2002年秋・冬の反省

お金は使おう
 さて、択一落ちした私は、しばらく勉強する気になりませんでした。先の択一対策の続きから始める予定だったけれど、基本的なことも理解できていない現状を考えると、もっと条文理解とか、問題も簡単なものから解いてゆこうと思うようになりました。
 私は、あまり本を読んで覚えるというスタイルは取ったことがないし。つまり、問題集で覚えるほうが速いと思っています。
 しかし、あまりにも勉強が遅くて、あっという間に論文答練の季節がやってきました。しかし、まだまだ論文答練にはレベルが届きませんでした。
 それと、独学でやっているのと、予備校で教えているものの差を感じていました。答練のレジュメを読んでみても、私が必死になって複数の基本書や判例集をあさってみて、やっと見つけられるような知識を基本的なことと書かれているし、そういうことは予備校では普通に教えているのだろうなと思ったのです。
 そこで、思い切ってお金を使う事にしました。予備校の講義を利用するのは50万くらいかかると思い、私は、かなり後ずさりしていましたが、年齢的にあまり時間はかけられないし、「時間を買うのだ、お金はこういうときのために使うものだ。」と考えたのです。

講義選び
 これは誰でも迷うところでしょうが、、講義選びは本当に困りますね。各講師のガイダンスに出ればいいでしょうけれど、本当のところは最後まで講義に出なくてはわからないと思います。
 私は仕事を持つ社会人なので、通学コースを毎度出席というわけにはいかないし。効率的に勉強を進めるには通信かカセットということになるのです。
 私のコースは、入門、論文、択一を3か月で終了するコースなので、2003年対策の講座以外はカセットをりようするしかなかったのですが、これは今から考えると無謀ですね。
 まあ、通信やカセットは、自分のレベルに合った自分に必要な講座だけを取れるのがメリットです。

 そして私は、各科目別々の講師の講座をとりました。もちろん、通学にしても通信にしても1人の講師の講座を一括にすれば安くなるのですが、選択した講師の講義が今ひとつだったり、自分と相性がわるかったりすると最悪の場合講義を放棄ということになりかねないので、これは危険の分散というものです。

最悪の結果
 もう分かっている読者もいるかもしれませんが、入門、論文対策、択一対策の講座を3か月程度で終了させるのは、絶対無理というものです。
 講義こそは、全科目最後までは聞くことができましたけれど。しかし、覚えていないです(爆)。
 笑い事ではなく、講義自体がつまらないものも多かったです。(金返せ〜)。

 まあ、どんな講義でも、それなりに勉強ができるもので、あとは時間とお金の比較衡量ということになるのでしょうか。実際に、講義を放棄したり、挙句の果ては、論文答練も放棄するに至りました。
 憲民刑は、特に答練を増やしていたのですが、講義と答練で、はっきり言って答練のみで勉強時間のほとんどを費やし、短答対策はなにもできず。講義の復習もできない。
 時間と、お金の比較衡量。とにかく、択一対策に専念する事にして、論文答練は放棄。そのかわり択一対策で知識を固めてゆくことにしました。
 それと、聞いても無駄と思える講義は放棄してしまうことにしました。
 思えば、お布施が過ぎるというものです。泥棒に追い金も多かったです。
 それと、反省するべきは「この講義を聞いておかなくてはならない。」という脅迫概念があったということです。
 次回の合格を期するのはいいけれど、何でも予備校の提供する商品をありがたがってはいけないということです。全受験生が、その講座をとるわけではないし、それが合格に必須というわけでもないのです。
 自分に与えられた時間とお金で、何ができるのかということを考えなくてはなりません。
 いくら私が貧乏でも、若い受験生に対しては、経済的には圧倒的に有利な立場に立っています。時間も記憶力も体力も負けるでしょうが、経済的に有利とは自分の好きな教材を用意できうることなのです。
 しかし、教材を集めすぎて、どれも未消化では話になりません。

 それと、講義を受けて理解する、そして暗記というのに慣れてしまい、多大な情報の流入を処理するのに精一杯で自分で考えるという時間の割合が落ちてきたようにも思いますし。この点は反省ですね。