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宝物の意味 ー宝であるということー

「宝物」という言葉には「もの」という言葉がついていて、いかにも実体のある、しかも重量感も感じさせる言葉であるけれども、少し考え始めてみればこの言葉ほど抽象的で捕らえどころのない言葉もない様にも思われる。

辞書を引けば国語辞典における「宝物」も、英語の辞書における「treasure」も、大きな違いはなく概ね3つか4つの意味に分類されて説明されている。

1宝石、貴金属
2金銭
3それ以外の貴重品、希少価値あるもの等
4大切な人(子供、恋人、主君)

しかし宝石、貴金属等具体的なものならば宝石店に行って「指輪を下さい」、あるいは「ダイヤを下さい」といって指輪などを買うか、あるいは「何か宝石を下さい」と言って店によってはルースを買うことも出来るが、宝物を売っている店があり、「宝物を下さい」と言って宝物を買うというようなことは普通、考えられない。

また「この子は私の宝物だ」というとき、我が子を金銭や宝石、あるいは別人の子供とでさえ、代えることは出来ないであろう。

論理学の助けを借りるなら、宝石、貴金属とか、お金とか、大切な人といったものは宝物という言葉の外延にあたり、それらに共通する意味は内包と呼ばれる。

とすると辞書によっては言葉の外延を並べ立てているだけで意味については何の説明もしていないことになる。

英語の辞書の方がこういう傾向が強いように思われる。

では宝物の内包は何か、それは宝であること、つまり宝物そのものとしか言い様がない。

実際、宝物という言葉は「何々は私の宝だ。」という風に、外延よりも内包の意味で使われることが多い。

辞書で「内包」が多少記述されている場合は「貴重なもの」、「希少価値のあるもの」等々。色々考えて結局のところ、簡単に、あたりまえといえばあたりまえであるが「価値あるもの」、「貴重なもの」、「大切なもの」等に置き換えることが出来るものである

では「宝物」と「価値あるもの」は同義語なのか、あるいは「宝である」と「価値ある」とは同じなのかというとそれも違うように思われる。 「大切なもの」、「貴重なもの」、「有難いもの」、あるいは「必要なもの」等々、こういった抽象的な表現では表しきれない、何か実体的なものが「宝物」にはあるような気がする。

そのものにあるのは幾らかの神秘性ではないだろうか。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ふつう、食べ物は宝物の範疇には入らないように思われる。消費してなくなってしまうものは宝物とはいえないようだ。しかし、薬、特に不老長寿の薬があるとすれば、紛れもなく宝物である。

食べ物は宝物の範疇に入らないとしても、食べ物を恒常的に生み出すものがあれば、それを宝物と考える人もいるだろう。しかし不老長寿とまでは行かなくても、健康を増進し、寿命を延ばし、人を幸福にする薬があれば、それ自体を宝物と考えることは不自然ではない。

宝物には「永遠」と「生命」にかかわる何かがなければならないようである。

平たく言ってしまえば宝物とは生き甲斐でもあると同時に生命をいくらかでも永らえさせ、生命の質を高める力を持つもの、心を豊かにするものであるとでも云うのが無難なところだろうか。

永遠と生命とは見たところ別物である。第一、カテゴリーが違っている。永遠は「コト」であり、生命は「モノ」であるように見える。

しかし、永遠は数学で云う、無限や無数とも違っている何か「モノ」といったほうが良い様にも思えるし、生命は生物学で云う生物とも違うことも確かである。

どちらも科学の言葉では説明できない、神秘の領域としか言い様がない。

だから現代でも「たから」という言葉は少なくとも幾らかの神秘性を保っているように思われる。


宝石
貴石
宝玉
珠玉
宝珠

precious stone
gemstone
gem
jewel



貴金属

希少価値

金銭
マネー

価値あるもの
貴重なもの
貴いもの
高貴なもの
大切なもの
必要なもの
有難いもの


不老不死
不老長寿

永遠
生命

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