home

孤独は恐ろしかったり、苦しかったり、悲しかったり、寂しかったりするものであるけれども、しかし時には宝石のように美しく思える事もある。誰しも 孤独はものではない。つまり存在ではない。だから存在するものは孤独ではなく孤独な自己というべきか。しかし自己そのものが美しいとも思えない。の中に存在するものはけれどもあたかもものであるように、存在するものであるように見える事もある。 そういう時、孤独は美しく見えるのである。 孤独の美しさを例えるには宝石以外には考えられない。孤独を花の美しさに例えるのはあまり適当とは思われない。もっとも花にも色々あって、孤独に例えられるような花もあるかもしれないが。 孤独は自己か。

孤独は宝物であるとしてもその孤独の主自身にとっての宝物なのだろうか。
むしろ孤独の主の属する社会にとっての宝物ではなかろうか。
もちろん誰の孤独もそうであるとはいえないが、少なくとも優れた芸術家の孤独は社会にとっては宝物になる。
よく知られているようにベートーベンは耳が聞こえなくなったこともあり、
ロマン派の音楽はよく苦悩が表現されているというような言われ方をする。例えばメンデルスゾーンの音楽には他のロマン派の音楽にあるような苦悩の表現がなく、
探検家は新しい未地の土地を探検に出かけるが、それを彼の属する社会に必ず報告しなければならない。また報告しなければおられないものだろう。同様に異文化の社会に