西荻夫婦
やまだないと・作
(祥伝社:フィールヤングコミックス/全1巻)


 西荻は東京23区の西の端に位置する街だ。荻窪や吉祥寺といった繁華街にはさまれながら、昔ながらの商店街、一杯飲み屋が並ぶ、庶民的なエアポケットである。江口寿史、松苗あけみなどニューウェーブ系の作家が生活の場としたサブカルっぽい街でもある。
 その街を舞台に、勤め人のミーちゃんと、浮気性なマンガ家の夫・ナイトーくんのコミカルな、しかし繊細な感情が交差する日常を描いたのが本作品。原稿の締切り前のスリリングな描写、実在するお店などを散りばめたディティールなど、自身の体験からとしか思えないほど瑞々しい。
 「子どもがいない」という選択をしたミーちゃんとナイトーくんの生活は、一見平穏な、しかし「現在」が永久に続くような、二人だけの世界だ。それは(例えばハンセン病患者ような)語るべき「大きな物語」は持たないものの、しかし確実に社会に存在するマイノリティたちの世界である。そこに発生するひそやかな呼吸感を、やまだないとは丁寧に描いている。
 全編を通して特徴的なのは、鉛筆などで描かれた画がパソコンで加工された、一種のCG作品である点。その結果、ペンによるカチッとした線の「マンガ製品」とも違う、「スナップ写真」のようなプライベートな距離感にあふれた作品に仕上がった。アラーキーこと写真家・荒木経惟が、妻との日常を記録した「私写真」に近い視線だ。
 描かれた登場人物たちは、しばしばCGで実景写真にはめ込まれてもいる。それらは背景に揺らいだりかすんで消えてしまいそうな、一瞬一瞬の視覚的記憶の様な効果をあげている。時間が止まったような西荻の街で、二人の「存在」がはかない現象に見える。そして我々の意識自体の行く末も消滅(死)であり、それは家族であっても引き継げないのだという透明な悲しみと、生へのいとおしさが同時に広がってゆく。
 過激なエロチシズムが多く語られる作者・やまだないとだが、それを封じた本作では逆にその精神性がストレートに結晶化した。まぎれもない傑作である。

(2001年6月8日)

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