”僕たちの最大の欠点はすぐに忘れちゃうことなんだ!”
隊長は,鼻をピクピク動かしながら言った.
秋にせわしく動き回り,蓄えたはずの餌の隠し場所を殆ど覚えていない.おかげで森が出来る
なんてことを他の動物たちは判っているんだろうか・・などと考えながらも,ハァとため息を
ついた.今日,何のために集まったのかも,もう忘れているやつが確実にいるであろうこと.
自分が隊長なのは,その記憶力が他の仲間たちよりもちょっとだけ秀でてるから.でも,その
ために被る苦労も多い.言った言わないの争いとか.やったやらないの争いとか.あれっ,何
についてだっけ?まぁ,いいや,許してやるとするか.あの得張ってる人間達だって同じよう
なものさ.森を破壊しちゃあ洪水を繰り返してるし.
”で,作戦は立てない.立ててもみんな直ぐに忘れちゃうから”.
これがりす隊長の結論.みんな感心して聞いている.
食糧係の柴三郎が言った.
”じゃあどうやって戦うの?蜂は統制とれてるし,命知らずだし,武器持ってるし,全然勝ち
目無いよぅ”.
皆が騒ぎ出した.
”えっ,蜂と殺り合うの?”
”蜂がどうしたって?”
”だから蜂の勉強会だよ”
”蜂踊りの練習だろ”.
”分かった分かった”
隊長はみんなをなだめると,みんなに言った.
”そもそも,僕らの仲間の清十郎がコブだらけになった理由はなんだ?”
”えっ?”
”そうだったそうだった.丘の上のくぬぎの木を蜂に乗っ取られたことを忘れて登って蜂に攻
撃されたんだった”
副隊長の嘉一郎が言った.
”僕らは丘の上のくぬぎの木を奪還するために集まったんだよ.このことだけは,どんぐりに
誓って忘れるな!”
隊長が皆を叱咤した.
”ところで”
隊長が厳かに言った.
”ひとつ作戦がある”
これを聞いた柴三郎は目くじらをたてて,
”あれっ,さっき作戦は立てないって言ってたじゃん”
隊長はやや下げずんだ目で,しかし憐れみを持って,
”誰がそんなこと言った.作戦立てなくちゃ戦えないだろう?”
隊長は,さっき言ったことを完全に忘れていた.
このとき,
”大変だ大変だ!清十郎がまたくぬぎの木に登ってやられた!”
”なんでまた行ったんだ!”
このことがあって,−蜂を殺って,くぬぎの木を奪還する−という目的が皆の脳に完全にすり
込まれた.
一方,蜂の方では,皆完全に怯えきっていた.
”もう早くここから退散しましょうよ”
”あのシマリス,また何回でも来ますよ”
”全然平気な顔して”
”何か不気味だよー”
”針を使う度に皆弱ってきてます.一部のナーバスになった連中が内輪もめを起こして,その
被害の方が大きいくらいです”
”あんなタフな連中にいっぺんに来られでもしたら”
”確かに一度に来られるのも厄介だが,波状攻撃でもされたもっと困る.我々の神経が持たな
い”
”どうしよう””困った困った”
”そのために数十個もの作戦を立てているんじゃないか!いまの
ところうまくいってる”
”何とかならないの!こんな生活!”
そのとき1ぴきの蜂が普通なら笑って言ってよい内容のことを,深刻な顔のまま言った.
”おそらく大丈夫ですよ,やつらはずう体がデカイ割りに脳たりんだと聞いています”
皆,考え込んでしまった.
そもそも,隊長以下,ここのしまりす一族は,先祖代々,りすの中でも最も脳たりんな一族
で,隠した餌の回収率は10%以下.だから,大量な餌を確保しなければならず,特に秋に於
ける行動力には目を見張るものがある.このため,体力に関しては皆秀でている.
尚かつ,先祖代々,蜂と攻防を繰り広げていたから,蜂の毒に対しては相当な免疫を持ってい
る.おまけに脳も小さいので,毒が脳に回っても大したダメージにならない.
しかし,このことについて本人たちは解っていない.毎回ある程度の結論には達するのだが,
すぐに忘れてしまうからだ.
これらの歴史に関する情報は,むしろ蜂たちのほうが知っていた.文献も豊富に揃ってい
る.だが,知ってはいたが,そんなバカな,との思いが強く,頭では解っていても理解は出来
ないでいた.いや,むしろ,感情が否定していたと言うべきか.
とある蜂の科学者は,蜂の毒が効かない理由を第三の物質に求めようとして,盛んにりすの餌
の研究をしている.また,ある蜂の社会学者は,りすが隠した餌の場所を忘れるのは,実は忘
れているのではなく,壮大なプランテーションなのだと唱えている.哲学者に至っては,なぜ
りすが存在するのかについて,いや,しなければならないのかについて,むしろ肯定的に捉え
ていこうとする”親りす派”等も台頭してきており,従来からある主流派(りすの存在を真っ
向から否定する派)とは対立を深めている.当然そうなればいくつもの宗教も発生してきてお
り,整然とした蜂社会からの脱落者も年々増え続けてきている.また出版物も”自分はこうし
てりすの難から逃れた”とか,”りす難の相”とかがベストセラーになっている.
隊長は編隊を4つに分けた.1つは恨みに燃えている(一時的)清十郎率いる第一編隊.
面からの突破を狙う正攻法の集団.特に強者を組んだ.次に,副隊長の嘉一郎率いる第二編
隊.ここには司令塔を置く.なにしろ,隊長そのものが戦いたがっているので,本来ならそこ
が司令塔になるべきなののだが,隊長が嫌がったためそうなったのだ.第一編隊の後方に陣取
る.第三編隊は柴三郎率いる頭脳集団.ここはフリーに動いてもらう.そして第四編隊は,隊
長自ら率いる精鋭集団.とどめを刺すべく背後から襲いかかり,おいしいところを頂く予定.
まぁ,作戦はこんなところ.
準備は整った.くるみを持って食べているポーズから瞬時に低く身構える練習,羽を食べ
ちゃう練習.埋めちゃう練習等,みんな気合いが入っている.
”決戦は明日日が登った時.第一編隊出陣よろしくっ!”
なんか頼もしい.女の子のしまりすたちは,みんなキャアキャア言ってる.りすの隊長は御満
悦だ.
”よしっ,必ず勝つぞ”
皆,そう思って明日を誓った.
一方,蜂の方は大慌て.明日早朝にしまりすが一気に攻めてくるという情報を入手したから
だった.
”一体誰から聞いたのだ”
”いつも荒らしに来るしまりすからです”
”えっ?”
偵察隊が戦闘練習をしているしまりす隊を発見し,なにをしているのか訪ねたところ,明日,
朝くぬぎの木の蜂を退治しに行くと言っていたというのだ.しかも,そのしまりすは,コブだ
らけのところを見ると,どうもこの前のやつらしい.更にやつは得意げにこう言ったそうだ.
”ぼくが第一編隊の隊長だい!”
それなんで,おだてて色々聞いてみたところ,明日朝とても早くに自分の第一編隊が蜂の巣を
正面から攻撃する.第一編隊の後ろには司令塔の第二編隊が控えている.第三第四編隊のこと
はあまりよく覚えていないがどうでもいいじゃないか.多分,奇襲でもすんだろ,とのこと.
”陽動作戦か? 信用できないな”
”それにそんなバカな作戦あるはずない”
”うーん.何か読めないか”
”いずれにしても今夜から奇襲に備えて厳重警戒の必要はあるな”
その夜,蜂たちは眠れぬ夜を過ごしていた.
”だめた神経が参っちゃう”
一方,りすたちは,いつもと変わらぬ夜をぐっすりと寝ていた.
りすの隊長は夢を見ていた.蜂達を蹴散らし,降参させ,凱旋し,女の子たちにモテモテな自
分の夢を.
まだ暗い明け方,りすの隊長は目を覚ました.
”よしっ”
そして,くぬぎの木の背後を突くべく,闇夜の中を出陣した.
次いで,東の空が薄明るくなってきたころ,嘉一郎率いる第二編隊(司令塔)が出陣した.
第一編隊は? 清十郎はまだ寝ていた.完全完璧な遅刻.朝寝坊.
一方のくぬぎの木の蜂たちは,真夜中いっこうに奇襲をかけてこないりす隊にいらいらして
いた.
”ガセネタじゃないのか”
”謀られたか”
不安といらだちで疲労困憊.
明け方,偵察隊から情報が入った.
”たった今,第一編隊と思われる一隊がくぬぎの木目指して直進しています”
(嘉一郎率いる第二編隊(司令塔)のことなのに)
”ガセネタじゃなかったのか!”
”いよいよ来るな”
”他の編隊は?”
”見あたりません”
”さて,くるまがかりの戦法を使おう”
”第一編隊など通り越して,本隊を一気に潰そう.本隊は司令塔のある第二編隊.そこには必
ず本隊長がいるはずだ”
(普通,司令塔といえば隊長がいるはずだしね)
”しかし,情報をそのまま信用してよいのでしょうか”
”昔からの言い伝えに,栗鼠突猛進ということわざがあるだろう.やつらに裏技は無い”
(裏技は無くても偶然は多いよ.マヌケだから)
”では,半分をここに残し,第一編隊の攻撃に備えさせ,半分をりす本隊の攻撃に使いましょ
う”
既に,蜂たちは,りすたちのいい加減さから,とんだ勘違いを犯しているとは思いも及んで
いなかった.
蜂の第一隊は,りす第一編隊と間違えた第二編隊の頭上を通り越し,りす本隊を探してい
た.
”いっこうに現れません”
”おかしいな.策略だったのか?”
一方の,第二編隊の嘉一郎は,
”おや?今蜂の大群が頭上を通過したよ”
”くぬぎの木から逃げてくる蜂だよ”
”やったー”
”帰ろー帰ろー”
あくまで呑気だった.
そのころ,りすの隊長率いる第四編隊は,くぬぎの木の背後に潜んでいた.そして,日の出
とともにくぬぎの木の蜂めがけて一斉攻撃を仕掛けた.
奇襲された形になった蜂隊の半分は大慌て.隊長は勇敢だった.たちまちくぬぎの木を占拠
した.しかし,第一編隊がいない分,数的には劣性.時間と共に,形勢があぶなくなってき
た.そこになだれ込んできたのは第三編隊の柴三郎達.彼らは,事の異変に気が付いて駆けつ
けたのだった.またしても虚を突かれた蜂軍は総崩れになり,四方に散ってしまった.
ここの戦いは完全なりす軍の勝利となった.
一方,長旅に疲れが出てきた蜂のもう半分の部隊は,これはおかしいということに気が付き
始めていた.
”どこまで行ってもいないぞ.本隊なんか”
”これは完全に謀られた”
”くそぅ.あいつらの隊長は今までのしまりすではないぞ”
”一旦地上に降りて,小休止しましょう”
と,そこへ,寝坊して面目の無い清十郎率いる第一編隊が慌ててやって来た.たちまち戦闘
状態になった.ここでは面目丸つぶれの清十郎が汚名返上とばかりに勇敢だった.しかし,数
の上で不利な分,戦闘は膠着状態となっていった.そこへ帰りがけの嘉一郎率いる第二編隊が
やって来た.これを見て,蜂軍は,くぬぎの木が完全に陥落したと思い(事実陥落しつつあっ
た時),一気に戦意を失い四方に散らばった.
ここに於いても,りす軍の完全勝利となった.
さて,くぬぎの木の奪還に成功したりす隊は,それでも,あのすり込みがなかなか抜けず,
夜な夜な誰もいないくぬぎの木目指して攻撃を繰り返すのであった.これを見ていた蜂たち
は,これでは耐えられないと思い,完全にリベンジを諦めた.蜂達は飢えを強いられた.
月日は流れて,1ぴきの子供蜂が”行ってはいけない”と言われていたあのくぬぎの木に降
り立った.そこはしまりすの巣窟だった.ところが,しまりすたちは思い思いにくぬぎを食べ
たり遊んでいてまるで蜂を気にしていない.そのうち,蜂たちは恐る恐るくぬぎの木に行くよ
うになり,次第にその数は増えていった.
改めて,蜂達はしまりす達の懐の深さに敬服し,共存しようということになった.まさか,
あのしまりす達が,あの戦いのことをすっかり忘れてるなんて思いもしなかっただろう.