手のひらに恋心、指先に温もり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドの下に放り出された本に手を伸ばし、腰の痛みに小さく呻く。

 そもそもが理に反する行為だ。同性同士のそれは、どうしたって無理が生じる。

 しかし無理を押してまで受け入れるのは、彼のことが好きだから。なのだろう。そんなことを考えながら、本を取るのは諦め、既に深い眠りに落ちているらしい火神へと視線を向ける。

 彼が好きだ。好き、なのだと思う。こういう行為を許す程には。自分はあまり周囲や雰囲気に流される方ではないから、この関係は自分も望んだものでもあったはずだ。

 なのにこのところ、本当にそうだっただろうかと思ってしまう。

 自分の気持ちが解らない。

 出逢って、確かに惹かれた。そのことに間違いはない。光に吸い寄せられる羽虫のように。彼の放つ強い光に、惹かれずにはいられなかった。

 だけど——。

 例えば。彼より強い光を放つ人物が現れたら? 彼の光が何らかの理由で衰えてしまったら?

 自分は一体どうするだろう。考えれば解らなくなる。

 解らないと言えば、彼のこともだ。彼は何故、同じ男である自分を抱く? 好奇心? ならば何故、行為は繰り返される? 性欲処理、手軽だから? 否、男である分、手間はかかる。その手間をかけてまで抱く理由は……何?

 考えたところで解るはずもない。自分は彼ではないのだから。それ以前に、自分の気持ちも解らないのに、他人の気持ちが解る訳もない。

 深く息を吐いてシーツに顔を伏せる。

 光へと伸ばした手の先には、一体何があったのだろうと思いながら、黒子は眠りの淵へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう止めようぜ。」

 それから数日後のことだ。火神からそう告げられたのは。眩い光燦々と降り注ぐ午後の屋上だと言うのに、目の前が夜よりも暗い闇に覆われる。

 絶望。人はこれをそう呼ぶのだろうか。何て深く、暗い闇。彼の鮮烈な光の一筋さえ、この闇には届かない。

 そうして漸く気づく。自分がこんなにも、彼に想いを寄せていたと言うことに。

 眩しさに眩んで見失っていた想い。闇に落ちて漸く取り戻すなんて。

「………火神くんが、そうしたいのなら…」

「…その程度かよ。」

 今更取り戻したところで既に行き場のないそれを抱え込み、崩れ落ちてしまいそうな己を叱咤しつつ声を絞り出す。

 すれば、それに返る低い声。苛立ちを多分に含んだ声色に顔を上げれば、火神はギリと奥歯を噛み締めている。

「その程度の気持ちで、テメエはオレと居たのかよ!」

「……………違い、ます…」

 怒っていると言うよりも、傷ついた表情。吐き捨てるように怒鳴り踵を返した火神の耳に、黒子の微かな声は届かない。

「…好きです……火神くんが、好きです……好きだから…傍に、いたかったんです…」

 乱暴にドアが閉じられたと同時に、堪えきれず崩れ落ちた黒子の唇から溢れた告白は風に流れて消える。

「火神くん…」

 太陽を見上げる淡い色の瞳から、ほろほろと涙が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 真上に位置していたはずの太陽はとうに建物の向こうへと隠れ、空は蒼からオレンジへと色を変えている。

 手足を投げ出して座り、ピクリとも動かぬ姿は人形のよう。黒子はただただぼんやりと、屋上で風に晒されている。

 午後の授業をサボってしまった。どころか、練習もとっくに始まっている。

 だけど今日は練習に出たところで、とてもじゃないが、まともにできそうにない。カントクは怒り狂うだろうが、その分の罰は明日受けるから、今日は休ませてもらおうと思う。

「…まだ、んなとこいたのかよ。」

 虚ろなままそう考えていたら頭上から声が落ちて来て、幻聴だろうかと思いつつのろのろと首を動かせば、焦点の合わぬ瞳に足らしき物が映る。

「…どうか、しましたか?」

「どうしたじゃねぇよ。練習始まってんのに来ねぇから、カントクに探して来いって言われたんだよ。」

 どうして、よりによって彼が探しに来るのだろう。黒子は苦く目元を歪める。

「…面倒かけてすみません。でも、今日は気分が優れないので帰ります。カントクには、明日フットワーク二倍でも三倍でもやりますから、と伝えてください。」

 顔は決して上げぬまま、だるい身体を動かして立ち上がる。

 身体から水分は出て行ったはずなのに、重く感じるのは何故なのだろう。引きずるように足を踏み出して、彼の脇を通り過ぎる。

 が。

「…離して、ください。」

 途端、パシリと腕を取られた。取り返そうにも、非力な自分ではきつく握り締める大きな手を振り払うことはできない。

 なのに、懇願するような言葉に逆らって、火神は掴んだ手に更に力を込めて己の方へと引き寄せる。引き剥がそうと伸ばした手も、跡が付いてしまいそうな程に強く、強く。

「離して、くださいっ。」

「何で、泣くんだよ。」

 その言葉と、ぽつりぽつりとコンクリートに落ちた染みに、自分が再び涙を零していることに気づいた。涙って枯れないものなんだなと思う同時、一緒に溶けて消えてしまえればいいのにと思う。

「………好、きだからに…決まってるじゃ、ないですか…」

 手首を包むその熱に耐えきれず、膝が崩れる。好きな人に別れを告げられて平気でいられる程、自分は強くない。

 指先から力が抜け、ゆっくりと離れて行く。重力に従って落ちて来た腕を持ち上げる気力もなく、だらりと下ろしたまま、彼が立ち去るのを待つ。

 が、しかし。

「……火神くん…?」

「…初めて、聞いた。」

 手首を包んでいたものと同じ、否、それ以上の熱が、今度は全身を包み込む。膝を付いた火神に抱き締められたのだ。

 困惑する己の肩口で零れた吐息には、嬉しさと安堵が濃く滲んでいる。

「聞いたことなかったから、もしかして流されてるだけなんじゃねぇかって思ってた。」

 そうして吐露されるのは、己が抱えていたものと同じ思い。相手の気持ちが解らず、その内自分の気持ちまで見失った。

 目の前にある肩に額を押し当てる。

「ボクも…聞いたこと、ないです。」

「そう、か…? あ〜…そうか。」

 呟きは、小さくともちゃんと届いたらしい。悪かったな、と、腫れて重たい瞼に唇が落とされる。

「好きだ。」

「ボクも、好きです。」

 下ろしたままだった手を伸ばせば、指先が絡む。

 そうだ。光へと伸ばした手のひらには、彼への想いが乗せられていた。そうしてその指先は、確かに彼へと届いたのだ。

 指先に力を込めれば、火神は同じ強さで握り返してくれる。もしまた何かを見失いそうになっても、こうして確かめれば良い。温もりは、この指の先にきっとあるから。

「どうする? 練習、行くか?」

「…やっぱり今日は止めておきます。こんな顔で出るのも嫌ですし。」

「んじゃ、帰ろうぜ。」

「え…火神くん、練習は…」

「サボる。」

「カントクが怒り狂いますよ。キャプテンも。」

「だろうな。けど、オマエいねぇんじゃ、つまんねーし。」

 引き上げられるままに立ち上がれば、火神はそう言って屋上を後にする。

 部室へと制服を取りに向かう間も、指先は絡んだままで。

 そこから流れ込んで来る温もりに、黒子は幸せに口元を緩めた。

 

 

 

「明日は、ふたりともフットワーク三倍ですね。」

「だな。オマエ、途中でへばるなよ?」

「へばったら、肩代わりしてください。」

「するか!」