活動報告

交通事故被害者のおかれている現状と願い

「フォーラム・交通事故」における提言  2001/1/26 札幌ガーデンパレス
北海道交通事故被害者の会    代表 前田 敏章

交通事故被害者のおかれている現状と願い

私の娘は5年前、わずか17歳で、前方不注視のクルマに後ろから轢かれ、即死させられました。私は、理不尽にその命を奪われた娘の無念さを、一日たりとも忘れたことがありません。「思い出しますか」と聞かれることがありますが、思い出すということではないのです。忘れること自体がありませんから。

一昨年9月に発足した被害者の会には、現在61人の会員がおりますが、その多くは、かけがえのない肉親を失った遺族です。何の罪もないのに事故という犯罪によって、通り魔殺人のように殺される。遺された家族は、突然襲った悲嘆に加え、その後の捜査の過程や裁判での不条理に、そして、交通事故被害を「仕方がない、運が悪かった」と軽くとらえる世間の無理解に、世をはかなみ、深い絶望のなかに閉じ込められています。私の場合は娘ですが、その未来を、希望を、その全てを一方的に奪われた肉親の無念さを思うと、胸が張り裂けそうになり、こんな悲しく不条理な世に生きていること自体が地獄のように辛いのです。
私たちは集まる度にこうした心情を吐露しあい。生きることがたたかいだからと、励まし合っています。

しかし、私たちがこの会に集まったのは、お互いに支えあうという目的だけではありません。設立発起人会がもたれたとき、次のような発言があり、全員がうなずいたのです。「お互いに傷をなめあうだけの会であれば作る意味がない」
このような経過があり、被害者の会は、相互支援とともに、交通事故を絶滅するために何ができるかという課題を、もう一つの柱として出発しました。

発足のきっかけとなったのが、道警交通部編集の「癒されぬ輪禍」ですが、この冊子の表題に示されているように、かけがえのない肉親を不条理に失った私たちには、もはや「癒される」ということはありません…。肉親を返してもらうこと以外には、癒されないのです。
 私たちの、せめてもの願いは、尊い犠牲を無にしないで欲しいということなのです。私は毎日向きあう娘の仏前で、今も娘から「なぜ私がこんな目に遭わなくてはならなかったの」「私の犠牲は報われているの」と問いかけられているような気がしています。
会員の方の思いも同じです。例会の度に、一向に減る兆しのない交通事故のことが話題になり、同様事故の報道を見聞きする度に、一体我が子は、私の父や母は、夫は、妻は、恋人は、何のために犠牲になったのか、と胸を痛めます。命を軽く扱って欲しくない。犠牲を無にして欲しくない。これが私たち被害者の切実な願いなのです。

昨年実施した会員アンケートには、悲しみや絶望をもたらした加害者への直接的な思いをはじめ、二次的被害をもたらした捜査や裁判の問題、保険会社の対応、そしてこれらの背景にある交通犯罪にあまりに寛容な人権無視の「クルマ優先社会」などに対する思いが、共通に述べられています。

アンケートを集約してまとめた、私たちの願いと活動は次の6項目です。
(1)交通事故被害の悲惨さ、かけがえのない命の大切さを訴える、啓蒙活動。
(2)捜査段階や裁判の過程で、「死人に口無し」のような不公正をなくすこと。
これについては、大変多くの被害者が、加害者の一方的な供述で実況見分調書がつくられ、それに基づいて捜査や裁判が行われていることを指摘しています。具体的にはアンケートをご覧ください。
(3)事故の再発をさせないための原因究明と抜本対策。そのための、科学的な事故捜査の確立。
(4)交通犯罪を軽く扱うことなく、起訴率を高め、刑事罰を強化すること。
これは、今、署名にも取り組んでいますが、飲酒、無免許という悪質犯罪でさえ、最高5年の懲役です。この5年というのは窃盗罪(10年)の半分の量刑でしかないという問題があります。 (5)自賠責保険の後遺障害認定基準見直しなど、適切な損害賠償と補償制度を確立すること。
(6)免許付与条件を厳格にすること。分離信号設置や歩車分離の道路整備、生活道路での車の速度や通行の制限など、歩行者保護が貫かれた安全な道路環境をつくること。公共交通機関を整備すること。
以上6点です。

限られた時間ですので、この後は、道民共通の願い、交通事故を根絶するにはどうするかというテーマに付いて述べたいと思います。

昨日、2000年の交通事故負傷者数が115万人に達し、過去最悪を更新という報道がありました。交通事故被害が増え続けるのはどうしてでしょう。一つの事例から考えてみたいと思います。 一昨日、24日、東京のあきる野市というところで通学中の児童の列にクルマが突っ込み、4年生5人が重軽傷という痛ましい事故がありました。原因は運転者がクルマのカセットデッキ操作に気をとられた前方不注意でした。

大人が守らなくてはならない子どもが通学中にひかれる。こんな悲劇を繰り返さないためにどうしたらよいのでしょう。「未必の故意」というべき運転者の行為は厳しくとがめられなくてはなりません。そして、安全運転の基本を体得していない運転者に、安易にハンドルを握ることを許している、免許制度の不備も問題にしなければなりません。
しかし、このような事件は、運転者の問題だけで再発を防ぎ、ゼロにすることができるのでしょうか。人間の注意力には限界がある。これも事実なのです。
私はこう思います。子どもたちが毎日通うのが通学路です。ここに車道と歩道を分離する防護柵があれば、又はクルマが乗り上げないように歩道が十分に高ければ、この悲劇は未然に防がれたということです。この事故を契機に、全国で先ず、通学路の点検整備を行うことが必要と思います。社会がその安全を守るべき子ども、お年より、歩行者などは、二重三重のバリアーで護られなくてはなりません。事故が起きてから整備するというのでは遅いのです。

私の娘の場合も歩道が未設置であったことが一つの原因でした。私は娘を失って以来、いつも頭の中で「結果には、必ずそれに至る原因がある」ということを反芻しています。
昨年、東京で列車脱線事故が起きた時、ある新聞のコラムは「要因の連鎖」という言葉を使い、「もし○○であったら」という予測される要因全てを、事前にチェックすれば同様事故は防げるだろうという趣旨のことを述べていました。
飛行機や列車の事故であれば、事故原因が徹底的に究明され、再発防止の抜本対策がはかられるのは極当たり前のことです。しかし、道路上の一般車両事故の場合、そうなっているでしょうか。
私は、交通犯罪や、交通事故被害を限りなくゼロにすることは可能だと思います。現在の科学技術の発達を、生命や身体の安全のために向ければ必ずできるはずです。しかし、残念ながら今はそのようにはなっていないのです。何故なのでしょう。

資料2をご覧ください。総務庁が毎年発表する「交通安全白書」。今年度平成12年版の特集は「『交通事故における弱者及び被害者』の視点に立った交通安全対策と今後の方向」でした。この中で大変気になる記述があるのです。
「社会として自動車交通の便益を享受している以上、自動車交通社会の便益の裏返しとしての社会的費用である交通事故の被害を最小化するとともに、その負担を個人の苦しみとしては可能な限り軽減するため、社会全体がバランスよく負担」という箇所です。「社会的費用としての被害」だから、ある程度の犠牲は仕方ない、私はこの記述にがく然とし、怒りを覚えました。こうした考え方から帰結するのが、原因究明と事故後の再発防止策の不十分さです。

資料3をご覧ください。日本の交通事故の特徴は、クルマに対しては被害者としかなりえない歩行者、自転車の事故の割合が極端に高く、子ども、お年寄りへの人権侵害が日常化しているといえます。「白書」は、この事実をあまり強調しません。

私たちが望むのは、一つひとつの事故から教訓を引き出し、同種の犠牲は絶対に出さないという社会の対応です。運転者の問題とは別に、もしこれが改善されていれば肉親の犠牲はなかった、という会員の指摘もたくさんあります。
・歩道が設置されていれば
・子どもが安全に通れる自転車道路が整備されていれば、
・歩行者が青の時、右左折車輌は赤という分離信号になっていれば
・中央分離帯ができたとき、横断歩道が増設されていれば、
・優先をはっきりさせる一時停止の標識が設置されていれば
・トラックの死角を生むフロントガラスの装飾板禁止が徹底されていれば
などです。

私は事故ゼロという私たち共通の願いを実現するために、交通事故に対する見方を根底から問い直すことが必要と思っています。私たちの感覚は、あまりにも日常的に起こるためでしょうか、もはや、交通死による人間の死を異常とも感じない、ある意味異常な社会がつくられているのではないでしょうか。今一度、命はあがなえない、人の命は何より重いということを全ての基本において、人権侵害としての交通被害をゼロにするという決意で全ての方策をとらえ直すべきではないでしょうか。

公共交通機関を整備し、クルマ依存から、歩行者、自転車、住民の安全という方向に、道路や街づくりを転換すべきです。
スエーデンでは、「子どもは小さな大人ではない」から「子どもを交通環境に適応させるのではなく、交通環境、道路を子どもに適応させよう。この環境はお年寄りにも合う」として、幼児歩行者死亡を10年間で10分の1に減らしたといいます。
日本国内でもすでに、いくつかの先進的取り組みがあると聞いています。横断歩道や交差点の手前で、減速しなければクルマを走れなくするハンプの設置や、住宅街で意図的に道路を蛇行させスピードを出せなくするシケイン、そして住宅街への乗り入れ規制、ゾーン30という速度規制。さらにクルマの総量規制など、歩行者優先の街づくり、クルマと真に共存できる交通環境づくりなど抜本的施策を求めます。

最後になりますが、交通事故被害はかけがえのない人間の生命の問題です。人身をともなう事故の、その後の全ての過程において、いささかも軽んじて欲しくないのです。
「交通犯罪という人権侵害の日常化をそのままにして良いのか」。この問い直しから21世紀が真に人間性豊かな世紀になるかどうかが問われていると思います。私たち被害者はそのことを訴え、提言をし続けます。道庁や、道警からも提言をお願いしましたが、全国ワーストワン返上というような当面の目標だけを掲げるのでなく、全国、いや世界に先駆けて、この北海道から交通事故被害をゼロにするための抜本的な取り組みが始まることを強く期待しまして提言とします。

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