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ラビットが何故生産終了になったのか? その本当の理由は? どんな本を見ても誰に聞いても、そうか!なるほど!と納得できる理由は見当たらない。 ここではそんな話をランダムに紹介していきます

私の考えるところ…それは大企業ならではの悲しさ。と考える以外に無い。 富士重工という会社、私の記憶が確かなら未だかつて“純正”の富士重工社員が社長になったことは無いはず。 確か歴代の社長で一番多いのがメインバンク日本興業銀行の出身者。次に多いのが日産系の人間。 そんな連中に愛車(注!愛社ではない)精神などあるはずも無い。

あるのは“経営的成功”という手土産を持っての凱旋帰国(興銀や日産への)への希望だけだろう。  「スクーターはどう見ても儲からない商品である。軽自動車も同様、儲からない。」 こらは現在。軽自動車が主体のスズキがスバルの2倍の売上高を示しながら、その収益となるとスバルの半分しかないことからも明らかだ。「何が何でも小型車を売れ!」(そうしなければ会社は儲からない…自分の凱旋帰国も無い)繰り返して言う「何が何でも小型車を売れ!!」

今現在においても、事あるたびに軽自動車を廃止すると言う話が出るそうだ。もしくは生産を下請けにやらせる。OEMにする等。富士重工経営陣は軽自動車をとにもかくにも「やりたくない」らしい。 富士重工は耳にタコができるほどB、G、S、B、G、S、と言う。因みにBとはレガシィのコードで(初代レガシィがセダンをBC,ワゴンをBFと呼ぶ。同様に2代目レガシィがBD,BG。現行の新世紀レガシィがBH) Gはインプレッサ、Sはフォレスター。

この小型(富士重工は登録車と呼ぶ)3車種を売らないとディーラーの経営は成り立たないという。富士重工からのバックマージンが軽とは全く違うからで、これはセールスマンのポイントにおいても同様である。

話を昭和39年頃に戻そう。当時の富士重工の商品イメージというと「スクーターのラビット、てんとう虫スバル360」という所だったのではないか。実際の売上報告(うろ覚えの株主向け報告書)を見た記憶では、ラビットが15%、ロビンなどの産業機械、鉄道車両、航空事業、バスボディーが各々5%残りがスバルであったと記憶している。繰り返し問う。なぜラビット部門を除く全ての部門が現在まで存続しているにもかかわらず、当時十数パーセントの比重を占めていて会社のイメージであったとも言えるラビット部門だけを「切り捨てた」のか。

昭和40年「スバル1000」が発売された。と同時に富士重工は「何が何でも小型車を売り」たかった。それには「スクーター屋」「軽自動車屋」が創った「スバル1000」ではどうにもマズかった。富士重工のイメージは「小型車の富士重工」であるべきであり、「ラビットの富士重工」という企業イメージはどうにも邪魔なイメージであり、これを払拭しない限り「小型車メーカーへの転身」はありえなかった(つまりは自分の株も上がらない)

こんな理由で世の中から葬られてしまったラビットスクーター。あまりにも可愛そうではないか。

以上はあくまでも私個人の考えです異論反論どんどん送ってください