関西国内空港
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【FAQ】


note

Q.そこ行ってもいいの?

A.他の出入りの連中とはっきり意見交換してるわけではないですが、私としては人間が目に出来ないものに価値はないという個人的信念と、規制理由と安全面での問題などを照らし合わせて行動しています。
 規制理由が危険であるからというものであれば、自分達で安全を確保できる範囲(後から考えたら見立てが甘かったなということもあるけど)でアタックします。規制理由が環境保護目的であるならば根拠を合理的に解釈して入域するか否かを判断します。

 具体的な例では、山の斜面に巣穴を掘るオオミズナギドリという海鳥の繁殖地として知られる某孤島。ここは海鳥の保護目的で上陸禁止とされていますが、漁船やプレジャーボートと違って鼠を連れ込む恐れの無いカヤックでなら、休憩のため沿岸部に上陸してもいいんじゃないかと考えます。そこに行ってオオミズナギドリの群れが魚群にダイブする光景を目することに価値があると考えます(まあ別の理由で島にたどり着いてないしダイブもみれなかったんやけどね)。
 別の例では、環境の受容能力を考慮して、自家用車による入域を禁じたり、年間入域者数を制限するなら、大賛成でその規制に従います。
 また、オーバーユースによる疲弊が見られる地域の回復を企図したもので、禁止期間が設定されいたり、どのような状態に回復させたいのかや回復を評価する基準が明確である場合。あるいは、地域の水源であり入域により生活用水が汚染するおそれがある場合などは、入域自体を禁止する根拠に合理性がありますので立入りを控えます。

 しかし、単に「貴重な自然環境だから」という題目を玉条のように掲げて完全に入域を禁止するような規制は、多くの場合、杜撰で根拠薄弱なものであると考えます。よく検討するならば、多くの地域では年間入域者数の制限等でこと足りるのではないでしょうか。
 世界には息を吐くだけで洞内環境を変えてしまうような繊細な洞穴も確かにありますが、植生の発達した地域で入域者数を制限しても維持できない環境*1など日本にそうそうあるでしょうか。植生の発達した地域は、狸が頻繁におなじ道をたどり溜めグソする影響を緩衝することができます(アナグマは臭くて逃げるらしいですが)。このような事を考慮するなら、限られた人数の入域者による環境の劣化よりも、むしろ恒久的に入域を禁止し人間が一切目にしないことによる価値*2の喪失の方が、より重大な脅威であると憂慮します。
 以上のような理由から、世界遺産に指定されたからと言って、とりあえずサンクチュアリとか名前をつけ一切の入域を禁止するような規制は杜撰なものと考え相手にしてません(まあ東北まで行かへんのやけど)。

 とは言え、ぶっちゃけ人間の踏みあとは確実に環境を破壊しますよね。学生時代、卒業研究や修士論文のためにフィールドに出てたころ、いくら気を使っても毎日森に通う自分達の踏み跡が一番の撹乱要因*3だねと話をしてました。俺がいなければデータも違ってくるんやろなとか思ったものです。
 でもそういうことが解かった上でも、私は海山川洞穴等の自然を目にしてそこで遊ぶのが大好きなんで、街で茶でも飲んでりゃいいものを、わざわざ人間が行かなくても良い場所にいって足跡のこして環境破壊してるわけです。だから、アウトドアズマンと名のることはできても(名のらないけど)ナチュラリストとか口が裂けても言えません(ナチュラリストですねとか言われた場合は、めんどくさいのでそうですとか平気で答えるけど)。
 要するに、好きな場所を失いたくないので大事にしますが、それらを保護するのが好きなわけではありませんよということです。言葉かえて書くと、汚さない壊さないように気をつけますが、そのために行かないという選択肢はないということかな。なんか入域規制の話とピントずれてるかな。

 入域規制に話を戻すと、漁港施設等の使用については、禁止とされている場合でもとりあえず地元の方に声をかけてみて使っていいよと言われた場合は使います。ダメといわれたら諦めます。それから地元の方から、ホントはダメだから大きな声で言わないでねって感じのお話があったところは報告書で詳細ふせてます。
 それから、報告書の書きようについて悪ノリしてないかと指摘されたらしてますし、私有地云々に関しては申し開きのしようがありません。
 真似するヤツが出てきたらどうするというよくある御意見に対しては、そんなこと知ったこっちゃないというのが回答です。それが無責任だと言うのなら、アナタの考える責任という言葉と、私の知っている責任という言葉は意味が違うということですね。
 以上、後半ぶっちゃけたあたりから、いかにもメンドクサソウにはしょってるし、脚注がでかい不細工な文章になってしまいましたが、「そこ行ってもいいのか」という質問に対する答えは、「そんなこた自分で考えろ」と、まあそんな感じです。

 *1:ある程度の広がりをもつ山林としてではなく、トレイル上だけに限って見れば確かに環境は変わります。しかしそれは狸の獣道や溜めグソの影響で局地的には下草が芽吹かずアナグマが臭くて逃げるのと同じこと。山から下草がなくなるわけでもアナグマがいなくなるわけでもありません。
 また、制限数を守らず入る人がいるから環境を維持できないという理屈は、完全に入域禁止する場合にも同様に成り立ちます。

 *2:ここでいう価値とは観光客を呼んで金がとれるとかいう経済的なものではなく、その存在に人間や社会が認める価値であり、人間が一切目にしないならばその価値は何処からも生じえないものです。そういうのはなんていうのかな。
 例えば、今はまだだれも目にしていませんが、うちの地下の奥深くにはまだ気中に洞口が開いていない地下空間があります。それは安家洞より大きく白鳳洞より美しいんですが、いかんせん誰も見てないので価値を認めてもらえず妄想とか言われてしまうのです。
 価値の喪失について具体的な話をすると、日本国内には天然記念物等の文化財指定を受けている洞穴がいくつもあります。でも、主にそれらを目にするケイバーという人種がもともと少ないせいもあり、何年も誰も入らない穴もあります。そうすると、そのうちに書類上存在する天然記念物の洞穴がどれを指すのか、何処にあるのか分からなくなってしまったり、中には誰も気付かない間(悪気もなく)に工事で削り取られてしまったり、うまっちゃったりすることがあるのです。指定を受けたとき(誰かが目にしていたとき)は価値を認められていたのにね。

*3:たぶん生態学の研究者はみな、自分達がいわゆる環境破壊してることを自覚してます。そりゃ気をつけちゃいるけど、それでも研究者ってのは「貴重な自然環境」ってとこにわざわざ踏み込むわけで、なにがしか痕跡がのこっちゃうわけです。
 しかも科学的な研究ってのは、マスコミによる異常気象の報道や、オカルトさんの超常現象の報告みたいに、何か変わったデータが1回あったらハイ!大成功ってなもんではなく、いくつものデータから統計的に見てこのアイデア間違いとは言えないでしょって主張する程度の地味なものなんです。さらに生態学系の分野では、遺伝学とかミクロ系とちがって試験管増やせば一度にいくつもデータが取れるというもんじゃなかったりします。だから生態学の研究者は、普通の人が見たら同じようなデータを取るために、毎日々々、毎年々々、何度も足を運ぶわけです。そりゃイヤでも環境破壊しちゃいますよ。
 でも生態学(「エコロジー」)って言葉は、マスコミや世間が使うときちょっと違う意味合いになてったりするし、生態学者も意味のズレを指摘するどころか、そんなイメージを利用して研究費増額を図ってきたわけだから、生態学者は環境保護に熱心じゃないとまずいですよね、世間的には。だからビバ!環境保護!みたいな姿勢は崩せません。それに元々自然が好きで、そんな道に進んだ人達なんだから踏みあと作って嬉しいわけないんです。でも、そんな生態学者のみなさんは、生態学的な自然の探求が大好きなんで、「貴重な自然環境」に踏み込むのをやめられないんです。





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