小公女セーラ論


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● 何故、ああいうデザインになったのか Ver.0.5

ドグ2さん制作 )

※視聴率と原作
    前年のカトリが作品の面白さとは無関係にかなり低迷していたのは事実であり、
    いつ切られてもいいような作りになっていたのは凄く残念でした。
    だから、セーラでは露骨に視聴率を狙いに行ったのだという意見もありますが、
    私は違うと思います。
    やるからには沢山の人に観てもらおうというのは、製作者としては至極当たり前
    の事ですし、セーラ自体が日本アニメーション流に当時の社会問題を内包したカ
    スタマイズを行っていたり、従来の牧歌的雰囲気の原作を選ばずに、都会的な雰
    囲気の原作に変えたり、キャラデザインを時代に合った物に変えたりと、かなり
    冒険をしました。
    これはいわゆる名作劇場を覆っていたマンネリズムを打破しようという意志の現
    われではと思います。
    その甲斐あって視聴率的にはかなり健闘しました。
    これは視聴者がこの作品を見たいと思った結果であり、スタッフの冒険が成功し
    たと言えるでしょう。
    これに関連して名作劇場が打ち切られてしまった原因を考えると、名作劇場はか
    くあるべきという路線を、いつも見てる人やスタッフが決め付けた事が、一般視
    聴者に飽きられる原因になったのだと思うのです。
    (一般視聴者の空気やニーズに鈍感だった/スタッフにも慢心があった)
    個人的に思うのですが、文学というのはそんな高尚なものじゃなくて、あくまで
    エンターテイメントの1ジャンルに過ぎないと思うのです。
    だから、原作が著名人であろうと誰であろうと、日本の放映される時代に合った
    アレンジというのは、必要不可欠だと思います。
    (エンターテイナーとはサービス業ですから自己満足ではいけません)
    (過去に定評のある作品でも今に通用するとは限りませんし)

※シナリオ編
  ・アレンジについて
    基本的には、原作の大筋を守るという部分が、名作劇場の暗黙の了解でした。
    しかし小公女の場合、原作に忠実にしてしまうと、日本人には嫌味に映る可能
    性が大です。
    特に、ラストをああいう風に処理したのは、いかにも日本的と言えます。
    ラストに関しては、個人的にはこう解釈しています。
    原作・・・・クリスフォード氏に発見されてそのまま去った
    映画・・・・ミンチン院長などに復讐をします (米国版)
    アニメ・・水戸黄門の様にミンチン院長にちょっとした仕置きをした
              (ダイヤモンドプリンセスの格好を見せただけですが…)
            学院への寄付をした
              (あそこまで酷い事をされても寄付をするという事は、冷静に考える
               と、引き金となった父親死亡による損害のお詫びともとれる)
    また、原作よりも強烈な虐待やいじめに遭いますが、ここらは放映当時の日本の
    社会情勢を踏まえての事と思います。
    これについては色々意見があるでしょうが、母をたずねて三千里と同様に、日本
    アニメーション流に大幅なアレンジをしたのだと考えられます。
  ・悲惨度について
    悲惨度ではシリーズ中1番だと思います。(フランダースの犬は終盤にきて悲惨
    になり最後には死んでしまいますが、終盤になるまでは貧しくともまだ幸せそう
    でした)
   死んだことによりシリーズ中1番悲惨な作品として扱われますが、意外とそうで
    もないと思います。(ネロはセーラほど精神的に脆くないですし)
   ちなみにネロの死因は餓死&凍死ですが、本当の原因は周りの愚かな大人たちに
    あると思います。
    もし、セーラが最後にフランダースの犬みたいに死んでしまったら、救いようの
    ない程に悲惨な話になっただろうと思います。

※キャラクター編
  ▼セーラ・クルー
    ・何故、殆どいじめや虐待に対して反抗しなかったのか?
      立場上出来なかったとか、精神的に脆いお嬢様という見方も出来ますが、敢
      えてバーチャルにいじめの現場を再現してみせたと思うのです。
      もし、ありがちな前向きGoGoな性格だと、いじめられる側の心理という
      のがボヤけ気味に映った事でしょう。
      原作を忠実に移植するよりも、その時代の日本の社会問題を含ませた方が、
      意義があったと思われます。(名より実を取った)
      それを、夜7時半なファミリーゴールデンタイムに見せつけるというのはと
      ても劇薬なのですが、良薬口に苦しと同じで効果がありましたし、実際、反
      響があったのを記憶しております。
      放映当時は、普段は名作劇場を見ていない人でも話題にのぼる程でしたし、
      今でも、知人・友人関係では、セーラは心に残った作品だと言います。
      ちなみに、こういう作品の雰囲気を反映して、アニメ業界初の演歌的メロデ
      ィーを持つ暗い主題歌になったのだと思います。
      個人的に思うのですが、いじめとは加害者の意識改革で、どうにでもなるも
      のだと考えます。いじめた本人は面白半分でも、いじめられる方は深刻なも
      のです。しかも、いじめる方は卑怯な事に徒党を組んで来ます。決して一人
      ではしないものです。
      仮に、主人公が前向きな性格であったとしても、それは問題の解決とはなり
      えません。要するに、加害者が相手の心や体の痛みを分かる想像力が無く、
      自分本位という個人主義が引き起こす事だと思います。
      加害者がよく言い訳に使うのが、あいつは暗いからとか言いますが、それは
      加害者の価値観の押し付けでしかありません。(明るくてもいじめられる)
      明るかろうが暗かろうがそれは個人の資質であり、悪いという性質のもので
      はないのです。
      そこらは「健全な精神は健全な肉体に宿る」という体育会系の好きな言葉か
      ら来る精神構造ですが、これの本当の意味は「健全な精神は健全な肉体に宿
      れかし」であり、健全な肉体だけでは健全な精神は宿らないから頭も使いな
      さいよという嘆きの言葉だったといいます。
      これは日本が軍国主義に突入した時に、意味をねじ曲げられたのが、未だに
      残っているのです。
      昨今、個性を尊重するのが大事だと言いますが、社会性が欠如している状態
      では単なるパフォーマンスに過ぎません。
      そして現在。相手の痛みを分からない(想像出来ない)若者が、少年法の盲点
      を突いて極悪犯罪を犯していて、しかも反省していない状況です。
      こんな時代だからこそ、この作品を再放送する価値があると思うのです。
    ・何故、ベッキーに対して、最終回で待女扱いにしたのか?
      ズバリ、これは階級社会のイギリスに対しての皮肉と思います。
      (ダイヤモンドプリンセスやインドに対しても)
      セーラの序盤での公女様的態度というのは、日本人にとっては少し偉そうだ
      なと思われる節もありますが、これはイギリスの現実を日本人に見せ付ける
      意味合いがあると思います。(セーラは出来得る限りの事はしたと思う)
      ただ、それ以外の言動や性格を見ていると分かるのですが、個人主義の欧米
      とは違って、かなり博愛主義な感じになっています。
      これは育った場所のインドという部分が加味されているのか、日本人好みに
      カスタマイズされたかのいずれかと思います。(両方かも)
      この侍女扱いの部分だけを見て、セーラというのは差別をしているのかと騒
      ぐ方が居るかもしれないですが、差別だと騒ぐ方が差別していると思います。
      侍女という扱いにしても、本人達には関係の無い事であり、お互いに差別心
      などはないのですから。
      あくまで侍女扱いというのは建前上の話であり、セーラの気持ちとしては、
      親友として助けたかったのではと思います。
    ・浪花節なのセーラは
      主題歌やBGMが、演歌オーケストラという、かなり凄い音環境でして、嫌
      が上でも盛り上がります。
      作品内容も、ある意味お金に振り回されたという点で、多くの人間はお金が
      無くなった状態になると、態度を豹変させました。
      (利害だけで動く人を皮肉った部分もあると解釈します)
      でも、そうではない人も居ました。ベッキーやピーターやアーメンガードや
      ロッティなどをはじめ、街(店)の人なども人情に厚い人が多かったのが、と
      てもナイスでした。(個人的には"じゃがいもを拾ってくれる衛兵"が好き)
      セーラが最後に偶然にもお金持ちになったときの周りの反応が滑稽でした。
      また、最後のダイアモンドでお仕置きする所など、拝金主義者の一番好きな
      物で反省させる所などは粋だなと思いました。
      そういうお金に関する喜怒哀楽なんかは、吉本新喜劇やミナミの帝王やナニ
      ワ金融道の十八番です。
      これらの作品たちの大部分の心根というのは、相手をお金や権力で見たらあ
      かん。一番大事なんは中身や・・・という事です。
    ・第2の劉備玄徳?(但し三國志演義)
      人の心を掴むのが上手いセーラなのですが、やはり愛情の深さゆえでしょう
      ね。ある意味、リーダーに成る為のバイブル的な雰囲気すら漂っています。
      それに、頑ななまでに、自分というものを見失わず、自分の考え方を大事に
      しているのは、強い心根ゆえと思います。
      また、逆境にめげない強さというのは、見習うべき資質です。
      (ゴキブリ並の生命力も凄い!<こち亀の両津みたいです)
      並の人間があそこまでされたら、逆ギレするか、自暴自棄になるか、自殺す
      るかのいずれかでしょうし。(最近そんな事件ばかりだし)
      この小公女のシナリオというのは、実は原作者の体験を元にしたもので、父
      親と死別してから激貧になったのですが、残った家族と明るく暮らした事が
      糧となっている様です。
      ここら辺りの「くじけたら駄目」という精神は、エンディング曲の歌詞に表
      現されていますし、メインテーマとも言えます。
      (馬車が一瞬もたつく場面がありますけど、あれは偶然なってしまった事だそ
       うですけど、歌詞の内容とのマッチングが素晴らしいですね)
      また、セーラはやさしく繊細だからよく泣きます。いわゆる、感情に素直ゆ
      えと思います。もし、笑いたい時に笑えず、泣きたい時に泣けないのならば、
      それは別の意味で不幸と思います。
      これらの繊細さや人に慕われる資質や貴公女(貴公子)然とした資質などを総
      合すると、銀河英雄伝説のラインハルトにも似ています。
      (彼は冷酷な部分もありますが<だから曹操的なのですけど)
    ・セーラの成長した部分
      箱入りのお嬢様という事で、世の中の仕組みについて考えもしなかったし、
      身の回りの事は当たり前の事だと思っていた節があります。
      これは公女様の様に振るまっていた部分からも見て取れます。
      これがひとたびメイドになって、ベッキーやピーターの視点になって、初め
      て知った事が沢山あったようで、特に学院を追い出された時に、ピーターに
      色々と教えて貰った時、おぼろげではありますが世の中という物を知ったよ
      うです。これは、箱入り娘にして溺愛してしまったラルフが、セーラを世間
      知らずにしてしまったと言えます。(あのファザコンぶりは尋常じゃない)
      また、常に高い位置に居たので、逆境に脆くて、自立心にも欠けていたので
      すが、徐々にラルフの死のショックから立ち直り、ピーターやベッキーを見
      習い、自分の力で生きて行こうという意識が芽生えていました。
    ・無償の愛
      相手を思いやる心というのは、無償でなければならない。
      これは、逆説的に下心みえみえのミンチン院長との比較で、見事なコンスト
      ラクトを描いてくれます。
      特に、自分が空腹なのに、パン屋の前で空腹そうにしていた少女に、自分の
      分は一つだけでいいから、残りは全部あげるといった行動に現れています。
      もしこれが、ラビニアやミンチン院長ならば、自分本位(個人主義者)なので、
      相手にもしなかったことでしょう。
      また、相手によって応対を変えるラビニアとの対比で、セーラは厄介者扱い
      されていたアーメンガードやロッティなどとも対等に友好を交わしていまし
      た。そのセーラの態度が、苦境に立たされた時にも、彼女らは変わらぬ友情
      を見せたのです。
      (最終回ではラビニアとも仲良くなりたかったと告白するなど、器量の大きさ
       も垣間見る事が出来きます)
      また、相手がいかなる階級の人間であろうとも、個の人間として対等にお付
      き合いした事が、ベッキーやピーターの心を鷲掴みにしたのだと思います。
    ・娯楽の達人?
      セーラというキャラクターは潔癖なキャラクターと思われる方が多いかもし
      れないのですが、実際はそうでもありません。
      やる事さえやっていれば、これぐらいはいいだろうという、割とプロっぽい
      息抜きの方法論を持っています。(心の贅沢を知っている)
      それは序盤での馬車での外出や屋根裏での秘密会談などで証明されています。
      それにセーラのサービス精神の旺盛さは、自分も皆も楽しくというエンター
      テイメント関係者で最も重要な素養で垣間見る事が出来ます。
      その結果叱られても、全て自分が責任を負うという大人な一面もあります。
      (自由には責任が付きまとうという事を理解している)
      実はセーラはスナフキンの生まれ変わりかと思ってます。
      確かに、風来坊か否かという違いはありますが、人をうっとりさせる口上な
      どは、その真骨頂と言えるでしょう。
      (それをアニメ映像で表現する演出には難がありましたが...)
    ・花言葉とセーラ
      オープニングの赤いハイビスカスと、エンディングのひまわりという曲名に
      ついて考証すると、どうやら花言葉が性格付けの一端を担っているのが分か
      りました。
      ハイビスカス(赤)
        私はあなたを信じます・新しい美しさ
        新しい恋・勇敢 
        恋の噂が絶えない人です。それは太陽の様に明るくほがらかなあなたを、
        周囲は放っておかないから。
      ひまわり
        あなたを見つめる・あこがれ・熱愛・愛慕・光輝・敬慕・敬老の日
        ・情熱・輝き・あなたはすばらしい
        強い個性を持った人です。尊敬できる人を手本にして、小さな世界に留ま
        らず、大きな舞台に上がって下さい。
      全部ではないですが、かなりの部分が当てはまると思います。
      何というか、そういう細かい所まで作り込んで、しかも意味を持たせている
      点については感心してしまいます。
    ・セーラとパタリロとプリンセスメーカーの類似性
      少し脱線ですが、似ているなと思うのですよ。
      パタリロの場合は、本人がダイヤモンドプリンスです。
      しかも、バンコランが英国関係者なので、少なからず因縁を感じます。
      確か、マリネラ王国って、常春の島だったと思いますし。
      しかも、頭脳明晰という部分でも共通していますし。
      (セーラがクックロビン音頭を踊るという光景を想像してしまった・・・(笑))
      プリメの場合は、おいしい部分をつまみ食いしたんだろうなと思ってます。
      自分の娘に労働させたり、色々と教育したり、旅行に連れていったり、着せ
      替え(笑)を楽しんだり、まるで気分はラルフ氏かクリスフォード氏です。
      (労働の部分はミンチン院長気分を味わえる・・・)
    ・謙遜の美徳と大和撫子
      アニメ版セーラは、原作や映画のセーラとは違い、かなり日本人好みという
      か大和撫子っぽくアレンジされています。
      別にセーラが日本人という事ではなくて、日本でウケる主人公像を兼ね備え
      ていて、トゲのある言い方は「雪の日の追放」やラビニアの誕生日の専用メ
      イド化未遂事件などの緊急事態の時ぐらいで、殆どは抑え目の発言に終始し
      ていました。
      逆に、原作や映画のセーラはストレートにハキハキと自分の意見を述べてい
      る点において、これが西洋の美徳の概念なのかなと思ったりして、その差異
      に文化の違いを見る思いがしました。

  ▼ミンチン院長/ラビニア
    ・馬鹿とハサミは使い様・・・反面教師の代表格・・・
      馬鹿(お金)とハサミ(権力)とは、それぞれラビニアとミンチン院長に対応し
      ています。
      結局、二人ともセーラに振り回されたと思っている様ですが、それは本人達
      の勘違いであり、お金と権力の使い方を誤った為に、色々と難儀な事になっ
      たと思います。
      ある意味、セーラの鏡であった二人なのです。(ダークセーラですね)
      お金も権力も生き物です。でも、お金や権力が悪いのではなく、使う人間の
      意識に反映される鏡だと思うのです。
      これは、現在の資本主義へのささやかな警告とも解釈出来ます。
      お金や権力を行使する時は、影響の事も考慮しなさいよという。
      (共産主義礼賛している訳じゃないです。あれは枯れたフォーマット。)
    ・原作では教育者としては立派だったはずの院長が何故?
      何故、人間性も含めて、過激な性格にしたのかですが、生半可にちょっとは
      いい部分もあるのよ・・・としてしまうと、ミンチン院長の悪行にも仕方が無い
      よなと同情されてしまうので、敢えて愚鈍で性格を悪くしたのではと考えま
      す。理由は色々あるのですが、下手にボヤけた性格設定をすると、いじめる
      人に言い訳を与え、いじめられる方も悪いという無茶な事を言い出す人が出
      現するからです。(そういう人は一度いじめられてみるとよいのですが)
      こういう部分を加味して、敢えて善悪をはっきりさせたのだと思います。
      (昨今の少年法でも被害者よりも加害者の人権をどうのと言う方が居ますし)
      シナリオの問題としても、下手に院長やラビニアに同情が広がると、セーラ
      が健気に耐えているという部分がボヤけますしね。
      面白い事にアメリア先生(院長の妹)は別の意味で悪い人でした。
      勿論優しい性格なのですが、時々発する世間体を気にした発言というのが、
      セーラの心配よりも現実的判断をしている点が、ミンチン院長の妹らしいと
      思います。
    ・閉じた学院の恐ろしさ
      いじめというのは、外気の入りにくい密閉空間で起こるのが常です。
      それは、メンバーが固定されて、お互いの役どころを演じているのかもしれな
      いのですが。(弱い立場の人間が餌食になるのも常)
      特に、指導者が愚鈍で指導者本人が虐待などしていたら、結果は推して知るべ
      しです。
      そういう空気が、いじめという物を産むのだと思います。
      また、この作品では、ラビニアの腰巾着な二人がやっていた事ですが、いじめ
      てる本人をはやし立てたりしていました。
      そういう友人にしか恵まれなかったのは、ラビニアの不幸とも言えますが、類
      は友を呼ぶという部分もありますし・・・。
      そして他の生徒はただ傍観するだけでした...
      通常は自分がいじめられたくないものだから、一緒になっていじめるといった
      パターンが多く、その点ではまだマシではあったのですが、みんなと同じでな
      いと恐いのかはみ出すのが嫌なのか、これは卑怯な事であり協調性や団結の落
      とし穴はここにあると思います。
      (但しあまりに露骨な「エミリーの運命」の時は傍観者ではなかったですが…)
      これが、例えば世間に見える所で行われていたならば、注意する人も居ますし
      未然に防げるでしょうが。
      (最近は悪い子供を叱ると親が出てきて怒鳴り散らし反省しないですが・・・)
      これはある意味、教育業界の閉鎖性が生み出した物と思います。
      そういう意味ではとても共産主義的な現象と言えます。
      ミンチン院長は、やたらにセーラの矯正や修正をしてやると云ってましたし、
      実際そうしました。自分に逆らったのが正論であっても腹立たしいからでし
      ょうが、それを世間では粛清と言います。
      また、院長は生徒の手紙をいちいち検閲しています。あんたはKGBか?
      教育業界の人は、多様な価値観を理解出来るだけの度量と視野がありません。
      自分の信念だけを押し付ける方が多いですし。
      困った事に学校というのは逃げ場がありません。一度そういう行為があれば何
      度でも起こります。そして、進歩的文化人は、馬鹿な事に被害者の事を無視し
      て加害者の肩を持って、これは社会が悪いから起こった事であり大人が反省す
      べきと申します。・・・・全く凄い論法ですが、それが現実です。
      よく勘違いされる方が居て、子供は天使だから悪い事なんかするわけがないと
      いう考え方がありますが、子供にも善悪がありますし、子供も取捨択一をして
      いるのです。勿論、周りの環境もあるのですが、それは言い訳に過ぎません。
      悪い事をしたら罪を償う。これは当然の事なのです。
      (信賞必罰は大事で責任の所在をうやむやにしてはいけないという事です)
      ここらの指摘に関しては、日本アニメーションよりも、産經新聞やフジテレビ
      の思想の範疇と思います。
    ・経営センスゼロの院長
      まず、セーラが院長に目の仇にされるきっかけというのは、セーラに特別室を
      用意したりと、特別扱いした事が原因です。これはラルフが悪いのですが、院
      長にも過失はあります。
      それは、個々に掛かった経費を、代理人であるバロー弁護士に、逐一請求する
      べきでした。そうすれば多大な焦げ付けは発生しなかったはずです。
      それに、誕生日に本人が要求していないのに(セーラは内心、院長の下心が見
      えて嫌だなと思っていたのですが無下に断るのも角が立つので断らなかった)、
      ドレスやドールハウスなど、買わなくてもいいものすら買ってしまいました。
      (必要以上に豪華な誕生日パーティーも)
      ある意味、バロー弁護士の忠告と差し金とも言えますが、これは株に投資した
      様なもんで、セーラという株が暴落したからって、セーラを逆恨みする筋合い
      のものじゃないです。
      例えるならば、バロー弁護士は証券会社の社員と言えます。しかも、ラルフの
      会社が今何をしていて、どういう危険性があるのかという事を、よく知ろうと
      も説明しようともせず、事が起こってから仕方が無いと言う始末。
      ゆえに、世間知らずな院長は、目先の事しか見えずに、セーラの後ろにあった
      ラルフの財産に目が眩んでいたと言えます。
      だから、経営の初歩である、債権回収がうまくゆかなくて、その腹立たしさを
      セーラにぶつけた訳ですが、これは逆恨みと言えます。
      もし、そういう適正な処理がなされていたら、セーラは孤児院で普通に生活を
      していたはずですし、悲劇も起こらなかったはずです。
      そういう意味では、ナニワ金融道やミナミの帝王と通づる、金融アニメだった
      という見方も出来ます。(それらの作品でもお金絡みの喜怒哀楽がある)
    ・プライドがエベレストより高い
      ラビニアなのですが、セーラの持っているプライドとは性質が異質でして、あ
      くまで自分本位が出発点にあります。
      だから、セーラの様な博愛主義的共栄共存という発想には欠けてました。
      セーラの持っているプライドというのは、どんなに貧しくて困っていても、盗
      みをしたり、人から恵んで貰うといった事は、駄目だというブレーキ(恥)の事
      を差します。(ボロは着ていても心は錦という発想/実は日本的かも)
      確かにリーダーシップのあったラビニアなのですが、それは強引さに任せた強
      圧的な態度の上に成り立っています。
      でも思うのですが、挫折を知らないと、結果的にはろくでもない人間になって
      しまうと思うのです。それは、相手の気持ちになって物事を考えられないとい
      う部分で現れてきます。
      そういう意味では、挫折感をセーラによって味わったラビニアや、父の死と財
      産を全てを失って挫折感を味わったセーラは、いい人生勉強をしたのではと思
      うのです。
      でも、ラビニアにも良い点はあります。それは、言いたい事をハキハキと言っ
      てしまう点です。これはアニメ版のセーラにはない資質です。
      ハッキリ言うので、陰に篭もりがちな点も、分かりやすくなったのかもしれま
      せん。それが「どんなにいじめても、ちっとも堪えた素振りを見せないのが許
      せないのよ」というセリフに現れています。
      これは、スタッフが敢えて言わせたセリフなのだろうなと解釈しています。
    ・歴史上ではラビニアの方が善?
      歴史的事実を見れば、セーラとは植民地から富を吸い上げる悪い人の子供であ
      り、インド人からは人格面は別にして、確かに憎悪の対象だったでしょう。
      (父親が軍人という原作の設定の場合は侵略者ですし)
      また、イギリスにおいては、産業革命真っ只中であり、資本家と労働者との対
      立が深まる一方であり、ミンチン院長やジェームスやモーリーの嫉妬も当然と
      言えます。
      セーラの扱いと歴史年表を見ていると、ラルフの死というのは、ムガール帝国
      を滅ぼした頃で、その後、東インド会社を解散して、インド帝国を成立させた
      とあります。という事は、事故死ではなくて、住民の反乱で殺された東インド
      会社の人がラルフで、それを押し戻してイギリスの完全支配を成し遂げたのが
      クリスフォード氏であり、設立されたインド帝国に、凱旋帰国したのが最終回
      のセーラだったと解釈出来ます。(ビクトリア女王説も捨て難い)
      という事は、ダイヤモンドというのは、実はインドを支配した事で得られる富
      の事を暗喩していたのかもしれません。
      一方のラビニアですが、外見から見て分かりますが白人系人種です。
      という事は、イギリスから移民した人達と言えます。
      まず、アメリカはイギリスと独立戦争を起こして勝利しました。
      その後、自己の正義と欲望というフロンティアスピリッツの名の元に、インデ
      ィアンや南米から連れてきた黒人奴隷を迫害していた事実があります。
      (黒人奴隷やインディアンについてはトム・ソーヤの冒険の方が詳しい)
      そして1850年ごろに、アメリカ合衆国の形が完成しました。
      それはアメリカ人が忌み嫌った、イギリス人と大差ない侵略という形で。
      ただ、リンカーンの奴隷解放宣言などで、人権国家としてはイギリスよりもま
      ともという部分はあります。(あくまで形式上だけらしいですが)
      そしてラビニアは本国へ帰る訳ですが、お互い持っていた父親のバックボーン
      の差というのが、原作者からの皮肉ととれて仕方が無いです。
      個人的には、歴史的視点から見ると、両者ともに似たり寄ったりと思います。
      だからこそ日本アニメーションの人は、敢えてセーラの性格をいじったのだと
      思います。それはこういう事です・・・
      世の中に上下が無いというのは、現実問題ありえない事です。
      でも、戦争や侵略や差別なんてものは無い方がいいに決まってます。
      しかし、人間は欲望を持つ生き物です。(ここで共産主義は落選する)
      だったら、上下を無くせないならば、どうしたらいいのか?
      その答えがアニメ版セーラの生き方なのですよ。
      結局はこういう事です。上に立つ者はそれだけの覚悟と責任と博愛を持ち、
      万人が納得し得る力の使い方をしなさいよと、こういう事なのです。
      また、その自覚が無い者は、上に立つ資格はないのだという事です。
      (欲望の使い方を誤るなという事>健全な欲はむしろ推奨します)
      そして、労働者は働いた分はしっかり請求し、儲かったらより多く請求し、
      上に立つ人間が不正をしたり独占をしたならば解任すればいいのです。
      (これは政治にも応用できる理屈ですが)
      それが富の再分配であり、最終回にパン屋で見せた行動も、社会に貢献する
      という部分で、それを体現していると言えるでしょう。
      (まさしく「生き金(いきがね)」を使ったと言えるかと)

  ▼ベッキー
    ・女性はこのキャラの視点で見ると良い
      ちょっとドジで田舎っぽいけど、そこがまた魅力的なキャラクターでした。
      このキャラクターの存在で、セーラの都会っぽさが引き立ったという部分もあ
      りますし。
      とても身近に居て、セーラを姉の様に慕っていましたし、困った時でもお互い
      助け合うという、セーラが何とか平静を保っていられた心の支えと言えます。
      学院で唯一、自由に会話が叶うキャラでしたし、その存在は重要です。
      まさしく、身近に居て苦楽を共にしたキャラクターと思います。
      個人的には、ベッキーがセーラの誕生日に贈ったプレゼントの話が印象的で、
      セーラ自身も、院長の下心ミエミエの豪華なプレゼントよりも、心が篭もって
      いたベッキーのプレゼントは、質素な物であろうとも喜んでいました。
      それがベッキーの持つ、やさしさの一端だと思うのです。

  ▼ピーター
    ・アニメ版には欠かせない役割
      かなり身も蓋も無い言い方ですが、ファミリー向けだったので、男性視聴者の
      事も意識しないといけません。
      それゆえ、主人公をお助けするナイツ的役割を持たしています。
      また、悩み事相談室などもしたりと、男性がこのキャラクターになりきって見
      ると、かなり入りやすく感じるでしょう。
      また、セーラの知らなかった世界を教えてくれるので、生きた教育をしてくれ
      る「先生」という役所も演じてくれます。
      それが、馬車の御者を雇ってくれた御礼だとか、対等に扱ってくれた態度から
      くるものかもしれませんし、単純にセーラという人物が好きだったのかもしれ
      ません。(淡い恋心があったかも・・・)
      正直な所、学院を追い出された時に、ピーター宅にやっかいになっていた時に
      このまま結婚してしまうのも案外幸せかもと、原作を知らなかった私は放映当
      時に思ったものです。(それはそれで萌える)
      最終回のセーラがセーラー服を着てピーターの手を握ってピーターが顔を赤ら
      めるシーンは、セーラを応援してくれた男性視聴者に対してのささやかなサー
      ビスだったのだと思います。
      (名作劇場にしては珍しく男性視聴者が多かったし)
      (セーラー服は原作で父親が軍人だったから着ていたという解釈も可能)
      かなり重たい話だったので、こういう味方キャラが数人居ないと、1年見続け
      る事は辛いですしね。
      また、このキャラクターを出した目的の一つに、いじめられている人は、一人
      で悩まないで、誰かに告白して心のモヤモヤを吹き飛ばして、少しでも状況が
      良くなる様に努力するといいんじゃないかというメッセージと思います。

  ▼アーメンガード/ロッティ
    ・変わらぬ友情
      基本的には味方なのですが、たまにドジをして、その災難がセーラに降りかか
      るといったトラブルメーカー的な役割を担ってました。
      でも、心変わりしない親友という点では、ベッキーやピーターと同様に思いま
      す。真の友情とは立場などに左右されるものじゃないですから。
      ただ、ロッティの泣き声だけは、個人的には何とかして欲しかった...

  ▼クリスフォード氏/ラム・ダス
    ・困った紳士と粋なお兄さん
      隣の気の毒な屋根裏の少女を気に入ってしまったのか、ラム・ダスに偵察をさ
      せる辺り、ストーカーと言えなくもないです。(^_^;)
      困った事に、セーラにばかり御執心で、同様に気の毒なベッキーには目もくれ
      なかった事が、怪しさを増します。
      そんな困ったご主人様にも嫌な顔をせずに、気の毒な少女達を助けるべく、サ
      ンタの様に頑張るナイスガイなラム・ダスでした。
      そしてその「病気」は、度を越してオーダーメイドの服を学院に届けるという
      暴挙にまで発展しました。(爆)
      結果的に、ラルフの娘だと分かって奇跡的に困ったおぢさんの烙印を押されな
      いで済んだのですが、そうじゃなくても自分の娘にしていた可能性は大です。
      まあ、ラルフの娘と隣の屋根裏の少女を重ねあわせて見ていた節があったのは
      事実なのですが。
      ちなみに、青年男性視聴者はラム・ダスの視点で、おぢさん視聴者はクリスフォ
      ード氏の視点で見ると、感情移入し易いと思います。

コラム1★絶妙なアップダウンと阪神タイガースとフジテレビ
      一体何の事か分からないと思いますが、セーラの物語というのは、ある意味
      過激なジェットコースター的極端さがあり、それが全体を引き締める要素に
      なっています。もし、上から下へ堕ちてそのまま死んだら、フランダースを
      凌ぐ悲惨なだけの話になっていた事でしょう。
      このコントラストの見事さが、鮮烈さとして作品の魅力となっていると考え
      ます。(水戸黄門の印籠や波動砲の溜めに似ている)
      それで何故阪神タイガースなのかと言えば、プロ野球創生期には名門に恥じ
      ない強いチームだったのですが、昭和39年以降名門という看板だけで優勝
      から遠ざかりダメ虎と言われて21年。そして時は昭和60年...
      開幕当初からガンガン打ちまくって勝つという、野球のセオリーを無視した
      非常識な野球で優勝してしまい、お祭り野球とも言えるイケイケぶりが痛快
      で当時は社会現象にもなった程です。
      この阪神の軌跡とセーラの軌跡との対比で両者の奇跡への道筋をみれば、共
      通点の多さに感嘆を禁じえなかったです。
      また優勝した年とセーラの放映年が同じで、しかもセーラを放映していたフ
      ジテレビが阪神の優勝戦を放送していたという因縁付き。
      思わず私は吉田監督がクリスフォード氏に見えてしまいました(笑)
      セーラという作品はどんな苦境に立たされても前向きに生きようという、そ
      んな部分を大事にしたアニメだと思うのですが、思えば監督をはじめとして
      選手たちは、あの年だけは後ろを振り向かずに突っ走っていました。
      ちなみに、その年に世界名作劇場を一社提供にしたハウス食品の社長と、阪
      神タイガース球団社長と、メインテーマと同じ精神を歌っていた「上を向い
      て歩こう」の坂本九さんなどが、同じ日航機に搭乗し帰らぬ人となった事を
      聞いて、ラルフ氏の境遇をオーバーラップさせたものです。
      (ハウス食品本社は大阪・東大阪市にあります)
      しかも、原作の舞台設定が1885年と、丁度100年前の話というキリの
      良さ。(原作自体は1888年に出版)

コラム2公と私
      作品タイトルにもある様に、セーラというキャラは「公」の精神を重視した
      キャラだと思うのです。
      つまり肝心な場面や公的な場では、「公人」としての態度というのを心得て
      いるのではと思うのです。
      逆説的に、「私」が大事なミンチン院長やラビニアとは対比的で滑稽なので
      すが、人の上に立つ人間は全体の幸福を考えるのは当然であり、「私」を重
      視する方はそもそもリーダーには向いてないと思います。
      そういう意味でも「小公女」というタイトルの持つ深い意味合いに、感嘆を
      禁じえないのは私だけでしょうか?
      但し、ここでいう「公」とは、公共的な意味合いであって、私企業の健全な
      競争においては健全な欲望を発揮して健全にユーザーの為に技術やサービス
      向上を目指して頂くのが健全な「私」のあり方と考えます。

コラム3★魁!女塾
      セーラの作品としての面白みの一つとして、スポーツ根性物的な忍耐・友情
      ・勝利というフレーズを発想させて、それゆえにこの達成感や爽快感が素晴
      らしく、しかもこの作品は1年もの間、視聴者もセーラ同様に忍耐を続けない
      といけないという視聴者鍛錬番組としての性格もあったと思います。(^_^;)
      (根性試しにどうぞ!>一年掛けて見ないとダメですよ♪
       >オチを知らない方がハラハラして良いです>私がそうだった(^_^;))
      そしてふと思ったのは、北斗の拳の「おまえはもう死んでいる」というフレー
      ズと、セーラのダイヤモンドプリンセスの姿におののくミンチン院長とがオー
      バーラップしたりして、濃厚なコーラを飲んだ気分にさせてくれる作品です。
      他にも、セーラが雨中にじゃがいもを買いに行ってコケた時に、あしたのジ
      ョーみたいに「立つんだセーラ!」とか誰かが言いそうな雰囲気が漂ってた
      りしましたし。
      スポ根物で学園物として思い出すのが魁!男塾ですが、小公女セーラとの
      共通点も多く、ミンチン院長は「わしが女塾塾長・江田島ミンチンであるっ!
      (くわっ!)」と言ったかどうかは定かでないし、ラビニアが大仏並みの大きさ
      の三号生かも秘密ですが、いわゆるスポ根黄金法則をメロ風にアレンジし
      たのが、小公女セーラの面白さの一角を担っているのかなと思う次第。
      それと余談ですが、セーラと同じ85年に「少女に何が起こったか」(大映・
      TBS)という小泉今日子さん主演の実写ドラマがあったのですが、これは
      確信犯的に小公女(セーラ)をパクってるかも。(^_^;) 設定からストーリー運
      びまで全てにおいてパロディだなぁと思える出来でした。(でも面白かった♪)
      夜中に小泉今日子の部屋に石立鉄男氏が入ってきて「薄汚ねえシンデレラ!」
      とか言ってドツき倒してたり、ラビニアみたいな役の賀来千香子さんが「プリ
      ンセスは私よ!」とか言ったりして。またラム・ダスの代わりは宇津井健氏で、
      極め付けとしてピーターの代わりに柳沢慎吾氏という凄まじさで、お約束とし
      ては小泉今日子さんの親友関係がベッキーやアーメンガードやロッティみた
      いな人ばかりでしたし。(^_^;)


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学院案内
  屋根裏     ベッキーの部屋/物置
  3階      セーラの部屋(特別寄宿生室)/ミンチン院長・アメリア先生の部屋
  2階      一般生徒の部屋
  1階      教室/遊技室/院長室/職員専用個室/玄関
  地下1階    生徒食堂/厨房/洗濯場/石炭置き場/勝手口
                  /ジェームス・モーリーの部屋
  その他     馬小屋/洗濯物干し場

通貨単位(概算/1885年現在)
  1ペニー =   100円(ペニーの複数形はペンス)
  1シリング= 1200円
  1ポンド =24000円(10万ポンド=24億円)

平均気温   最高月平均気温   最低月平均気温       平均気温
イギリス・・・・     22.0℃     3.7℃    10.5℃
    (ロンドン/北緯52度)
インド  ・・・・     30.1℃    24.4℃   27.3℃
    (ボンベイ/北緯19度)

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