司法試験再開

 昨今の国勢選挙では、ゾンビ議員という言葉があるけれど、今の私はゾンビ受験生なんですね。
 あれは、2001年春の、情報処理の試験、それまでに、かなり必死に情報処理の勉強をしていたのです。ネットビジネスをしようと思っていたし、自分がどこかに雇われるというよりは、一台のパソコンで自立してやると思っていたので、本当は資格なんてどうでも良かったのです。
 私の年齢ではネット関連に就職する事は不可能でしょうしね。
 しかし、どこかで修行もしなくて、何のスキルも無くネットで自立できる訳も無いので、少なくてもスキルを身に付けなくては話になりません。
 資格の有無は、私にとって、身に付けるべきスキルの目安でしかないし、職業として成立するかという目標への、ひとつひとつのステップなのでした。
 少なくても、ホームページ作成と、サーバー管理、ハッキング対策ということは、身に付けるべき目標ではありました。

 実は、PCの勉強でも出来るかどうか不安だったのです。それは、何年か前にフランス語検定を受験した時の経験が不安材料にあったのです。
 頭というものは、使わないと、どんどん悪くなるのです。日常生活や仕事で頭は使われているように見えますが、実は、全く使われていないのです。仕事という決まったルーチンでは、脳細胞の一部が決まったルーチンを行うだけで、ほかの大部分の脳細胞は全く使われていません。
 一流企業の管理職で、バリバリ仕事をこなしたいた人が、ある日突然ボケるというのは、単に管理職にありがちな「うつ病」という理由だけではないのです。仕事で、いろいろな判断をして、頭を使っているように見えますが、実は使っていなかったのです。
 仕事に使う思考や判断というものは、ある限られた情報(しかも、自分に親しみのある情報)のなかでの選択をしていて、それも本質的に頭を使わないでも判断可能な定型的なルーチンの1つなのです。
 私も仕事上いろいろな判断をして、頭を使っていたように思っていましたが、フランス語検定の試験勉強を通して、自分の脳細胞が死んでいるのを実感しました。
 フランス語検定の試験勉強では、教科書の最初にあるようなあいさつ文から覚えてゆくのですが、一番典型的な例として挙げられるのは、数詞です。
 1から10まで、フランス語で暗記するのに3日を要して、何回紙に書いて当日は暗記してても、翌日には何も思い出せないという悪夢のような経験をしました。
 それでも、覚えられなかったのです。
 話題を変えて、別の不安材料を言うと、木製の組み立て式家具を買っても、組み立て解説書を見ても、なかなか組み立てられない状態にもなっていました。以前は、説明書を見なくても、簡単に組み立てられていたのです。空間構成力も無くなっていました。
 
 パソコンの勉強も大変でした、イメージが形成できないし、何回読んでも、暗記できないのです。
 しかし、なんとか、最初に受けた、パーソナルコンピューター利用技術認定試験で、4級と3級部分合格は果たせました。
 資格としては大した事が無いのですが、脳細胞が腐っていて(実は本当に腐っていることがあるのですが)新しい分野では何も暗記できないし理解も出来ない状態だった私にとって、とてもうれしくて自信のついた出来事なのです。

 しかし、その後受けた、国家資格などは、苦戦ばかりしました。それと、ネットビジネスについて、いろいろ調べてゆき、業界の知識も出来てきました。
 経済状況も陰りが出てきました。インターネットの可能性というものは、これからも広がってゆくものと思いましたが、ブロードバンドの普及とか、目まぐるしい発展を遂げ、24時間常時接続などの通信費用の低価格化。そして、その上での音声、映像での通信の発達(そのうち映像、音声を伴うチャットの普及も実現するでしょう)、これらの事は、個人では、企業に太刀打ちできない事を実感させられました。

 私の勤める病院でも、経済状況は今後悪くなるであろうし、医療を取り巻く環境も、保険基金などの財務状況からして、今後に明るい材料は無く、良くなることも無いのです。
 生活上でも、苦しめられていました、同年代の友達とは、かなり成功した人は別格としても、200万程度は、年収で差を付けられていました。
 両親も年をとってくるであろうし、私自身も、いまだ未婚で、お見合いに出ても、年齢に対しての年収面ではかなり不利で、預金にしても、最近は給料では生活費が足りなくて預金が減ってゆく傾向にあるし。いや、もう預金も無い。
 友達づきあいや、親戚づきあいでも、不義理をして、借金を回避するのが精一杯となっていました。
 もう、今の所にこれ以上いる事は出来ない。
 しかし、ネットビジネスの道筋も立たない。理由はないけれど、秋の国家試験に向けての戦意も無くなって来て、勉強もしなくなってきました。

 いつしか、かって受験した事のある司法試験が頭に浮かびました。
 人生、これでいいのかという自問自答が毎日続きました。そして、簡単な法律の本を少しずつ読むようになりました。
 そして、秋。司法試験六法を本屋さんで、手に取ろうとしていた私がいました。「これを買うという事は、再び司法試験に踏み込む事。」これでいいのかと、とても迷いました。
 何回も[手に取っては、やっぱり止め。」を繰り返しました。そして、そのまま本屋を後にしました。
 代わりに、法律家の書いた本や実務の事を書いた本を買いました。しかし、もう道はあまり無いし、時間も無い。心は決まりました。
 そして、本屋に行き、とうとう「司法試験六法」を手にしたのです。