”最初はレコードすら作りたくなかったの”
ー 音楽職人集団であるにもかかわらず、なぜフェアグラウンドの歌は素朴で瑞々しいのか (来日時インタビュー)
フェアグラウンドの来日公演は非常に心温まるものだった。音楽性云々以前に、何より歌に込められたエモーションがダイレクトに伝わってくるようなコンサートだったのである。
それぞれが手練れのミュージシャンであるにもかかわらず、これほど初々しいまでに純粋素朴に歌に向き合えるのはなぜなのだろう?その背景には、やはり長い下積みの苦渋を嘗め尽くした者だからこそ見出せる、自らの音楽に対する絶対的な信頼感があった。
●先日の渋谷のクアトロのライブを見て非常に感激したわけですが、やってる本人としてはどんな感じでしたか。満足できましたか。
M(マーク・E・ネヴィン) 「うん、すごく楽しかったよ。オーディエンスの反応もよかったし。それなりに気をかけてくれてるっていう感じも伝わってきて嬉しかったよ」
●特にエディなんかは、前に来た時はアリソン・モイエのバンド・スタッフで、しかも日雇いだったんでしょう?
E(エディ・リーダー)「ううん、週給だった(笑)。 でも、手当てみたいなものは毎日貰ってたの。でね、週給はイギリスで貰ってたんだけど、私、クレジット・カードなんて持ったなかったから、イギリスの通貨をそのまま日本に持ち込んでたわけ。両替えすりゃあいいやって思ってたんだけど、いざやってみるとドルにじゃなきゃ受け付けてくれないところが多くて本当に困ったわ。そんなことや、一人ぼっちだったということもあってすごく心細かった。通訳の人も当然、いなかったし」
M「へへへ、その次の質問は僕がしてあげる(笑)」
E「え?何?」
M「だからさ、(インタビュアーに向かって)君はそれからエディがひもじいあまり東京でマクドナルドばかり食べてたって話を聞き出したいんでしょ?」
●バレたか(笑)。
E「そうかあ(笑)」
●まあ、要するにその時の心境と今の心境との対比を話して貰いたかったんですよ。
E「うん、でも、前に来た時はやっぱりすごく心細かったわ。イギリスからはとても遠い国だし、何もかも違うし。 ただ、人々にはとても優しくして貰えたと思う、道を聞いても、実際に連れてって貰っちゃうこともよくあったし。他の国じゃ、そんなことまず誰もしてくれないわよ。ただ、自分の国からこんなにも遠くまで離れたことなかったから、とても変な感じだった」
●今回はもう、そんなことはなかったんですね。
E「そう、というのは今回はアラスカのアンカレッジで乗り換えてきたから、ここまで来れば帰れるのねって確認できたのよ(笑)」
●で、この一年間の成功ってのはあなた達にどういう影響をもたらしたと言えます?
S(サイモン・エドワーズ)「そうだな。何をやってるにしても心強さみたいなものができたかな」
●実際の生活がガラッと変わったなんてことはありません?
S「まあ基本的には忙しくなったってことかなあ。生活レベルそのものは以前と較べたら、随分と向上したと思うよ」
M「旅したり仕事したりで生活が充実するようになったのはよかったよなあ。 でも、絶えず生活がそういう調子で続くと逆にすごいプレッシャーも感じるよね。何か目まぐるしい程のものと対応しなくちゃならなくて……元はと言えばレコードを作りたかっただけなのにさ」
●そもそもあなた達はこのバンドを組む以前からミュージシャンとしてある程度食えてたわけですよね。それなのに、このバンドを組んだことにはいったい、どういう動機があったんでしょう。
M「単純に自分達の好きな音楽を追求するためだよ」
●本当にそれだけ?
M「……あとレコードを出したいってこともあったね」
E「私にはなかったわ。最初はレコードを作りたくなかったんだと思う」
●なになになに?何を作りたくなかったって?
E「要するに、私、アリソン・モイエのバック・バンドとか、ユーリズミックスのバンドとかね、そういうお仕事を全て終えてロンドンに戻ってきた時、もうこの仕事自体にすごい幻滅を感じてしまったのよ。 そもそも、私は作品を書いてそれを歌ってという風に音楽を楽しむためにわざわざスコットランドの田舎から6年前にロンドンに出てきたのに、現実の自分ときたら、むやみにプレッシャーを感じて、被害者意識にさいなまれて、傷ついてるだけだった。でも、そうなってしまった原因は本当にいろいろあったのよね。自分の性格上の問題もあったし、服の趣味のせいで変人扱いばかりされたせいもあったし、人に騙されたり、その腹いせに手当りしだいに男を誘ってかえって自分を傷つけたりして。で、そんなことを繰り返してたら……たら……」
●してたら……?
M「タラになっちゃった(笑)」
E「(笑)……してたら、もう何もかもに無関心になっちゃったわけ。特にね、音楽業界のポップ的な側面がもう全く嫌になっちゃって、もうこれからはどんな仕事をやるにしても、自分が気持ちよくやれない歌はもう絶対に歌わないと固く心に決めて。そして、それから本当に自分だけのためにデモを作ったわけ。 それは、自分が自分である事を気付かせるための本当に個人的なデモだったの。で、私がちょっと休暇で旅行してたら、いつの間にかマークがそのデモをバラまいてたのよ。そして旅行から帰ってくるといろんなレーベルの人たちがまんざらでもない様子でコンタクトしてきたのね。で、好きなことをやらせてくれるって言うのよ。だから、まあ、それをきっかけにして、私とマークとサイモンとロイの活動も始まったわけなの」
●確かにそういった心境が、ファースト・アルバム全体に投影されてると思うんです。とりわけ、”ムーン・イズ・マイン”に見られるような悲惨さというのはあなた達の作品に共通してみられるトーンだと思うのですが……。
E「でも楽観的でもあるのよ。結局、自分が所有できるものなんて夜空の月以外には何もないけど、でもそれだけでも幸福なことじゃないかっていう調子でね」
●では、そういう心境というのはあなた達の実生活に基づいているものだと考えていいわけですか。
M「うん、そうだね。特に、あのアルバムに収めた作品の多くは僕がまだ、本当に惨めな生活をしてた頃に書かれたものだからさ。本当に、文無しでね。やりたいことも全然、うまく形にならなくて。 それでも僕は曲を書きたいという自分の気持ちを満足させることこそがやるべきことなんだと、それだけなんだと固く決心してたからね。だから、結局のところ非常に楽観的な人間なんだよ、僕は。それだけにたとえ世の中が悲しいことで満ち溢れてたとしても、それだけを強調するような作品は書けないんだ」
●なるほど。今の発言を裏付けるような話を聞いたことがあります。つまり、マークの歌詞がここまで繊細さを感じさせるのは、マーク自身が非常に奥手で、四年間も恋人を見付けられなかったからだ、というような話なんですけど。
M「ああ(笑)、それ」
S「何だよ、それ。お前、有名人してるなあ(笑)」
M「何だっけ、それ(笑)」
S「自分を売り込む秘訣って言うんだよ(笑)」
●じゃあ(笑)、厳密に言うと何て言ったんですか。
M「それはもう、五百年くらい前にインタビューで話したことでさ、彼女がいないから、こうした内容の曲を書くんでしょうかと聞かれて、たまたまその当時彼女がいなかったからそうだと答えただけの話なんだ。彼女がいないから彼女が欲しいなあと思って書いた曲もあると、そういうことなんだよ。で、おかげ様で今はちゃんと彼女もいます(笑)」
インタビュー: 佐藤健
from rockin' on '89/9号
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