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約束の雪
at 1999 12/30 18:52

        「10年後の今日に、ココでまた先生と会いたい!」

        1989年の冬休み中のある日、学校の玄関で彼はかじかんだ、絆創膏とテーピングだらけの手で
        靴のひもを結びながら私にそう言った。

        1989年、12月30日・・・

        「10年後は1999年でしょ? もうすぐ2000年って感じで、きっと世界は
        盛り上がってると思うんだ。 イルミネーションとかいつもの年よりハデでさぁ。
        『2000年まであと○○時間』とかいう時計とかあってね。」

        彼はうちの中学校の男子バレー部のキャプテンだった。 
        その夏の中体連の大会でチームを全道大会まで導き、その活躍を買われて、
        春には名門東海台高校への推薦入学が決まっていた。
        他の生徒達のように受験勉強に追われるということもなく、彼は冬休み中毎日、
        後輩達の練習に参加し、汗を流していた。

        私達はバレー部の練習後、毎日こうして夜7時に教員玄関で待ち合わせて一緒に帰った。

        当時25歳だった私は、英会話クラブの顧問をしていたのだが、
        冬休み中は特にクラブの活動もなかったので、毎日昼過ぎに学校に行き、
        担当クラスの成績の査定などの仕事をして、それでも時間が余った時は図書室で本を読んで過ごした。 
        バレー部の練習が終わるのを待った。

        「10年後っていったら君は25歳ね。 今の私と同じ歳。
        大学も卒業して、就職して、仕事が面白くなってくる頃なんでしょうね。」

        「じゃあ先生は今仕事面白いんだ?」

        私はなにも言えなかった。 
        中学校の英語教師の仕事がつまらないとはけして思わない。 子供の頃から夢見ていた仕事だった。
        でも彼に「面白いの?」と聞かれると、私はなにも言えなかった。
        彼の瞳には私の心の奥を見透かす不思議な何かがあった。 
        10歳も年の離れた少年とは思えない雰囲気があった。 
        将来の夢が眼下に拡がる彼の輝きを前にすると、私はときたま耐えられなくなった。 
        今の私には彼は眩し過ぎる。
        でも逆にその眩さに惹かれてしまう。 
        身をゆだねてしまいたくなる。 

        「10年後は私、もう35よ。 オバサンよね。 嫌になっちゃう。」

        私は話を逸らした。 自分自身に言い聞かせた。 私と彼は10も離れているのだ。
        彼は生徒、私は教師・・・・

        「先生、その頃はきっともう結婚してるんだろうね。 12月31日の大晦日は
        家族と過ごすでしょ? きっと。 旦那さんと子供とね。
        だから僕達は12月30日に会おうよ。 
        ふたりで1900年代の終わりを見届けたい。」

        変なところに妙に気がまわる彼だった。 私は笑ってしまった。
        「結婚なんてしてるのかしら・・・私なんてきっと誰ももらってくれないわよ。 ふふふ。」

        「・・・・・・・・・・・・・・・」
        彼は笑わなかった。

        私達は雪道で転んでしまわないように手をつないで歩いていた。
        誰にも見られないように、道路からは見えない公園の奥の木に隠れた歩道を選んで歩いた。

        「・・・・・・・・・・・・・」
        彼はなにも言わなかった。 なにも言わずに私をじっと見つめていた。
        そして握っている手に3回力を込めた。

        ギュッ・・・ギュッ・・・・・・・ギュッ・・・・
 
 

        公園の奥まったところにある街灯の下で、私は彼にはじめてキスをした。
 
 
 
 
 

        1999年12月30日。
        あれから10年経った。

        今日は約束の日。

        私は今も独身だった。
        厳密に言えば「独身になった」。
        一年前に離婚したのだ。

        私は28のときに2つ上の数学教師と結婚した。
        彼は優しく、真面目で、結婚生活には何の不満も不安もなかった。
        子供も2人生まれた。 
        幸せだった。

        しかし1999年が近付くにつれ、10年前のあの約束が雪のように私の中に降り積もっていった。

        けして融けることのない約束の雪。

        降る雪は視界を遮り  私の吐息は心を曇らす
 
 

        1999年12月30日。
        町にはイルミネーションが輝き、カウントダウン時計が『2000年まであと29時間』と告げる。

        1999年12月30日午後7時。

        あの頃、バレー部の練習が終わるのを待っていたように

        今もこうして君を待つ。

        今もこうして彼を待つ。
 
 

        あの頃彼は夢の中で生きていた。
        彼の瞳は夢に輝いていた。

        30を過ぎた頃から、私は思い出の中で生きるようになった。

        夢は羽になって彼を無限の世界へ解き放ち
        思い出は鎖となり私を闇に縛りつける

        『2000年まで25時間』

        1999年12月30日午後11時。
 
 

        今もこうして君を待つ。

        今もこうして彼を待つ。
 
 



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