ずっと先の話
望月峯太郎・作
(講談社:KCデラックス 全1巻)

 デビュー作「バタアシ金魚」から近作「鮫肌男と桃尻女」まで、プロが注目し模倣する望月峯太郎の短編集。プロボクサーに転向するエアロビ・インストラクター、ものすごく強いおかま高校生など、異能な主人公たちの「普通の生活」願望というテーマが、ずっと持続してきたことに感心する。
 主な発表雑誌はヤングマガジン系の青年誌だから、トーゼンのごとく美少女が出てくる。望月の抜群の画力による少女たちは魅力的だし、そもそも青年誌の美少女は「可愛いくてエッチ」で充分なのだが、なぜか笑いが付きまとう。自分たちが可愛いのを解っていて発生する自意識過剰、つまり「美少女たちの変さ」を描こうとしているからだ。これは鋭い。
 青年誌の「お約束」、ヌードなんかも出てくるが、そこも流石。他のヤンキー系マンガ家たちの描くオッパイが、パンパラパンに張った単なるゴムマリなのに対して、彼の描くオッパイはかがめば垂れるし仰向けになれば横に拡がる。つまり「オッパイ」という記号ではなくて、「脂肪の固まり」が「オッパイ」なのである。どんな美少女も冷徹なリアリズムの視点でつらぬかれている。
 このリアリズムは描写でも発揮される。美少女はトイレで3日目の便秘にいきみながら、しかし同時に髪をブラッシングし、つい力み過ぎてストッキングが伝染してしまえば、透明マニキュアで応急処置。これがたった3コマで展開するのだから、恐れいったディティールの密度だ。それがおかしさを加速する。
 「異能」「普通願望」「美少女」の3つが揃ったのは表題作。宇宙を舞台にした8ページの、なんとホームドラマである。お父さんはブラックホールで、お母さんが銀河、娘はけなげな美少女(?)アースちゃん(地球)。この家庭、お父さんは宇宙の膨張と来るべき破裂に絶望してアル中になっている。お母さんは家を出て行ってしまい赤方偏移を起こしている。ご覧のコマ(59ページ2コマ目)は自暴自棄になったお父さんだが、実存的というよりは、もうミもフタもありゃしない。これを言ったらお終いである。
 宇宙の終末の様相まで到達してしまう、過剰なリアリズムの視点。とことんクールだが同時におかしい望月峯太郎の資質が、凝縮された一作である。

(2002年2月8日)

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