラマがあって、峠からの景色が期待できるときには上った高さに比例するように心のテンションも上がってくる。前日霧の中だった落合峠はこの日、すべてをさらけ出して僕を迎えてくれた。目の前には剣山系の山々が峰を連ね、振り返れば瀬戸の海が彼方に見える。


 峠から左右を見れば稜線上に延びてゆく一筋の踏み跡が僕の魂を誘う。今日ののような爽やかに晴れた日にこの天空の路を歩けば、きっと日常を生きる間に蓄積された心の澱などすべて洗い流されてしまうことは請け合いだが、残念ながらそこまでの時間の余裕がない。


 人っ子ひとりいない峠で見渡す限りの展望を独り占めしてしばし座りこむ。ここをこのツーリングの第一目的地と決めたとき、急に心に湧いてきたツーリング気分を思い出す。近頃はツーリング用のバイクでダートを走ることもなくなったが、ダートを走らなくてもやっぱり山の中を彷徨うのが僕のツーリングスタイルなのかと改めて考えさせられる。こと夏のソロツーリングに関していえば、一般的な観光地を巡るツーリングの予定を立ててみても心が弾まないのだ。


 落合峠でゆったりと時を過ごし名残を惜しんだらもう一度落合集落へ戻る。昨日見過ごした重伝建の家並みをゆっくりと見学するためだ。とはいえ、当然のことながら現在も人々の営みが存在するわけだから、あまりじろじろと見るわけにはいかない。興味のある建築の工法だとか、この地方独特の造りなどは、幸い文化財として公開されている建物があったのでそこでじっくりと見させていただいた。僕自身、四国西南部の山村にルーツを持っているわけで、もう本当に微かな記憶となってしまったが、幼い頃に訪れた祖父母の住む家は、こことは形が違うものの同じ時代の香りがあったように思う。


 この日の次の目的地、京柱峠を目指して酷道与作を走っていると、「平家屋敷」への案内板が出ていたので、そちらへハンドルを切る。山深さにはもう慣れてきたが、「こんなところに??」と思うような場所に突如、集落が出現してびっくりするのは相変わらずだ。そしてこの平家屋敷、現在でも平清盛の子孫が住んでおられるというのを知ってまたびっくり。我が山口県の東部にも平家ゆかりの地が存在するが、そこには平家屋敷跡という看板が立った広場があるだけなのだ。僕が知識として知っている平家伝説では壇ノ浦の戦いに敗れた二位の尼が幼い安徳天皇を抱いて海に入って平家は滅亡、だが、ここの平家伝説は屋島の戦いで敗れた平家の落人が安徳天皇を連れてこの地へ隠れ住み、安徳天皇はここで亡くなったとされている。


 つかの間、歴史のロマンを楽しんだあと、再び元の道へ戻り京柱峠へのつづら折りの道を時間をかけて駆け上がる。R439を象徴するような酷道悪路だ。


 もう数えるのもうんざりするほどのカーブを曲がり、曲がりきったところからほんの少し伸びている直線でシフトアップしたと思ったらすぐに次のカーブがきてシフトダウンして…、何十回もそんな動作を繰り返しているうちに両側に景色が開けた場所に出て、標識を見るとここが京柱峠のようだ。道路を見回りに来ていた土木事務所の方と少し話をした。この峠は徳島高知の県境であり、峠から一本ダートが延びている。ここはオンロードツアラーの銀子に乗ってきていることを、行ってみたい気持ちを抑えるための言い訳にして自分を納得させるわけだが、実は銀子には意外とオフロードを走る性能が秘められているのではないかと、ある程度慣れてきた頃から思い始めている。まだ新しいので思うだけで済んでいるのだが、この先、ひょっとしたらダートも走れる山岳ツアラーに大化けさせてしまう可能性もまったくないわけではない。


 峠には茶屋が一軒あって、猪肉うどんがうまいことで有名らしい。さっそく暖簾をくぐって御主人に猪肉うどんを注文する。


 うどんが出来上がるまで座敷に座って外をぼんやりと眺めた。ゆっくりと時が流れる。やがてうどんが出来上がってきて、さっそく手を合わせていただくと…、噂通りの美味しさで思わず顔がほころぶ。ツーリング先でうまいものにありつける嬉しさは、たとえそれが一杯のうどんであっても格別のものなのだ。食べながら御主人と少し話をさせていただいた。いくらうまいうどんを出すとはいえ、麓からここまで来る人がそう多くあるとは思えず、商売にはならないだろうなぁとそんなことを尋ねてみると、やはり、採算は度外視、自分の健康のために毎日麓からここまで上がってきて店を開くのだと答えが返ってきた。この味、町場で店を開けばけっこういい商売になると思うんだけど…、というのはやはり我々凡人の浅はかな考えなのだろう。ここまで来てこの景色の中で食べるのが、このおいしいうどんをいただく作法なのかもしれない。


 うどんを美味しくいただいた後、ご主人のお話をしばらく聞かせていただいて峠の茶屋を出た。登ってきた分ほどは下りなければならない。峠からの景色を堪能し、美味しいうどんに舌鼓を打った後だったからか、下りには上りほどのうんざり感はない。R32に合流するまで与作酷道に付き合って、しばらく北上したらすぐにまた徳島県へ逆戻りだ。


 祖谷のかずら橋を今日の最後の観光にするべく大歩危からふたたびR32を離れる。途中で平家屋敷の看板を見つけて、ちょっと寄っていくことにした。入ってみると、中は民俗資料館のようになっている。ここも例に洩れずずいぶんと歴史を感じさせる建物だったけれど、つい何時間か前に平清盛直系の子孫が現在も暮らしているというインパクトの強い平家屋敷を見ているだけに、少々のものを見ても動じない?妙な免疫ができてしまったようだ。


 それにしてもかずら橋へ続く県道はずいぶんと道が整備されたように感じられた。前に来たのは確かまだ学生の頃だったから、その頃の様子に比べてきれいに整備されているのは、まぁ、当然と言えなくもないが、後にかずら橋に着いた時に日本三大秘境と呼ばれる祖谷も見事に観光地化されてしまったことを思い知ることになる。


 かずら橋の手前に立派な建物が見えて、ほとんどの車がそこの駐車場へ導かれてゆく。バイクも例外ではない。かずら橋へ行くには建物の中を通るのが一番わかりやすく、お分かりのようにその通路自体が土産物売り場になっているという設計なのだ。


 バイクを停めて歩いてみればすぐにわかるのだが、別にその建物を通らなくても、古くからの駐車場は下にもあるわけで、その目の前に塞がって訪れる観光客を効率よく導く仕掛けというのは、どこの観光地へ行っても少なからず存在するわけだ。だが、某所のように無料駐車場の看板を掲げて客を誘導しておいて、観光帰りの客が土産物を買わなければ車のカギをなかなか返してくれないような施設とは少し違うみたいだ。なので帰りに設計の意図に導かれるように祖谷蕎麦をお土産にいくつか買った。


 その土産物屋兼駐車場をかずら橋側から見るとこんな感じで、もう秘境もへったくれもない。が、正直なところ峠を下りてきてからまたとろけそうな暑さに炙られて走ってきたわけで、冷房の効いた館内はもう外へ出たくなくなるほど快適なわけである。


 あからさまな観光地化を目の当たりにしてすでに見学したい気分もほとんどなくなっていたが、まぁ、せっかくだから見ていこうと橋のところまで来た。御覧のように金を払ってまで渡りたいと思える代物ではなかった。これではまるで遊園地のアトラクションだ。一気に興醒めて証拠写真だけを撮ってそそくさと駐車場へ向かって歩きだす。僕がまだ小学生だった頃に家族でここを訪れたことがあって、そのときにかずら橋の下の川で泳いだ記憶が残っている。かずら橋自体はがっかりするほど俗化されていたけれど、渓流の透明度だけはその頃と変わっていなかったように思えたのがせめてもの救いだった。


 そろそろ帰らなくてはいけない。R32へ戻った方が時間的に早いのは間違いないがK32を北上することにした。断崖絶壁から深い谷底へ下りたところにある露天風呂が有名な祖谷温泉にもケーブルカーがない昔入ったことがある。まだ、親が今の僕よりもはるかに若かった頃の話だ。


 有名な小便小僧は子供のときに見たままの姿で深い谷を見下ろしていた。40年に近い歳月が流れて、僕は身も心もいいおじさんになってしまったが、小僧は相変わらず小僧のままだ。つかの間の郷愁を感じた後、僕は夏のツーリングを終えて日常へ帰り始める。今年の夏も暑かった。そしてまた今回もいい旅に恵まれた。

2012年8月15日〜8月16日