at 2001 05/09 02:31 編集
帰省から戻りました。
今回の帰省は1年ぶりで、期間は10日間でした。
10日って・・・他の人よりきっと長いですよね。
帰省すると決まって「健康的な生活」になります。
朝は9時頃起きて、3食ちゃんと食べて、夜は12時には寝ます。
朝は犬に起こされて起床するのです。
犬が僕の部屋のドアをガンガン蹴り、ワンワンと吠えるのです。
もうろうとした頭でドアを開けると、犬が飛びかかってきます。
それで目が覚めます。
3食食べると言っても、親が食事を作ってくれています。
朝はパンが焼かれ、紅茶が入れられ、目玉焼きと簡単な野菜類と
ヨーグルトが出されます。
昼はラーメンやチャーハンが出てきます。
居間のソファーでダラダラとテレビオを観たり本を読みながら
夕方5時くらいになったら「ねー今日の御飯なに?」と聞くと
「何にしようかねぇ」と言って母が晩飯のメニューを考えだします。
「コーヒー飲みたいなー」と言うとコーヒーを入れてくれます。
風呂に入りたいなぁと思ったときには風呂が沸いていて、
洗濯かごに服を入れておくと洗濯がされて、
寝る前には布団が綺麗に敷かれています。
親と同居って、こんなに楽なんだなぁと、改めて実感します。
ありがたいですね。
まー僕はたまの帰省なので、こーやっていろいろ世話してくれますけど
ずっと同居だとまた違っているのかもしれませんが。
なんにしても、僕の場合は(うちの家庭の場合は)、
もし大学入学で家を出ないで実家に残っていたら、
ダラダラとした人間になっていたんだろうなぁ。
うちの家庭はたぶん甘いから。
今もダラダラしてますが、根本的に違う意味で、ダラダラ何も考えずに
生きていたと思います。
「明日の食費はどうしよう」とか「今月の家賃が・・・」とかを
考えない生き方というのは、良くも悪くも、人生にいろいろと、
影響が、違ってくるんだろうなぁと。
ところで、今回の10日間、そんな生活をしていたら、
ものすごい「うすっぺら感」がありました。
とても心地よい、いい意味でのうすっぺら感。
深いことは何も考えないで、表面の、浅い水面にプカプカ浮かんでいる気分。
今回は完全な休みだったので、差し迫った仕事の悩みもなく、
ネット環境もほとんど無かったので、ネットもやっていなかったんですが、
そうなると本当に、本当に、「何も考えなくても世界は流れるなぁ」と。
ネットって、なんかケンカとかあったり、陰口とか悪口とか、
何かを含んだ口調で交わされる会話とかが多いじゃないですか。
直接自分に関係無いことでも、ちょっとネットをフラフラしてたら
すぐそーゆーところにブチあたるでしょう?
好きな歌手がいて、その人のこと調べようと思って検索したら、
必ずいくつかの悪口にブチあたるでしょう?
好きな映画や本があって、その作品の面白さを誰かと共有したいと思って
検索したら、その前に必ず「アレはつまんない」「最悪だった」
とかの批評書いてる人にブチあたるでしょう?
楽しく雑談したいと思って、いろんな人が集まる掲示板とかに行ったら
必ずいくつかのケンカや、罵声や巧妙ないやみを含んだ口論を
やっているひとがいるでしょう?
それも、わざとやっているんですよね。
そーゆーのが、口論とかが好きな人が。
相手を論破するのが好きという人が。
自分が関係していなくても、そーゆーのを見かけてしまうだけで、
ちょっとずつストレスになっちゃってるんですよね。
ネットから離れていると、そーゆーストレスが僕の生活にとって
どれほど大きかったかがよくわかりました。
これからはネットのあまり深いところまで行かないようにして、
自分のサイトと、その周りの友達のサイトだけを回るだけにしようかなと
思います。
そーすると、たぶんかなり楽になると思います。
深いところで少数が何を言っていようが、表面でプカプカ浮いている大多数の
人にはまったく影響無いんですものね。
ん〜、ネットって、深くやるのも勉強になるけども、
離れるのも、ある意味いい勉強になりますね。
・・・あ〜なんか、今回の日記は文章が下手で、
思っていることがちゃんと伝わってないだろうなぁ・・・
リハビリせにゃ。
村上。
at 2001 05/11 00:36 編集
『スプートニクの恋人(文庫版)』を帰省中に読み終えました。
そして東京に戻る飛行機から『ノルウェイの森(文庫版・上)』を
読み始めました。
そんな感じで、村上長篇小説2周目キャンペーンに突入。(キャンペーンじゃないけど)
初めて読み始めたときと同じ順番です。
『ノルウェイ』が終わったら、
『国境の南、太陽の西』、『羊をめぐる冒険』、『ダンスダンスダンス』、
『ねじまき鳥』、『世界の終わりと』・・・・と進んでいく予定。
順番めちゃくちゃですが。
『ノルウェイ』、面白いですね、やっぱり。
主人公ワタナベが変な学生寮に入っているというのが、
僕もかなり変な寮で生活していたので、妙に共感できたり・・・
小林緑が出てくるあたりから好きです。
緑の家に招待されて、昼ごはんを食べて火事を見るへんとか、
情景というか、風景が、頭に浮かびます。
文章読むだけで勝手に家の間取りとか家具の配置とかが浮かんでくるのです。
それは村上氏の文章の力なんですかね。
そんなわけで、晴れた昼さがり、暑くもなく寒くもない空のもと、
公園の木陰のベンチに座り、缶コーヒーを飲みながら村上小説を読むのが、
今の僕の一番の幸せです。
一生それだけやっていたい。(無理)
徐々に蒸し暑くなってきましたね、東京。
いやだなぁ。
デジカメとサングラス。
at 2001 05/11 04:18 編集
帰省している間、街をブラつくときは、
サングラスをして首からデジカメをぶら下げていました。
18歳まで住んでいた街ですが、年に1回くらい帰省するたびに
だんだんと、なんだか、「居場所がないなぁ」という感じが・・・
自分が「よそ者」という気分がヒシヒシと。
なんでだろうね、年かなやっぱ。(あうあうあー)
僕が変わったのか、街が変わったのか、人が変わったのか。
そんなわけで、どうも居心地が悪いので、そのへんの店で
テキトーな500円のサングラスを買ってしまいました。
普段はサングラスなんてかけないんだけども。
サングラスをかけると、自分が第三者になったような気分に。
デジカメを首から下げるのは、写真を撮るためもありますが、
それよりも「旅行者っぽいから」という理由で。
自分が「旅行者」という立場だと、なんとなく楽ですね。
そんでさらにヘッドホンなんかをつけて音楽を聴きながらあるいていると、
もうなんか、かなり外界との繋がりをシャットアウトできます。
年が経つにつれ、甲子園などで北海道の高校を応援することも
なくなってくるし、だからといって東京を応援するわけでもなく、
コンサドーレなんて僕の知らないうちにできてたりするので
どうでもいいし、なんだか「自分の最終的・根本的な居場所」みたいなものが
どこにも無いような気がしてきます。
もしかすると唯一自分のホームページが、
文字どおり僕のHOMEなのかもしれない。
そんなココも、もうすぐ丸2年になります、そういえば。
おとなしい感じの人だったのにねぇ。
at 2001 05/12 04:42 編集
つかまりましたね、レッサーパンダ。
こーゆーのを見て、思うんだけど、
もし僕が今、殺人とか犯したら・・・
東京在住の多摩川ぷう太27歳が殺人容疑で捕まりました。
家宅捜査の結果、多摩川容疑者の部屋は、
本やCDなどが山のようにつまれており、
足の踏み場もない様子。
(ここで部屋の様子が写し出される)
プラモデルや人形などのおもちゃがいくつか置かれ
(ガンダムのプラモやジャッキーチェンのフィギュア)
混沌とした部屋の片隅には、パソコンが置かれており、
容疑者はインターネットを趣味にし、自分のホームページも
持っていた模様。
ホームページ上では、イラスト(特に婦女子のもの)
が展示され、さらには人形とともに旅行をしている写真などもあることから
独自の世界にこもる傾向があると思われる。
(ここでナゾドウブツの映像)
このような架空の生物の絵からも、容疑者の異様な精神構造の一端がうかがえる。
テレビゲームやビデオ、DVDソフト、漫画本も多数発見され、
その線からも今回の犯行の原因となっているかどうか調査中。
〜多摩川容疑者宅の近隣の住民の証言〜
「なんだか平日の昼間も家にいるみたいでしたよ。」
「夜中はずっと電気がついていて、なにをやっていたんだか・・・」
「ジャージ姿にサンダルで煙草の自販機までとぼとぼ歩いているのを
たまに目撃しました。」
〜容疑者の中学・高校時代の同級生の証言〜
(ここで、たいした喋ったこともないような奴が登場)
「ああ、彼ねぇ・・・なんかおとなしそうな感じだったけど・・・」
「クラス委員長とかもやってたり、成績も結構良かった印象があるけど、
やっぱそーゆー・・・ああ・・・そうだったかもしれないなぁ・・・」
〜一方、容疑者の実家では・・・〜
親「1年に1回帰ってくるかこないかで・・・
東京で何をやっていたのかと思えば・・・ううう・・・」
容疑者のインターネット上でのホームページを見たことのある人にも
証言をいただいております。
「彼ですか? う〜ん、真面目でやさしそうに見えたけど、
日記とかで、たまにかなり鬱っぽい事を書いてたわね。」
「あと、掲示板のレスとか結構まめで、それがちょっと・・・なんていうか、
言われてみると、まめすぎて・・・神経質っぽさも・・・感じたというか・・・」
「あの変な動物ですか? なんか本人は『ナゾドウブツ』とか
呼んでましたけど・・・
私なんかは、変な・・・不思議な動物だなぁと思って見てましたけど・・・
・・・もしかしたら、彼本人には、実際見えていたのかもしれませんね。」
容疑者のパソコンの、インターネットを閲覧するためのブラウザソフトの
履歴には、今話題の「2ちゃんねる」などもあり、
警察ではその線からの調査も進めている模様・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・なんていうことに、なりかねないので、
あー絶対事件は起こせないなぁ、恥ずかしいなぁ、
なんて思う、僕なのでした。
やいこ。
at 2001 05/14 00:02 編集
矢井田瞳のクリップ集DVDを衝動買い。
衝動買いというかね、僕、矢井田瞳の顔が好きなんですよ。
顔を見たかったのね。
歌もいいけど。
最初なにかと椎名林檎と比べられた彼女ですが。
ちゃんと聴くとやっぱ全然違うんですよね。
僕はどっちも好きですが、顔はなぜか矢井田瞳のほうが好きという。
椎名林檎のほうが、一般的に見て確かに美人ではあるかもしれぬが。
僕ぁ矢井田瞳の、あの、ぷっくらした頬と、あの一重まぶたが好きなのだ。
「近所のねーちゃん」的なあの顔が。
同じ理由でaikoの顔も好きだったりします。
好みがマニアックですか?(笑)
ビデオクリップのデキもなかなか良かったですよ。
ロングスカートで大股開きでギターをガチャガチャ弾くポーズが
決まってます。
あ、椎名林檎と比べるなら(比べるなっつーのに)、
映像作品としてのインパクトは椎名林檎のほうがあるけどね。
矢井田瞳の場合は、プロモビデオよりライブビデオのほうが
よさげなような気がします。
今回のクリップ集の中にも一曲だけ、おまけとして
「I like」のライブ映像が入ってましたが、かわいいです。
きっと僕の中で「あの顔からあの声が出る」という、そのギャップみたいな
ものが、琴線に触れるんでしょう。
あ、「あの顔で」って、別に悪い意味で言ってるわけじゃないですよ。
普通にニコニコ楽しそうに歌ってるんだけど
低音と裏声がギュンギュン切り替わるあの感じが、
なんともすばらしいなぁと思います。
ライブビデオも早く出ないかなぁ。
ああ、2周年でした。
at 2001 05/14 03:34 編集
ここのサイト『ぷう・かふぇらて』、ならびにこの日記、
今日5月14日で丸2年が経ちました。 パチパチパチ。
日記、毎日書いてるわけじゃないけど、
だいたい、そうだな・・・500件くらいは書いたんじゃなかろうか。
2年てまた、なんかハンパですけどね。 いいけどね。
早いような、長かったような。
早いんだけど、ずっと昔のような気もします。
昔の日記とか読んだら、今とかなり形式も文体も雰囲気も
違ったりしてますからね。
いろいろと、試行錯誤と紆余曲折を重ねがさね。
出会いと別れを繰り返し。 ええ。
でも後半の一年くらいはもう安定期というか、
なんかまったりとやってます。
ネット始めて最初の一年くらいって、きっと誰もがそうだと思うんですが、
いろいろ、はしゃいでみたり、言わなくていいこと言ってみたり、
余計な他人事に首つっこんでみたり、しちゃうもんなんですよね。
今はね、もうなんていうか、ほぼ自己満足ですから。
あまり他人のことも深く考えないしね。(笑)
そんなアレで、特にたいした大事件もなく、淡々と運営されている当サイトです。
2年ですからねぇ。
25歳でしたからね、立ち上げ当時。
まいっちゃいますね。
つうかこの2年、ろくに浮いた話もなく。 はい。
この2年で、僕はなにか、進化・成長してる部分はあるんだろうか。
考えちゃいますね。
考えてもなにも浮かばないんですけどね。 眠いから。
あ、文章書くのが好きになりましたね。 そういえば。
こうやって、人に見られる文章を書く機会なんて、それまで無かったですからね。
どうやって笑わせようかとか、考えますね。
笑わせてどうするって感じですが。
いやいや。
あとね、そうそう、村上春樹に目覚めたってのがありますね。
ここ2年の僕の中の進化と言えば。
これはちょっと大きいですよ。 僕の人生において。
今『ノルウェイの森(下)』2回目読んでますけどね。
この日記、というか、僕の書く文体は、
生まれつきの要素ももちろんありますが、
村上氏の影響や、あと僕が好きな歌手であるKANさんの
喋り方からも影響受けています。
あとネットで知り合った人達の日記を読ませてもらった影響もね。
「ああ、この表現いいな」とかね。 真似したりね。
できるだけひとりよがりにならないような、
相手に話しかけるような感じを心掛けています。
ちゅうか、日記なのにね。
話しかけてどうするという・・・
そんなこんなで、これからもいろいろと、地味な進化をしながら
日記を続けていこうと思いますよ。
お泊まり会。
at 2001 05/17 00:59 編集
最近はオカルト系掲示板などに行って、怖い話や不思議な話を
読みあさることが多いです。
面白い。 面白いんだけど怖い。
夜中など、部屋が静かなときなどに読んでて怖くなって、
慌てて音楽をかけたりテレビをつけたりします。
怖い話。
怖い話を書けるひとって凄いなぁ。
僕にはそーゆー才能がないので、感心してしまいます。
怖い話と泣ける話は、本当に作るのが難しいと思う。
笑える話のほうが簡単なような気さえしてきますね。
一番簡単なのは、人をけなしたり、誰か、何かに
文句を言うことですね。
これは簡単。 だからみんな書く。
さて、怖い話と言えば・・・
いや、怖い話じゃないんですが、中学のころ、3年の時だったかな、
夏休みにクラスで学校に泊まるっていう会が企画されてね、
いわゆる「お泊まり会」ですね。
夕方くらいに学校に集まって、まず体育館でバスケ大会とかをします。
それからお弁当を食べて、夜は視聴覚教室でビデオを観ます。
先生が用意してきたホラー映画のビデオね。
先生もね、また「これは本当に怖い、ヤバい映画なんだ。」とか言ってね、
女子とかがキャーキャー言うんですよ。
まだ中学生だしね。 田舎だから純粋だしね。
んで、映画を観終わったあと、いよいよ肝試し。
一階の体育館からスタートして、まず一階をぐるっとひとまわりして、
階段を昇り、各階それぞれをひとまわりしながら、
ところどころに置いてあるノートに名前を書いて、4階まで終わったら階段を降りて
一階に戻って終了、という。
廊下や階段はもちろん真っ暗なので、ロウソクを持って。
最初はひとりずつという話だったんだけど、怖がる人とか出てきちゃって、
結局くじ引きで2人一組ということになり、それも男女ペアで。
ん〜〜、ドキドキしてきますね。
そのころ僕はクラスに好きな女の子とかいてね、
その子といっしょになれたらいいなーと思っていたんだけど、
結局は全然違うやつでね。 なんか陸上部の砲丸投げの巨漢の女の子でね。
いや、別にいいんだけどね。
でもやっぱり女の子だから「うう〜、ちょっと怖いよ〜」とか言っててね、
それなりに、あーかわいいとこあるじゃんとか、思ったんですが。
「ちょっと、ぷうくん、腕つかんでていい?」とか言われながら、ねぇ。
「あ、あそこからなんか出てくるかもね」
「ちょっとヤダー! ヤメテよぷうく〜ん!」
「あれ? あそこ、なんか動いてない?」
「やだー! こわいー!!」
・・・とかやりながらね・・・
・・・ああ、これがあの子だったら・・・・・
まー結局、何事もなく無難に終わり。
だってうちの中学って、まだできたばっかり(僕らが一期生)だったので、
校舎も新築だし、周りも新興住宅地でね、実際怖くないんですよ。
あと僕、部活(バレーボール)やってたので、夜まで学校にいることが
多かったからね。
あと階段の踊り場に鏡も無かったしね。
ココに鏡とかあったら、また結構怖いんですけどね。
肝試しが終わったら、最後は体育館にマットを敷いてみんなでザコ寝。
いや、寝ないんだけど。
いろいろコソコソと喋りながら。
そのうち寝ちゃうという。
そんな感じで、お泊まり会というのがありました。
地味に修学旅行より楽しかったような・・・
またあーゆーのやりたいなぁ。
大人になるとそーゆー楽しみが無くなりますよね。
サラリーマンでもないので社員旅行も無いしね。
つーか、あー・・・旅行行きたいなぁ・・・
マニアックな話。
at 2001 05/18 03:29 編集
マニアックな話。
〜その1〜
セガサターンの「ガイアブリーダー」ちゅうゲームを購入(480円)。
何にもない土地から、動物を育てていくシミュレーションです。
動物って言ってもね、ピカチュウとかトロとかみたいな、カワイイのじゃなく、
リアルな、「ヒョウ」とか「サイ」とかをね・・・
ネットで検索しても、あまり話題にのぼってなく・・・
マイナーゲームなんですかね。
でもそれなりに面白いです。
いや、面白くないのかな・・・よくわからないけど・・・
とりあえず買って始めてから2〜3時間ボーーっとやってしまった。
なごみます。
〜その2〜
去年の今ごろからハマり始めたガンプラ
(ガンダムのプラモデル)作りですが、
近頃は普通に作るのも飽きてきたので、
昔のプラモを改造する事に凝りだしています。
昔のプラモは可動箇所も少なくて、可動範囲も狭くて、
プロポーションもなんだかずんぐりむっくりなのが多く・・・
それを今の技術を使って強引にカッコよくするという。
切って貼って盛って削ってを繰り返して・・・
そんな感じで、1/144FAZZ(フルアーマーZZかな)や
1/100VF-1Dバトロイドなどを激烈にカッコいいプロポーションに
変更させました。
我ながらすごい。
プラモと言えば、もうすぐ、5月26日に
いよいよHGUCのRX-78-2が出ますね。
1/144のガンダムは、前にFGをフルポリ関節に改造したものと、
可動戦士(の頭をFGの頭に変更させたもの)で、
ほぼ僕の中では完結しているんですが、でもまー、
どんなもんかいなという感じで、一応買ってみますわ。
〜その3〜
その昔、「Beep」というゲーム雑誌があったんですが、
当時(13年くらい前)「ファミコン通信」や
「ファミリーコンピュータマガジン」など、ファミコン雑誌が多い中、
唯一(実際は唯一でもないですが)セガのゲームを扱っていた雑誌です。
僕の愛読書でした。
知る人ぞ知る、一風変わった、でもすごくイイ感じの雑誌でした。
2ちゃんにその「Beep」のスレッドを見つけて、読みあさって
当時を振り返って、いい気持ちになりました。
2ちゃんは、あと、岡村靖幸のスレやKANのスレ、ジャッキーチェンのスレ、
オカルト板のいくつかの怖い話スレなどをブックマークして
楽しんでおります。
優良スレは荒しも少なく、まったりと進行してて読みやすくていいです。
〜その4〜
バイオリン奏者の高嶋ちさ子さん
・・・って、いい顔してますね。 好み。
さんま御殿とかに出てたの観たり、あとネットで彼女についての書き込みを
見ると、性格悪そうな・・・感じ・・・ですが
まー、バイオリン奏者だし、そんなのは関係無いです。
別に結婚するわけじゃなし、友達になるわけじゃなし、
性格悪かろうが僕にはなんの影響も無いので。
ただ顔が好みなのさ。
20000。
at 2001 05/21 01:11 編集
メインサイトのほうの『青ぷう』が、20000ヒットを越えました。
ここ(gatecity)の『ぷう・かふぇらて』のほうが早く作ったのに
いつのまにか追い抜かれていましたね。
まーこっちは日記書いたときぐらいしか増えないのでしょうがないですね。
今日は暑かったです。
夜になると涼しくなって、今くらいの季節が一番いいです。
でもそうは言っても、本州はこの季節ってすごく短いですよね。
もう少ししたらすぐ梅雨に入るし、明けたらすぐ猛暑・・・
あの地獄のような猛暑です。
北海道では今日の東京くらいの気候が、2〜3ヶ月はあるんですけどね。
昼間は暑くても、夜になると結構涼しくなって、
子供の頃、近所の公園に盆踊りに行ったり、友達と花火をしたり
・・・っていう記憶が、この時期の夜の外の空気の臭いとともに蘇ります。
臭いと記憶って、結構密接に関係してますよね。
高校の頃、僕は部活をやってなかったので、1年〜2年までの2年間、
近所の公園をジョギングしていました。
近くに住んでいた友人とふたりで、夜10時か11時頃待ち合わせて、
公園の周りのサイクリングロード(1周1.5キロ)を2〜3周。
そのあと腕立て・腹筋・背筋・スクワットをそれぞれ100回ずつ。
・・・う〜ん、今じゃ考えられないほどの運動量だな・・・
それを2年間、雨の日以外は毎日やってました。
そんなことやってたもんだから、年に1度の登山マラソンとかで
上位に入ったり・・・そんなキャラじゃないのに。
「あー、ちゃんとやってれば、結果は出るもんだなー」と思いました。
というわけで、青ぷう20000ヒット。
継続は力でしょうか。
今は走ったり泳いだりも三日坊主な僕なんですがねぇ。
足の踏み場もない。
at 2001 05/22 01:34 編集
あーーーー部屋が汚い。
散らかりまくりです。
27年間の人生中、一番散らかっているかも。
記念に写真でも撮っておこうか。
いやいや、恥ずかしいからだめ。
もうね、モノが多くて片付けられない域に達しているんですよね。
CDとか、もう聴かなそうなのはダンボールに詰めて
押し入れにでもしまうかなぁ。
でもそーゆーのに限って急に聴きたくなったりしそうだし。
あとゴミ・・・ゴミというか、いらない箱とか雑誌とかが多い。
早く捨てなくては。
なんでこんなに散らかったかと言うと、
先月あたりまでの数カ月、仕事が忙しくて・・・
仕事の資料(本など)を広げて・・・広げ続けて・・・
その上にまた新たな本を重ねて・・・
という感じです。
綺麗になったら床に寝っころがりながら映画観たいよ。
今の状態じゃあ寝っころがるどころか、歩くスペースも無い。
トイレに行くにもジャンプで本やCDを飛び越えながら・・・
いかんなー、これはいかんぞ。
いきなり松嶋菜々子とかが訪ねてきたら部屋に迎えられないし。
つうか来ないし。
近況。
at 2001 05/23 07:42 編集
冷やし中華の季節ですね。
僕ぁコンビニの冷やし中華が好きなのです。
それも、ゴマダレのやつね。
ゴマダレじゃなきゃ嫌です。
あと鶏のささみのちぎったのが入っているとうれしい。
今のところ、セブンイレブンの冷やし中華(ゴマダレ)が
一番おいしいです。 麺もコシがあって。
あとまー、コンビニと言えば・・・
500mlの紙パックで、『謹製抹茶牛乳』ちゅうやつに
はまり気味です。
黄緑色のパック。
ちょっと甘いけどね。 ぐーですよ。 抹茶アイス好きには。
さて。
岡村靖幸はいいなぁ〜。
なんかずーっと聴いてます。
最近、新しいアーティストを開拓してないな・・・
古いのばっか聴いてます。
バンプオブチキンとかね、いいらしいですけどね。
高校・大学時代は、いろいろとマイナーなのとか新人とかを
漁ったりしてましたが。
そんな中で発掘したのがジガーズサンだったり篠原美也子だったりしますし。
ちなみに岡村靖幸は、僕が中2か中3くらいのとき、
姉(3つ上)が友達から借りてきたテープ(『早熟』)を
ダビングさせてもらって、それでハマりました。
同じような経緯でTMや松岡英明(懐)などを・・・
当時姉は大沢誉志幸にハマっていたようですが。
僕はそこから、永井真理子、KANなどを聴き始め、
CDレンタルに通うようになり(それまでは音楽なんてほとんど興味無かった)、
遊佐未森、東京少年、パーソンズ、サイズ、尾崎豊、佐野元春、
橘いずみ、近藤名奈・・・などなど、
世間と微妙に外れた『微妙にマイナーな路線』を好んで選んできてしまいました。
当時は「おお〜、誰も知らない新しいのを発掘したぞー!」という感じで
発掘も楽しかったですが、
今はネットなどで情報も早いし広いしで、僕が普通に見つけたころには
もうすでに早いモノ好きの間では有名だったりして、いまいち発掘の
喜びみたいなものは無いんですよね。
でもやっぱり性格上、ひねくれてるのかなんなのか、
普通に話題になってる、人気のあるものを聴くってことは無く、
今もこうして岡村靖幸などを聴いているのでした。
漠然と。
at 2001 05/24 03:19 編集
さて、またそろそろ、ひと仕事しようかねという
状況になってまいりました。
昔(と言っても3〜4年前ですが)お世話になった人から
「こんなのやってみない?」っていうお誘いが。
その人いわく、
「ぷう君は最近ちょっと、こ難しいのばかりやってる気がするから、
もっと君に合った単純なのやろうよ。」
という事です。
確かにその人と仕事してた頃は、かなり単純明解な事をやっていて、
楽しかったなぁと思っていましたがね。
別な人からは
「単純なのばっかやってちゃダメだよ。
これからずっと長くこの仕事やっていきたいならさー」
などとも言われたこともあり、どれを信じていけばいいのやら。
どちらも一理あるんですよねぇ。
思えばこう言われたあたりから、僕の迷いは始まったような気も・・・
う〜ん、迷うなぁ。
もちろん自分がやりたいのをやるのが一番なんですけどね。
やりたいことがいっぱいありすぎてね。
どれにしようかなーと悩んでいるうちに時が過ぎ、
金もなくなっていくというもんです。
とにかくまぁ、今はとりあえず込み入った仕事も無いので、
その「単純なやつ」を試しにやってみようかなと思います。
まー単純っつっても僕にしてみれば苦労は一緒なんですけどね。
モー。
at 2001 05/25 00:53 編集
ひょんなことから仕事でモーニング娘。の写真が必要になって
写真集を買うハメに。(ハメっていうか・・・)
そしてまー特に矢口の写真が欲しかったので、
近所の古本屋(カードとか生写真とかも売っている)で
矢口の生写真も購入。
うーあー、絶対危ないやつだと思われてるか。
27歳。
でもま、仕事だしね〜。
それにカワイーからまーいいかという。(笑)
写真集は『ハロープロジェクト2001』という、赤と緑の2冊を
買ったんですが、コレ、一番新しぽかったんで買ったんだけど
コレはコンサート中の記録写真みたいなもんで、
厳密に言うと普通のいわゆるアイドルグラビアではなかったんですね。
もっとちゃんとした写真、カメラ目線のちゃんとしたヤツが必要
だったんだけど、これじゃほとんど参考にならん。
そんなわけで、これから数日は矢口研究に没頭します。
頑張ろう27歳。
タバコについて。
at 2001 05/28 04:51 編集
はータバコが切れた。
自販機は朝5時にならなきゃ動かないし、
コンビニはタバコ買いに行くだけにしてはいささか遠い。
ちゅうこって、5時になるまで日記でも書いて時間を潰そう。
でもタバコ切れてるとロクな文章浮かばないんだけど。
僕がタバコを吸い始めたのは19の頃で(あああ、まー・・・まーいーか)
寮でまわりが吸っていたので、どんなもんかなと
何本かもらって吸ってみたのが最初です。
それまでは、「タバコなんて吸うものか、きっと一生吸わないだろうな」
と思っていたんですが、
そして大学1年の頃は体育会系の部活をやっていたので、
タバコは厳禁だったのです。
だから吸う機会は無かったわけですが、その部活も辞めてしまったしで・・・
部活やってた頃、嫌な先輩が1年生に向かって
「お前タバコ吸ってるだろ?」とか、根拠ないことを馬鹿みたいに言っていたので
あまのじゃくな僕は逆に「あー吸ってやろうかな」とか
思ったりもして、それもきっかけのひとつだったかもしれません。
タバコがクセになってから、「モノを考える」機会が増えて、
・・・というのは、寮生活のことやら、勉強のことやら、
就職のことやら、彼女のことやら、とにかく人生において
いろんなことを考えなきゃならない時期になり、
考える時はタバコ無いとなにも浮かばなくなって、
そうなってくるとドツボですね。
やめようと思ったことも無いですし、たぶんやめないな。 うん。
やめないけど、軽いのにしてます。 スーパーライトとかの。
タバコ吸わない人と生活を共にするような事態になったら
やめるかもしれません。
いや、どうかな・・・
ちゅうか、知り合う人ってなぜかタバコ吸う人が多い。
仕事関係者とか、友達とか、彼女とかでも。
なんでだ。
それよりも、僕の場合、性格上「なんとなくやめてみようかな」とか
「今、何の理由もなく、いきなりやめたりしたら面白いな」とか
思ったときにやめる可能性が高いです。
僕はそーゆー、意味無く思い付きで行動することが多いので。
まーね、吸い始めたもの思い付きだしね。
タバコはニコチン摂取とか、落ち着くとか、そーゆー利点より
「暇を埋める」とか「間を埋める」とかいうときに便利。
待ち合わせの時とか、ボーっと突っ立っているより、タバコでも吸ってたほうが
「なんかしてる感」を出せるし・・・(なんだそりゃ)
話題が無いひとと喋るときに、どーしようもない沈黙の間を埋めるのに
便利です。
そんなこんなで吸い続けている僕ですが、
まー最低限のマナーは守っているつもりですので、
どうかそっとしておいてください。
吸わない人に「なんで吸うの?」と言われても
答えようが無いのです。
缶コーヒーについて。
at 2001 05/29 02:34 編集
はー缶コーヒーが切れた。
ので買ってきました。
缶コーヒーなら夜中の自販機でも買えますからね。
僕は缶コーヒー好きでねぇ。
大学生になったくらいから好んで飲むようになりました。
それまでは実家だったので、インスタントとか自分で作って飲んでましたが。
やっぱ缶コーヒーと言えばショート缶(190ml)。
最初にハマったのが『ネスカフェ・サンタマルタ』です。
あとくちがスッキリとしていたので。
それまでは缶コーヒーと言えばロング缶の、いわゆる「コーヒー飲料」
しか知らない、いたいけな少年だった僕にとって、
このサンタマルタのサッパリ感は衝撃的でしたよ。
それからもサッパリ系のコーヒーを求めて、探究してました。
サッパリと言っても、無糖のブラック系はイマイチ。
いや、たまに飲みますが、「微糖」くらいのがちょうどいいです。
サンタマルタのあとは『ジョージア・ゾット』。
発売当時ダウンタウンの松ちゃんがCMしてたヤツです。
これもキリッとしててサッパリしてて、好きでした。
ジョージアと言えば、僕は大学時代千葉に住んでいたんですが、
千葉には千葉限定(たしか)の『マックスコーヒー』っていうのがありました。
250mlのいわゆるロング缶のコーヒー飲料なんですが、
ミルクと砂糖がたっぷりで、あま〜いコーヒーです。
たぶん「ミルクと砂糖がマックス」なのでマックスコーヒーなんだと思いますが。
でもなんかたまーに無性に飲みたくなるんですよ。
『マッ缶』と呼んでました。
まーそれはいいとして・・・
ゾットの次にハマったのは『ダイドー・デミタスコーヒー』。
これは155mlで、ショート缶よりもひとまわり小さいんですが、
これがまた結構、コーヒーの香りがグーでした。
特にホットだとなお良し。
あとはまー『ボス・シャープ』とか『ジョージア・ファインビター』とか、
『ルーツ・クリアビター』『ファイア・ビター』など、
そーゆー名前からしてシャープっぽいの、キレがいい感じのを選んできました。
そんなこんなで、なんだかんだで、ワンダワンダワンダワ〜ンダで、
今は『ジョージア・エメラルドマウンテンブレンド』を飲むことが
一番多いです。
これはそんなにキレがいいとかいうこともないんだけど、
じゃあなんでかっていうと、家から一番近い自販機がコカコーラのだから。
まーね、一番売れてるみたいだし、確かに無難に美味しいですよ。
というわけで缶コーヒー、1日2〜3本、毎日、ぬんでまっす。(ジャッキー)
昔ばなし。
at 2001 05/30 01:12 編集
昔むかし、あるところにお爺さんとお婆さんと
もうひとりお婆さんとかがいました。
お婆さんは4人くらいいました。
お爺さんは山へしばかれに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。
お爺さんはしばかれました。 渋谷系のひととかに。
「おじぃー、おじぃー」と言われました。 すごく言われましたよ。
お婆さんは川・・・川と言っても俗に言ういわゆる「小川」じゃなく、
かなりの川、川と言うかもう、「河」なんですが・・・に到着して
さて洗濯をしようか、洗濯でもしてやりますか、と思ったところで、
洗濯物を家(家と言ってもまー、小屋みたいなもんなんですけどね)に
忘れてきたことに気付きました。
困ったお婆さんは、河の前に立ちすくみ、さてどうしたものかと
途方に暮れました。
なんだかんだいったりしました。
そして今までの自分の愚かさ、はかなくもささやかに美しかった青春時代
などについて、反省したり、ニヤリとしたりしました。
反省とニヤリを交互に、いや反省1に対してニヤリ3くらいのペースで
それを8セットやりました。
「うむ、なかなかいいペース配分だ。 呼吸も乱れてない。」
と、コーチは言いました。 そして笛を吹きました。
そうこうしているうちに日はすっかり西に沈み、長く厳しい夜がやってきました。
砂漠は暑いという印象がありますが、夜になると気温は氷点下まで
下がってしまうのです。
お婆さんの手元にある食料は、チョコレート2粒とビスケット200枚でした。
家から河に来る道中で、チョコレートばっかり食べてしまったので
こんなアンバランスなことになってしまったのです。
こんなことならチョコレートとビスケットを交互に食べるべきだったと
お婆さんは深い後悔の念にかられ、遺憾の意を表明しました。 国会で。
一方そのころお爺さんはというと、お婆さんがいないのをいいことに、
いつもよりちょっと贅沢なディナーを楽しみました。
リンゴとかはつまようじに刺して食べたりしました。
まさかお婆さんがあんなことになっているとは知らずに・・・
さてここで、お爺さんとお婆さんについて、少し説明しておかなくては
ならないでしょう。
お爺さん、お婆さんと言ってもそれは名ばかりで、
ふたりには子供も無く、当然孫もいないので、本当の意味での
お爺さんお婆さんではなかったのです。
見た目がお爺さんやお婆さんぽいというだけで、そして年が80歳というだけで
まわりからは「お爺さん、お婆さん」と言われていました。
皮肉な話ですね。
でもふたりは文句ひとつ言わず、それを受け入れました。
受け入れ体制万全でした。
お爺さんは「よし来い!」と言ったりしました。
お婆さんは「私はよし子なんて名前じゃないですよ、お爺さん」と言い、
お爺さんを疑いの眼差しで見つめました。
その瞳があまりにも透明で、平坦だったので、お爺さんは自分の全てが
この女に見透かされているような気がして、
いてもたってもいられなくなりました。
スクッと立ち上がり、お婆さんが何かをいわんとしているところを
唇でふさぎました。
お婆さんの唇を奪取したお爺さんは、「くちびるダッシュ」と
独り言にように言いました。
それはお婆さんには聞こえていませんでした。
お婆さんの耳にはもうなにも届きませんでした。
それは年だからとか、そういうことじゃなく、自らの心臓の鼓動が
熱いビートを刻んでいたからです。
それはあたかも、高校時代に気の合う仲間同士がなんとなく集まって、
なんとなく「バンドでもやってみない?」と言い出し、
特に断わる理由も無かった他2名が「OK」と言い、しかしどうしても
ギターだけが見つからず、困っているところに、ドラムのケンが
「3組の竹中がギター弾けるって噂だぜ」という情報を仕入れたが、
竹中は町でも有名な札付きのワルで、ヤクザとも繋がっているという噂が。
でもどうしてもバンドをやりたいヴォーカルのジュンは、
「よし、俺が交渉してみるよ」と勢いよく教室を飛び出して3組の竹中の
ところへ向かった。
竹中は「あァン!? バンド!? ギター!?」とジュンを睨みつけた。
いまにもケンカが始まりそうだった。
まわりには野次馬達が集まり、「ジュンだ、いや竹中だ、
俺は竹中に1000円だ」、などと言い始めた。
「弁当いかぁっすかーー」という弁当売りまで現れる始末。
一触即発の3組の教室。 ・・・とそこへ、
「やめなさいよ! ふたりともっ!」
そこに立っていたのは2組のカオリだった。
カオリは早くに母親を亡くし、酒乱でギャンブル好きの父親の暴力に
耐えながらも、幼い3人の弟たちの母親代わりとなり、
それでもなおかつ成績も優秀、生徒会の副会長と女子陸上部キャプテンという
2足のわらじをもこなす学園のアイドル的存在、のように見える風貌を
していたが、実際は普通の、なんのことはないただの女だった。
オール3だった。
「ケンカなんかじゃなく、コレで決めなさいYO!」
と言うカオリが手にしていたのは、アサガオの種だった。
「このアサガオの種を早く育てて先に花を咲かせたほうが勝ちってのはどう?」
このカオリの提案は国会で棄却され、内閣指示率も10%に下がった。
株も大暴落し、モーニング娘。も解散した。
なんだかんだの末、竹中がギターに加わり、さらにカオリがキーボードを
担当することになり、伝説のバンド『クイックルワイパー』が結成された。
ライヴハウスや路上で地道に活動を続けて、それがなんとかレコード会社の
目にとまり、本格的なプロデビュー。
バンド結成8年目の夏だった。
さぁこれからという時、キーボードのカオリの妊娠が発覚。
ベースのタモツとの子だった。
カオリに想いを寄せていたヴォーカルのジュンは、デビューシングル発売の
前日の夜に首を吊って自殺。
デビューは取り止めとなった。
ドラムのケンは親の印刷屋を継ぎ、タモツはカオリと子供を養うために
パチプロになった。
竹中はニューハーフとなり、バーを経営。 そこそこ儲かっていた。
そんな日々が続き、何年か経ったころ、カオリとタモツの間に不穏な空気が・・・
ふたりの子供はどう見てもタモツには似ていなかった。
タモツよりもジュンに似ていたのだ。
数年前、スクラップ工場で首を吊って死んだあのジュンに。
血液型も、カオリとタモツの間ではあり得ない型だった。
もしかして・・・
確かに当時、カオリはタモツ以外にジュンとも関係を持っていた。
ジュンだけじゃなく、ケンとも竹中とも、マネージャーの藤原とも。
タモツにはもうなにがなんだかわからなくなっていた。
これを書いている多摩川ぷう太にもなにがなんだかわからなかった。
タモツとカオリは離婚した。
それから15年が経ち、子供(シュウ)は20歳になった。
カオリ達は45歳になっていた。
シュウの20歳の誕生日、バンドのメンバーが久しぶりに集まった。
町の小さなスナックを借り切って、ささやかなプチコンサートを
開くことにしたのだ。
これを提案したのはシュウだった。
全てのほとぼりはさめていた。
やっとみんなが笑顔で顔を合わせられる時期になったのだ。
15年。
長いようで・・・短いようで・・・
ヴォーカルにはシュウが立った。
演奏するのは、デビューシングルになるはずだったあの曲・・・
『ミラクル音頭』。
ケンがスティックでカウントする。
「ワーン・トゥー・スリー・ィヤォウッ!」
ツッツターン・ツクツクターン・ツッツッターン・ツクツクターン・・・
・・・というときくらいの熱いビートでした。 そのときのお婆さんの心臓は。
それはそれは熱い夜でした。
さて、そんなお婆さんだったわけですが、今はそれどころじゃなく、
残り2粒となったチョコレートと、200枚のビスケットを
どうやって有効利用しようかと考えあぐねていました。
そして出した結論は、「チョコをビスケットでサンドしてみよう」
ということでした。
ナーイス、グーアイディーア。
ビスケットのほのかな塩っ気とチョコのこおばしい甘さが渾然一体となって
まろやかなハーモニーを奏でていました。
まったりとしていて、それでいてしつこくなく。
まるでドナウ河の細波にようでもありました。
それはそれはたいそう美味しかったそうですよ。
めでたしめでたし。