ハチミツとクローバー
羽海野チカ・作
(宝島社:ワンダーランドコミックス1〜巻)
われわれは何のために青春マンガを読むのか。アクション、恋愛、エロス…と代償行為のネタは様々あれど、ヴァーチャルな友人たちと出会えるのが楽しい。アメコミのヒーローたちの孤独な個人主義と比べ、日本のマンガの特色とは、よきチームの存在につきる。
本昨(通称「ハチクロ」)の魅力も、大学2年生の竹本、同じアパートに住む先輩・森田や真山たちの貧乏生活、天才少女・はぐみや男勝りな美少女・山田たちとの恋愛の生き生きした描写だ。武蔵野美大がモデルとおぼしきリアルな大学生活のディティールと、抜群の笑いのセンスに、こんな学生時代が過ごせたらとが羨ましく思えるほどだ。
青春ドラマというのは、言い換えれば、問題解決による成長ドラマである。一般的にはライバルや敵との葛藤が用意されていて、基本は「なかなかやるな…」なんつって友人化、それでダメなら撃破!が定石。「少年ジャンプ」語で言うと「友情、努力、勝利」だ。ただし、最近の「彼氏彼女の事情」(津田雅美)みたいに、主人公がライバルたちを取り込みすぎると、連立与党みたいで見苦しいぞ。
コンパばかりしている印象の「ハチクロ」の場合、一読、敵も葛藤も存在しない。ぬるま湯のような学園ラブコメディが続く。しかし気付けば、これほど成就しそうにない恋愛ばかりの作品も珍しい。竹本ははぐみが気になりつつあり、森田はすでに彼女に好意を持っている。山田は真山に恋を打ち明けるが、彼は年上の未亡人を想っている。一見、ばかに明朗な登場人物の誰もが何かに耐えている。平穏な日常に、憂鬱さや悲しみが静かに横たわる。
「学生カップルの99%は別れる運命」とは雑誌“ポパイ”の名言だが、今後おそらく描かれていく竹本と森田、はぐみの三角関係を軸に、やがてこの「至福の時間」も失われてゆくのだろう。ご覧のコマの通り、なにより登場人物たち自身がそれを予感しているところが、切なくも正しい。
青春ドラマを生きる学生たちに「未来」はあるが、未来を想える「現在」は「永遠」ではない。そして様々な別れを経てゆくことが、実は「成長」である。「ハチクロ」には、「永遠」を否定する心地よいスリリングさがあふれている。
(2002年1月)