Eddi Reader: "エディ・リーダー"
それこそカナリヤのようなデリケートさが身上のアーティストだから、期待よりも不安の方が多かった89年のフェアグラウンド・アトラクションの来日コンサート。だが<唄うことが人生だ>と信じる歌姫、エディ・リーダーの誠実さと天真爛漫なうたごころの放射は物量とかエネルギーというような次元を超え、我々の心に強く響いた。唄いたいから唄う、そんなことはそのへんのカラオケじじいでも言いそうだが、こういうシンガーこそ、その精神状態がカギを握っていると僕は思う。タイプは違うが、ゴスペル系のシンガーでも同じことが言えるだろう。一方、その頃すでにエディは、「パーフェクト」の大ヒットで<自分が自分でないように思える存在になっていること>を悩み始めていた。彼女が成功から学んだことは皮肉にも<人生が完全である必要は全くない>ということだった。で、当然ゴタゴタはしただろうけれど、彼女は潔く解散の道を選んだ。そして、かつてのウォーターボーイズのマイク・スコットもそうしたように、エディはアイルランドで何ら創造的ではない、心の傷を癒す日々を送り始める。
月日は流れ、「心から楽しんで唄っている限り、私は世界で一番幸福な人間でいられる」と思えるようになった彼女は天から与えられた類い稀なる才能に再び灯をともした。エディ・リーダーのこのソロ・デビュー・アルバムはヴォーカリストとしての彼女のありとあらゆる姿が披露されている。フェアグラウンド・アトラクションは弾けた初々しさの輝きが最大の魅力で、彼女の声そのもので聞かせてしまうという感じだったが、ここではかなり内面的な唄いっぷり。時としてリッキー・リー・ジョーンズのアドリブ性やジョニ・ミッチェルのジャズ志向と共通するものを感じさせる瞬間もあるが、それもエディなりの創意の結果であって、亜流という印象は全くない。当然ながら楽器の位置もほんの少し下がり、深遠な響きで彼女を盛りたてる。再起を促したフェアグラウンド・アトラクション時代からの同僚ロイ・ドッズ(ds)は多彩な打楽器を駆使して香しいケルト風味を醸し出す。ニール・マッコール(g)はあのカースティ・マッコールの兄弟。全編に漂うキラキラしたギターの輝きはカースティの作品と共通するものだ。
それぞれに心洗われ、ハッとする新鮮さもあるけれど、強く印象に残ったのは未来からやって来たトラッドみたいな6と9。アイルランドの伝統的なコード進行やリズム・パターンを守りながら、即興ぽく曲が展開する緊迫感がたまらない。この路線は絶対新しい。最初は地味に思うかもしれないが、久々にじっくり聞ける”歌のアルバム”に出会ったような気がする。
評者: 小林慎一郎
from Music Magazine '92/2号