正月スキーで負傷!
滑れなくなるほどの怪我って、スキー歴30余年にして初めて!!
 正月の野沢スクールでやっちまった!

 1999年12月31日から2000年1月3日の野沢スクール、元旦はガスってたけど2日は朝から気持ちよく晴れ、みんなと朝一にスカイライン。日影に戻って集合時間の10時まではまだあるので正面のリフトを一本。ボーダー対応か巨大なこぶ?うねり?ギャップ?クローチングでかっ飛んで、よせばいいのに踏み蹴ったら思った以上飛んでしまった。感じとしては、高さ2〜3m、距離15m〜。そんなにはないかなぁ、いや、ありそう。

 今年からスクール用に177cmのカービングの板を導入。履いた感じは確かにカービング!よく曲がる!!でも、気持ちいいし、飛ばしても怖くないし、僕にかかれば所詮、板は板。と思っていた。
 でも、初日(大晦日)、2日目(元旦)と2日間滑っただけで太股がパンパン。今考えれば、長さ(短さ)からの恐怖心か、無意識のうちにポジションが少し後ろになっていたのだろうか。

 空中に投げ出され、うわっ、とっ、飛び過ぎっ!と思った直後に見えたのは遠くの山&空。そう、ど後傾のまま、腰?背中?から雪面に叩き付けられた。

 ものすごい衝撃。やっちまったぁ〜!!斜面を滑り落ちていく感覚。板は両方外れたようだ。無意識のうちに体をひねり、膝と両手を付いて腰を丸めた姿勢。息ができない。腰がものすっごく痛い。

 とりあえずの痛みってあるよね。たんすの角に足の小指をぶつけたときとかも、すっごく痛いけど、20秒位すると、とりあえずすっごく痛いのだけはひく。当然ぶつけたのだからその後も少しは痛いんだけど、、、

 でも、この時のとりあえずの痛みがひくまでの時間の長かったことといったら、、、
 気が動転していただろうから時間の感覚ってのもだいぶいいかげんかもしれないけど、1分位は身動きできずにじっとしていたかも。でも、リフトから丸見えだし、カッコ悪いから、左の手袋はずして袖に入った雪払ったり、耳に入った雪を取ろうと頭振ったり、「生きてます」ってことちょっとアピールしてみたりして、、、

 そうこうしているうちに、やっととりあえずの痛みがひいてきて、でもまだ痛くて痛くて、力がまったく入らなくて、両ストックを支えにして両足で立ってみて、少しずつ登って板を拾いに行く。最初にゴーグル。5m位上がったところで一本。もう一本はさらに5m位上、3m位右。でも、そこへたどり着く前に、見かねたボーダーが板を拾ってくれた。感謝するとともに、「ボーダーに板を拾ってもらうようじゃ、、、」って情けなくなった。見ればビンディングはどちらもトーピースが解放した模様。ど後傾でクラッシュした証拠。

 動きは完全にでんでんむし状態。のろのろと板を置き、のろのろとヒールピースを開け、のろのろと板を履く。板さえはけばどうにかなるもので、でもやはりのろのろとパラで流して下まで降りる。

 下では僕の班より30分集合時間の早いほかの班が既に集まっている。そこまで行き、大転倒して腰を痛めたことを告げる。ゲレ食へ入り、僕の班の集合まで様子を見ることにする。入り口の3〜4段の階段すら上るのに一苦労。左足は踏み出せない。右足で上り、左足はその段にそろえるだけ。2歩で1段ずつ上る。

 食堂の椅子に座っているのもつらい。そう、そう言えばお尻も痛い。左側。きっと、左のヒールピースの上に尻餅をついたのだろう。
普通に座ってもいられず、椅子に両手をつき、体重のほとんどを手で支え、腰を浮かしたような状態で我慢する。しばらくしたが回復の兆しは見られない。それどころか座っているのさえつらい状態が続く。

 講習はあきらめ、宿に戻ることにする。ちょうどそこへ克也が到着。宿まで付き添ってくれるとか。助かる。心強い。ストックはあった方が支えになるからと、板と靴は食堂の地下に預け、持ってきてあるスニーカーに履き替え、ストックだけ持ち、そろそろと歩く。

 まだ朝も早かったことから、リフト券売り場あたりはにぎわっている。そうだ、初日に3日券を買ったのだからあと1日滑れる。列に並んでいる若者に話を持ち掛ける。最初のグループはクーポン券持参で、あとは引き換えるだけだとか。次のグループで商談成立。

 湯沢神社の脇あたりから道をそれ、野沢医院へ行く。診察は10時半からだとかでまだ気配がない。診察の申し込み票と、アンケートを書き込む。とはいっても、全部克也がやってくれたんだけど。アンケートの設問で、受傷の原因というのがあり、いくつかの項目から選択するのだが、その中に「危険を軽視」というのがあり、あぁ、まさにそれ。答えて行くうちにだんだん落ち込んでしまう。しかし中には、ブーツは皮かケミカルかとか、紐かバックルかとか、かなり内容が古いようでちょっとおかしい。しかし、笑うとまた腰から背中が痛い。

 その後、まだ時間がありそうということで、克也が宿まで往復し、僕の保険証を持ってきてくれた。11時頃になり、ようやく診察。先ず問診のあと、レントゲン撮影。上半身裸になり、下も半ケツ状態。冷たい台に上がり「うっ!」とかうめきながら指示された姿勢を維持する。仰向けと横向きに2枚撮影。物の数分でレントゲン室の外に設置されたコピーマシンのような装置から撮影された写真が現像されて出てくる。再び呼ばれ、写真をみて下された診断は、

  「はいっ!!第12胸骨、第2腰骨の圧迫骨折の疑いあり」

 ガガァーン!!ついに篤志のことを言ってられなくなってしまった!!しかし、疑いありという程度であり、詳しくはMRIなどで見ないとわからないそう。処置は、テーピング、湿布、その上からさらし固定。しかし、さらしを巻いてしまうと今日は風呂に入れなくなるので、入っていきなさいと言われ、診療所内の温泉に入れという。タオルと石鹸を持たされ、風呂場へ。風呂場は脱衣所からして寒く、しかし、温めてはいけないとかで湯船にも入れず、かけ湯程度で草々に出る。でも、パンツや靴下履くのがまたまた一苦労。診察室に戻り、処置をしてもらい、炎症をおさえる薬をもらって野沢医院を後にする。

 時間はもう11時半。昼飯はどうしようかということになり、克也といっしょに王龍でラーメンと餃子を食う。その後、克也は山へ戻り、僕は宿でごろごろ。すべれなかった代わりに、大学ラグビーの準決勝2試合を見ることができた。


 次の日は検定だったがおとなしく宿で待機。どうせ時間がかかるだろうと、帰る支度を始める。板は後回しにしてバッグの方を先に片づけ、大体OK。

 11時頃にもう一度来いと言われていたので、野沢医院へ向かう。問診の後、湿布を取り替え、帰ってから整形外科にかかるための紹介状を書いてもらう。撮ったレントゲン写真のコピー(デジカメ撮影→プリントアウト)ももらう。


まるケンのスケルトンモデル発表

 宿に帰る途中、昼飯代わりにお焼きを買う。野沢菜、シメジ野菜、ダイコンの三種。部屋へ戻って食べているうちに早めの人が帰ってくる。皆口々に「大丈夫?」と声をかけてくれる。

 その後、靴をバッグに入れ、バッグの方は完成。板もふいて、、、って丸2日ほど乾燥室にあったのでふく必要なんてどこにもなかったけど、エッジの錆止め塗って、ケースに入れて、宅急便のビニール袋に入れて、伝票ぶら下げて、、、

 帰りは高速の途中、佐久SAから家に電話し、怪我のことを伝え、帰る頃にもう一度電話をし、最寄りの駅まで車で迎えに来てもらい、家に帰った。


 さて、翌4日、正月ぼけでのんびり昼頃まで寝て、知り合いの外科をたずねるが、5日まで休み。医者には行けず帰宅。近所の外科を電話帳で探す。MRIの設備のありそうな大きいところをいくつかあたるが、留守電だったり、電話にだれも出なかったり、今日の受け付けは既に終了していたり、明日はオペの予定があったりでどこもだめ。しょうがないので、ここよりでかいところはそうないぞ!とちょっと離れていたが大きな大学病院に電話をする。いくつか質問された後、5日に看てもらえることになった。


 5日は仕事始めの日。病院に着いてから電話を入れ、半休をもらう。

 紹介状と持っていったレントゲン写真のコピーを見せたが、圧迫骨折しているとは思えないとのこと。ちょっと安心する。MRIの話になったが、そこの設備も入院患者優先で、数ヶ月先まで予約がいっぱいとか。結局、最寄りで設備のある病院を紹介してもらい、1月21日にそこでMRIを撮り、その後、それを元に大学病院で判断することになった。(だったら昨日の電話のときにそう教えてくれれば直接そこへ行ったのに!!)

 あれから既に2週間以上が経過し、背中の痛み、臀部の打撲、腰痛も次第に治まってきた。本人としては楽観的に見ているのだが、相変わらず、前屈すれば背中が痛むし、痛いあたりの背骨を触ってみると、ちょうど第12胸骨あたりがポコッと飛び出ている感じがして不安である。
 しかし、1月24日には、大学病院で最終的な診断をいただき、これらの心配も次第に解消されていくであろう。

 翌週の29、30あたりからスキーに復帰する予定であるが、これに懲りて、そこそこ安全運転で行きたい。

 お見舞いの言葉も「もう歳なんだから」以外は暖かく頂戴致しました。心配してくださった皆様、本当にご迷惑おかけしました。


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