教育・交流情報

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書籍紹介

Win's Story of Hope  Always Your Child
ウィンの希望のものがたり  いつも あなたの こども

小栗幸夫著   英訳付き  「じゃこめてい出版」
  (1200円+税 2012年6月発売)

■ 著者は、ソフトカーの研究実践を進める千葉商科大学政策情報学部教授。2009年4月「脱・スピード社会」(本ページ次項)を出版し、同年、北海道交通事故被害者の会が主催する「世界道路交通犠牲者の日 北海道フォーラム」で講演されています。
講演記録:「まちと命を守る「脱スピード社会」)

■この絵本のモチーフは、表紙の帯に書かれた「突然世界が消え・・・わたしは風になりました」「愛するわが子を奪われる悲しみと、いのちを守ろうとする思いから生まれた再生の物語」というものですが、このモチーフは、上記札幌での講演の際に、最後のスライド(左下)で紹介されていました。私たち交通犯罪被害者との交流もこの絵本誕生の重要な契機になったと聞いています。

■ 著者が作成し管理している「ウイン」のホームページもご覧下さい(「ウインの希望のものがたり」へようこそ
■ 読売新聞の記事が著者のブログ(2012年8月12日)で紹介されました。 →ソフトカーダイアリー

■ 巻末の、「著者より」の冒頭部分
「あまりに多くの子どもたちが風になってしまいました。もし、私たちが責任をもち、決意を持って行動していたら、膨大な数の子どもの生命を救うことができたのに。ウインの話しを言葉にし、線を描き、色づけをしながら、私はなんども目頭を押さえました」
「都市計画を専門とするものとして、私は、自動車と道路があまりに重視され、コミュニティと自然が破壊され、多くの人間が死傷する状況を変える方向を探 し、ソフトカーという考えを思いつきました。ソフトカーは、道路にふさわしい異なるレベルの最高速度を設定し、それを歩行者や他の車の運転者などに表示す る車です。いまあるどんな車(ハードカー)も、装置を組み込めばソフトカーになるという考えです」

「アマゾン」のレビュー より
「悲しみからの希望」
私の娘もこの物語のウインです。読み終えて、事件当時のことを思い出しました。17歳だった長女が、前方不注視のクルマに轢かれて、私たちの前から突然 消えてしまうという悲嘆と絶望の中、こんな不条理を繰り返してはならない、娘は天国に旅立った時から私たち夫婦だけの子ではないのだ、世界の人の子どもな のだ、そう考え始めたのです。ウインは風になった長女でもあり、「悲しみを知る者の希望」の原点を問い掛けてくれる、優しい世界の子どもたちです。   (投稿日 2012年6月22日 投稿者 前田敏章)

「脱・スピード社会」~まちと生命を守るソフトカー戦略~

発行所:清文社、2009年4月20日 発行

■著者:小栗幸夫(千葉商科大学政策情報学部教授、ソフトカー・プロジェクトチーム代表、)
■本の紹介、購入の案内はこちら→「脱・スピード社会」
■帯タイトルより
危機の今こそ、自動車のスピードについてオープンに語ろう!
風とともに、あらゆる世代の人々に贈る、著者渾身の研究ドキュメント!
過去100年の自動車と都市開発の歴史をたどり、18年間の構想と2000年からの実践(ミレニアム・プロジェクト、愛・地球博、全国キャラバン、道路交通被害者との交流、オバマ氏への手紙)を伝え、未来へのソフトカー戦略を示す。

「スピードへの幻想から人々を解放する提案に、世界は眼を見張るでしょう」(ブリジット・チョードリー:イギリス・ロードピース創設者)

アマゾンのレビュー投稿原稿 (投稿日 2009年5月28日 投稿者 前田敏章)
「静かに進行する大虐殺」、これが世界で1年間に120万人の死者、負傷者5000万人とも言われる道路交通被害を表す的確な言葉です。しかし、この非可逆的で甚大な犠牲は、時間的空間的に散発して起こることから、効率、開発、そしてスピードの価値を優先して押しつけられた現代社会において、人々は容易に感覚麻痺に陥り、日常の「仕方のない事故」とその重大性を見過ごします。
著者はこの被害を、コミュニティや自然の破壊と併せ、自動車の高速化と普及がもたらした「20世紀のディレンマ」と捉え、自動車が生まれてから120年、スピードに酔い理性を失ってきたその歴史と、課題克服への道筋を説きます。実践的にも、政府のミレニアム・プロジェクトにも採用された「ソフトカー(速度制御カー)」の開発と普及活動(社会実験)、被害遺族との貴重な交流などがドキュメントとして読みやすく書かれています。
かくいう私は、前方不注視の運転者により17歳の長女を喪った「遺された親」です。娘の無念を想い、交通死傷被害「ゼロ」の社会をと願い、高校教育に携わる身なので「スローライフ交通教育」の実践も手がけているのですが、教材ともなるこの本に出会えたことで、大いなる希望と勇気を得ているところです。体験講話などでも「クルマは速く格好良く走るものではない。理性でクルマの属性(有用性)を見直そう」と訴えていますが、日本における身体犯被害(2006年は約114万人の死傷者)の96%は交通事犯という現実を直視するとき、速度制御の社会的システム構築は急務です。
本書は、自身のライフスタイル見直しに沢山のヒントを与えてくれるとともに、21世紀の真に安全で豊かな社会へ、世代や国を超えてつながるものです。

書評に代えて
掲示板サイト 世界道路交通犠牲者の日・つながるプラザ への書き込みより

「読み中ですが、素晴らしいです!」
投稿者:前田敏章 2009年 4月19日

心待ちにしていた小栗先生の本「脱・スピード社会」を手にしました。未だ読み中ですが、素晴らしいの一言です。全部読み終わる前に感想を書きたくなりました。帯タイトルにある通り、小栗先生の「こん身の研究ドキュメント」であり、チョードリーさんの「スピードへの幻想から人々を解放する提案に、世界は眼を見張るでしょう」というメッセージは的を射ています。

交通事犯被害者の会にとっても、そして私が幾人かの仲間と続けている「スローライフ交通教育」のとりくみにとっても、大きな援軍であり、教材そのものになる労作です。(私は、明後日も札幌市内高校で予定の交通安全講話を行うのですが、最近の講話では、レジュメにソフトカーのことを明記するとともに、朝日新聞の井上記者の記事「安全な車 遺族と作る」(p370)などを資料として使っているところです)

昨日は上京して、11月の犯罪被害者週間全国大会の実行委員会に出席していましたが、東京に向かう飛行機の中で拾い読みした「社会革新のためのモデル」 (p426)の図表が眼に入り、得心させられました。ソフトカープロジェクトの活動の意義とともに、「ハートバンド」とういう全国の被害者団体(現在19 団体)が、緩やかですが、集まり交流し、支援者とともに現状と課題を明らかにして全国大会で広く訴えることの大切さを再認識させられたのです。そして今 日、帰りの飛行機の中で、第1章から読み始めたのですが、例えば、第2章1-5の[3]「技術の平和管理」のページでの指摘など、新たな視点を与えてくれ る貴重な論考ばかりで、これからのページが楽しみです。

さらに・・・
拾い読みで先に読んだ第7章で、私たち交通犯罪被害者との交流の過程を優しい眼差しで丁寧に書いてくれたことに感激しながら、最終節の「おわりに」の「風 たちへ、風たちに」の項で、「この本を、突然、巨大な衝撃の中で未来を奪われてしまった、幼い命、若い命たちに捧げたい」との一文に接したとき、感極まっ て涙がこぼれました。それは小栗先生への尊敬と感謝の気持ちと同時に、亡き娘の無念を想い、遺された者の使命を改めて強く感じたからと思います。

この本から沢山のことを学び、そしてこれからの活動に生かしたいと思っています。早速札幌の本屋で、店頭にあった一冊を買い求め、二女(亡き長女の妹)に 託しました。私も「さわやかな風」と一緒に、「脱・スピード社会」の理念への共感を世界のすみずみに届け、広げる役割を精一杯果たしたいと思ったからで す。二女もしっかり受け止めてくれました。

もう一つ。最終ページで、「私が残念なのは、交通被害で重傷を負い、その傷みの中で生き続けている方々とまだお会いしていないことだ。この本はそうした苦 難の中にいる方々やその家族の方のものでもある。・・・」と述べられていることですが、先日発行した北海道交通事故被害者の会の会報29号12pに掲載している米内隆輔君のご家族には、早速この本のことを伝えたいと思っています。

返信投稿者:小栗幸夫 2009年 4月20日

前田さんの素晴らしい読まれ方と心温まる感想に感動しています。この本は厚くて読み始めるのに抵抗を感じるかもしれない、しかし、拾い読みしていただければその部分だけでも理解していただける、そして、部分と部分は関連している、全体をを通して読むとスピード社会の構造と、それから脱する意義が理解していただける、そういうつもりで書き、構成しました。前田さんはそのことを的確にご理解いただき、感想を述べていただきました。

おっしゃるとおり、この本は、突然の衝撃の中で未来を奪われた幼い命、若い命に捧げるものです。私と同世代、あるいは、年上の方々は、この本をいろいろな場所に届ける協力者になっていただける。同時に、多くの重傷の方々、そのご家族のもの。本の終わりに書いたこれらのことは、私がかなり厳しい本の作成過程(主に時間的な厳しさ)で書いたもので、早朝寝覚めて書いたものです。私がどうしてもこの本を書かねばならないと思ったことです。

「社会革新のモデル」も「技術の平和管理」も、これまでしてきたこと、心ある方々がされてきたこと、これからのすべきことを短くまとめるとどう言えるか、と考えて記したものです。前田さんはそれらのすべてに気づいていただいています。書いたものとしてこれほど嬉しいことはありません。

ぜひ、みなさんも拾い読みを、そして、感想をお伝えください。ソフトカー・ダイアリーに転載させていただき、「脱・スピード社会」の理念をさらにみんなで議論し、共有していければと思います。

前田さん、本当にありがとうございます。そして、また、感想や反響をお伝えください。 追記:米内隆輔君の卒業 おめでとうございます。

ご家族、病院、学校の皆様のご努力に敬意を表します。同時に、このような不条理を個人の努力や善意で克服することには限界があり、あまりにその犠牲が大きいと思います。この不条理の発生を根絶することこそ必要。
隆輔君、ご両親、病院、学校の皆様、そして、HBC報道部山崎裕侍さんによろしくお伝えください。

「11時間」  ~ お腹の赤ちゃんは「人」ではないのですか ~

江花優子著 小学館  2007年 7月

北海道交通事故被害者の会の世話人でもある細野雅弘さん一家が被った交通死傷事件を、フリーライターの江花優子(えばな・ゆうこ)さんが取材し、胎児の人権問題として世に訴える力作。最初のレポートは「女性セブン」2006年3月23日号。見出しには「妊娠31週での事故、帝王切開で生まれたわが子は11時間で死亡。『殺人罪』を訴える遺族の叫びに、あなたはどう答えるーーー」とあった。 交通犯罪被害者が受ける不条理を、その柔らかな感性で真摯に受け止め、鋭い知性で緻密に調べ上げたレポートは、その年の小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。そして作品は、さらに加筆され、テーマは絞り込まれ、「人の命を尊ぶことの真の意味」を問う本書となって現れた。

未来と希望、その全てを理不尽な交通犯罪によって奪われた亡き娘と共に「命の尊厳」をと訴える私にとっても、「11時間」は新たな活動の勇気、生きる力を与えてくれる。是非ご購読を。(07/07/27前田)※細野さんの事件の札幌地裁判決の記事は→2005/11/13「毎日新聞」 

北海道新聞、2007年7月22日、「ほん」欄より

訪問  「11時間」を書いた 江花優子さん

サブタイトルは「お腹(なか)の赤ちゃんは『人』ではないのですか」。二○○三年十二月に札幌で起きた交通事故を題材に、胎児の人権を問う渾身(こんしん)のリポートで、小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作。「胎児はいつから“人”となるのか。多くの人に問題を知ってほしい」

「胎児の人権」を問題提起

札幌市の自営業細野雅弘さん(33)が同市内で乗用車を運転中、ハンドル操作を誤った対向車と衝突。細野さんと、同乗の妊娠八カ月の妻が負傷、帝王切開で 生まれた女児が十一時間後に死亡した。○五年十一月、札幌地裁は胎児を妻の「身体の一部」とし、加害男性に業務上過失致傷の罪で、禁固二年、執行猶予四年 の判決を下した。

江花さんは致死罪を問えないことに疑問を持ち、週刊誌の仕事で夫婦を訪ねた。亡くなった女児の写真に「まゆ毛もしっかりして、ほっぺたもぷくっと膨れて いる。この子をなぜ司法が人ではないと決めるのか」と衝撃を受け、胎児の人権について、さらに深く知りたいと考えた。

本書では「胎児は人間ではないのか」という夫婦の思いのほか、札幌地裁判決について、医師や刑法学者、宗教家らの見解を詳述した。刑法上は、母体から胎 児の体の一部が露出した段階を出生とするのが通説。しかし、医師は「三十週を過ぎれば早産というだけで、きちんと育つ。医療の世界では、胎児は確立された “人”」とし、医療の進歩と法律論とのズレが浮き彫りになる。

人工妊娠中絶せざるを得なかった女性や、望まぬ妊娠をした女性の出産を支援する市民団体の活動も取材。さまざまな立場から、胎児の命の重みを考える構成 にした。○六年六月、交通事故で妻が負傷、事故後に出生した男児が死亡した裁判で、静岡地裁浜松支部が加害者に業務上過失致死傷罪を言い渡した、全国初と みられるケースも紹介した。

「立場や人によって命の考え方が違い、取材すればするほど迷い、難しさを感じた。問題提起と受け止めてほしい」。取材を受けた細野さんは「亡くなった子 供への責任感から問題を訴えてきた。五官に訴えるよう書かれた本なので、読んだ人に(理不尽さを)実感してほしい」。
大阪府生まれの三十三歳。高校卒業後、編集プロダクションを経て、現在はフリーライターとして雑誌などに執筆。東京都在住。(小学館 1575円)
東京社会部 栗山麻衣

「いのち・未来へ」

特定非営利活動法人 いのちのミュージアム
「アートヴィレッジ」 1429円+税」 2009年10月刊

愛しき者のいのちを 理不尽に奪われた 家族たちの心の叫び
千尋のページもあります。是非お読み下さい。

『交通死』-命はあがなえるかー

二木雄策著  岩波新書 518 岩波書店
1997年8月 630円

著者の娘さん(当時19才)は交差点を自転車で横断中、信号無視、前方不注視で直進してきた貨物自動車にはねられ死亡した。この本は娘さんの「戦後処理」として著者が闘い抜いた刑事裁判、民事訴訟の記録であり、被害の立場から現代日本の交通犯罪を告発した書である。

かくいう私は、著者と同じく前方不注視の運転者により高校生の長女を轢き殺され、悲嘆に暮れている者である。私たち被害者の切なる思いを余すところなく 代弁してくれている本書によって大いに勇気づけられた。交通犯罪による悲劇根絶を願うすべての人に読んでもらいたい一冊である。

二章〈被害者抜きの形式裁判〉は交通犯罪を裁く刑事裁判の実情である。信じ難いことだが、捜査の段階から起訴、裁判と全ての過程で被害者側は蚊帳の外 である。「公訴は、検察官がこれを行う」からである。公判においてさえ、被害者の側が本人に代わってその衷情を訴える機会は与えられない。これは、加害者 側が情状酌量を求めて、証人を立て、あるいは被告人本人が、謝罪の実情や示談の進み具合などを裁判官に直接訴えることができるのに比べると明らかに不公平 である。著者は「(裁判官・検察官・弁護人の)三者によって演じられた馴れ合いのパフォーマンス」「魂のない儀式」と断ずる。

第三章〈軽すぎる刑罰〉では、交通殺人の量刑がバイク窃盗や短銃持ち込みと同等という実例をあげ、さらに最近の寛刑化傾向とその要因も述べて、交通犯罪に寛容な司法の問題点を指摘している。
私が驚嘆したのは、第四章以下で展開される損害賠償を巡っての緻密な闘いとその分析である。最初私は、著者が経済学専攻の大学教授であるとしても、本人 訴訟を選び、逸失利益の男女間格差など闘い続けた冷静さが理解できなかった。しかし最後まで読んで得心した。著者は「機械的・事務的に処理することで(交 通)事故を日常の中に埋没させてしまっている、我々の社会の異常さ」を告発するために、そして「娘をあくまで人間として扱いたかった」という父親の思いか ら「闘った」のである。

そこでは、日本の自動車保険が、損害賠償の本質を隠蔽し錯覚させる矛盾した制度であること。自動車事故を、社会が当然に負担すべき「費用」とみるような 合意があるためか、加害者さえもが「不運」だったとされ、その責任が不当に薄められてしまう「人間よりも車を重視した異様な社会」であることなどが論理的 に述べられる。(第四章〈ビジネスとしての賠償交渉〉)

また、人命軽視につながる損害賠償の定型化・定額化を批判。賠償問題の解決は、加害者が、弁護士が、保険会社が、裁判官が、そして車を運転する人が、そ もそも「命はあがなえない」という解決できない矛盾として認識するという、被害者への思いやりから途が開かれるとの訴えは共感的。(第六章〈定型・定額化 している損害賠償〉)

最後に「人間の死を日常の中に取り込んでしまい、それを異常だと認識しないことに戦争の真の異常さがあるとすれば、現在の日本はまさに交通戦争の真っ只 中」という著者は、戦争を終わらせるには、まず「この社会に住む我々一人ひとりが戦争(=現在の「くるま社会」)の異常さを認識」しなければならない、と 結ぶ。(終章〈日常化した交通事故〉)

前田敏章 (「脱クルマ21」第3号(生活思想社)1998.4.10.掲載)

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