滅せぬ物のあるべきか

 
 このエッセイのタイトルは陳腐なものになりました。特に思いつかなかったのです。
 世の中には、いろいろな人がいて、貧乏な人からお金持ちの人、好かれる人、好かれない人、上品な人下品な人。こういう相反するカテゴリーによってよく比較されます。

 誰も、貧乏で下品で、人から嫌われるということを目指している人はいないと思われるのですが、このような結果になるのは、実は本人が望んでそうなっているのです。
 現在の自分は過去の自分の積み重ねで、実際はお金持ちになる方法はほとんどの人は知っていますし、貧乏になる方法も知っているのです。
 人は常に何かの選択を迫られます、何かを選択することもありますが、何もしないと言うことも一つの選択です。

 自分も金持ちになりたい、そうでなくても昇進したい、資格を取りたいけれど、自分にはできないという人がいます。しかし、義務教育しか受けていなくても、大型資格を取っている人はいくらでもいますし、起業家として成功している人もいます頭の良し悪しではないのです。
 はじめからできないと自分で決めているだけなのです。それか、何もしないからなのです。

 もちろん、世の中は勝負することが多いし、思いどうりにいかないことばかりでしょう。むしろ負けてしまうことばかりです。
 負けると怪我をすることがあります、大怪我でどうしようもなくなることもあります。勝負しないなら、不戦敗なのですが、不戦敗でも怪我をしなくてすみますし、それなりに生きて行けるでしょう。
 しかし、世の中の成功者を批判する資格もなくなります。なぜなら、今の現状を選択したのは自分自身だからです。
 やるも、やらないも自分の問題なのです。


滅せぬもののあるべきか

  「人間50年

  下天の内を比ぶれば

  夢まぼろしの如くなり

  ひとたびこの世に生を受け

  滅せぬもののあるべきか

  滅せぬもののあるべきか」



 これは、敦盛の一節で、織田信長が好んで踊った歌です。

 戦国時代では、合戦が相次ぎ、いつ死んでもおかしくなく、しかも、合戦に臨む事になった場合死を覚悟しなくてはなりません。
 私たちが映画とかで見るよりも、刃物や矢、鉄砲の飛び交う戦場は、恐怖の場所だったろうと思います。特に、今川義元に攻められた織田というのは、トラに睨まれたうさぎ程度の力しかありませんでした。それでも、桶狭間に奇襲に行ったのですね。

 出陣の直前に織田信長はこの歌をかみしめて舞ったと言われていますが。「全ての者は、いずれ滅する」と言う事を何回も思い。逆に、どうせ滅するなら、滅して元々、と今川勢に逆に攻撃をかけて勝利を得たのです。
 どうせ、滅する者であるなら、何かやってやろう。
 世の中は、短い人生の中での、夢まぼろしとも言えますよね。
 その中で、何をするのも、自分次第だし、いずれ滅するのだから、夢を思い通りに展開してゆきたいではないですか。
 滅して元々。そんな事に思いをはせて、この歌を何度も口ずさむと、何故か勇気が湧いてくるのです。


導火線に火をつけろ

給料が少ない、仕事が多すぎるというような不平を言う人がいます。
実は私もそうなのです。
給料が少なければ、たくさんもらえる職場に移動すればいいのです
どうして出来ないかというと、そういう職場に移るという行動をしないからです
ひよっとしたら、そういう所では採用にならないか、もっと給料の低いところに移動してしまうかもしれません。
 しかし、それが、今の自分の値段なのです
不平を持つ前に、どうしたら収入が増えるか、今自分の収入がどうして今の値段なのか
そのあたりを考えなくてはなりません。
考えるというのは自覚すると言う意味ではありまん
どうしたら収入が増えるのか、具体的な方法を考えることなのです
今のままだと収入は増えないのです

収入面だけではなく今の現状に問題があったら具体的にどうしたらいいのか考えなくてはなりません
怒ったり、悲しんでいるだけでは何も変わりません
それに、人が所有している時間は有限なので
何もしないで時間だけが経過するというのを避けなくてはなりません。
選択しないということは、何もしないということを選択しているのです。

私の友達には何人か成功している自営業者が居ます
そのうちの1人は
「収入が人より多いのは、その分努力しているからだ」と言います
もちろん、彼はその立場を築くまでに、よく働いたし、よく勉強したでしょう
今も真夜中まで働いていて、人の2倍は働いています

しかし、サラリーマンでも同じくらい働いて、勉強している人もいます
しかし、サラリーマンは彼の半分の収入もないかもしれません、
サラリーマンは、会社を儲けさせる為と税金を納める為に働いているからです。

自分の意思で動いてみませんか。

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