今日はバレンタインデーでしたね。
小学6年生のときに、私は当時クラスメイトだった片思いの相手に
初めてチョコというものをあげました。
チョコというのは、知らないひとに説明しますと、正式には「チョコレート」という、
カカオの実から作られた甘いお菓子のことなんですが、
まぁその、チョコを、下校の時を見計らって、玄関で彼に渡しました。
彼(仮にA君とします)の名前は「橋之田はじめ」君といい、クラスのみんなからは
イニシャルが「H.H」なので「H2」ということで、
「水素」ということで、「水素爆弾」ということから、
「バク」と呼ばれていました。
バクは夢を食べると言われているので、チョコレートは食べないかなぁと
ちょっと心配だったのですが、差し出すと私の手ごと持っていかれるかという
くらいの勢いでチョコを奪い取り、アメリカ人ばりに包み紙を破り開け、
私が夜なべして作ったチョコをむさぼるように食べてくれました。
よっぽど食べたかったんでしょう、彼は私に「ありがとう」の一言も言わずに
チョコを食べていました。
「あらあら、そんなに急いで食べなくてもチョコは逃げないわよ。」と私が言うと、
バクは私を、猛獣のような目でにらみつけました。
「バクはチョコ好き」
私がそんなことを思いながら、上履きから外履きに履き替えていると、
急にバクの手(手というか、バクは4足歩行動物なので、足と言ったほうがいいのか)
が急に止まり、次の瞬間、鼻から大量の血を吹き出しました。
「大変! 鼻血だわ!」私は思いました。
そこに通りかかったクラスメイトのアケミ(ホステス)は、
「保健室の先生を呼んでくる!」と宣言し、走りました。
保健室は玄関から42キロのところだったので、ホステス(アケミ)は
途中数回の吸水をはさみながら、3時間48分という自己最高タイム
(小学6年生としては非公認ながらも日本記録。 それは現在でもまだ破られていない。)
で、保健室に到着。
彼女は保健室に辿り着くと同時に倒れ、救急車で病院に運ばれ、
一時は命も危ういとまで言われましたが、なんとか一晩で峠を越し、一命をとりとめ、
15年後の現在では立派なプログラマーとして、シリコンバレーで働いています。
ついこの間、「どうよ、調子は。」といったたぐいの手紙をもらいました。
そんなアケミ(プログラマー)の話は置いておいて、
バクの鼻血は止まりませんでした。
私はどこかに蛇口が無いかと、バクの体中を探ったんですが、
あるのは違う蛇口だけでした。
これはどうやら鼻血の蛇口ではないな、と思いました。
私ももう小6だったので、それくらいのことは知っていました。
そうこうしている間にも、バクの鼻血は勢いを増すばかり、
玄関中が血の海と化していました。
いったいひとりの人間の体から、どれだけの血が出るのだろう。
人間の体は70%が水でできている、と、理科の授業で教わった覚えがありました。
そして地球の70%は海である、と社会の授業で習いました。
また、人間の脳は普段30%しか使われていない、とうちのお父さんは
酔うと決まって言っていました。
残りの70%を発揮できるようになったとき、俺は社長になれる、とも言っていました。
あれから15年、父はいまだ係長です。
そんな係長止まり(父)の話は置いておいて、
バクの鼻血はさらにその勢いを増し、ついには自らの体をちょっと浮き上がらせるほどに
なりました。
「浮いた! 浮いたよ! 浮いたよバク!」
私はバクにそう言いました。
思えばひっこみじあんで人見知りの激しかった私が、クラスメイトをアダ名で呼んだのは
この時が初めてだった気がします。
バクは頭の角度を変えることで自らの進行方向を変化させられることを学びました。
最初は下駄箱にぶつかったりしましたが、ものの4〜5分
(あとから時計で確認したら4〜5分でしたが、そのときの私には、
それが永遠のように感じられたものでした。)
で2段噴射で壁を登れる技までマスターしていました。
「2段ジャンプ」と、そこに居合わせた人々が賞賛しました。
学級委員の山本は、「この技は彼の名前に因んで『バクジャンプ』と名付けよう!」
と言いました。
賛同するものは一人もいませんでした。
山本は寂しそうに帰っていきました。
それ以来、山本の消息を知るものはいません。
15年経った今でも、このときの山本の寂しそうな背中を思い出すときがあります。
そんな山本はさておき、
バクは噴射の出力を上げて、玄関から外に出て、そのまま空の彼方へと
消えたのでした。
それから3日が経ち、1週間が経ち、1ヶ月が経っても
バクは戻ってきませんでした。
春休みに入り、新学期が始まったころには、学校のみんなはバクのことはもう
忘れていました。
私は中学に入学しました。
バクがいれば、同じ中学に行くはずだったんですが、それも叶わぬ夢となりました。
私はそれから一生懸命に勉強して、灘高、東京大学と、エリートコースを進み、
アイオア大学に留学、宇宙科学を学び、NASAに入所しました。
そして数カ月の訓練の後、日本人女性としては2人目の宇宙飛行士として
スペースシャトルに乗り込みました。
シャトルの窓越しに蒼いダイヤを見ながら、今私がこうして宇宙にいるのは
15年前空の彼方に消えた彼の消息をつきとめるためなのかもしれない、と思いました。
シャトルの船長、デビッドが私に話し掛ける。
「ヘイ、ハナコ、今日2月14日は何の日かしっているか?」
「バレンタイン・デーでしょ?」
「地球の磁気圏のことは?」
「・・・ヴァン・アレン帯よね。」
「HAHAHAHA! バレンタイン! ヴァン・アレン帯! HAHAHAHAHAHA!!」
クルーのみんなが笑った。
アメリカ人のギャグセンスは私には理解できなかった。
そんな中、私は
「そうだ、子供が産まれたら『バク』と名付けよう」
なんて思った。