LDBOX 解説書 紹介

 
戻る


豊かな黒髪と遠い異国の瞳を持つ少女が

船を降りた――。

1885年・冬、倫敦

少女の名はセーラ・クルー

そして、ここから一つの気高い魂の物語がはじまる。


『小公女セーラ』は現代のシンデレラ・ストーリー

 『小公女セーラ』が世界名作劇場シリーズの第11作の作品として放映されたのは1985年である。この名作シリーズでは、トム・ソーヤーの冒険以後、日本では比較的知られていない作品が取り上げられていたが、久しぶりに知名度の高い原作を、ということで『小公女』が選ばれている。この頃しばらく少女が主人公の作品が続いたが、なかでも『小公女』はいわばシンデレラ・ストーリーの代表として大変人気の高かった物語である。

 『小公女セーラ』という物語は19世紀末ヴィクトリア時代の華開くロンドンを舞台に、インドから来た一人の少女、セーラ・クルーを中心に物語が進行していく。だが、実際に描かれるのはそのほとんどがミンチン女学院の中という非常に限られた空間である。寄宿学校という中でのごく限られた人間関係で展開していく話なのだが、肝心の主人公であるセーラはやや可愛げのない主人公として登場する。名作シリーズの主人公につきものの「明るく元気な」キャラクターはセーラには当てはまらない。セーラが大変賢い少女であることや、周囲の人間の本質を見抜く鋭い感性をもち、自身の理想の世界観にかたくなにまで忠実なのは、周りからすれば単にむずかしく生意気で頑固な子供でしかないかもしれない。もっともセーラの本来の優しさや思いやりとあふれる想像力が、人を惹きつけるのだが、彼女自身は誰に対しても自分がどう思うかで行動するため、不正を見過ごしたり妥協することがない。よくいえばクラスの学級委員タイプであろうか。そうかといえば、自らの運命に対して何かを積極的に働きかけることもなく、あくまで受け身のまま、静観しているようなところがある。高いプライドを持ち自分の意見をはっきりと語るものの、それは自分の立場や心を伝えるだけで、それによって周囲を変えようとしていないのである。そんなセーラを中心とする物語では、セーラが絶えず自分を流れの外に置いて冷静であろうとするために、自然とセーラの周囲の人物の思惑がクローズアップされてくる。実際セーラの脇を固めるキャラクターも、どの人物も大変に個性的である。学院の中の少女たちはどの子もひとくせふたくせある子ばかりである。泣き虫、忘れん坊、意気地なし、権威主義者や集団の中に埋もれて身の保全をはかることなかれ主義・・・。中でも強烈な存在だったのはミンチン先生とラビニアだろう。セーラも含めてそれぞれの登場人物は皆、面白いほど自分の欲望に忠実に生きているが、この二人はだれにはばかることなく自分を誇示していく。女だけのごく閉ざされた空間の中で、力関係だけがその場を支配する。絶対的な権力を持っていたにもかかわらず、特別寄宿生だったセーラに心ならずもへつらい続けたミンチン先生。ミンチン先生の価値基準がお金という大変分かりやすいものだったため、やることは露骨ではあっても要は単純なのである。見方を変えるとギャグになりかえないミンチン先生の行動は、マイーペースのセーラにことごとくかき乱されていく。またラビニアもセーラに対する純粋な嫉妬心(純粋なのだ)を持ちながら、クラスメートの人気を集めるセーラに手をこまねている。だから頂点にいたセーラとミンチン先生の交代劇は見物である。以後、もっとも弱い立場に置かれることになるセーラを巡ってミンチン先生とラビニアの逆襲が始まる。セーラが精神世界においては常に誰よりも優位に立とうとしていたこと、また実際、存分に権力を行使しながらも優越感を満たされることがなかったミンチン先生とラビニア。それだけにお互いの価値観をめぐっての防衛合戦は次第に熾烈をきわめていく。原作においてはセーラの想像に救いがあるが、アニメではこれでもかこれでもかとエスカレートしていくのは、アニメの主題が「女の嫉妬」であることにほかならない。

 そのセーラの境遇が暗転したあとのわずかな味方となっていったのは、ベッキー、アーメンガード、ロッティそしてねずみという、これまた無力な者たちだった。彼等もまた別のところでしいたげられ、助けを必要とした存在だった。セーラを必要とし、何がしかの助けを求めて集まる彼等であったが、セーラは弱さを全面に自分にぶつけてくる彼等によって逆に自分の存在の必要性を知り、自分を保つことができたのではないだろうか。すべてを失ったセーラが、心だけはプリンセスでいようと自分で自分を励ましていくが、現実がままならないほどに想像力の限界に突き当たる。いくら「食べたつもり」になってもお腹はひきつるひどに苦しい時もある。セーラにとっては自分がまだ何かを与えられる存在でいられたことが、彼女のぎりぎりのプライドを保てたのかもしれない。人は逆境が耐えられないのではない。何よりも自分が必要とされないことに耐えられないのではないだろうか。

 夢の世界に生きていられたお嬢様の頃には味わうことのなかった体験が、やがて次第にセーラを現実の世界に向かわせることになる。想像の世界を徹底的に破壊されて、原作にはない学院追放までされて追い詰められていくセーラだが、ピーターと下町の生活を目のあたりにして、遂に自分の力で生きていくことを決意する。だが突然運命がまた回りだして、結局セーラもミンチン先生もラビニアも誰も何も変らずに物語の始めの関係に戻っていく。プリンセスの座に戻ったセーラはミンチン女学院に多額の寄付をして、インドへ里帰りする。相変わらずお金に支配されているミンチン先生と、政治的判断で握手の手を差し伸べたラビニアに対して、セーラは余裕の笑顔で答える。原作ではセーラがきっぱり学院をやめてしまうラストシーンを、アニメでは「女の嫉妬」への確執を超越するセーラとして描いている。ただの勧善懲悪ものではない、あまりにも現実的なそれぞれの葛藤が、現代の新しいシンデレラ・ストーリーなのだ。


ページ制作協力・カトリの部屋 よっきぃさん