浅田光輝先生へのお別れの言葉
浅田光輝先生の訃報に接し、日頃、先生にはいつまでもお元気でいて頂
きたいと願っていた私たちは皆、深い悲しみに打たれています。
同時に、2006年10月10日午後4時に、私たちの前から去られた先生が、
88年に及ぶご生涯を通して取り組まれた「お仕事」の、深く大きな意義に
ついて、あらためて思い起こしております。
1918年5月15日、福島でお生まれになった先生は、多感な少年期から、
あらゆる社会的不正義を批判する精神をお持ちでした。そして慶応大学経
済学部予科在籍中の1940年(=22歳の時)には、時の天皇制国家権力によ
る「治安維持法」違反容疑での厳しい弾圧に抗して,さらに不屈の精神を
培われれました。1943年秋、大学卒業後まもなく「軍隊への召集」により
「華中派遣軍」の一兵士となられた先生は、前線部隊での極限的な条件の
中を、その強靱な精神力で生き抜かれました。
1946年の帰国後、先生は、3年間の「兵士生活」による疲労を癒すべき
休養の暇もなく、日本社会の根源的な変革を目指す活動を開始されました。
同年、ご結婚された先生は、実枝子夫人が守られる新家庭を基地とされ、
創設に参加された「日本経済機構研究所」での活動や、日本共産党員とし
ての活動に全力をそそがれました。この頃の先生は、「国家論」を巡る論
争に少壮気鋭の論客として参加され、その後のご著書『天皇制国家論争』
にいたる理論活動に力をこめられました。先生の研究活動はその後も引き
続き、『日本帝国主義史』『市民社会と国家』など、深い思索を経て問題
の本質を鋭く指摘するご著書の公刊に結実しました。
同時に先生は、「警職法反対闘争」や「60年安保反対闘争」など、広範
な民衆を結集すべき反政府運動の高揚に向けて、精力的な評論活動を展開
し、事態の本質解明と運動の向かうべき方向についての示唆に富む提起を
重ねられました。また、それらの活動を通して直面した、組織内部からの
「スターリン主義」的攻撃に対して、先生は正面から「これを批判し克服
するために闘う」立場を貫かれました。
そして、先生のご活動の場は、これら理論家としての活動領域に留まり
ませんでした。これらの活動と並行して先生は,継続して教壇に立って来
られました。中央労働学園、静岡大学(この時期は、後の夜間・中央労働
学院と並行されました)、そして立正大学と、1949年から1989年に至る40
年間、先生は、多くの青年学徒たちに信頼され親しまれる教師として、教
育活動に熱心に取り組んでこられました。
さらに先生は、国家権力の強化とそれによる弾圧に抵抗し、体制の変革
を目指す青年たちを主軸とした運動を、直接的に支援する実践的課題にも
取り組んでこられました。先生は既に過密な日程を縫うようにして、70年
学園闘争、破防法裁判闘争、三里塚空港反対闘争、動労千葉闘争、そして
様々な公安事件の被告を支援する活動などに、全精力を費やして取り組ん
でこられました。中でも破防法裁判闘争は、実に14年8カ月・全 163回に
及ぶ公判の殆ど全てに特別弁護人として参加され、その間「暴徒の襲撃を
受けて重傷を負わ」れるなど、文字通り「生命を賭した」支援活動となり
ました。『破防法公判傍聴記』全5巻が,先生ご自身にとっても特別の意
味を持つものとなった所以といえるでしょう。
このように先生が、戦後60年に及ぶ長い年月に渡って活動してこられた
エネルギーの根源は何だったのかを、あらためて考えるとき、先生が稀に
得られた寸時の休息のひととき、瞑目してクラシック音楽を聴いていらし
たお姿を、ふと思い出します。そして先生の言動が、いつも「人間に対す
る深い信頼」と「人間社会の在るべき姿を追求する情熱」に裏打ちされて
いたことに思い至ります。先生が常に<青年たちを愛して止まなかった>
のも、そうした「人間への信頼と未来への期待」の具体的な表れだったの
ではないかと思います。
1989年5月、教育者としての任を退かれて以降、長年の過重なご活動の
積み重なりのためか、先生は青年時の呼吸器疾患の後遺症である「肺気腫」
との闘いに努められることになりました。しかし先生は、実枝子夫人の心
のこもった介護の下で、なお『激動の時代とともに』の執筆にとり組まれ
ました。そして、先生の「自伝」に当たるこのご本が、残された私たちに
とってこの上なく貴重な、先生の最後のご著書となりました。
「お別れの言葉」を終えるに当たって、あらためて先生に申し上げます。
「人間への深い信頼」と「在るべき社会への熱い思い」に基づいて、何
びとにも常に誠実に対応された、88年のご生涯を一貫する先生のご姿勢は、
先生を知る多くの人々にとって、この上なく貴重な「お教え」となってい
るものと確信します。
浅田光輝先生。有り難うございました。
2006年10月17日
柴 田 裕 治
訃報
労学舎創立以来、何回にもわたって労学舎講座
の講師をお引受け下さった他,様々な形で労学舎
の活動を親身にご支援下さった、立正大学名誉教
授・浅田光輝先生が、去る2006年10月10日午後4
時、「肺気腫による呼吸不全」で、ご自宅で亡く
なられました。享年88歳でした。
10月16、17の両日、ご親戚・近親者によって営
まれたご葬儀には、労学舎からも数名が参列させ
て頂きました。
告別式当日、柴田裕治さんが参列者を代表して
献呈した「弔辞」を、以下に掲載します。
労学舎は,様々な職業・年齢層の男女で構成する社会教育団体です。
1967年創立以来,「生き活きとした民衆の思想(こころ)を育て合う」を
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