大槻快尊 情報資源

やるきのなさじゅうななひかりなぺーじ

概略

祖父の大槻快尊 おおつきかいそんは、佐藤 達哉先生曰く「心理学史上の重要人物」だそうです。
残念ながら、家にはほとんど資料などは残っていないようで、私は遺影と位牌ぐらいしか見たことがありません。
大槻快尊心理学学士が「心理学史上の重要人物」であるならば、眠れる資料を掘り起こしてみようと思いこのサイトを作ることにしました。

内容・目次


大槻快尊の近影など

大槻快尊の近影。

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大槻快尊の近影(低解像度向き) 大槻快尊の近影(中解像度向き)


大槻快尊の近影(低解像度向き) 大槻快尊の近影(中解像度向き) この写真は遺影として家に残っているもで、大正云年頃に撮影されたものだろうと云われています。
台紙に写真が貼ってありますので、おそらく欧米旅行でロンドンの写真館に依頼して撮影したものと思われます。

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主な経歴(簡略)

愛知県甚目寺町の出身。弱年14歳で鈴木快秀師のもとに入門して仏門へ入る。 門前の小僧そして住職という仏門のみでありながらも東京の学校へ進学。 東京府立城北中学、第壱髙等学校大學豫科第壱部を経て、東京帝國大學に進学する。 東京帝國大學文科大學卒業の後、東京帝國大学文科大學大學院へ進学し哲学科研究(心理學専攻)5年間在籍をへて、東京帝國大學の助手となる。 住職と学究生活の弐足の草鞋を履く心理学者であった。 大須宝生院住職就任とともに学究生活を離れてからは、愛知縣方面委員や名古屋少年審判所嘱託少年保護司としても尽力をかす。 成田山貫主欧米御旅行に同行し欧米、インド等をめぐる世界旅行をする。 方面制度の法制度化を目前にして名古屋と東京を往復する多忙な生活の中で感冒を悪化させ、肺炎と胃潰瘍の合併により逝去する。 生前の功蹟により權大僧正を管長より贈らる 。

大槻家の生い立ち

判っている範囲で一番古い者は、黒船の浦賀来航(1853)などがあった江戸幕末期の時代までさかのぼることが出来る。
ちょうど快尊の祖父にあたる人物で、尾張藩大筒役で大筒の指南をしていた。
300人ほどの門人を育成したという。
安政紀元(1854)八月六日享年74歳で、市ヶ谷富久町の修行寺(日蓮宗)に葬られる。
明治時代の訪れともに武家階級は経済的に苦しい立場になっていったのが世情と思われ、快尊も出家することとなったのであろう。

リファレンス

哲学・心理学などの辞典に登場する快尊像

近代日本哲学思想家辞典, 中村元(なかむら・はじめ)監修, 東京書籍, 1982年9月(昭和57年9月), P114, NDC:R121.6
大槻快尊 おおつきかいそん 1880.4.13-1936.6.2(明13-昭11)心理学者。 愛知県海辺郡甚目寺村(甚目寺町)生まれ。 1906 東京帝大文学科 大学哲学科心理学専修を終え、助手をつとめた。 新義真言宗智山派の僧籍をもち,1915 智山勧学院 教授,  1920 名古屋大須、宝生院住職となり,学究生活を離れたが,それまでは元良勇次郎,福来 友吉のもとに心理学を専攻し,1909 心理学通俗講話会を設立した。 1911『心理学研究』の創刊に参画し,同誌をはじめ『哲学雑誌』そのほか、 ならびに著書によって、欧米学会に生まれて間もない実験心理学をいち早く紹介した。 この科学的心理学を我が国へ導入した最初の人である。 【著書】『実験心理学』成美堂1911. 「記憶の実験法」『心理学通俗講話会』4 同人館1911. 「語に対する好悪に就いて」『心理学研究』1-2 1912心理学研究会. 「心理学上最近の論争に就いて(1)~(5)」『哲学雑誌』329~344 1914, 7-15. 10. 【文献】斎藤昭俊編『智山人名辞典』房仏書房 1972.

武蔵野市立吉祥寺図書館蔵書

近代日本哲学思想家辞典編集委員会(中村元、武田清子 監修。伊藤友信、小泉仰、小山宙丸、中里良男、峯島旭雄 編集。)

近代日本哲学思想家辞典の記述には1911『心理学研究』の創刊に参画しと、ありますが、佐藤 達哉先生によれば、 日本初の心理学の準学術誌である『心理研究』の編集に参画し、1912年に創刊となる。 と表現するべきと指摘がありました。 なお、同辞典の記述は1911年から創刊準備に入ったという意味なのかどうかは定かではありません。 執筆者は今となっては定かではないようですので、記述の内容を確認するのは難しいと思われます。

大槻快尊が紹介されている書籍

催眠術日本近代 サイミンジュツニホンキンダイ, 一柳広孝 いちやなぎひろたか 著, 青弓社, 1997年11月, 本体2400円, 20cm 213p, NDC:145.4, 件名:催眠術, ISBN4-7872-3148-0

大槻快尊「心理療法の話」(心理研究, 大正2年1月)の一節を引用している。

東京都立多摩図書館蔵書。
東京都府中市立図書館蔵書

文献選集教育保護心理学 ブンケンセンシュウキョウイクホゴシンリガク  明治大正期 第7巻, クレス出版, 1997年02月, 本体20834円 セット価格125000円 (分売不可), 22cm 1冊, NDC:371.4, ISBN:4-87733-021-6, 監修:大泉溥

文献『教育的心理学』, 大瀬甚太郎, 東京廣文堂書店, 大正11年10月10日第2版の付録資料として、 『教育学の実験心理学的基礎』, 大槻快尊, 心理学研究第参巻第五冊(第拾七號)が 収録されている。

明治大正期の文献から幾つかを、スキャナ取り込みをしてオフセット製版して復刻版にしたもののようです。 残念ながら、紙の汚れを気にしすぎたらしくハイライトがとんでしまっており、文字の濃度が薄くて読みづらい仕上がりです。

東京都立多摩図書館蔵書。

大槻快尊伝, 斉藤昭俊, 密教文化106, 1974年3月15日, 高野山大学出版部, P.48-50
 
方面, 第11巻第6号, (編集兼発行人)大石三良, 愛知縣方面委員助成會聯合會, 昭和11年6月, P.18-19
記事の標題「噫噫大槻快尊」。大槻快尊の人柄や経歴、功績、死因などが1ページ半にも渡って記述されている。
記事を執筆した著者の名は記述が無いため不詳であるが、快尊が寶生院の一部を方面委員の事務所として提供するなど事業に深いかかわりをもっていたことが記述されていることから快尊の身近に居た人物か執筆したと思われる。
方面という雑誌は月刊誌で、法制度化される前より発行されていた愛知県方面委員の機関紙と思われる。 発行の所在地は愛知県庁内になっている。しかし愛知県に著作権確認をしたら権利の所在は不明と回答をいただいた。
心理学通義 全, 上野陽一, ?年
参考文献に快尊の論文が多数列挙されている。

快尊の著作物

未整理に付、順不同

真言教徒法華経読誦の意義, 大崎学報17, 日蓮宗大学同窓会, 1911年3月15日, P.18-21
 
教育学の実験心理学的基礎, 心理学研究, 第参巻第五冊(第拾七號)
 
心理療法の話, 心理研究, 大正2年1月
 
實験心理學, 成美堂, 1911年
大槻快尊の代表作のひとつといわれている書。本邦初の本格的な学術書ともいわれているらしい。 未確認情報であるが、聞き及ぶところ1000ページを超える超大作で、快尊の恩師である元良勇次郎と福来友吉の推薦の述が記載されているそうである。
近代デジタルライブラリー書誌詳細画面『実験心理学 大槻快尊著』[国立国会図書館]で、閲覧することが可能です。
記憶の実験法, 心理学通俗講話会, 同人館, 1911年
 
語に対する好悪に就いて, 心理学研究, 1912
 
心理学上最近の論争に就いて(1)~(5), 哲学雑誌, 1914年
 
現代日本に即して我等の覚悟 ―真義眞言宗智山派教學部長智山専門學校教授大槻快尊先生述―, 智山派教化事業聯盟, 昭和9年
針綴じ全15ページ。昭和九年頃ということで、教育勅語と仏教界のかかわり方や、天皇を中心とする日本の方針といった時代色ある教育を垣間見ることのできる内容。
早稲田大学四十二年度文学科第一学年講義録、心理学 大槻快尊述
近代デジタルライブラリー書誌詳細画面『心理学大槻快尊述、早稲田大学四十二年度文学科第一学年講義録』[国立国会図書館]にて閲覧可能。
思想と言語 大槻快尊、吃音矯正の原理及実際(伊沢修二編)、大日本図書、明治45年
近代デジタルライブラリー 国立国会図書館、吃音矯正の原理及実際 伊沢修二編より閲覧可能。

実験心理学の関連書

実験 心理学 誕生 展開 ジッケン シンリガク タンジョウ テンカイ -実験機器と史料からたどる日本心理学史, 苧阪直行おさかなおゆき編著, 京都大学学術出版会,2000年12月,本体価格5600円,大きさ24cm 345p, 図書分類:140.21, TRCマーク番号01002211, ISBN4-87698-411-5
明治中期ごろより発展していった日本の心理学について。当時日本の心理学に大きな影響を与えた実験心理学で用いられた実験機器など(特に京大におけるもの)の記述が豊富にある。
参考文献のリストには大槻快尊による著書の文献名が列挙されている。

付録

用語

用語のようなもの。

智山勧学院
現在の大正大学へ合併
豊山大学
現在の大正大学へ合併
東京帝大
東京帝国大学。現在の東京大学
大須宝生院
真言宗智山派のお寺。 大須観音として親しまれている別格総本山大須宝生院。大槻快尊が所謂住職を勤めた。
相対会
別冊太陽 発禁本Ⅱ 地価本の世界,平凡社2001年6月によると、相対会は小倉清三郎による日本で最初の性の研究会とある。
方面委員制度
Webサイトの検索エンジンを駆使するところによると、方面委員制度は民生委員や児童委員といった制度の前身に当たるものであるようだ。
大槻快尊は方面委員の法制度化にも尽力をかした一人とおもわれる。 法制化も大詰めとなった方面委員の仕事で上京した際に、感冒による発熱をおして上京し、そのまま自宅にて病の床につき逝去する。
大須宝生院
別格本山大須寶生院。智山派の寺院で正式な名称は北野山真福寺寶生院というらしい。
市ヶ谷富久 修行寺
修行寺は日蓮宗の寺院で、安政の頃は現在の新宿区富久町付近にあった。 大正の頃に移転となり、現在は杉並区堀の内へ移転している。 墓石を引き取る際に、住職にお会いしお話を伺いましたが、大槻家にまつわる伝承は残っておらず新しいことは何も得られなかったです。 また、武家の墓と思わしき墓標が十数体ありましたが、大抵の墓が無縁仏と化しているそうです。
斎藤昭俊
佛教タイムズ2004年2月19日号大正大学名誉教授。 昭和5年(1930)生まれ。自坊は栃木市の真言宗智山派寳蓮寺。とある。

謝辞

近代日本哲学思想家辞典, 中村元(なかむら・はじめ)監修, 東京書籍, 1982年9月 に ある快尊の記述関する転載許可の連絡を下さった、東京書籍㈱ メディア事業部 教材営業部教材営業課の小山朝夫様と関係者の皆様に感謝の意を表します。
2002年1月15日(火)


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