2003年1月(後半)
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  2003年01月31日

歯医者・口内炎・篠原美也子。

今日は歯医者の日だったんですけど。
なんとかちゃんと起きられました。
眠気に耐えてよく頑張った。 感動した。 自分に。

ホントは昨日予約入れてたんだけど、
その予約した時刻(午後3時半)に起床。(ダメニンゲン)
1日ずらして今日にしてもらったのでした。

実は前回の治療(先週)も寝坊して1日ずらし。

………ホントに……ダメなニンゲンだ………俺ってヤツぁ………

ダメだ、俺はなんてダメなやつなんだ。(29歳・男性・自由業)
ダメだダメだとは聞いていたが、ここまでダメとは。(48歳・女性・主婦)
オープニングからダメの嵐で目が離せませんでした。(23歳・男性・浪人生)
ラストシーンのどんでんダメ返しがサイコー。(17歳・女性・高校生)

……などなど、大反響な感じのダメさでした。

まぁそんな映画自作自演CMのパクりはほどほどにして。
最高の笑顔を花束にして。(意味無し)

さて、今日の治療は前回に引き続き、前歯の虫歯なりかけ部分。
歯茎に麻酔注射。 やっぱり痛いですね。
我慢できないほどではないですけど。 やっぱり痛い。

痛い痛いとは聞いていたが、ここまで……(以下、繰り返し)

でも、まー歯痛のあのゴーンゴーンという痛さに比べたら
注射の一瞬の痛さなんて。
ハチに刺されたようなものです。 ハチに刺されたこと無いけど。

なんだろう…そうだな…
女の子に「引っ越しするんだけど、お願い! 20万貸して!」
と言われて貸したら、それ以降連絡が取れなくなってしまって…

…というくらいの痛さですと言えば、わかりやすいでしょうか。
うわ、かなり痛いですね。 いろいろ痛いです。
肺の下の左奥あたりが、前頭葉のあたりが、海馬のあたりが。
そして財布が。

それほどではないです。

昔、高校くらいの頃に口内炎がいっぺんに3つできた時がありまして、
その時の痛さに比べたらたいしたことないです。

口内炎と言えば、僕は昔からよく口内炎ができる人間でした。
2〜3ヶ月に1コは必ずと言っていいほどでした。
でも、実家を出て一人暮らしを始めてから、ほとんど
できなくなったんですよね。
一人暮らし、実家にいた時より食生活はダメダメになってるハズなんですけど。
もしかして親に口内炎促進薬を盛られていたのか………
そんな薬あるのか………そもそも盛る意味がない………

まー真相はヤブの中ですが、ここ数年は口内炎に悩まされた憶えは無いです。
子供のほうができやすいとかあるんでしょうかね。

いつのまにか 夢と一緒に 口内炎を どこかに置き忘れてきてしまった
これが大人になるってことなのか……(ちがう)

話が脱線したので、歯医者の話に戻りますが、
今日の治療が終わったあと、
「はい、あとは…歯石取りを少しやるだけですね。
 虫歯は全部なくなりました。 あと来週1回来れば終わりです。」
と言われました。

おおーー。 脱・虫歯宣言。 6480(ムシバ・ゼロ)。
明けましておめでとう。 今年も6480。 みたいな勢いです。
虫歯が無いって素晴らしいね。
常にどっかこっかちょっとずつ痛かった去年が嘘のようです。
これが健康というものか。

いや、歯が健康になっただけで、他は不健康極まりないんですけど。
それはそれ。

なんというかこー、抱えた悩みがひとつ減ったってことだけで、
かなり荷が軽くなりましたね。 体重は軽くならないですけど。

あと1回。 来週こそはちゃんと起きよう。
 

さて、ここ最近日記で音楽のこととか書いてて、
自分で書きながら「そういえばまた聴きたいな」と思って
書いた順にハマり直している日々です。
永井真理子の事書いた時はCD棚から永井CDを引っ張り出して…
近藤名奈の事書いた時は…(以下同文)

そんな感じで、今は篠原美也子がヘビーローテーション中なんですが、僕の中で。
僕「篠原美也子がいいー」とか結構言いながら、6枚目のアルバムまでしか
持ってなかったんですよ。
んで、そんなにネットとかでもあまり頻繁には検索してなくて、
なんかインディーズで1枚出したとかなんだとかという噂だけは
知っていたんですが、近所のレコード屋に売ってないから
「まーいつか、はい。」というスタンスで、6枚のアルバムばかりを
聴く毎日だったんですけどね。

今回の「篠原美也子フェスティバルin僕」で、
「よし、いっちょ買おう」って思って。
改めて検索したりしていると、なにやら8枚目も既に出てた様子。
そして4月にはセルフカバーアルバムまで出るらしい。
さらに去年結婚、出産したらしい……と、驚き情報満載でした。

やーネットって便利ですね。

そんなわけで、7、8枚目アルバムを注文。
早く届かないかなぁ〜。

そんな最中、たまたま「篠原美也子 KAN」でGoogleで検索してたら
うちのこの日記が引っ掛かってしまいました。
そうか、なるほど、たしかに…

全国の「篠原美也子 KAN」でググってココに辿り着いてしまった人
(いるのか?)そしてメモライズで日記のタイトルだけ見て
来てくれた方、すいません。 
ココはそんなに、ファンサイトでもなんでもないです。

や、そもそもなんで「篠原美也子 KAN」で検索してみたかと言うと、
この2人って僕が聴いてるアーティストの中で、特に「詞がいいな」って
思って聴いている感じなので、世の中の「グっとくる詞好き好きさん」達は
もしかしたら篠原美也子もKANもどっちも好きだったりしてるんじゃ
ないのと思いまして。
あと両者とも失恋ソングとか多いし。
そーゆーの好きな人はきっと両方をチェックしてたりするんじゃないかなと。

そういうのって、結構興味あります。 共通項探しというか。
「篠原美也子好きな人はきっと誰々も好きだろうなぁ・・・」
とかね、想像するの、好きです。
それに僕のまだ知らない「詞のいいアーティスト」を発掘できるかも
しれないですしね。
今日はそんな感じで調べていて、「小谷美紗子」さんという
アーティストを見つけました。
ちょっとだけ試聴しましたが、なかなかよさげかも。 チェック。
アマゾンでも「篠原美也子のCDを買う人は一緒にこれもどうですか」
みたいになってたし。
 

……と、こんだけいっぱい『篠原美也子』と書いてしまうと
また検索で引っ掛かる人とか来ちゃったら申し訳ないなぁ……
そのわりに、アルバム名も曲名も1つも書いてないしな。

あー、「誰の様でもなく」とか「ひとり」とか「青」とかが好きです。
そして珍しいかもしれませんが、アルバム「マグノリア」は
最初からそんなに違和感無く僕の耳に入り、1番好きなアルバムです。
「淋しいのは」とか「Life is a Traffic Jam」とか好きです。

あと詞で言うと、岡村靖幸やジガーズサン
(坂本サトルソロよりバンド時代のほうが好きかな)も好きでごわす。

………と、これくらい情報を加えておけば大丈夫かな。(情報って…)

Posted by m-03_20116 at 00:48│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月30日

みつけたっ!

前回の日記『探し中』を書いてから1時間、部屋の中をひっくり返すがごとく
探しまわって、ついでに掃除もしたりして、なんだかんだとコーヒーとかも
飲んだりして、昔付き合ってた女の子の写真とかを発掘してしまい
ほろニガくなってみたりして、そーこーやって、やっと見つけました!
探していたブツを!

結局違う部屋にありました。 ……………はぁ………

キッチンにありました。 なんでだ。
なんでこんなところにあるのか、全くもってわかりません。
可能性があるとしたら、コピーしようとして(コピー機がキッチンにある)
持ってきたまま、そのまま置いたままだった………といったところでしょうか。

とにかく見つかって良かったです。 それもこんなに早く。
やー探してみるもんですね。
探せば見つかるもんですね。

彼女でも探してみようかな。
 
 

はい。 ええ。

で、まあその、小説家で言うところの、「5年前書いた原稿」を
見つけたんですけど、あらためて見てみると、やっぱりちょっと………
でもまー、やり直せば、ところどころ今の技術で直せば
なんとかなるか………どうか。 微妙です。
さっき「50%の確率で50万」と書きましたが、20%に訂正します。

兎にも角にも、とりあえず見つかったし、
あとはひっくり返したままの部屋をどうしようか、という感じの午前5時半。
ゴミ袋や雑誌の山。
燃えるゴミの日まであと3日。
Posted by m-03_20116 at 05:25│Comments(0) | │TrackBack(0)
 

探し中。

今ちょっと探し物をしています。 部屋の中。 午前3時。

昔(5年くらい前)ちょっと書き留めたもので、
A4の紙で30枚くらい。
事あるごとに1年に1回くらい見ていて、
最後に見たのはたぶん1年弱前。

捨てた憶えは無いので、部屋のどこかにあるハズなんだけど、
どこに置いたか全然憶えていない。
いや、いつもだいたい同じような所に置いておくハズなんだけど、
その付近を探しても全然見つからない。
一緒にしてしまってあった紙は見つかったんだけど、
その30枚の束だけ見つからない。

前に見たときは確か仕事でかなり忙しい時だったので、
パっと見てそのへんに放っぽったような気もしないでもない、僕の事だから。
でもA4が30枚ってなかなかの束ですよ。
そんな見当たらなくなるような小ささじゃないですよね、少なくとも。

もしかして、捨てたんだろうか…
確かに前に見たときに、これ取っておいてもきっともう日の目を見ることは
ないだろうし、もうどうでもいいよなぁ………って、思ったものだった。
でもホントに捨てたのか、その時。

僕はどちらかと言うと、物を捨てられない質の人間だ。
たいした事ない物でも何かひっかかる部分があれば取っておく質だ。
おかげで物が増える一方だけど。

そういえば、ここ1年くらいの間に、何らかの事情で
急いで部屋を片付けなくてはならない状況になって、
さらにその時、仕事でかなりテンパってたりしただろうから、
そこらじゅうにある物を片っ端からゴミ袋に入れて捨てたという事が
2〜3回あった気がする。
……………………その時か?

いやいや、僕はそーゆーとこ結構しっかりしてるから
そんな、いくら急いでいたって、分別くらいちゃんとやる。
何も見ずに捨ててしまうなんてことはきっと無い。

じゃあどこだろう。
こうやって書いているうちに思い出したりするものかもなと思って
今日の分の日記を書き始めたけど、一向に思い出す気配も無い。

コレが無いとどれくらい困るかというと、
うーん、50%の確率で50万円当たってるかもしれない宝くじを
無くした・・・というくらいの困り具合です。

50万は大きいですよ。 2ヶ月は余裕を持って生活できます。

まぁ、プラスになるハズが、ならないっていうだけで、
別にマイナスになるわけじゃないから、まぁ、
たいしたことないじゃん………と、言われるかもしれませんが。
いや、でもね。 でもですね。

うーん、宝くじに例えたのが間違いだったな。 取り消し。

そうだ、こうしよう。
あなたが小説家だとします。
昔書いたけど諸々の都合で日の目を見ずに押し入れにしまっておいた原稿が
あったとします。
で、5年経った現在、「やっぱりアレ書こうかな」って思ったとします。
だいたいの荒筋を担当編集者に話したら、彼も結構乗り気です。
よし、じゃあ、まぁ5年前に書いたネタだし、少しは書き直すにしろ、
とりあえず明日にでもFAXしますよ、と言って別れました。

で、家に帰ったらその原稿が無い。
一応だいたいの荒筋は頭の中にあるから、全部1から書き直すことも
可能と言えば可能だけど、5年前当時かなり気に入った表現方法とか
文脈とか、単語選びとかの細かいところは全く思い出せないわけですよ。
第一1回書いたものをまた1から考えながら書くなんてめんどくさい。

だからなんとしても探し出したい。
もし見つかって、FAXして読んでもらって、「やっぱりボツですね」と
言われたら、それはそれでしょうがない。 諦める。
でももしかしたら、「おお、いいですね、コレで行きましょう」
なんてことになったとしたら………

………………という、そんな状況の今の僕です。 もう4時です。
理解していただけたでしょうか。

………………まいっちゃうなぁ………

Posted by m-03_20116 at 04:12│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月29日

オールナイトニッポンについて。

うわ・・・かなり書いてたの全部消えた・・・

まーいいや、頑張って書き直そう。

中2の頃から僕は深夜ラジオにハマり出しました。
中2と言うと昭和63年頃です。 うわー昭和か・・・

当時北海道の僕と同世代くらいの男子なら誰もが知ってる・・・と言っても
過言ではない「うまいっしょクラブ」というラジオ番組がありました。
夜10時45分とかからやってたんです、確か。
クラスの友人が「なまらおもしれー」とか言っていたので、
僕も聴いてみることにしました。
そしてそれからラジオにハマっていくことに。

北海道の夜のラジオはだいたいローカル局のアナウンサーが
パーソナリティーをつとめて、いわゆる青春人生相談番組とか、
うまいっしょクラブのようなバラエティー番組とかが流れていました。
僕はそういった番組をこー部屋で黙々と、時にはムヒムヒと
聴いていたわけです。 勉強そっちのけで。

ちなみにこの時間帯、午前0時から北海道ローカルの
「アタックヤング」という番組があって、当時金曜日の担当が
KANさんで、そこで僕はKANさんを知り、ハマっていきます。

さて、そういった番組が終わると、深夜1時からはオールナイトニッポンが
始まります。
僕は階段を降りてキッチンでインスタントコーヒーなんかを作り、
それを持って階段を昇り、準備万端の状態で1時を待ちます。
家族はもうだいたい寝てしまっているので、ここからは僕ひとりの時間です。

コーヒーを飲みながら、勉強のノートに絵とか描いたりしながら、
時には布団にもぐりながら、
オールナイトニッポンを聴くのが僕のその頃の日課でした。
その頃から僕の夜更かし・深夜大好き人生が始まったんですなぁ。
夜中は誰の邪魔もなく、ひとりの世界って感じで大好きなんですよ。
もうね、昼間は気ぃ使って疲れるから。 はい。

さて、そんな時期、僕がオールナイトニッポンを聴いていた頃は・・・

月曜1部はデーモン小暮→大槻ケンヂ→さくらももこ
  2部は聴いてなかった
火曜1部はとんねるずをたまに聴く程度
  2部は聴いてなかった
水曜はTBS系の「コサキン」のほうを聴いて
  2部は伊集院光をたまに→(数年ブランクがあいて)→篠原美也子
木曜1部はビートたけしだったけど、たまーに聴くだけ
  2部は片桐麻美→(数年ブランクがあいて)→渡瀬マキ
金曜1部は鴻上尚史→ウッチャンナンチャン
  2部は橘いずみ

・・・という感じでした。
土日は聴いてなかった。
2部終了が朝5時とかですからね、
んで2部終わったあとも「ラジオ講座」とか「おはよう北海道」とか聴いて
6時とか7時になっちゃってましたから。
毎日いつ寝てるのという感じでしたね。
昼間授業中とかに寝るんですけど・・・
そんな中高生時代だったわけです。
勉強するヒマもバイトするヒマも彼女作ってるヒマもなかったのも頷けます。

1部は売れっこのお笑いの人とかで面白かったんですけど、
2部は2部で、結構マイナーな歌手とかが出てきたりして、
んで夜中の3時〜5時だし、かなり濃い感じなんですよ。
誰もが寝てしまっている中で、僕ひとり知らない世界で楽しんでいる
自分だけが知ってる裏路地の飲み屋を見つけた、みたいな気分なわけです。
そんな感じで、2部もなかなか好きでした。
渡瀬マキ(リンドバーグの人ね)の京都弁風(出身どこだっけ?)の
喋りとかね。 「あんなぁ〜? あたしなぁ〜?」みたいな。 良かった。

そんで片桐麻美とか、橘いずみとか、篠原美也子とかって
僕このオールナイトニッポン2部でたまたま聴いて、知って、
ハマって、今でも聴いてますもん。
この3人の歌はね、ちょうど夜中の4時とか5時に聴くと
すごくしみるんですよ。 心に。
篠原美也子は特にね、はじめたまたま番組を途中から聴いて、
誰だろうって思って聴いてて、
「じゃあ私の歌、聴いてください『誰の様でもなく』・・・」
って流れてきた曲がズドーンとキまして。 衝撃が。
布団の中で泣きましたもの。 ホントに。 アレはスゴかった。
当時高校生とか大学生とか、そのへんだったんですけど。

そんな感じで、深夜ラジオは大学生の頃からだんだん聴かなくなって
しまったんですけど、中高生の頃夜更かしして聴いたラジオ達が
今の僕に多大な影響を与えております。

最近のオールナイトニッポンはどうなってんだろうね、
全然聴いてないけど。
なんか時間帯が変わったり、あんまり面子が面白くなくなってきたんで
聴かなくなりました。
篠原美也子と片桐麻美と橘いずみのオールナイト2部、また聴きたいなぁ・・・

Posted by m-03_20116 at 03:22│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月28日

近藤名奈を聴いていた頃。

前回の永井真理子さんの続き、今回は近藤名奈さんについて書きます。
ちゅうかそういいながら、歌手のことよりほとんど自分のことばかり
書いてしまうのは、まー毎度のことなので、はい。

ところでそもそも、近藤名奈って知ってますか?
デビュー当時から聴いていた僕でも1回もテレビで見たことないので
(ローカル局とかは少し出ていたみたいですけど)
もしかしたら知らないって人も多いかもしれませんね。
逆に嬉しいんですけどね。 マイナー好きとしては。

僕が彼女を知ったのは、19歳の頃。
大学2年生でした。
1年生いっぱいで厳しかったクラブ(アイスホッケー部)を辞めて、
さぁこれから心機一転、大学生活を満喫しちゃうぞーってな時でした。

でもまだ寮生活は続けていたので、門限もあるしバイトもできないしで、
あまり自由ではない生活だったんですけどね。
でも2年生になると、部屋にテレビやコンポを置いてもいいという
ことになっていたので(無意味に厳しい寮なのです)、僕も
実家からテレビを送ってもらい、そしてラジカセも買いました。
これでようやく外の情報が僕に入ってくるようになりました。

大学1年の時は部屋にテレビもラジカセも置いたらダメで、
テレビが見たい時は先輩の部屋に行って、お願いしますと頼みこんで
正座しながら緊張しながら見せてもらわなくてはならなかったんですよ。
なんだかめんどくさいので、それならテレビなんて別に見なくていいやと
僕はその1年間ほとんどテレビを見ていなかったのです。

確かJリーグ元年かなにかだったかもしれません。
僕がJリーグに疎いのはそのへんの影響も無きにしもあらずです。

音楽界では、いわゆるビーイング系が全盛の頃で、
ヒットチャートには似たようなバンド名と長い曲タイトルが
蔓延していました。
1993年頃の話でございます。

それまで好きだった永井真理子から遠ざかりつつあった頃で、
そんな時に永井真理子と同じレコード会社が売り出し始めたのが
近藤名奈でした。
明らかに「ポスト永井」な方針のようで
(本人は嫌がっていたのかもしれませんが)
ショートカットでサワヤカ青春ポップを歌う元気少女、という感じでした。

僕は千葉県民らしく、当時ベイFMを聴いたり千葉テレビを見たり
していたんですけど、そういったところでデビューしたばかりの
近藤名奈を押していた感じでした。

最初ラジオでデビュー曲「こんな日は早起きしてあなたに会いたい」を
聴いた時、壮大な曲調、伸びやかな歌声、
そして若干時代遅れ(当時ですら)とも思えるサワヤカ路線の歌詞、
そんなこんながビビビときて、
そしてセカンド「地球を蹴ってさか上がりして」の頃に
ビデオクリップを見て、僕好みのショートカット、
しかも同じ19歳ってことで、この時点でレコード店に行って
ファーストとセカンド2枚のシングルを買いました。
まだ世間的にはほとんど知名度も無かった頃です。
周りの同い年の友人達も「え? 知らない。 誰?」みたいな感じでした。

それからはもー、少ない情報を追い掛ける日々です。
ファーストアルバムを買い、ちょっとでも記事が載ってたら
雑誌も買いました。
渋谷Eggmanのファーストライブにもひとりで行きました。
関東に出てきてから初めてのライブハウス。
北海道にいた頃なんとなく憧れていたあのEggmanです。
地図を片手に(渋谷もほとんど初めてなくらいだった)なんとか探し出し、
数時間前から並びましたよ。(立ちなので場所は先着順)

ファンクラブもまだ存在してなくて、
「これから作ります」という準備段階だった。
ファンクラブの前身「ナナ・サポルテス」というのがあって、
それに入ったりしました。
雑誌やラジオや有線のリクエストなどに近藤名奈を
できる限りリクエストしてそれを毎月報告・・・という
なんだか過激派ゲリラのような集団でした。
そんな活動をしながら、半年に1度くらいのライブも2〜3回行きました。

なんだかこう書くと、
曲より近藤名奈本人だけを追ってるアブナい人っぽいですけど
いや、そんなこともないですよ。
普通ですよ、普通。(そうか)
ただ、永井真理子の時は、僕が永井真理子を知ったときはもう
デビューの2年後とかだったので、こうしてデビューほやほやの状態から
応援できるっていうことが嬉しかったんですよね。
ホコ天バンドやジャニーズジュニアのおっかけと
同じような気持ちかもしれない。

あと一番大きいのは、
彼女が僕と同い年(19歳)で、大きな世界にデビューして頑張ろうと
しているのが、当時何もしてなかった僕にものすごく伝わって、
「ああ僕もなんかしなくちゃな」って思ったんですよね。
実際僕はその時期(19歳の夏)に今の仕事に足を踏み入れることになる。
この仕事してたらそのうちどっかで近藤名奈に会ったりできるかもな
とかも思っていたものですよ。(恥)
結局会えなかったですけどね。
とにかく僕が今の仕事を始めるきっかけのひとつではあったと思います。
いろいろ、影響とか受けましたし。

そんな調子で、近藤名奈はファーストアルバム、セカンドアルバムと発表し
僕は僕で仕事のほうでデビューが(全然違う世界ですけど)近づいていました。
でもそれから近藤名奈は、それまでの「サワヤカイメージ」を払拭すべく
イメチェンを図ります。
大人の恋愛の歌とか、曲調もバラード系などが多くなり。

確かに、ファーストやセカンドの頃までのサワヤカ路線は
明らかに嘘っぽく、カマトトな臭いはしました。
そんなことは聴く側だってわかってるんです。
それを承知の上で、あえて逆に新鮮でストレートな「元気な近藤名奈」が
気に入っていたんですけどね。
嘘でもいいからサワヤカ路線で癒してくれよ、ってな気持ちです。
でも本人はその嘘が我慢できなかったみたいですね。

で、僕はだんだんと近藤名奈を聴かなくなっていきます。
大学4年の時、うちの大学の学園祭のライブになんと彼女が
やってきたんですが(僕の友人が実行委員で、彼女を推してくれたようです)
でもその時僕は仕事の締め切りがあって行けなかったんですよねぇ。
友人にはちょっと悪い事したな・・・
まあその頃僕はもうかなり近藤名奈から覚めてたんですけどね。

アルバムも3枚目までは買いましたが、4枚目は買ってないです。
4枚目を出したあと、彼女も事実上活動休止のような状況になりました。
当時ムーブメントとして盛り上がっていた「ガールポップ」という路線も
同じ頃に無くなっていきました。

ネットで調べると、去年あたりからまた活動を再開しているらしいです。
事務所やレコード会社も決まってないけど、一部の熱心なファンに支えられ
小さなライブなどをやったりしているらしい。

歌は凄く上手いし、声(特に高音の伸び)もそのへんのヤツよりはずっといい。
そして特筆すべきは、彼女はCDよりも更にライブで生で聴いたほうが上手いという、
今どき珍しいタイプの歌手だということです。
CDでも充分いいけど、それもヘッドホンで聴いたほうがいいです。
(なんかCDだとボーカルの音量が意識的に絞られているみたい)

ただ不景気と
「一時期のムーブメントとしてのガールポップはもう流行らない」
「売れない」
ってことだけが、彼女を影に押し込めてしまっているように思います。

実力=人気にはならないってことを痛感します。

僕も僕でいまだに仕事は続いています。 なんとか。
なんだか同い年だし、他人事とは思えない感じもするんですよね。
今また彼女も頑張っているし、僕もやっぱり頑張ろうって
10年たった今、また思えてきたりしています。
Posted by m-03_20116 at 01:54│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月27日

永井真理子を聴いていた頃。

前回の日記で永井真理子の事をちょっと書いたので、
ついでに調べたりしてみたんですが、
なにやら去年、デビュー15周年だったみたいですね。
知らなかった。
あと、いろいろ調べていくうちに、前回「zutto以降は聴いてない」とか
書いたんですが、実はそうでもなかったなと思いまして。
今回は永井真理子さんについて書こう。

まー興味無い人、すいませんね。

僕が永井真理子を知ったのは、中3の1月。
当時(’88とか’89とか、そのころ)ありがちな風潮
いや、風潮ではないけど、とにかく、
「高校の入学祝いにミニコンポを買ってもらう」
みたいなルールがね、ルールじゃないけど。

まわりの友人とかも、結構多かったんですよ、当時。
うちの姉も高校入学の時に買ってもらってたし。
んで、僕も例にもれず「欲しい」とねだりました。
貧乏家族でしたけども、当時の僕はそんなの知らないので。
ちゅうか世の中バブル真っ盛りなので、貧乏でもなかったのかな。
知らないけど。

とにかく欲しいと親にねだりまして。
それも「入学してからじゃなくて、今欲しい」って言いました。 
中3の12月頃に。
僕の誕生日が1月8日なので、「クリスマスとお年玉と誕生日と入学祝い
全部まとめていいから今コンポが欲しい」みたいなことを言いました。

僕が親だったら「4月まで待て」って言いますけどね、
当時の僕の親は買ってくれました。 感謝。
ソニーのリバティー(LBT-V725・・・とかだったっけなぁ・・・)
ミニコンポというより、結構大きなステレオシステムです。
自分で選んだわけじゃなく、親がなんかどっかから買ってきたみたい
なんですけど、黒くて渋くて機能がいっぱい、グライコがいっぱいで、
すぐに気に入りました。
のちに5年後(20歳くらいの頃)に壊れてしまって
(例によってソニータイマーでしょうか)捨てたんですけど、
まーなんにせよ、中3の12月、僕の部屋にステレオが設置されたわけです。

それで、ラジオとかも聴くようになって。
ラジオと言ってもFMじゃないですよ、AMです。 もっぱら。
オールナイトニッポンとかコサキンとかをね、聴いていたわけです。
受験生だけど。

そんな中、年が明けて1月8日の日曜日(だったな、たしか)の夕方、
いつものようになにげなくラジオを聴いていたら、耳に入ってきたのが
「永井真理子のゲーム気分でエンジョイタイム」っていう番組でした。
「ゲーム気分で」ってのはたしかハドソンがスポンサーだったから。

なんだか元気な声のお姉さんがガーっと喋っている番組だったんですけどね、
「それじゃあここで曲を。 私、永井真理子で『Fight!』です。」

で、初めて聴いた『Fight!』っていう曲が、中3時代の僕の胸を
貫いたわけですよ。
んでそのままラジオを聴いてたら、なにやらもうすぐベストアルバムが
出るみたいなことを言っていて、奇しくも誕生日に胸を貫かれたわけですから、
「おお、これは運命なんじゃないか」と思い、「永井真理子」という名前と
アルバム名「大好き」というのをメモって、数日後の発売日に、
電車に乗って札幌の街の地下街のレコード屋さんに買いに行ったわけです。
生まれて初めて自分のお金で買うアルバムです。(当時はすでにCD)

んで家に帰って聴いてみたら、衝撃。
全12曲どれも突き刺さりました。 当時の僕に。
そして初回特典で写真集のブックレットも付いていたんですけど、
そこで初めて永井真理子の姿を見たわけですけど、
ショートカットにTシャツにジーンズ。
少年のような人でした。
僕は当時(今も多少)、ショートカット大好き人間だったので、
曲もいいし外見もいいし、こりゃあ運命の出会いだ、なんて思って、
それからというもの、ラジオを毎回チェックし、その頃まだテレビには
ほとんど出てなかったけど、たまに出たら必ずビデオに録って保存、
雑誌に載ったら必ず購入、「大好き」以前のアルバムも買いたかったけど
まー中3でお金も無いのでそこはレンタルでガマン。
・・・そんな中3の3学期でした。(受験生)

当時好きだったクラスメイトの女の子と文通してたんですが(数日前の日記参照)
彼女への手紙にも僕がいかにどれほど永井真理子が好きなのかを
綴ったりしました。(なんなんだ当時の俺)

彼女もそんな僕につきあって「私もだんだん真理子ちゃんが好きになってきたよ」
とか言ってくれました。 社交辞令かもしれませんけど。
当時彼女はTMネットワークのファンだったので、TMのカセットテープと
永井真理子のテープを交換したりしました。
「今度真理子ちゃんが北海道にコンサートに来たら、一緒に行こうね」
とも言ってくれたんですけど、まー行けずじまいだったんですけど。
これに関しては思い返すと自分の馬鹿さ加減が嫌になってちょっと鬱に
なるのでまー、控えましょう。

まーとにかく、そんな甘い青春時代、文通時代にハマっていたという事もあり、
永井真理子は更に僕の中で大きな存在になっていくのでした。

受験は、まーギリギリのところを受けたわけじゃないので、
なんとか受かり、高校に入ってからも永井真理子ブームは続きました。
高校生になり、お小遣いも上がったので、コンサートとかにも行くように
なりました。
といっても、周りに永井真理子を好きな友人はいなかったので
(中3のときのあの子・・・ううう・・・)
いつもひとりで行きました。 札幌市民会館や、厚生年金会館。
そのうちクラスに永井好きのヤツ(男子)を見つけたので
彼とふたりで行ったこともありました。
でも基本的に「永井真理子ブーム」は僕の中だけでしたね。

当時の周りの男子はB'zとかジギーとかXとかにハマってました。
女性アーティストだと森高とか、そのへんでしたね。
永井真理子とか言ったら「あんなサルみたいのどこがいいの」
とか言われますし・・・
まー他人に何と言われようと、僕の永井ブームは続きます。
思えばセガユーザーだったりMacユーザーだったり、
僕は常に少数派に属しがちでしたね。 別に狙ってるわけじゃないんだけど・・・

高校時代はそんな調子でずっと永井真理子にハマっていました。
ファンクラブとかは入らなかったんですけど(そーゆーのめんどくさい)
札幌のコンサートは毎年必ず行って、雑誌チェックやテレビチェックは
怠りませんでした。
この頃永井真理子も「ミラクルガール」がアニメ「YAWARA!」の
テーマ曲になったりで、ちょっとずつ認知度も上がってきていました。
僕の中では「あんまりメジャーになってほしくないなぁ」という
ファン心理もありましたが、でもまーテレビに出る機会も多くなるし、
一応喜んでました。

高校を卒業し、千葉の大学に入って、寮で生活することになったんですけど、
その寮は厳しくて、1年生のうちは部屋にステレオ置いたりテレビ置いたり
とかを禁じられていたんですよ。(変な寮でしょう?)
まー変な寮だったわけですが、そういった状況で、せっかく関東に
出てきたというのに、強制的の永井真理子情報を遮断されたわけです。

ちょうどその頃、永井真理子は路線変更を図っていまして、
それまでの「元気少女」から「恋愛ソングも歌う大人のアーティスト」へと
変わろうとしていた時期でした。
ショートだった髪も伸ばし始めて、スカートとかもはくようになりました。
そして結婚しました。

そういった、永井側の状況と、僕側の状況がリンクしまして、
それでなんとなく、だんだんと永井熱も冷めてきてしまったんです。
路線が変わってからも、いい歌をうたっていたので
(路線変更のあとのほうが声が良くなり歌も上手くなったように思えた)
もし僕があの時寮に入ってなかったら、もしかしたら今でも
永井真理子を追っかけていたかもしれません。

そんなわけで、結局聴いていたのはアルバム『Love Eater』まで、かな。
94年ですね。 僕が20歳の頃です。
ということは5年間か。

僕はそのあと、近藤名奈っていう、永井真理子と同じファンハウス所属の
ショートカットで青春応援歌っぽいのを歌うアーティストへと
興味を移すことになります。 歴史は繰り返す。

そんでもって近藤名奈もその1年後くらいにバラード歌手へと路線変更し、
僕はまた路頭に迷うことになるのです。

今はそういった「青春応援歌」っぽいのを歌う女性アーティストって
いないですよね、たぶん。 知らないですけど。
いても売れないですよね。 そういう風潮じゃないですからね。

そういったサワヤカ路線というのが無くなってから、僕は
橘いずみを知り、そして篠原美也子やCoccoを聴くようになります。
自虐的な方向へ。

そんなところに川本真琴が出てきて、こーなんというか、
「ラブリーチックな天才」みたいな方向を好むようになり、
そんで椎名林檎、aikoなどを経て、今に至ります。

今は別に特に誰ってのは無いです。

ああ、永井真理子か・・・久しぶりに聴いてみようかな。

ちゅうか、ここまで書いて、なんだか近藤名奈についても
書かなくちゃならないような気がしてきました。 自分の中で。
近藤名奈マイブーム期間は1年間くらいで、永井真理子ブームに比べたら
かなり短いですけど、すごく濃かったような記憶があります。

じゃあ次回は「近藤名奈を聴いていた頃。」です。

そしてその次は橘いずみで、篠原美也子、川本真琴と続きます。
いや、めんどくさくなったら続けませんけども。

Posted by m-03_20116 at 05:15│Comments(0) | │TrackBack(0)
 

好き好き邦楽。

CDを久しぶりに買いました。 
久しぶりと言っても1〜2ヶ月ぶりなんですけどね。
買う時は週1で買う感じの僕なので、まー久しぶりと言えます。

B'zの「FLASH BACK」を。
えーと、古いです。 初期のベストアルバムみたいなのです。 2枚組。
収録曲が時期的に言うと僕の高校時代にジャストフィットです、多分。
「ああ、そういえば聴いてたなぁ」と思える曲がいっぱい入っています。
今聴きながら日記をつけております。

僕ぁB'zファンてほどじゃないんですけどね、高校時代は
結構好きでしたよ。 
TM亡きあと、とりあえず、みたいな。

ウォークマンにテープを入れて登下校時に聴いていましたよ。
自転車通学だったんですけどね。 危ないですね。
ウォークマンと言ってもソニーのちゃんとしたヤツじゃないですよ。
お金持ちの家じゃないですからね。
西友とかで、無メーカーの2000円くらいのヤツですよ。
単3電池2つで動くやつで、充電やリモコンなんか無くて、
ボタン類もガシャって押すやつです。
オートリバースとか重低音とかも無いです。
電池も2〜3時間で切れて、だんだんと回転が遅くなるやつです。
回転速度が全く安定してないので、どの速度が正常なのかも
わからない感じです。
そんなウォークマンです。 いや、だからウォークマンじゃないです。
ヘッドホンステレオですね。 はい。

中学、高校時代に聴いていた曲を聴くと、その頃の事を思い出して
楽しいですね。
だから今’80モノとかのCDとか売れてるんでしょうね。

B'zねぇ。 BAD COMMUNICATIONとか初めて聴いた時は
結構な衝撃でしたよ。
すげーヤツらが現れた、とか。
まー洋楽とか全然聴かない子でしたしね。 パクりがどうこうなんて
関係ないですからね。 かっこいいんだからいいじゃん、みたいな。
あとこー、ヘッドホンで聴くと、こー1音ずつ左右交互に鳴る感じとかね、
うひょーって、思ったりしたものですよ。 高校生の僕。

ハマったのは1年ちょいくらいで(ハマったと言ってもCDを
レンタルしてきてテープで聴くくらいなんですけどね)、
そのあとは何となくだんだん聴かなくなってきちゃいましたけど。

お、今「BREAK THROUGH」がかかっています。 好きでしたこの曲。
あー昔を思い出すなぁ・・・

僕は中3頃から音楽とかに興味を持つようになったので、
B'zはまだ「音楽の興味持ち始めたばかり」って頃です。
そのあといろいろ聴いたなぁ。
いろいろハマって、いろいろ通り過ぎていきました。

まー常にいろいろ聴いていたんですけど、どの時代にもやっぱり
メインで聴いてるってのがひとつあるんですよね。

僕は中3から最初永井真理子が好きになって、
永井真理子
松岡英明
TMネットワーク
B’z
電気グルーヴ
米米クラブ
KAN
遊佐未森
岡村靖幸
尾崎豊
ユニコーン
ジガーズサン
近藤名奈
佐野元春
リンドバーグ
橘いずみ
篠原美也子
エレファントカシマシ
真心ブラザーズ
川本真琴
Cocco
椎名林檎

・・・と、ハマってきたわけなんですけど(ところどころ順番が定かではない)
あ、でもコレら以外もいっぱい聴いてましたよ。
それなりに、それぞれの時期に流行ったものとかは。
椎名林檎以降はひとり(ひと組の)アーティストにハマって聴き続けるとか
なくなってきましたね。
椎名林檎にしたって好きで聴いてたのってファーストアルバムの頃でしたし
もうかなり前ですね。

上にあげたのとかは、今でもたまーに聴いたりしますね。
今回のB'zみたいに。
お、今BAD COMMUNICATIONがかかっています。 イエー。

それぞれこー、ふとした拍子に無性に聴きたくなったりという波が
きたりします。 
遊佐未森とかね、すごい波がきます、たまに。

でもそれにしても、いなくなっちゃった人とかも多いですね。
死んじゃった人もいますけどね。

永井真理子は最初にハマっただけあって、かなり長く僕の中で1位でした。
なんであんなに好きだったんだろう・・・
いや、理由なんていらないですね。
でもzuttoとかのあたりから、なんかあまり聴かなくなりましたわ。
んで「青春応援ソング」から「恋愛ソング」にシフトチェンジしてから
ほとんど聴かなくなっちゃった。(そーゆー人、たぶんすごく多い)

さて、そんなこんなな中、僕の中での殿堂入りは
KAN、ジガーズサン、岡村靖幸、篠原美也子
といったところでしょうか。
殿堂入りというのは、
「これからも聴き続けるであろうし、聴かなくなることはたぶん無い」
って感じのことを言います。
よく言う「無人島に持ってくなら」系ですね。

あ、でも殿堂入りに上げた4組、CDほとんど出さなかったり
解散してたりインディーズに転向したりとかって人ばかりだ・・・

今後新しくハマるアーティストとか出現するんだろうか。
こーゆーのってやっぱり中学高校あたりに熱心に発掘したりするものなので、
今後はもうなさそうな気がするな。
CD探して街のお店をさまようとか、歌詞を全部暗記するとか
コンサート行くとか、そんな情熱もう無いもんなぁ・・・

ああ、なんか寂しくなってきた。

Posted by m-03_20116 at 01:16│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月25日

電車の中。

今日電車に乗っていたら、外国人の一団
(母親らしき女性と中学生くらいの子供達数人)が乗ってきた。
外国人といえども日本人と同じで、子供達は電車内でちょっと騒いで
(と言っても迷惑なほどではない)はしゃいでいました。

なかなかネイティブな英語に接する機会が少ない僕なので、
ここはちょっと聞いてみようと、耳を傾けていましたが、
空いた席を見つけた女の子が「アイ・ハヴ・ア・スペィス!」
って言ったのがかろうじて聞き取れたくらいで、
(しかも「ア」が付いてたかどうかもわからない。 あとから考えても
 spaceにaをつけるのかどうかがわからない程の僕の英語力)
それ以外は何言ってるのか少しもわからなかった。

あ、あとなんか「エヴリバディ ワナ シッダン」とか言ってたかもしれないな。

とにかくほとんど全くわからなかったです。
うーんやっぱり中高大と英語の授業でちょっとやったくらいじゃ
何の役にも立たないのか・・・

それよりも、池袋が近づいたときに、お母さんらしき人が
「イィケブゥクロゥ」って言ってたのを聞けたのが
なんか嬉しかったです。
「英語を母国語としている人が日本語を英語訛りで喋っている」
っていう状況は、実はテレビとかぐらいしか見ないのだ。
なかなか生ではお目にかかれるものではない。

あと同じ電車で、つり革につかまって立っていた男性(30代後半くらい)
に、おじいさんがちょっとぶつかって(それも「ぶつかった」という
ほどではなくて、通り過ぎる際にちょっとかすった、っていう程度の
いわゆる日常茶飯事)、その30代後半のおっさんが「チィッ! んだよコラ!」
って、独り言レベルの大きさの声で言いながら、おじいさんを
にらんでいました。 ちっちぇー。 しょぼー。

そんなこんなな電車の中、僕は古本屋で買った「ランゲルハンス島の午後/村上春樹」を
読んでいました。
昔買って、家に1冊あるんですけどね、
電車の中で読む用に、フラっと立ち寄った古本屋で
安い本を買うこととか、たまにあります。
村上春樹の文庫本は家にだぶっているのが何冊かある・・・

Posted by m-03_20116 at 22:56│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月24日

文通(その4・最終回)。

なんだか「その3」でテンションが落ちた。
このまま終わるわけにはいかないですわ。

△子さんとの文通期間の後半あたりから、それとは別にもう2人とも文通していました。
別に付き合ってるわけじゃないからね。 文通相手が3人いたという話です。
今で言う「メル友が3人います」てなもんです。

そうだよ。 ホントに。 「その3」でそんなに思い悩むことじゃないじゃん、俺。
「文通相手がなんか気が合わなかったから文通をやめた」って話ですね、「その3」は。

さて、もう2人。 
ひとりは◯子さん。 僕より2コ下で、当時高校を卒業したばかり。
彼女は僕と似てるスタンスで、「文章ではテンション高いけど、実際会うとそうでもない」
という人でした。 そしてちょっと「不思議ちゃん」でした。
1回一緒にコンサートに行って、そのあともう1回僕のうちの近くの本屋巡りとかをやって
(本とかマンガが好きな人でした)、それからもちょっとのあいだ文通を続けていましたが、
お互いに手紙のやり取りのペースが遅くなって、自然消滅。 ドロー。
(ドローとか勝ち負けの問題じゃない)

もうひとりは●美さん。 僕より2コ上でフリーターの人でした。
この人との文通は結構楽しかったです。 話題も合ったし。 人間的にも良かった。
例によって会うことになって、僕のうちの近くの駅の前で待ち合わせしたんですが、
「ぷう太くんですか?」と出てきた人にびっくり。
モデルさんみたいな、なんか女優みたいな人でした。
「なんでこの人文通なんてやってるの!?」という感じでした。
(自分でやりながらも、文通というものに偏見アリ)

何度か遊んだり、電話もしたり、僕が当時軌道に乗り始めていた仕事についても
いろいろと感想やアドバイスをくれたり、なかなか「ああ、文通ってステキ」っていう
感じの期間でした。

でも数カ月していきなり手紙が来なくなりました。

そうなんだよなぁ。 文通ってこっちから出さなくなるか、
向こうから来なくなるか、どっちかで終わります。 ストーカーじゃない限り。

という感じで、僕の2年間くらいの「文通ブーム」は終わりました。
20歳くらいになると、仕事も忙しくなって、文通したいっていう気持ちも
だんだんと薄れていきました。

でもね、楽しいですよ、文通。
メールとはまた違った趣があります。
自分で手書きで数時間かけて手紙をしたためて、封筒に入れて切手を貼って、
寒空の中ポストに入れに行く感じとか。
毎日郵便屋さんのバイクの音にドキドキワクワクする感じとか。
手紙がどんどん増えていって、ダンボールにいっぱいになっていく感じとか。
相手の手書きの文字の形からいろいろ想像を膨らませるひとときとか。
初めて電話するとき、初めて会うときのドキドキとか。

でも結論として、「会うのが目的の文通は、会うと終わる」。
文字や声や写真程度でドキドキしてる頃が一番楽しかったりします。
これはメールとかも同じかもしれませんね。
ネット始めて初期の頃、メル友とか作ったりしましたけど、
やっぱり1度会うと、なんだか「もういいや」ってなったりが多いような。

逆に別に会うのが目的じゃなく、なんとなく成りゆきでオフ会とかで
会った人とは長く続いたりします。 不思議ですね。 
欲が無いからか。

あーでも、メル友から結婚って人も結構いるみたいですし、
一概には言えないですね。
ちゅうか羨ましいですね。 幸運で。

そうそう、ちなみに。
僕と同じ時期に僕の影響で文通してた寮の友人のひとりは、
相手に会っていきなり布団とか健康食品とか売られそうになった
ってこともありました。
うーん、もう運ですね。 そのへんは。
彼はその女に説教して帰ってきたそうですが。

僕はそんなに困った人に当たったことは無かったですけども。 幸運なことに。
 
 

はぁ〜あ・・・●美さんはどうしているのかなぁ。(引きずられ過ぎ)
 
 

ただひとつ願うなら、
僕が今でもたまに△子さんについて考えたり、
こうして日記に書いたりしているように、
●美さんも僕のことを今でもたまに思い出しては、いろいろと考えたり、
ぷう太は頑張っているのかなって思ったりしてくれていると嬉しい。

Posted by m-03_20116 at 06:00│Comments(0) | │TrackBack(0)
 

文通(その3)。

はぁー、こんなに長くなるとは。
18歳の頃(今から10年くらい前)にハマった『文通』についての第3回です。

一応一番の目的は、男ばかりの環境で、いかにバイトもせずナンパもせずに
女の子と友達になるか、なわけでして、それで出した結論が「文通」なんですけど、
なんだかこう書くとテレクラと変わらないじゃんという感じですね。

いや、違うんです。 聞いてください。 
リッスン・トゥー・マイ・ハート。 いや、リストゥマハー(BoA風に)。

僕は文章とか書くの好きなんですよね。 昔から。
いや、小学生の頃は作文とか嫌いだったんですが、小学校の卒業文集の
あたりから、なんかこー自由なテーマで自分のことを書くってことに
快感を覚えたというか、そんな感じで。
作文の授業はテーマとか決められてましたしね。
読書感想文とか、家族について書けとか。
家族について語りたいことは1文字たりとも無かったですし。 当時。

自由だといろいろ書けます。
僕の場合、喋るよりも文字にして考えながら書くほうが、
自分を素直に表現できました。

中3のときもクラスの女の子と文通してましたし。(同じクラスなのに)
直接面と向かうと恥ずかしくなってアドリブとかが効かない子だったんです。
今でも多少そうですが。 いや多少じゃないな。
でもその中3の頃の文通は、自分の事ばかり書いてしまって、
今思うと全然ダメです。 バカと叱ってやりたくなります。
そして彼女に謝りたいなといった感じです。
でもその子とはもうたぶん一生会えないんですけど。
(って別に死んだとかじゃないので、変な気を回さないように)

で、18歳なわけですが、この頃になると、毎日日記もつけていましたし、
文章に関してはちょっとお手のものという自負がありました。
あんまり自分の事ばかり書くのを控えるということも多少学びました。
あ、でもちゃんとした敬語とかは全然ダメなんですけどね。
普通に同年代の友人と会話するように、流れるような、そんな手紙を。

そんなわけで、文通はもう、「僕のための伝達手段」「僕がやらないで誰が文通なんかやるのさ」
「僕、桃太郎のなんなのさ」という感じでした。

そんなこんなで、△子さんとの文通も数カ月続き、
僕は寮を出てアパートで一人暮らしを始めました。
電話も週に2回くらい、毎回4時間くらいしたりしました。
電話もしながら、本流の手紙のやりとりも続いて、
既に数十通に達していました。

でも、そうしてお互いの考え方とか、感性とか、いろんなことを話しているうちに、
なんだか「違う」って思ってしまって。
や、ホント僕がバカで僕が悪いんですけど。
でも「だめだ」って思ってしまったんで、少しずつ手紙の返事を書くペースが
遅くなっていきました。
「ぷうさんヒドいわ!」って思われるかもしれないですけど、でもそれでも
「ああ、この人は(僕とは)ダメだ」って思ってしまったんです。
ああ、なんか僕ヒドいこと書いてるのかな。
いや、でも「あ、この人だ!」とビビビとくることがあるように、
それとは逆に「違う」って思うことだってあるんですよね。
いや、ちがうな。 そんな衝動的に「違う」なんて思ったわけじゃなくて。

んん。

進歩しようとしない人間をただひたすらなぐさめ続けるのが疲れた。
 

それから1回だけ「会おう」ってなって、1回だけ会って、一緒に映画を観て、
観終わってそれで「じゃあね」って言って。
それからも何通か手紙を続けましたが、だんだんと手紙の数は減っていきました。
大学の課題と、その頃すでに始めていた仕事に追われて
(というか、忙しいという口実に、僕は今でもよく逃げる)
手紙は出さなくなりました。
電話もかかってこなくなりました。

悪い事しちゃったなとも思います。 10年たった今も。
少しでも前に進もうとする気持ちを持って、
いい人生を送ってくれていればいいなと思います。

ああ、いや、違うな。 うーん。 難しいですね。 はぁ、だめだな。
 

でも、因果応報です。
やったことは自分に必ず帰ってきます。
以下次号。 続く。

Posted by m-03_20116 at 04:15│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月23日

文通(その2)。

<前回までのあらすじ>
文通をしようと決意した18歳の多摩川ぷう太、しかしさいさき悪し。

さてさて、犬達がやってきて、うちが満員・・・ってところまで書いたんでしたっけね。
違いますね。 文通の話ですね。

生まれて初めて出した3通の文通申し込みがことごとく断わられて、
ちょっとショックだった僕・多摩川ぷう太(当時18歳・工業大学1年生)ですが、
メゲることなく次の相手探しです。
最初の3通でとりあえずのテンプレートみたいなものは出来上がっています。
もう文通大王です。(1通も返事来てないけど)

次も同じように、文科系寄りのコをチョイスします。
記事に写真が載っている(それもカワイイ)のもありましたが、
そこはあえてスルーします。 競争率が高そうなので。
しかもなんかナルシストなニオイがするので。

そしてまた、新たな精鋭達(僕の手紙・ハト)が誕生しました。
ゆけっ ボクのピュアハート! 夢はフリーダムッ! 無限大の彼方へっ!

そして待つこと数週間、ついに返事が来ました。

おお・・・おおお・・・おおおおおおおおおおおっ!(雄叫び)

僕は寮生活だったので、手紙が来ると寮の棟の入口の個人ポストみたいなところに
手紙が入れられているんですが、そこに・・・
この築40年のド腐れ男子寮(ひどい)のカビ臭い廊下のサビだらけのポストの中にっ・・・
淡いピンクの封筒がっ!

「初めまして、ぷう太さん(ぷう太さんと呼んでもいいですか??)
 お手紙どうもありがとうございます。 
 ◯◯(ペンネーム)といいます。 あっ、ペンネームは知っていますよね。
 本名は◯□ △子といいます。 苗字で呼ばれるのは苦手なので
 「△子」で呼んで下さい。
 文通を募集して、いっぱい手紙をいただきました。
 その中で話が合いそうだった人数人にこうして返事を書いています。」

おおおおおおおーーーっ! 選ばれたーーーーーーっ!

受験合格よりも嬉しいです。

その日1日、ニヤニヤニヤニヤして過ごします。
「おいおいなんだよぷう太、なんかいいことあったん?」
寮の友人が聞いてきます。
「ふ? ふふ・・・いやぁ・・・べぇ〜つにぃ〜〜?(ニヤ)」
寮生、彼女いないようなヤツばかりですからね、
なんかこー、下々の者達を見下ろす思いです。

その日の夜中に僕の部屋でみんながダベっている時に、
僕の今までの計画と、遂行、挫折、そして今日初めて返事が
来たことなどを発表します。
(もちろん手紙自体は読ませたりしませんよ、プライバシー。)

「おおーー!スゲーじゃん!」
「ちゅうかなんでひとりで! 俺もヤリてー!(文通を)」
「俺もヤるぞ!(文通を)」
「俺もカくぜ!(手紙を)」
「カいてカいてヤりまくるぜっ!(手紙と文通を)
「俺もっ!」「俺もさっ!」「よーし負けねーぞぅっ!」

みたいな、ヤる気マンマン(文通を)の6帖ひと間。
18歳達のむせ返る熱気。

その夜、みんなが各々の部屋で机に向かって熱心に手紙を書きました。
物凄いエネルギーです。

で、まー所詮3流工業大学なので、やっぱり文才はそんなに無いわけで。
ここで半数以上が諦めます。
「手紙なんて書けねーよ」
「ぷう太、俺の代わりに書いてよ」「ヤダ。」
「定食おごるからー」「OK。」
みたいな男子寮。

結局僕以外の2、3人が手紙を完成させて投函。
数週間前の僕と同じように、ソワソワとした日々を送ります。

僕は僕で、△子さんとの文通を続けます。

で、僕以外の奴はやっぱり返事が来なかったりで
ひとり、またひとりと脱落していきます。
文通の道はイバラの道です。

△子さんと何通か手紙のやりとりをしているうちに、
どちらからともなく「話したいね」という展開に。
手紙に電話番号を書いて送ります。
もちろん当時(10年くらい前)は携帯電話もポケベルも無かったし、
僕は寮だったので、呼び出し電話です。
「4棟〜202号室のぉ〜多摩川ぷう太く〜ん。 お電話は入っていま〜す。
 至急事務室まで来てくださぁ〜〜い」
と、寮内放送で呼ばれ、僕は走って事務室まで行きます。

「もしもし、替わりました」
「あっ・・・あのぉ・・・ぷう太くんですか?」
「はい」
「あの・・・私・・・手紙の・・・△子ですぅ」
「わー! どうもどうも! 僕です! はい!(喜びすぎ)」

「てへ・・・かけちゃった、電話」
「あ、ちょっと待って、僕のほうから掛け直すよ、ここ寮の事務室で、
 ちょっと話しづらいからさ」
「あ、うん・・・じゃあ」

そして外の電話ボックスに走る僕。
寮の近くの電話ボックスは、他の寮生(彼女いるヤツ)が占領してたりします。
ちょっと遠い電話ボックスまでさらに走る僕。
500円のテレホンカードを握りしめながら。

季節は11月です。 寒いです。 息も白いです。
電話のボタンを押す指が震えているのは寒さのせいだけじゃないです。(詩的)

「もしもしっ!」
「はい! ぷう太くん! △子です!」
「や〜〜〜・・・」
「・・・・ウフフ・・・」
「ハハ・・・・ハハハ・・・」
「ウフフフッ」

はぁ・・・青春ですね。

「ぷう太くん、声震えてる」
「今外でさ、走ってきたから」
「大丈夫?」
「うん、全然。 あとね、緊張してる」
「え〜? ウフフ、でも、私も」

「ぷう太くん、想った通りいい人そうで良かった」
「はは、いやそんな、いい人でもないよ」
「え、そうなの? ウフフ」
「やーどうかなぁ。 ハハハ」

僕は千葉、相手の△子さんは横浜なので
テレカの度数がガンガン減っていきます。
500円の新品のカードだったのに、数分話しただけでもう残りわずか。

「あーもうすぐテレカなくなる」
「え、ホント!?」
「またかけるよ」
「うん、待ってるね」
「いつ・・・何時頃かけるのがいい?」
「何時でもいいよ、大丈夫」
「じゃあ決めておこう、あさって、土曜日の夜9時に」
「うん、電話の前で待ってる」

△子さんは実家なので、時間決めておかないと、お父さんとかが出たら困るので・・・

「じゃあ、切るね」
「うん、またね」
「・・・・うん・・・じゃあ」
「うん・・・」
「△子さんから切ってよ」
「えー、ぷう太くんから切ってよ」
「えー」
「もー」

「じゃあさ、せーので同時に切ろうよ」
「うん、わかった」
「せーのっ・・・」

「・・・・・・・切ってないじゃーん!」
「ぷう太くんこそーーー!」

「アハハハ、アハハ、アハハハハッ!」

・・・あああ・・・書いててサムくなってきました。 いろんな意味で。

「じゃあ、ホントに切るからね?」
「うん、ぷう太くん、またね」
「うん、じゃあま(ピーーーーーーー!)」

じゃあまたねと言い切る前にテレカが切れて電話が終わってしまいました。
すぐに10円玉を入れてかけなおす僕。

「もしもし?」
「あ、ぷう太くん! あははは! どうしたの!?」
「や、さっきギリギリでなんか途中っぽく切れちゃったからさ」
「それでわざわざまたかけてくれたの!?」
「うん、なんか気持ち悪いじゃん」
「あははは! でもありがとう、嬉しい」
「うん、じゃあ、またね」
「うん、土曜日ね」

ガチャン

・・・・・はぁ〜・・・・・・・・

幸せいっぱいの多摩川ぷう太18歳の冬でした。

つづく。(長いなー)

Posted by m-03_20116 at 03:29│Comments(0) | │TrackBack(0)
 

文通。

その昔、10年くらい前に「文通」がマイブームだった時期がありました。

工業大学に入学して、男子寮に入って、体育会の部活動に入って、
とにかくまー、男だらけの水泳大会だったわけです。
や、水泳大会ではないんですけど。 ポロリも無いです、もちろん。

まだ若者に携帯電話もポケベルすらも普及してなかった頃。

アルバイト情報誌を見ると、最後のほうのページに「文通コーナー」が
あったりするんですよ。(今でもあるのかな)
僕はよしと決意しました。

「時代は文通なんじゃなかろうか。」 と。

いろいろと文通募集の記事がある中で、よさげなのを探します。
あんまり「スノボがどーの」とか「クラブがどーの」
とか「アウトドアがどーの」というのは避けます。
僕のゾーンじゃないので。 そこは。

逆に「幽☆遊☆白書がどうたら」とか「やれスラムダンクがなんたら」
みたいのも避けます。 知らないので。

そうやって消去していって、同年代で関東在住で、「映画が趣味」とかのコを
赤ペンでチェックしていきます。
そうして2、3件に絞り込んで(絞るというか、こういう「普通っぽい人」
っていうのがもう100人中2、3人しかいないんですけど)
まー、90年代に文通っていう時点で普通じゃないかもしれないという、ね、
なんかビームみたいのが頭をよぎりましたが、そこはホラ、お互い様です。
それくらい「時代に流されない」感じが逆に。 むしろ逆にアレ。

で、文具屋でレターセットを買ってきます。
手紙なんて人生でそうそう書かないですから、レターセットというのも
もちろん初めて買うんですけど、どういうのにすればいいのか・・・
やっぱりまー、シンプルに、クールに、青系の単色のやつとか。
「や、青の便せんは別れを意味するのか!?」とか自問自答しながら。
文具屋でひとり熱心に黙々とレターセットを選ぶ18歳男子。

結局、無印とかで茶色の、
「茶色だけど一応無印良品ですよ、ちょっとはオシャレですか? エヘヘッ」
みたいなレターセットを買います。 ナイスチョイス。

そして夜中に寮のふたり部屋で、相方が寝たのを見計らって
ベッドの中で懐中電灯をつけて手紙を綴るわけです。 青春。

この時点まで、まだ友人や寮のヤツらには内緒で計画を遂行中です。
だって恥ずかしいモンッ。 18歳だモンッ。

まずは自己紹介などを、無難に。 できる限り無難に。

「散歩が好きです。 今の季節、夜中に空を見ながら歩くと気持ちいいですよ。」

みたいなことを書きます。 
車にひかれちゃうよね。 今思うと。
でも18歳の僕はノリノリです。 ピチピチです。 ひかれません。 車なんかには。
そんで、あとはまー・・・・・・

「僕も映画好きです。 ●●さんは(あ、なんて呼べばいいですかね)
 どんな映画が好きですか? 僕はまぁ、ターミネーター2や
 ダイハードとかの、普通の流行りものとか、
 あと最近だとフィッシャーキングとか、ナイト・オン・ザ・プラネットとか、
 クールランニングも良かった」

とか書きます。
「●●」の部分は雑誌に載ってるペンネームか、もしくは本名が載っていれば
本名の苗字です。
ターミネーター2とかの無難なのも上げつつも、ナイト・オン・ザ・プラネット
とかの「お、なかなか知ってるね」的なのも加えるんですよ。 ええ。 テクです。
で、僕はゲーム好き(それも末期的セガフリーク)だけども、そこはあまり書かない。
引かれるので。
「暇なときはテレビゲームもやったりします」くらいに抑えます。
(ホントは徹夜したりするくせに。)

で、まー当時の僕は文通そのものよりも真の目的は「彼女探し」だったので、
「会う」のが目的なわけですから(そのために関東在住のコを選んでいる)、

「映画は最近もっぱらビデオです。 映画館に独りで行くのもなんだし。 ううう。」

みたいなことを付け加えることも忘れません。
(重要。 特に「ううう。」が重要。)

さて、そうやって徹夜で書き上げた3通の手紙。
翌日の朝、大学へ行く途中で郵便局へ寄って切手を買い、
自分で切手を貼ってポストへ投函。
郵便局の窓口の人に渡すこともできますが、ここはやっぱりね、
ポストに入れるってところが、アレなわけですよ。
こー、心の中で「返事が来ますように・・・」と念を込めて・・・
ハトを飛ばす思いです。 

僕の想いっ キミに届けっ!

みたいな、サムいノリです。 いや、大真面目です。

それからはもう、そわそわする日々が続きます。
「今日ポストに入れたからぁ、明日には雑誌の編集部に届いてぇ・・・
 んでそこから●●さんのところに送られて・・・・
 うーん4〜5日後に●●さんのところに手紙が届いて、
 返事を書いてポストにいれてぇ・・・うーん・・・」
みたいな、未来予想図をね、脳内カレンダーでアレやコレややるわけです。

で、結局初めて出した3通はどれも返事来ず・・・
なにがダメだったんだっ! 言ってくれ! 直すから!
ちゅうかダメならダメで「ダメです」とか手紙くれよ! 
まったくコレだから・・・ブツブツ(逆ギレ)

でも、ここで諦める当時の僕(18歳)じゃありません。
またアルバイト情報誌を買ってきて、次の人を探します。

「おーなんかぷう太、最近熱心にバイト探してるみたいだなー」

違います。 バイトなんか探してません。

そんな日々が続いたある日、ようやく返事が!
 

と、なんか長くなったので続く。 (無駄に長いな・・・)

Posted by m-03_20116 at 00:30│Comments(0) | │TrackBack(0)
 

歯医者とパンク。

歯医者に行ってきましたよ。
今日は前歯のへんの治療。 麻酔の注射を打って、例のキュィーーンというドリルや
ガガガガゴゴゴというドリル、あと僕の知らないなんか「ピッ」とか鳴る
レーザーっぽいのを照射されたような・・・
なんだあのマシーンは。 10年前はあんなの無かった。
謎のマシーン。

まーそんなこんなで、とりあえず今日は「前歯(前編)」という感じでした。
来週は後編。
もしかすると来週で終わりかなぁ。 どうなんだろう。

それにしても、歯医者って痛くなくなりましたね。
麻酔の性能が上がったのか、行った歯医者がたまたま上手かったのか、
先日の親不知の抜歯も、今日の虫歯の治療も、
痛みらしい痛みは麻酔の注射を打つ時ぐらいです。
でも緊張感はありますね、やっぱり。
舌がドリルに巻き込まれるんじゃなかろうか。
唾がどんどんたまって窒息するんじゃなかろうか。
今クシャミとかしちゃったらどうなるのか。
などなど、雑念が。

そうそう、
先日の親不知抜く時の奥歯の麻酔はそんなんでもなかったんですが、
今日の前歯の麻酔は、相変わらず面白いですね。
もー前歯から唇にかけてまでの感覚が無くなる感じが。
気持ちいいというか、悪いというか。
自分の唇じゃないみたーい。 テヘヘ。 という風です。

終わって帰ろうとしたとき、自転車の後輪がベコベコでした。
ああ、空気全然入れてなかったからなぁ・・・
自転車屋はもう閉まっていて、しかたなく押して帰りました。
自転車だと10分なんだけど、歩くとそれなりに・・・
でもまーいい運動だと思えば。

Posted by m-03_20116 at 00:03│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月22日

夢を見た。 ボブサップの。

やー今日はちゃんと起きましたよ。
歯医者に行けますわ。

昨日あんな番組を見たためか、夢にボブサップが出てきました。
単純だなぁ僕の脳・・・

舞台は実家、サップがうちにホームステイしています。
キッチンの4人掛けの小さなテーブルに僕と僕の姉と母と祖母とサップが
座って御飯を食べています。
一応姉がサップの世話(?)役で、姉とサップは仲良く喋っています。
サップはとても礼儀正しく、すごくいいヤツでした。 猫背でした。
箸の使い方などを姉から教わっていました。

僕は自分の仕事もあって、それまであまりサップと直接は喋ってなくて、
家族の中で僕だけサップとあまり打ち解けてなかったんです。
なんか話題がないかなと考え、そういえば僕とサップ、同い年かも
とか思い付き、かたことの英語でサップに生年月日を聞きました。

サップは何やらボソボソ言いながら、紙に自分の生年月日を
書いてくれたんですが、その字がめちゃくちゃ小さくて、
「字ぃちっちゃぁ〜〜〜〜!」とツッコミを入れそうになりましたが、
相手はサップなので、とりあえずツッコミを飲み込む僕。

サップは食事のあと、試合を控えていました。
試合と言ってもK-1でもアメフトでもプロレスでもなく、
ボブスレーでした。
まずボブスレーで勝負して、そのあとに格闘技の試合、という
謎の大会・・・というか、テレビ番組の企画でした。

僕はボブサップを応援するポスターを描いてくれと姉に言われ、
それを頑張って描いていました。
でもあともう数時間後にはもうボブスレーが。
どう考えても間に合いそうにない。
さらにサップが僕のシャープペンシルを持っていってしまったようで、
シャープペンシルも無いわ、時間も無いわで、
どーすんだよ! と切れそうになったところで目が覚めました。

なんだかなぁ・・・

Posted by m-03_20116 at 13:05│Comments(0) | │TrackBack(0)
 

寝坊・ふたつのスピカ・札幌。

寝坊しました。

歯医者を2時半に予約してたんですけどね。
起きたら4時でした。

ううう、たしか待ち合い室のカベに
予約を3回スッポカしたら治療拒否とか書いてあったなぁ。
すまん歯医者さん。 明日は絶対行きますばい。

ちゅうか4時起きって。
何やってんでしょう。 もう。
確かに寝たのは朝7時とかだったんですけどね。
1回11時頃に起きたんですよ、でもまだまだだと思って2度寝。
ダメですわなー。

仕事柄、目覚ましをかけて寝ることは少なくなり、
どこかに出かけるために決まった時間に起きるって
大学以来かもしれないんですけど。
毎朝ちゃんと起きてる人々はスゴいなぁホントに。

と、書いたりすると、「朝起きなくていいなんていいですね」
とか言われるんですよね。
「好きなだけ寝れていいね」とかね。
いや、違うんですよ。 好きなだけは寝れないんですってば。
・・・ってまー、言ってもあまりわかってもらえないから
そんなに言わないですけどね。 「テヘヘ」で済ましますけど、いつも。

僕のイチオシ漫画『ふたつのスピカ』、
去年の年末に読んで、「面白いよっ!」っていろんなところで
言いふらしてたら、3人もの人が買ってくれて、
みんながみんな「うん、面白い」と言ってくれました。
すごいなぁ。 いや、すごいのは「ふたつのスピカ」なわけですが。
まだそんなにメジャーな漫画じゃないですが、読んだら面白い。
ここでも薦めておこう。 面白いですよ。 『ふたつのスピカ』
ほんのりSFの感動癒し系です。

つーか人の仕事ばかり薦めててもしょうがない。
僕も頑張らなくちゃなぁ・・・はぁ、頑張ろう。

ところで、僕は札幌出身なんですけど
(一応メモライズ向けの自己紹介)、大学が千葉で
高校卒業と同時に札幌を出たんですけど、
ちゅうことはまー、北海道を出て11年か。
最初の4年くらいは毎年1〜2回帰省していたんですが、
だんだんと帰れなくなり、最後に帰ったのが一昨年の5月。
まー仕事だったりとか、お金が無いだとかなんですが、
うーん、帰りたいなぁ。
好きなんですよー。 特に雪のあるうちに帰りたかった。
この冬は帰れそうもなさそうなんですけどね。

でも、こうやって1〜2年に1度くらい北海道に帰ると、
帰るたびに北海道の不景気の深刻さがヒシヒシと・・・
子供の頃のよく行ったお店とかデパートとかが
帰るたびにどんどん無くなっていったり・・・
実家の近くの町の雰囲気が、僕がいたころより寂しくなってたり。
頑張ってほしいところです。

ちなみに、自慢じゃないですが、僕はモーニング娘。の
飯田圭織と同じ中学だったりします。
まー・・・6歳くらい離れているんですけど・・・
ちゅうか実際あまり自慢にもなんにもならないんですけど・・・
飯田圭織がたまに歌番組などで「軽川」とか「手稲プール」とか
言ったりすると、ニヤっとしちゃいます。

Posted by m-03_20116 at 00:45│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月21日

CM・パンツ・歯医者・音。

●先日の日記に書いた、爽健美茶のCM(インテリアショップ篇)の女の人は
大沢紗衣さんでした。 かわいいですな。

●100円ショップでパンツと靴下とTシャツを買ってみたんですが、
靴下はまぁ、いいとして(でも結構すぐ擦り切れそう)、
パンツとTシャツは生地が縦にも横にもどうにもこうにも伸びず、
なんともかんともな出来。
うーんとりあえずの、使い捨てというスタンスっぽいです。

明日は彼女と旅行だぜ。
さて荷物はだいたい詰め込んだし・・・おおっと、Tシャツとパンツを
入れ忘れてたよ、俺ってばウッカリさんだなぁ。
パンツパンツと・・・あっ! パンツが無いっ!
買いに行・・・あっ! サイフに200円しかないっ!

・・・なんて時に、便利ですよ。(200円じゃ旅行行けない)

●さて、明日は歯医者です。
どんなことをされるのか、ドキドキしちゃう。(Mか)

●今日ディスカウントショップで、なんか「アンプ、ウーハー、ミニスピーカーのセット」
みたいのが、6千円弱で売ってたんですけど。

今ですね、メインルーム(普段生活したり仕事したりする部屋)じゃなく、
パソコンの部屋(実はキッチン。 台所と冷蔵庫とパソコンとコピー機と
フィットネスフライヤー(流行ってた時購入・3日坊主)が置かれている)に
昔使っていた小さいモノラルテレビを設置することにしたんです。
パソコンしながらテレビを見たかったので。

電器屋で分波器(アンテナからの電波を2つにしちゃうマッシーン?1000円位)
を買って、なんとか綺麗に映るようにしまして、
せっかくテレビ置いたしということで、ビデオもね、置いてみたわけです。
これは昔、ダビング用に買った2台目のビデオデッキ。 6000円くらいだった。

んで、テレビもついたしビデオもついたし、ということで、次にゲーム機を。
セガのマスターシステムとメガドライブとサターンを。(僕はレトロゲーム好き)
そんなこんなを、あの、なんつーのか、鉄の棒の、あの組み立て式の棚
(なんちゅうの?アレ・・・スチールワイヤーラック?)に収納しましてですね、
悦に浸っていたわけですが。

そんな中、テレビがモノラルなもんだから、いくらビデオがステレオでも、
音はテレビのモノラルスピーカーからしか出ないってのがね、
なんだかもうっ!って感じだったんですよ。
だからなんとかして安いスピーカーでもいいから、ビデオに直に繋いで
ステレオで音出したいよ、と思って。
それでまず、これまた昔買ったウォークマン用の小さいスピーカー(2個セット)
を付けてみたんですが、うーん、小さいから音が割れる。

そんなさなかの今日のディスカウントショップでの小型アンプ・スピーカーユニットとの出会い。
すごい迷ったんですよ。 
迷ったんですけど、やっぱり安物なわけです。 無メーカーなわけです。
きっと安物買いの銭失いといういつものパターンなのです。
甘いワナなのです。
そんなわけで、うしろ髪をひかれながらも、買わずに店をあとにしました。

まー音なんてね。(結局負け惜しみ)

Posted by m-03_20116 at 01:00│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月20日

ロボ.山芋。

「こんにちは多摩川ぷう太さん。
 あなたのホームページ、前々から好きでたまに見に行っています。
 特にロボコップ3についての考察コーナーなんて最高だと思いました。」

というメールが来た。
「友恵」という女性から。

ホームページを好きと言ってくれるのは嬉しいけど、
僕はロボコップ3についてなんてどこにも書いてない。
確かにロボコップは好きだ。 1は特に好きだ。
悪役にカタルシスを感じるいい映画だった。
でも考察するほどでもない。
2も敵メカのデザインとか好きだし、3もあの警官達がバッジを捨てるところとかは
ちょっとホロっときたけど、でもそれでもコーナーまで作ったりはしない。

誰かと人違いをしているんじゃないかと思ったけど、
でも「多摩川ぷう太さん」というのは合っているしなぁ。
別にイタズラメールのような悪意も感じなかったし(むしろ好印象だった)
まぁ放っておけばいいかと思い、返事も出さずにいたら、
数日後にまた「友恵より」と書かれたメールが届いた。

「多摩川ぷう太さん、この前のメールはゴメンなさい。
 ロボコップについては触れてはいけなかったみたいですね。
 ぷう太さんとロボとの間にあった過去について
 私知らなくて、つい何の配慮もなくあんなメールを・・・」

僕とロボコップの間に何の過去も無いし、別にタブーでもなんでもない。
メールは更に続いていた。

「気を取り直して、話題を変えることにします。
 ぷう太さん(あ、先程から馴れ馴れしく「ぷう太さん」と
 呼んでしまっていますが、よろしいですか?)
 ぷう太さんのホームページでもうひとつ私が好きなのは
 『多摩川ぷう太の好き好き山芋』のコーナーです。」

山芋・・・そんなコーナーは無い。
ここで僕はふと、僕と同じ『多摩川ぷう太』というハンドルの、
別人のサイトのことなんじゃないかと思い、
『多摩川ぷう太 ロボコップ3 山芋』
でググってみた。 
0件。
うーん、そうだろうなぁ。 わかってるよ。 そんなの無いよね。

でも気になる。
ロボコップ3と山芋をこよなく愛する、僕とは別の『多摩川ぷう太』。
ロボコップ3についてどれくらい熱く語っているのか、
すごく見てみたい。
 

まあ、そんなメールは来てないんだけども。
ともかく今日『ロボコップ3』をレンタルしてきて久しぶりに観ました。
それなりに面白かったです。

Posted by m-03_20116 at 02:31│Comments(0) | │TrackBack(0)

2003年01月19日

気になった人物。

アコムのCMの人は小野真弓さんといいます。
日商ベックスのCM(東京ローカル?)「ベックス〜でいい部屋探そっ♪」の
人は大森かほりさんといいます。
爽健美茶のCM(インテリアショップ編)の女の人は・・・まだわかりません。
誰か知りませんか??

という・・・CMで気に入っている人々です。

あとは仲間由紀恵さんが、「トリック」を観て以来好きです。
というか、トリックの中の「山田奈緒子」が好きなのか。
あーあと乙葉さんもいいですね。
めざましテレビの今のお天気担当の高樹千佳子さんもいい。

うーん、いっぱいだ。 幸せだ。(なんだ俺は、変態か)

好きな顔の傾向とかあるんだろうか。
ちゅうか、え、面食い? 面食いなの?
どうでしょう。 まー顔じゃないけどね。 人は。
性格だよね。
まーテレビ見てても性格なんてわかんないわけだけども。

Posted by m-03_20116 at 03:18│Comments(0) | │TrackBack(0)
 

カップラーについて。

日記開始早々、カップラーメンの話なんですけども。

カップラーメン、いろいろ出てますよね。
実在の店のやつとか。 なかなかどーして美味しいです。
なかなかどーして。 なかなかどーして。(言いたい)

ついつい食べてしまうんですが(週に2度位は夕食がカップラー)、
そんな僕が最近気になることを。

最近のは作り方が微妙に特殊なものも多いんですよ。

カップヌードルはお湯入れるだけですよね。
んであと他の大抵のカップメンは、
やくみを入れる。
お湯を入れる。
3分待つ。
粉末(もしくは液体)スープを入れて食べる。
・・・という感じです。

でも中には、「やくみはあとのせ」とか「粉末スープと液体スープが両方ある」
とか、「レトルトやくみと液体スープをフタの上に乗せて温める」とか
「5分」とかいろいろあるわけですよ。
なのでまず、とりあえず容器に書かれている「作り方」を見るわけですが、
ここで問題が。

●「作り方」がどこに書かれているのかわからない。

結構多いです。
「原料」などのあとに書かれていることとかありますね。 探しづらい。

●作り方工程の1番はだいたい「フタを半分まで開いて、粉末スープ、かやくを取り出す」だ。

んなことわかってるよ。 まー食品衛生法とかPL法とかで、
とりあえず書かないとならないんでしょうけど。
書いておかないと、かやくの袋とかスープの袋とか取り出さないで
お湯いれちゃう人とかいますからね。 いるのか?
そんなわけで、だいたいは工程1は読み飛ばし、2から読みます。

そしてそして、次が一番問題。

●フタの開ける側と作り方が書いてある側が180度逆。

フタ開けて、お湯入れて、フタを閉める・・・そうすると
自ずとフタの開け口側が手前を向きますよね。
となると、作り方が書いてある側がむこう側になっちゃって、
見えないわけですよ。
「お湯入れてから何分だったかなー」とか思っても、
書いてあるのが逆側なわけです。
お湯がこぼれないように用心しながら、容器をグルっと180度回さないと
ならないわけです。 これがもー・・・くそう。

そんなわけでね、作り方はフタの上(表側)に載せるべきなんですよ。
デザイン上どうこうよりも、まず扱いやすいのが第一。
ちゅうか扱いやすさも踏まえるのがデザインというものでしょ!?
(お、工学部工業デザイン科卒らしいことを言ってみましたよ)

という感じで、カップラーひとつ食べるのにもこんな風に
ちょっとイラっとしたりします。

カルシウム、足りてる?

ちなみに、今僕が一番好きなカップラーは
セブンイレブンで売っている(他でも売ってるのかな)『雷文』という
ラーメンです。 実在の店のです。
味が美味しい。
Posted by m-03_20116 at 02:31│Comments(0) | │TrackBack(0)
 

初めまして。

気分を変えて、新しい日記です。
どうでしょうか。
新しいということで、自己紹介してみることにします。

多摩川ぷう太といいます。
男です。 

はい、そんなわけで。
やー自己紹介もめんどくさいものですね。
あらためて何を言えばいいのやら。
こー、やっていくうちにいろいろと、明らかになっていくんでしょうか。 何かが。

日記というか、たぶんココには日々の出来事も書きますが
普段考えていることや嘘やどうでもいいことなどを書いていくと思います。
や、どうでもいいことが大半を占めると思われます。

そんなわけで、とりあえず。 はい。

Posted by m-03_20116 at 02:00│Comments(0) | │TrackBack(0)


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