鉄腕アトム
ろくむしTOP
遂に、というか必然なのか・・・。アトムのページを作ってしまいました。
“あそびのウンチク”にマンガは欠かせない側面でもあります。
カッコいいヒーローがいっぱいいらっしゃいましたから。

マンガにまつわるお話し、ウンチクも少しずつ載せていきたいと思います。
      
飯能「ともだち広場」のアトム銅像
ケイタイ付属のカメラのため画像悪し(-_-;)。
右の体操をしているオッサンアトムは筆者です_(_^_)_。
    
高田馬場駅早稲田通りガード下の壁画
    
早稲田通り沿いのアトム他キャラの垂れ幕
何年に発刊されたのかは不明ですが、「少年9月号」付録の“アトムのソノシート”です。
「ソノシート」って、ご存知ですかね?見ての通り、ペランペランのうすべったいレコードです。
ターンテーブルに置いて針を乗っけて聴きます。確か45回転でした。

このソノシートの他にも“組み立て式のプレイヤー”も付いていて、
自分で回転させて聴いたような記憶があるのです。
「なんと乱暴かつ楽しいことをさせたんだろう・・・(^^)v」。
中心の穴の右下に開いている穴が回転させるときに棒を突っ込んだ跡のように思います。
重ね重ね「なんていうことだ〜\(◎o◎)/!」。

「少年」はよく読んでいました。付録がまた楽しみ。しばらく退屈することがありません。

コレクターではありませんが、なぜか処分せずに今も残っていたのです。
捨てられなかったんですね。
唯一の「お宝」です^^;。
アトム考
それぞれの「アトム」に関するウンチクを紹介します。
たかだか50年先の未来  語りべ genki

鉄腕アトムって、今年が誕生年だとすると、手塚治虫はたかだか50年先の未来を描いたに過ぎないわけですね。
当時、「夢の超特急」といわれていたのは新幹線。エアーカーが行き交い、ロボットが街に溢れるとてつもない時代が50年後の世界だったわけです。
マニュアルによりプログラムされている別の意味でのロボットなら街に溢れているとは思いますが ^^; 、鉄腕アトムで定義されているようなロボットは実際にはまだ存在していません。ロビタ級でさえ存在しませんね。

この「遅れ」の原因はなんでしょうね。エネルギー源の問題もありますね。原子力は当時考えられていたような夢の燃料ではなかった。でもね、一番は、人間というものの性能に関する認識の甘さなんじゃないかと私は考えています。
アトムの中では、人間のロボットに対する優位は感情とか美的センスのような"計算できない"とされているような部分のように描かれています。
しかし、実際この時代になって分かって来た事は、そもそも"認識する"というようなごく基本的な人間としての(動物としてのか?)動作が機械には非常に難しいという事。
たとえば、食べ物とそうでないものを認識する事。動物には基本的ですが、難しいです。もっと下位のレベルで考えてみても、単純な「隠し絵」の中に単純な円やら直線やらあっても、それを認識させるのは難しいです。
人間軽視じゃないけど、数学等の「知識」というレベルで人間のやっている事を分析して行った場合どれだけ人間が偉大なのかに気付いていなかったのでしょうね。

ブラックジャックの目から見た人間は、生命の偉大さはあっても、考え、認識するというハードウェアとしての人間の偉大さは、あまりに当たり前過ぎて手塚氏には認識できなかったのでしょうね。
それとも、実現して欲しいという願望だったのでしょうかね。或いは、戦後と高度成長の初期にあって、価値観がどんどん変わってゆく中で50年という時間自体がとてつもない時間と感じられたという事なのでしょうか....。

皆さんは50年という時間をどう捕らえますか?